第一話 平穏是又日常也#5
「……アレって、うり坊、だよね?」
わたしから遅れること十数秒。どうやら目標を視界に収めたらしいクリスさんが、驚いたように呟く。
「あの、ボアの幼獣の……?」
よっぽど今目にしているものが信じられないのか、しきりと目をこすっている。
あまり瞳に良くないから、そろそろやめるように言ったほうが良いかも?
「にしては、その……大きくない?」
うん。どうやらわたしの見間違いではないことが確定した。
アレはわたしの目だけに映る幻でも、よく擬態された別のなにかでもなく、うり坊そのものなのだ。
色々言いたいことはあるけど、それはさておき。
うり坊。
言わずともご存知の通りボアの幼獣。キュートでプリティな神様が授けし究極の癒やし系ギフト。
あぁ、その全てが完璧!
その愛くるしい姿が大人気なのに、成獣になればあっさり乙女心を打ち砕いてくれ、挙げ句にギガント・ボアにチェンジすることもある可愛さ詐欺動物。
あんなに可愛い小動物が、あんな毛ダルマ筋肉ダルマになるなんて神の所業であっても許すまじ!
あ。でもボアのお肉って安いわりに美味しくてそこそこヘルシー。そこは神様に感謝してもよいかも。なんて食欲には勝てない乙女心を許して欲しい。
(なんだけどなぁ……)
見た目こそうり坊その物だけど、なんだけど。スケール感がおかしいでしょ! アレ!!
なにあのサイズ? 一メートル以上もあるボアの幼獣なんて聞いたことがないよ? 軽く見ても牛の幼獣並の大きさがあるし、下手したら成獣のボアよりも大きくない?
そしてなにより、あのうり坊から多大な魔力が発せられている。これは明らかに魔獣が持つ特徴。
だから、あのうり坊は間違いなく魔獣で、名付けるならギガント・うり坊かな?
(でも、そんなことが起こり得るの?)
魔獣とは長時間魔力に晒された動物が、変質を遂げ別の生物に『進化』した状態のことを指す。
さて、その魔獣化なのだけど……全ての動物に共通する項目がある。
それは『幼獣は絶対に魔獣化しない』という点。
動物から魔獣への変化は信じられないほどの負担を身体に強いる。原因が魔力によるものだから物理的な限界もなんのその。あり得ないような変形をすることが多い。
そして幼獣の体力ではその変化の過程に耐えきれずに死んでしまう。
だから魔獣には成獣しかいないのだけど……なぜかあのうり坊だけは魔獣化──え~っと、親に合わせてギガント化とでも呼ぼう──している。
つまりあのうり坊は、奇跡の存在。
世界全ての可愛いもの愛好家の夢と希望、そして理想が具現化したお姿!
一体何が原因で魔獣化に耐えたのかはわからないけど、あまりにも可愛いから神様が依怙贔屓してるんじゃないかな。
「……こっちに近づいてくる」
横から一緒に覗き込んだクリスさんが掌を握り込む。
なりこそ大きいけど、元がうり坊ならそれほど好戦的な性格じゃないと思う。
警戒するにこしたことはないけれど、こちらからちょっかいを掛けなければ安全。わざわざ襲いかかってきたりはしないだろう――多分。
うり坊とはいえ、なりがなり。体当たりぐらいでも相当の威力がある。
ともかく去るまでここで息を潜めていれば――。
「………!」
様子を伺うわたしの眉がピクリと動いた。
あのギガント・うり坊。鼻をクンクンさせながらまっすぐに例の薬草へと接近しているように見える。
見えるというか、間違いない。
は! そうか! アレでも立派な魔獣。ここいらの薬草を掘り返したのはきっとあの魔獣。
そして、大量に魔力を得ることができる例の『薬草』に反応しているんだ!
理由はわからなくとも、あのうり坊が魔獣であるのは間違いない。
「あー! わたしのお宝が!!」
思わず叫んでしまったわたしの声に、ギガント・うり坊がピクリと反応する。
「ちょ、ちょっと! エリザ!」
慌てたクリスさんがわたしの袖を引っ張るけど、もう手遅れ。バッチリと目があっちゃいましたよ?
