第6話


「街と言うのは、実はけっこう曖昧な単位なんです」


 俺と向かい合って蕎麦をすする憶さんは、籠目島についての説明をそう切り出した。


 二人で入ったのは大通りから少し外れたところにある定食屋だった。そんなに広くない店内はほぼ満席。だけど、観光客と思しき人は少ない。客のほとんどは地元の人ばかりだ。ここの島の人たちは顔が少し似ている気がする。気がするだけかもしれないし、環境がそうさせるのかもしれない。秋田県に美人が多い理由と同じだ。

注文した海鮮丼はマグロ、イカ、ヒラメとネタの数が絞られていたが、その代わり醤油漬の味付けがされていて、満足感は高い。


 この店に来るまでの道中に旅館があったので、荷物は置いてきた。ボーさんは灰皿を抱きながら寝ていた。


「曖昧?」


「はい。城さんは街について説明できますか?」


 熱い緑茶を口に含み、海鮮の風味を消す。淹れたてなのか、舌が微妙にひりつく。


「人がいて、買い物する場所があって、学校があって、とかじゃないの?」


「そうです。住人がいて、お金を使う場所があって、学ぶ場所がある。そのような場所が街だと考えても間違いないです」


「他の考え方もあるの?」


「例えば、オフィス街なんて言葉があります」


「うん」


「これは文字通り、オフィスが多く構えられている街のことを指します。だけど、逆にオフィスしかないわけじゃないです」


「そりゃあ、そうでしょ」


 働く人がいるのなら、そこでお昼ご飯や文房具などを求める人もいる。このニーズを一気に叶えているのがコンビニという小売店だ。飲食店もあるだろう。だから、例えオフィス街と呼ばれる街だとしても、オフィスしかないわけではない。色々なものがひしめき合い、構成されている場所。それが街だ。


「ですが、比率は違います」


「うん……?」


「オフィス街はオフィスの多い街です。住宅街は住宅の多い街です。商店街は商店の多い街です」


「つまり、地域を構成しているモノの比率の大小で呼び名が変わる?」


「そうです。そして、もう一つ。規模や面積、形もバラバラですよね?」


「確かに、商店街はアーケードが続いていくところまでの一本道だし、住宅街は碁盤目状に四角形にデカいかも」


「さて、ここで二つの考えがわかりました」


 憶さんはテーブルの端に置かれた醤油さしと七味の瓶を手元に寄せる。


「一つは、」


 醤油さしを俺と彼女の間、俺から見て右手側に置く。


「何を持って街、と呼ぶか。これは人が住むうえで必要な施設が集合していることだとわかりました。そして、」


 俺は七味の瓶を左手側に置く。


「そしてもう一つは、街の大きさは案外バラバラ、と」


「そうです!村、町、街、都市と規模感を掴ませる呼称はありますが、それもだいたいのイメージでしかありません」 


 この前提を俺に理解させ、話はようやく籠目島にやってくる。


「この島──籠目島も一つの街です。大きくもありませんが、小さくもありません。


 同時に、籠目島はいくつもの街が混在している島だとも言えます」


「島は一つの街で、いくつもの街が集まっている一つの島でもある」


 彼女の言葉を自分なりに噛み砕いて、飲みこむ。これはきっと、彼女なりの籠目島に対する解釈だ。


 俺みたいな普通に生活していれば知ることも訪れることも無かった籠目島。石垣島、小笠原諸島、海外まで伸ばせばハワイやグアムなどの誰でも知っている島とは違う、小さな島。人口もきっと少ないだろう。それでも、村とも〝町〟とも違う。憶さんはこの島を〝街〟と呼ぶのだ。〝街〟と定義するのに規模に関する定義が無いのだという説明をしたのはこのためだろう。


「籠目島は四つの街に分割することができます。南から北へと紹介していきますね」


 彼女は爪楊枝のささった容器とソースさし(と呼べばいいのだろう)を追加する。


「一つは今、私たちがいる場所。ここは港から観光客をお迎えし、楽しんでもらう街です。ご飯屋さんやお土産屋さんが多い、観光街です」そう言って、観光街に見立てた爪楊枝の陽気を置く。


