第7話

 憶さんがまず案内してくれたのは、港。俺たちがこの島の地を始めて踏んだ場所だ。


「きっと驚かれたのではありませんか?」


「それはまあ」


 存分に驚きましたとも。島に入って来ていきなり虎柄の鳥居が出迎えてくれるのですから。しかも、サイズは通常よりはるかに小さいし。公園への車両の侵入を防ぐやつみたいだな。実際、そうなんじゃないかとも考えている。形は悪趣味だけど、好きな人は好きだろ。逆写真映えみたいな。


「黄色と黒の鳥居。黄色は神道においてあの世を。黒色は畏怖や不安を意味していると言われています」


 黄泉、と言う字は黄色の泉と書きますよね、と彼女は捕捉する。


 出てくるワードが全部不穏なのが気になる。


「なんだか、ここにある鳥居はあまり縁起が良いものだと思えないのですが……」


「ふふっ。城さんの感想は間違っていないですよ。この島において黄色と黒は不吉な色とされています」


「……虎柄の野球チームがあるよね?」


「そのチームが優勝したときはお通夜状態。島中で祈りの舞が踊られますね」


 やめろよ、そういうの。健闘を讃えてやれよ。


「何にもないですけど、楽しいことは多いんですよ」


 この島なりの楽しみ方を彼女と一緒に体験していく。それも、できるだけ旅行者が集まらない場所へ場所へと。


 広い砂浜を有したビーチから離れた背後に崖を控える浜辺で、巨大な岩に腰をかける。


 ビーチにはちらほらと小さな人の影が見える。まさか海水浴をしている人はいないだろう。日差しは暖かいと言え、風は強く冷たい。


 まだまだ寒さが残る三月。ビーチに出てきても、この島の観光資材として発展させてきたマリンスポーツは行われていない。


「この季節は予約が多くないですけど、巨大なボールに入って楽しむウォーターボールなんかは水に濡れないということで人気なんですよ。今日は地震もあったので中止していますけどね」


 被害は大きくなかったと言っても、震源地が近辺である以上、安全のために行わないと、この島の自治体が決めたらしい。そんな情報、よく知っているなと思うけど、狭い地域だ。彼女の耳にも入ってくるのだろう。


「城さんはこういったものはお好きですか?」


「うーん、あんまりかな……」イマイチ、今はそこで楽しめる自分を想像できない。


「意外ですね。ハイテンションで叫びまくりな人だと思っていましたが。体育の授業で本気になるタイプかと」


「よくわかったね……」俺、そんな見た目してるかな……。自分では思慮深い見た目だと思うのだけど。



 ええ、そんな時期もありました。体育の授業なんて大学二回になってからやってないな。一回の時は有ったけど、それも週に一回だけの半年だけだし。週に三回も体を動かしていたころが懐かしい。


 思い出に落ちてしまいそうな俺の頬を強烈な潮風が叩いていく。切り替えよう。


「昔はね。それこそ高校の頃はそんなんだったかも」


「大学デビューですか?」


「入学した瞬間、意識的に変わったつもりはないけど……」


 変わらずバカやってるほうが絶対楽しいし。変わろうなんて思ったことない。


「大学デビューとか、高校デビューするのってなんでなんだろうね」


「それは変わりたいからでしょう」


 何を当たり前のことをと彼女は言いたげだ。


「現状に満足している人はありのままでいいと思いますが、不満を持っている人は変えたいと思うはずです」


「不満を、ね……」


 俺は、現状をどう受け止めているのか。まず、こんな風に頭を使うこと自体が不満だ。キャラじゃない。それは間違いない。目の前に海。横には可愛い女の子。はしゃぐだろ。俺なら。なのに、どうしてこんなに頭が回る。自問と自答を繰り返す。


「難しいこと考えてます?」


「俺にとっては、だけどね」


 他人はどうだろう。もしかしたら同じぐらい、意気地なしになるのか。珍しいのは俺じゃなくて、誰もがこうなってしまうのか。


「そう言えば、憶さんっていくつ?」


 女性に年齢を訊くなんて失礼な奴だと、後輩の女子共は詰めてくるだろう。筋肉バカは気になった瞬間に訊くな。そして、筋肉バカの彼女に言われるのだ。二人ともデリカシーが無いですね、と。