一瞬驚いたような仕草を見せたものの、今度は攻撃的な視線でこちらを睨みつけている。
好戦的ではないとは言え、わたしの声にびっくりしたらしいギガント・うり坊はやる気満々に見えた。
「どうするの、コレ?」
呆れたように言うクリスさんだけど、先に見つけたお宝を奪われそうになってるんだし、わたしは絶対に悪くない……と思う。
「黙っていたらやり過ごせたかも知れないのに……見るからにやる気満々じゃない」
「いや、えっと、その……これは不幸な事故みたいなものだし」
そう。わたしが大声を上げてしまったのは、あくまでも緊急事態だったから。
「完全に人災だよね? 誰のせいだとは言わないけどさ!」
だけどクリスさんは納得しない。
「誰かさんが大声で刺激したのが原因だと思うんだけど?」
「いやでも、あそこにあるの超貴重な薬草です! アレ一本だけで数カ月分の稼ぎになるんですよ?!」
せっかく見つけたお宝を、いかなうり坊と言えども譲るワケにはゆかない!
こっちにも生活というものがあるワケで、いかなうり坊といえども見逃すワケには!
「え? マジで」
クリスさんの動きがピタッと止まる。
おっと。なんだかよくわからないけどクリスさんの琴線に触れたみたい。ここは一つ押しの一手!
「マジです。マジマジ」
「となると、あいつをうまく追い払うことができればワンチャンある?」
わたしの言葉に、クリスさんがますますその気になっている。
「まともにぶつかり合うと流石に分が悪い? いやでも、所詮はうり坊……いやいやでもあの大きさだし、舐めてかかるのは……」
「キィーーーーーッッッ!」
真面目に考え始めたクリスさん。そしてそんなことにお構いなく、ギガント・うり坊が地面を蹴って走り出す。
目標は、間違いなくクリスさん! まぁ、客観的に見れば薬草を毟っているだけのわたしよりは剣盾フル装備なクリスさんの方がヤバいと思うのは当然か。
「危ない……って、狙いはボクかい!」
ギガント・うり坊の目標が自分だと気づいたクリスさんが、いかにも納得ゆかなさそうな表情を浮かべる。
「叫んだエリザの方を狙うのが筋ってモンだと思うけどね」
そんなことを言いつつ、突進してきたうり坊をクリスさんが盾を構えて受け止めた。
うり坊とはいえ、サイズがサイズ。その質量が繰り出されたタックルの威力は馬鹿にできない。
「……っくぅ!」
もの凄い轟音と同時に盾を構えたクリスさんがズザザザっと後ろに押されだけど、信じられないバランス感覚で転倒を防いだ。
アイカさんもそうだけど、わたしの周りには人外さんしかいないのだろうか。
一方のギガント・うり坊も体当たりで押し切れないと悟ったのか、そのままバックで後ろに下がっている。
こちらもこちらでなんて器用な……。
「いや、マジでなんなのさ」
クリスさんが顔を顰める。
「ヴォルガンさんの鉄拳並の痛さだよ! 見た目詐欺にも程があるって!」
いや、そのヴォルガンさんの破壊力の方が怖いんですけど? 確かその人、食堂のコックさんですよね? 元は戦士だったぽいですけど、怪我かなんかで引退したって話じゃなかったっけ?
しかもクリスさんって防御特化の勇者さんなのにその彼女をして痛いって言わせしめるとか、どんだけ……。
「くっ……こうなったら!」
盾と同時に剣を突き出し、ギガント・うり坊にその切っ先を向けるクリスさん。流石にうり坊相手に聖剣を持ち出したりはせず市販の一般的なショートソードを使っているけど、ギガント・うり坊には充分すぎる。
「まって! まって!!」
そのままギガント・うり坊に向かって走り出しそうになったクリスさんに、思わず背後ろから抱きついてしまう。
「んな?!」
急に後ろから抱きつかれたものだから、勢い余って大きく仰け反ってしまったクリスさんが妙な悲鳴を上げる。
「ちょ、なに! 邪魔しないで!! お宝が取られちゃう!」
「言いたいことはわかりますけど! あのうり坊には罪は無いと思うんです!」
むむ。この感触は……思っていたより大きい。クリスさんって着痩せするタイプ?!