 さらに、爪楊枝のよこに、醤油さしを置く。


「その隣が、旅館などが集まった、皆さんに泊まっていただく場所。宿場〝街〟とでも呼びましょうか」


 歴史モノの物語で聞く言葉で、今時使われることも無いが意味は分かる。確かに、あの辺りは宿場街と呼ぶにふさわしい。


 宿場街に見立てた醤油さしの横に、次は七味を置く。


「これが住宅街。このエリアに輝美さんのアスパラマートもありますし、次に説明する商店街との境目には学校があります」


 これで三つ。最後に残ったソースを七味の隣に置き、


「そして最後に、商店街。この商店街は、観光街と違って日用品や日々の食料品を取り扱っているお店ばかりです」ちなみに、この島の建物の建設関係はほとんど町長の一族が取り仕切っているらしい。


「大体の観光客は城さんと同じようなルートを辿りますね」


 港から上陸し、最初に出会うのは観光街。そこを北へ進んでいくと、やがて俺たち観光客がお世話になる宿場街へと辿り着く。


 普通の観光客ならこれ以上は北上しない。なぜなら、その先には求めるようなものが無いからだ。観光地として訪れる自然も、施設も存在しない。七味とソースに見立てられたエリアは俺たち観光客には用が無い場所だ。


「各街の形状はそれぞれ違いますが、しかし、やはり人がいて、買い物する場所があって、学校もあるこの島は街と呼んで差し支えないでしょう」


「なるほど」


 憶さんの解説によって、この島の地理について理解を深めることができた。

 だけど、


「えっと、非常にありがたいのだけど……、どうしてこれを俺に?」


 この島を楽しめる場所を教えてくれるのかと思ったら、どっちかと言うと生活するのに役立ちそうな情報な気がする。


「城さんがこの島に引っ越してきたとき困らないためにです」


「は……?」


「島に来たら、どこに何があるかわかっていたほうが便利でしょ?」


「ごめん、なんで俺がこの島に?」


 確かに落ち着いていていいところだとは思うけど、だからって引っ越そうとはならない。それとも、なに?これは何段かすっ飛ばした告白?一緒に住もう、みたいな。いやあ、嬉しいけど、心の準備が追いつかない。心臓ドキドキバクバク、視界が真っ白になってきた。ここはお茶でも飲んで落ち着こう。こう、グッと──「──」そう言えば、このお茶ってけっこう熱くなかったっけ?


「──!」


 拒否反応によって飛び出そうとする緑茶たちを、固く閉じた唇で噴き出すのは阻止。出口で勢いを止められた緑茶たちが口内をインバウンドしないよう、勢いで飲み欲す。


「──ぷはっ、ぁっつい!」


 食道から胃へ、熱の足跡を残して緑茶が落ちていく。


「だ、大丈夫ですか⁉」


「だいじょうぶ、たぶん、うん、喋れてるし大丈夫なはず」


 口を開いて下に空気が触れるたび痛かったりするけど、大丈夫。ああ、そう言えば昔、火の近くで息を吸ったら鼻のなかや、喉を火傷しちゃって呼吸困難になったってニュースを見たことある。時間差で来るみたいだけど、朝日を拝めるだろうか。


「急に深呼吸してどうしました?やっぱりどこか──」


「ううん、ここは空気が美味しいなあって」


 憶さん優しいな。俺の周りの人間なんて、すぐに俺の頭を心配するのに。ずっと正常だよ。心がちょっとセンチメンタルになりやすいだけだ。


「そうでしたら嬉しいです!住めばずっとこの空気を吸えますよ!毎日吸いまくりで気持ちよくなりまくりです!」


 それはちょっとどうかと思う。クスリやってんのかって疑われる俺が言うのもなんだけどさ。


「あのさ、なんで俺を移住させたいの?」


「それは──この後、色々見て周ったあと、とっておきの場所でお話ししますね」


 そうして、残りの蕎麦を食べ終えた彼女は湯呑に息を吹きかけ、しっかり冷ましてから口に含んだ。


 一息。


「さあ、行きましょう。この島、この街の魅力をたっぷり紹介しますから!」

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