 憶さんの見た目は俺よりも年下だし、実年齢が高くともむしろ褒められることだ。気まずいことにはならない。


「一九です。明日には二十歳ですけど」


 と、すれば大学二回か。俺と同級生だ。三月の早生まれはその辺の計算がややこしかったから自信ないけど。これで留年とか浪人していたら気まずいから訊かない。これは意気地がないわけじゃないし。年齢は生まれたときから増えていくことが宿命づけられているけど、学年はそうではないから。個人の成功と失敗がモロに出る。


「そっか、それはおめでとう」


 これ以上は何も言えない。言うべきことがある資格も関係性もない。


「輝美さんが美味しいお酒を用意してくれているみたいなので、楽しみです」


 それから酒の──ほとんどが俺の失敗した──話をしながら移動。


 女性にこんなこと話して笑われるのは久しぶりだった。怒ってくれる人がいなくなってから女の人と話すことも避けてきたし。男友達は一緒に失敗するから誰も覚えていないし。


 港から島の外周を歩いて砂浜へとやって来た。


 次の移動ルートは砂浜から島の中央を目指して一直線に。歩いた距離はちょうど島の半径になるらしい。


 そうして突きあたるのは山道の入り口だ。


「似たような入り口はあちこちにありますが、そのうちの一つがここです」


 看板など建てられているわけではなく、狭い入り口の先は木々が覆い茂り光を遮って、薄暗さを演出している。


 しかしどうやら人の往来はあるようで、道は歩きやすいように固く整備されている。


 木々が風を遮断しているのか、海岸ほど寒くない。むしろ、整備されているとはいえ慣れぬ山道を歩くおかげで熱くなってくる。コートを脱いで、手に持つ。先を歩く憶さんも同様に、着ていたPコートを左手に抱えていた。


「久しぶりだとけっこうきついですね」


 彼女は合間に呼吸を整えながら、言った。


「久しぶり?やっぱり、地元の人でもあまり来ない場所なの?」


 さっきの浜辺が観光地と呼べる場所でなかったり、定食屋で話していた内容から、この島に住むうえで知っておくべき場所を教えてくれるのかと思っていた。だけど、この山に来るのは久しぶりとなるとそうでもないのかも。


「何と言いましょうか、確かにその通りなのですが、」


 憶さんはう~ん、と唸りはじめ、乾いた音と共に三歩目で、靴裏で枝を踏み割る。


「この島に住んでいた時はよく来てました」


「あ、もしかして大学には」


「はい、一人暮らしです」


「じゃあ、今は帰省中なんだ」


 そうですそうです、と彼女は頷く。


 確かに、この島に大学は無さそうだし、自然とそうなるのか。


「あ、今、こんな田舎には大学どころか中学校があるかも怪しいなんて考えていましたよね?」


「どうだろ……」


 俺の返事こそどうなんだろ。肯定しているようなものだ。地元に愛がありそうな彼女の前で田舎扱いをしてしまった。元より彼女から「何もない」と評していたから、怒られるのも理不尽な気もする。けどなあ、人に言われるのは違うしなあ。俺も人から馬鹿そうと言われるとキレる。今日も船の中でキレた。


「ふふん、それがこの島には小学校から高校まであるんですよ」


 むしろ、俺が田舎扱いすることを待っていたようで、得意気にカウンターを放ってきた


 実際、意外なのが悔しい。島の半径分歩いたが、それでも時間はそれほど有しなかった。せいぜい、三十分。港から浜辺まで大した距離もなかったし広い島だと思えないのが正直なところで、人口もそれなりに少ないだろうと考えていた。