密かに同志だと思っていたのに、実にけしからん──じゃなくて。
クリスさんの裏切り者~~~! ──でもなくて!
「御慈悲を、そう御慈悲を!」
このままではクリスさんにギガント・うり坊が討伐されてしまう。いや、それが正しい判断なのはわかるけど、世の中理屈ばかりじゃないから!
「御慈悲って、なに! え? なんかボクの方が無体を働いているみたいな感じになってない?」
じたばた暴れながら抗議の声を上げるクリスさん。
「襲ってくる魔獣を返り討ちにするのって、悪いことじゃないよね?!」
本来ならわたし程度の腕力でクリスさんを抑え込めるとは思えないけど、これが火事場のくそ力って奴?
「カワイイは正義なんです!」
ともかくクリスさんを説得しないと。このまま抑え続けることなんてムリだし、あの可愛いうり坊ちゃんが斬られてしまう!
「はい?」
わたしの言い分に、目を丸くするクリスさん。
「いや、カワイイのは認めるけど、正義ってなにさ!」
おっと、説得の言葉を間違えちゃった。
「あっと、そうじゃなくてですね。あの子が怒ってるのは、そもそもわたしが驚かしたのが原因ですし。討伐しちゃうのは流石にというかなんというか」
あぁ見えてクリスさんは人情よりも理論優先。つまり、理論的に説き伏せれば考えを改めてくれるハズ。
「どちらかと言えば責任はわたしの方が重いと思うので、どうしても斬るって言うならわたしの方をズンバラリンと!」
「わかった、わかったから落ち着いて、エリザ?」
わたしの懇親の説得に、クリスさんが剣先を下ろす。
「キミ、さっきからメチャクチャ混乱してるよね? 会話の脈絡が明後日方向に全力疾走で家出してるよ?」
「え? でしたら警士隊に捜索願を出さないと……!」
「うん。これは駄目だね。ちょっとうり坊は置いて、キミの理性を拾いに行こ?」
どことなく優しい声音になるクリスさん。
「ほら、あのうり坊も、どうして良いかわからずに戸惑ってるよ?」
「きーっ……」
あ、確かに途方にくれたような表情を浮かべている。
うーん。そんな表情も、実にカワイイ! っと、そうじゃなくて。
「すーはー、すーはー」
まずは大きく深呼吸。
「えーっと、それでですね」
まずは落ち着け、わたし。お宝薬草を見つけたのと、ギガントなうり坊の魅力にあてられてすっかりのぼせてしまってたけど、レンジャーたるもの常に冷静でなくちゃ。
我ながら精進が足りないなぁ。
「改めて言いますと、うり坊ってのは臆病な動物で向こうから襲いかかってくるなんてことはありません。魔獣化しても性質は変わりませんし、ましてや縄張りも持たない幼獣が積極的になる理由は──」
「まって、チョット待って」
額に右手をあて、左掌をわたしの方に向けながらクリスさんが続ける。
「突然マトモになるの、本当にやめてくれない? その、感情と理解が色々と付いてゆけないから」
いや、えっと……流石にその言われようは酷くないかな? 気持ちはわからなくもないんだけど、もっと手心というかお情けを貰えると嬉しいというか。
「ともかくキミの言いたいことはわかるし、理屈として間違ってないのもわかるんだけど、現実問題としてあのうり坊はこちらを敵視してるワケだよ?」
クリスさんの仰るとおり。今はウロウロと遠巻きに様子を見ているギガント・うり坊だけど、なにかのきっかけでまた突進して来ないとも限らない。
