第3話
俺とボーさんが掃除を終え、座席に座ると、落ち着きを取り戻した船内アナウンスが流れる。
『お客様にお知らせします。ただ今の揺れは〇〇県○○市を震源地とする──』
ここまでの情報はスマートフォンに届いた速報で既に多くの乗客が知っている。小さい地震ではないが、しかし大きな被害が発生するものでもない。とりあえず一安心。そんな空気が流れている。
『大きな被害は未だ発生していないと本部より報告を受けていますが──』
まあ、そうだろうな。わずかに頷く客もいる。何も心配することは無い。予定通り楽しい旅が続いていく。誰もがそう考えていた。次の言葉を聞くまでは──
『お客様の安全のため、目的地を変更いたしまして、籠目島へと寄港いたします。御了承くださいませ。なお、本日の宿泊費及び、安全が確認されてからの本来の目的地、また帰港の際の費用は私共が負担いたしますので──』
さっきまでの空気はどこへやら。安心によって生まれていた一体感は消え去って、機嫌を悪くする人、悲しむ人、銭勘定を始める人と、狭い空間に多色の緘黙が蔓延る。
追い出されなくたって自ら甲板に出ていきたいけれど、アナウンスが流れたスピーカーに向かって文句を言う人がいないだけまだマシだとも思う。旅は道連れ世は情け。こうなったのは誰も悪くない。だったら、これから俺たちが向かう島でのプランを考えたほうが有意義だ。
籠目島。「かごめじま」と平仮名にすれば、なんだか童謡に登場しそうな名前の島だ。
スマホで軽く調べただけではろくな情報が出てこない。でも、宿泊できる場所はあるみたいだから、知る人ぞ知る観光地なのかも。目的地とそう離れていないし、温泉があってもおかしくない。
それから十分しないうちにフェリーは籠目島という島に着港した。荷物を抱え、数十分ぶりの大地を踏みしめる。大きな揺れを体験したばかりだということもあってか、浮遊感じみたものが体に染みついている。
「いやあ、船の中でとってたバランスが無意識に出ちゃうんでしょうかね──って、あの、ボーさん?なんですかそれ?」
「あ?灰皿」
ボーさんは右手でスーツケースを引きながら、もう片方の腕にはあの錆だらけの灰皿を抱えている。
「見ればわかりますよ。俺が訊きたいのはなんでそんなもの持って降りてるんですかってことで」
「いや、俺も最初は返そうと思ったんだけど、なんか要らないから差し上げますだってさ。一応、これも命の恩人なわけだし。まあ、いいかって」いや、地震のときそれと一緒に転がってましたよね?どっちかっていうと一歩間違えたら海に落ちてましたよ。
しかし気に入っているとは意外だった。
「デカい携帯灰皿ですね」
「いいなそれ、採用。帰ったら所長にあげよ」
命の恩人をお土産のように渡すな。
籠目島にはやはり、いくつかの観光施設があるようで港には待合室のようなものが建てられている。海岸を沿って見渡すと、遠くのほうに小さな船がいくつも並んでいるのもわかる。あれは漁船だろうか。だとすれば食事には期待できる。
「しかし、いきなりのお出迎えがこれか。ナニコレ珍百景にでも投稿する?」
「都市伝説とかありそうですね」
港は、もちろんいくつかの建物が構えられている土地と地続きではあるが、だけど、空間がこちら側と向こう側とで遮断するものがいくつも視界に飛び込んでくる。
町までの一本道を塞ぐように敷き詰められた鳥居だ。
よく見る朱に塗られた鳥居じゃない。
色は黄色と黒で、虎柄に見えなくもない。
そして、一番奇妙なのは大きさだ。
普通、鳥居なんてものは人がくぐれる程度の大きさはある。そもそも、くぐることが目的でもあるし。
だけど、その鳥居は、跨いでしまえそうなほどの大きさしかない。
そんなものがいくつもいくつも、島への上陸を防ぐように敷き詰められている。
もしかしたら本当に車両の進入を防ぐためなのかも。だとしても、鳥居の形にする必要がわからない。
「あー、嫌な予感するなぁ~。せっかくのオフが潰れないといいなあ~」
ボーさんは異様な光景に探偵の鼻が反応したのか、少しだけ憂鬱な表情でぼやき始めた。俺も俺で、背中に冷たい風が這っていく。本当に何事も起きないことを願う。
フェリー会社が用意してくれた旅館の出迎えは、鳥居の群の向こう側に待ってくれているらしい。乗客たちは鳥居と鳥居の間を蛇行しながら進んでいく。
「きゃっ」
割と最後尾であった俺たちの後ろ。
何かがぶつかる音と共に、砕け、崩れた音も聞こえた。