「発想の逆転です」


「逆転?全員バカすぎてずっと留年してるとか?」


「そうですね、確かに卒業できなかったらずっと学生できますもんね。ところで、城さんは大学五回生ですか?」


「そんなに老けて見える?」


「苦労を重ねてきたお顔はしていますよね」あまり笑いませんし、と付け加えられる。残念そうな顔をさせてしまうことが申し訳ない。ちゃんと楽しいから。


「うわ、微妙に否定しにくい」

 そんなことないよ、いつもお気楽だよ。そう切り返せるだけのお気楽さを持ち合わせていないのがその証拠。


「せっかくの旅行だし、楽しんで帰るよ」


 針の穴ほど小さかった虚ろな部分がひび割れていく音が聞こえる。いいだろ、楽しんでも。誰が許さないのか知らないけれど、少なくとも俺が許している。草葉の陰から誰かが覗いていたって、後ろ髪を引いてくる確かな指は伸びてこないのだ。


「それで、」


 この小さな島に小中高と学校があることだ。

 彼女が得意気になるということは、廃校寸前、など生徒人数が数人しかいないなど極端な状態でもないはず。しっかりと生徒人数を確保したうえで、存在している。


 この島に来てすれ違った人々の顔を思い出す。


 正直、年寄りが多い印象。ただ、俺の住む街ですれ違うご老人たちと違い、活気と活力のみなぎる表情であることが多い。ほとんどの人が隠居の生活ではなく、現役として一線に出ているからか。でも、これは学校の存在と関係ないな。それに、俺が出歩いていたのは宿場街から観光街を経て、港とその周辺のビーチ近くの浜辺までだ。つまり、憶さんの説明によれば、地域住民が生活するエリアとは離れている。そこですれ違った人たちを基に考えれば、求められている答と離れてしまいそうだ。


 俺がまだ踏み入れていないエリアに想像を働かせるべきか。


「あの、城さん?」


「待って、今考えてる」


「はぁ」


 憶さんに訊けばいいものを。ボーさんたちみたいな探偵の近くにいるとつい、こんな風に推測してしまう。真似事だと笑われるけど。趣味みたいなものだ。ちなみに、探偵たちには素直に聞くようにしている。考えても追いつけないのもそうだが、彼らは基本的に推理を話したがりなので、質問してやると喜ぶのだ。むさいオッサンどもが少年のようで腹立つが、気分良くなるとそのまま事務所で宴会なので、まあこれも楽しいのでアリ。


 思考が逸れた。


 彼女は言った。逆転の発想だと。


 唯一のヒント。手繰り寄せることのできる唯一の糸。だけど、その先に真実が結ばれている。


 何を逆転すればいい。


 人口が少ないことか?


 これは、間違いない。


 だけど、これだけじゃダメだ。


 まだ、遠い。


 この島の人口が多いわけじゃないはずだ。


 狭い島に人口が密集していたとすれば、外の島に働きに出ていく人がいて然るべきであるし、まさかその全員が単身赴任だとは考えにくい。だとすれば、定期船に乗って通勤している?


 しかし、港で見た定期船は、頻度としては朝と夕にあるが、だけど、多くの人間が乗れるものではなかった。


 逆に、この島に働く場所があれば問題は無いだろうが、憶さんはオフィス街があるとは言っていなかった。オフィスが全くないとも言っていないが。これも、今考えるべきことではない。


 着眼点は人口だが、核心は別だ。


 学校には学生が必要。


 学生には学校が必要。


 島には学校がある。


 だから、この島の学生は地元の学校に通える。


 きっと、ここだ。


 逆転するべきはここのはずだ。


 この島の学生は、地元の学校に通えない。では、ない。これは偽だ。なぜなら、通えている真と矛盾してしまう。


 この島ではない学生は、地元の学校に通えない。


「──ん……」


 思考の皺に、糸がチリつく。これだ、これを逃すな。


 逆転の発想だ。


 この島の学生は地元の学校に通えている。


 ならば、地元の学校に通えない学生もいる。


 そんな不憫な学生は、この島の住民じゃない。


 籠目島以外の学生が、この島の学校にやってくる。


「近くの島には学校が無い?」


「え、ええ、急に黙って、いきなりでびっくりしましたけど……。その通りですよ」


「ごめん、つい……」


 つい、やってしまうなこれ!ボーさんたちがなんであんなに推測と推理をやりたがるのか、今一度わかった気がする。単純に気持ちが良い。何重にも重ねられた包装を破り捨てていく感覚。クセになりそう。