個人的にはばっちこーい! って感じだけど、流石に命がかかっている上にクリスさんまで巻き添えにするわけにはゆかないし……。
「あ。そうだ」
カバンの中から、先程まで集めていた薬草の束を取り出す。
「ようはこちらに注意が向いているのが問題なので、別の方向に注意を向ければ問題解決ですね」
「いや、それはそうだろうけど……実際どうするのさ」
「こうします」
取り出した薬草の束を、ぐっと構え思いっきり投擲する。
きれいな軌道を書きながら、それは見事狙い通りにギガント・うり坊の前にポトリと落ちた。
「キッ?」
突然目の前に落ちてきた薬草――餌の塊にギガント・うり坊は警戒心も顕にふんふんと鼻先でそれを伺っている。やがて危険は無いと判断したのか、もぐもぐと薬草を食べ始めた。
「これで一安心ですね」
薬草の束に興味が移った以上、もうあのギガント・うり坊が驚異になることはない。もうわたし達のことなんて完全に興味外になっている。
「って、どーすんのさ!」
にこやかに言うわたしの肩を、クリスさんがガシッと掴む。
「せっかく集めた分もあのうり坊もどきに食べられちゃってるし、今から集め直したとしても間に合わないよ」
そう。今わたしが投げたのは仕事で集めた薬草の束。これが無ければ仕事は達成できない。
「………」
だけど、今のわたしにそんな些細なことはどうでもいい。だって――。
「無言で現実逃避している場合じゃないよ。今からでもあいつを追い払って薬草を回収――」
「尊い……」
クリスさんがなにやら言っているけど、全然耳に入ってこない。それぐらいわたしは見ている光景に心奪われていたから。
「あのもぐもぐしている姿……最高」
「はい?」
わたしの呟き声にクリスさんがどこか引いたように言う。
「あー、ちょっとエリザさん?」
なぜか丁寧語になるクリスさん。
「今日は、また、随分となにか色々変わってない?」
もう。もっとじっくり見ていたいのに。
「実はレティシアあたりが変な魔法を暴走させて性格を変えてしまったとか、誰かの変装だったり幻覚魔法だったりしてるんじゃ……」
おっと。そうきましたか。
「やっぱり医術師にもう一度見せた方が……あぁ、でもこの有様だと、ヤブだった可能性も……」
なんだか変な方向に飛び火しているような気がする。というか医術師のノイエンさんに根拠のない言いがかりが……!
「あ、ごめんなさい! ノイエンさん、口は悪いですけど腕は悪くないですから!」
流石に風評被害が広まるのは良くないので、ここは全力で擁護する。
「わたしのテンションがちょっとおかしくなってるだけなので!」
「それはそれで、やっぱり医者に見せた方が良い気もするけどね」
「………」
ぐうのねも出ないとはこのこと。
「と、ともかくですね」
ともかく話を逸らさないと。
「あのうり坊の注意もこちらから逸れています。今のうちに引きましょう!」
「~~~っ!!」
どうにも納得ゆかない! って感じで頭を掻きむしるクリスさん。
まぁ、いくらギガント化しているとはいえ、所詮はうり坊。クリスさんが本気を出せば……っていうか本気を出さなくても一蹴できるレベルの相手なのは間違いない。
その状態で、仕事失敗の原因を前にしてこちらが引くという選択が納得いかないのはわかる。
わ・か・る・け・ど・!