振り向くと、さっきのSNS女子の一人がスーツケースを鳥居とぶつけてしまったらしい。彼女の足元にはコロが外れ、バランスを失った赤色のスーツケースと、黄色と黒の鳥居が倒れていた。
「お、」
根元から折れた鳥居を見て、ボーさんは灰皿を抱いた左手に力を込める。それと重ねなくていいですから。
「え、えっと……」
女子たちはどうしたものかと、その場で狼狽し、助けを求めるように周りを見渡す。当然、鳥居を壊したときの対処法など誰もわからず、手を差し出す者はいない。乗客たちは顔を背けるか、名前を呼んだ旅館の中居に付いていくし、島民たちは島民たちでひそひそと彼女たちを評している。ぶっちゃけちょっと感じ悪い。ぶつけたのは不注意だったかもしれないけれど、こんな真っ直ぐ進めないように設置しているほうもたいがいだ。それに、たかがスーツケースがぶつかった程度で壊れるなら、そもそも老朽化も進んでいたのだろう。見ているなら何か声かけてやれよ。
数秒経っても助ける雰囲気は出てこない。
「ボーさん、あれ、お土産にしましょう!」
俺は倒れ落ちた鳥居を指さす。
「お、いいな。ちょうど事務所に鳥居が欲しかったんだ。お前担げよ」
「やっぱりそうなります?」まあ、いいや。
「うっひょお!野生の鳥居だぁ!持って帰ろお!きっと美人な狐娘が夜な夜なタノシイ夢を見させてくれるぞぉ!」
アンバランスなスーツケースを地面に立て困惑したままの彼女たちには話かけず、まずは倒れたままの鳥居を起き上がらせようとする。しかし、変な色に塗られているとはいえ、それは石の塊だ。普通に重い。
「──っ!」
もう、起き上がらせるとかそんなレベルじゃない。地面に突き刺さっているんじゃないかってぐらいビクともしない。簡単に折れたくせに!クソぉ!待ってろよ狐娘!
「うぉおおお!」
腕と肩を離れ離れにする覚悟で引き上げる。
鳥居の頭、井の字部分がわずかに浮く。
いいぞ、このまま。全部持ち上げなくていいのだ。斜めに足が接地すれば、あとはテコの要領で上げられる。バカでも知ってる物理学だ。いけ、このまま──
「おりゃぁぁ!」
最後の力を振り絞り、アンダースローばりの速度で腕を天に振り上げる。
折れて倒れた鳥居は再び立ち上がった。一度は根元から折られ、地に伏したけれど。俺たちを出迎えるため。波風を全身に浴びるため。そして、近いうちにやってくるであろう、俺たちがこの島から出ていくのを見送るために。七転び八起き。転んでも起き上がればいい。傷だらけの姿にこそ、勇気を貰えるのだ。
そう、砕けない限りは。
「あ」
一度は起き上がった鳥居は、だけど自立することができず再び地面に激突し、こぶし大の石塊へと崩壊した。
「え、えーと……」
SNS女子たちは黙って俺のほうを見つめる。女性からの視線は緊張するけど、それこそこの場面をSNSに上げないだけモラルが有っていい。
周りの住民は青い顔をして閉口している。なんだよ!さっきまであんなにひそひそ喋ってたくせに!俺にもやれよ!怖いだろ!本当に狐娘出るの?ガチのやつ?
「ボーさん、これ」
助けてくれ。残念なことにこの場に頼れる大人はあんただけなんだ。藁にも縋る想いで振り向く。
「あ、いえ、城・如月なんて前の人は急病でいないです。ええ、あそこにいるのは知らない男です。鳥居を壊すなんて非常識な奴、知り合いにはいないので」
藁程度には頼れるはずだったボーさんは、宿の出迎えらしき男に俺の不在を説明していた。非常識は灰皿抱えたお前だろ!
「城は俺です!こいつの言うことは信用しないでください!こいつは通りすがりの女性のSNSアカウントを特定しては、その画面のスクショを自宅の壁一面に貼り付ける気持ち悪い男なので!」
それから俺たちはお互いの気持ち悪い趣味を作っては擦り付け、ねつ造された汚点に塗れたところで男が遠慮がちに訊いてくる。
「それではこちらの方がアッテンボロー・タンテボー様。あなた様が城・如月様でお間違いないでしょうか?」
「はい」「おう」
二人とも否定する理由が無い。
ボーさんが適当なこと言うからややこしなったんだからな。この灰皿ラブ野郎。頭の金髪はヤニのせいか?脳みそまで浸透してるんじゃないのか?
俺たちの確認が取れた男はそのまま「松戸様、綾野様はいらっしゃいますでしょうか」と、別の名前を呼び始める。
その二人は件のSNS女子だった。
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