「城さんのおっしゃる通り、中学校と高校が無い島が近くにあります。そこから一日に四往復しかしない定期船に乗ってやってくるんですね」どうやら、この島に学校を集約したのはかつての町長らしい。なのだが、そのことについて憶さんは深掘りしたがらず、口を噤んでしまう。


 山道の真ん中で無言も窮屈なので、関連した質問を投げる。


「それって、朝と夕方に日本ずつ?」


「正確には朝二本、夕方一本、夜に一本です。部活などもありますし、何人か先生の

方がいますから」


「へー」


 しかし、それだけしか船が行き来していないとすれば、寝坊したらその日はもう通

えないのか。めちゃくちゃ田舎で山奥に住んでいる人が電車やバスに乗り遅れたとしても、地続きだから最悪歩いていくことだってできる。だけど、海によって隔てられていればそうもいかない。理論上泳げば辿り着くが、現実的ではないし。


「なかなか大変そうだね」


 つまらない感想だが、真理でもある。自分の人生では直面してこなかった不便さだ。


「でも毎日、朝日を眺めながら登校するのも素敵だと思いません?」


 船のタイプにもよるだろうけど。


 今日、俺たちが乗った船のタイプで想像する。あんな観光船ではないだろうけど、もしもの話だ。


 ゆったりとしたシートに背中を預けて、小さな窓から海を眺める。降り注ぐ朝日を

波が小さく砕いて、輝かせて。重たい瞼を通り抜けて、いやでも目を覚まそうとする。アイマスクが必須かもしれない。それに、登校中にやり残した課題はできないな。船酔いしてしまいそうだ。


 なんだか、ネガティブな想像ばかりになってしまった。


 せっかくプレゼンしてくれたのだから、何か肯定的なことを……。


「船の中で課題はできなさそうだから、きっちり前日に終わらせるようになるかも」


 俺の返答に憶さんは噴き出した。


「ごめんなさい。でも、城さんらしいなって」


「そりゃあどうも」


 俺もそう思うよ。結局、俗物的なことしか思いつかない。


「もっと気の利いたことを言えたらいいのだけど」


「どうしてですか?」


「う~ん……」


 今度は俺が言葉を探して唸る番だった。


 表現したい気持ちはある。でも、形にはなっていない。気体がフワフワと頭の中に浮かんでいる。


 喜んでほしい、が気体の色に一番近しい。その色の気体で膨らました風船を語るとすれば、


「笑っていて欲しい、からかな。一緒にいる人が笑ってたら、俺も安心するし」


 だから、アンタはバカをやってるんでしょ?昔、言われたこと。その時は、そんなことないよと返した。実際、そんなことなかったし。俺は、俺が楽しくってバカをやっていた。今でも、同じように。楽しいのだ。今だって──


「憶さんに楽しませてもらってるしね」


 貰ってばかりじゃ悪いだろ。


 彼女は彼女で、俺をこの島に移住させたくてツアーガイドをやってくれているのはわかっている。だから、彼女に何か返すなら、移住の約束になる。もちろん、俺にそんなつもりは微塵もない。だから、返したいのだ。俺にできることで。


「ま、まだまだ、知ってほしいことはいっぱいありますから!これで満足してもらっては困りますっ!」


 喋りながら歩いたせいで体温が上がっているのか、さっきよりも頬を赤くしている。


「大丈夫?少し休む?」


「大丈夫ですっ!ちょっと急ぎましょう!日が暮れそうです!」


 見えていた憶さんの横顔は、彼女が歩を速めたことで後ろ姿へと変わっていく。


 木々が覆い隠している空の隙間から、茜に色づいた陽光がぽつぽつと差し込んでいる。


 俺に予定はないけど、年下の女の子を暗くなるまで連れ出すわけにもいかない。この島に電車がないから、終電までに帰すという暗黙のルールもないだろう。ともすれば、女の子を(様々な意味を込めて)安全に帰すのは連れ出している人間のさじ加減にかかっている。


「じゃあ、早くしたほうがいいかも」


 彼女の言う通り、もうすぐ日が暮れそうだ。


 よくよく考えれば、連れ出されているのは俺で、連れ出しているのは彼女なんだけど。

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