あのカワイイ生物を傷つけるのは、わたしとしてはどうしても避けたい。
もちろん、それだけが理由じゃないけど。
「あぁ! もう! ボクは護衛役に過ぎないから、今日のところはキミの顔を立てるよ! だけど、後で納得のゆく説明をしてもらうからね!」
これ以上押し問答を繰り返しても埒が明かないと思ったのか、クリスさんの方から引いてくれた。
* * *
「おいおい……」
額に右手を当てながらトーマスさんが大きくため息を漏らす。
「ようやく『エターナル・カッパー』から卒業できたと思ったら、今度は『エターナル・アイアン』になるのか? 勘弁してくれよ」
トーマスさんの言いたいことはよくわかる。
薬草集めなんて初心者探索者の仕事。わたしのように何年も探索者をやっていれば失敗するほうが難しいってレベル。
そんな『簡単な』仕事を失敗しちゃいました、なんて言えば呆れ返られるのも無理はない。
「いや、まぁ……不測の事態といいますか、病み上がりで調子が出なかったといいますか」
あははは。と笑いながら頭を掻いてごまかしておく。
「いやぁ、まさか途中でせっかく集めた薬草を落としてくるなんて、とんだ失敗ですよ。恥ずかしい」
「猿も木から落ちるって言うし、たまにはそんなこともあるか」
「とりあえずこの仕事。薬草でさえあれば条件の無い出来高制だったはずですから、明日にでも汚名返上をば」
「最後に変な訛り方するんじゃねーよ……まぁ、いい。お前さんの言う通り、こいつは完全出来高制だ」
ともかくトーマスさんを納得させることには成功した。正直、これ以上突っ込まれたらごまかし切るのは難しかったかもしれない。
「つまり今日の支払いはゼロってワケだが……クリスの嬢ちゃんも貧乏籤を引いたモンだな」
「ま、こういうときもあるよ。仕方ないね」
軽く肩をすくめるクリスさん。
「エリザが本調子じゃないのは見てわかったし、今日のところはカンを取り戻すのに必要な経費だったってことで」
どうやら空気を読んでくれたらしいクリスさんが適当に話を合わせてくれる。正直、助かった。
ここでうり坊のことについて触れられたら、間違いなく話がややこしくなるから。
「実に麗しき友情じゃねぇか。明日こそ頼むぜ」
喉の奥で低く笑うトーマスさん。
「簡単な仕事だからって、あんまり失敗が続くとランクダウンもあり得るから気をつけろよ!」
ランクはその探索者の実力の目安。だから失敗が続くようなら当然ランクダウンの憂き目にあう。
そんなことになれば請け負える仕事が減ってしまうのは当然として、ギルド内での評判もガタ落ち。指名依頼なんてほとんど不可能になっちゃうし、同業者からも笑われることに。
ホント、評判って上げるのは地道にコツコツやるしかないのに、落ちるのは一瞬。気をつけないとなぁ。
「それで、きちんと説明して貰えるんだろうね?」
ギルドから出るや否や、クリスさんがわたしの服の裾を引っ張る。
「あのうり坊のこと、隠しておきたそうにしてたから敢えて黙っていたけど、納得できる理由を教えてくれないと、今からでも追加の報告しちゃうよ」
「だって、カワイイじゃないですか!」
「やっぱり今からトーマスさんに言ってくるよ」
「いや、冗談です。冗談」
くるりと踵を返しそうになったクリスさんの腕を引っ張って止める。
「ちゃんと真面目な理由もありますから」
「ホントだろうね……」
なんとも言えないジト目。うん。ちょっとからかいすぎた。ちゃんと真面目な話をしないと。
「まず、魔獣としては危険度が低いと予想されたのが一つ。素直に存在を明らかにした場合、討伐対象として指定されてしまう可能性が高いのが一つ」
「……前者はともかく、後者は別に問題なくないかな?」
クリスさんの言い分はもっとも。どれだけ危険度が低くても魔獣が驚異であるのは確か。臭いものに蓋、というわけではないけれど実害が出る前に討伐しておこうというのは決して間違いじゃない。
「まず前提としての話なんですけど」
できるだけギルドから離れるように通りを進みつつ、クリスさんに説明する。
「幼獣って魔獣化することは絶対にないんです」
これは経験的にもそうだし、魔術師や錬金術師の実験でも確認されている事実。
幼獣は魔獣化には耐えられない。それは厳然たる事実だった――少なくとも今日までは。
「あ」
どうやらクリスさんにもわたしの言いたいことが伝わったみたい。
「そうか。うり坊ってボアの幼獣だから、そもそも魔獣化なんてするハズがないんだ」
「えぇ。にも関わらず、あのうり坊は確かに存在しましたよね」
「……単に発育が良かったとか?」
可能性が無いとは言わないけど、一体どれだけの餌があればあんなに巨大化するかな?
「巨大化した変異種である可能性も考えましたけど、あのうり坊からは間違いなく魔力が発せられていたので。取りも直さず魔獣であることを証明してますよ」
あり得ないことが確実に起きている。あの変異オークの一件もあるし、見過ごすには大きすぎる。
「……つまり、エリザはあのうり坊を調べたいんだ」
「ギルドの立場としては討伐一択にしかならないだろうし、その後に死骸を調べても有意義な発見があるとも思えないんですよね」
ギルドから見れば安全第一。魔獣が出てるならまずは討伐。調べるのは後回しとなって当然。
「これ、ひょっとしたら何かの変異の予兆だったりするかも知れないんじゃないかって、わたしは思うんです」
あのうり坊を排除すれば当面の問題は解決するとは思う。だけど原因がわからないままだと、また同じことが起きるかも知れない。
「なるほど……エリザの危惧はわかったよ。うり坊の魅力に溺れていたわけじゃないんだね」
えぇ、もちろん。うり坊の可愛さに惑わされたりなんかしてませんよ……多分。恐らく。きっと。
「だけどそれでもボク達の出る幕でも考えることでもないと思うよ。研究家に任せるべきだし、その意味ではやっぱりギルドに報告した方が……」
もちろん一介の探索者であるわたしがそこまで気を回す必要は無いと言えばそのとおりなのだけど、二度目以降があった時、それに直面するのがわたしじゃないって保証はどこにも無いわけで。
「確かにわたし達は門外漢なので、調べたところで何かわかるとは思えないけど」
気がつけば露天の立ち並ぶ通りに出ていた。夕方を過ぎた時間帯ということもあって大人も子供も人通りは多い。活気の良い露天商人の客引きのおかげでわたしとクリスさんの会話を聞かれる心配はない。
「でも、専門家とは言わなくても知識量では遥かに勝っている人がいるじゃないですか」
わたしは研究者じゃないし、クリスさんだって専門家じゃない。だけど、わたし達の仲間には限りなく専門家に近い人がいる。
彼女ならなにか突き止めてくれるかもしれない。そうでなくてもより良い助言が貰えると思う。
「レティシアか……」
そう。『賢者』の名をもつレティシアさんなら、きっと何か手を考えてくれるだろう。
というか明日は一緒に来てもらって、あのうり坊を直接見てもらいたい。帰ったら説得しないと。
「あー、まぁ、彼女ならボク達よりは何か良い考えが思い浮かぶかも知れないけどなぁ」
クリスさんの表情は浮かない。
「ただあの子、基本的に愉悦主義者なんだよねぇ。自分が面白いと思ったことに全力は尽くすけど、興味が向かないことはとことん無関心だし」
ふむ。わたしの知るレティシアさんとはちょっと印象が違うけど、以前から付き合いがあるクリスさんが言うならそうなのかも。
「いえいえ、レティシアさんならきっと興味を示してくれます!」
でもなんと言っても相手はうり坊。ましてやギガント。流石のレティシアさんも無関心ってわけにはゆかないと思う。
あの可愛さを前にして無関心を貫くなんて、人としてあり得ないから!
「えぇ……あのレティシアがぁ? 絶対に『その程度のこと……どうでも良くありませんか?』なんて言って相手されないと思うんだけどなぁ」
レティシアさんのモノマネが妙に上手くて思わず吹き出してしまう。
「あ。ヤバ。それレティシアさんそっくり。アハハハ」
「ふふん。レティシアの真似にはちょっと自信あったりするんだけどね」
やばい。反則でしょ、クリスさん。そんなおちゃめな特技もあるとか、ずるくない?
「そこなお主ら!」
あっはっはと笑い合っていたわたし達に、不意に声が掛けられた。
「先程から妾の名を連呼しておるが、何ぞ用でもあるのか?」
「はい?」
思わず左右を見回すも姿は見えない。ひょっとして幻聴?
「こっちじゃ、うつけ者!」
低い位置から聞こえてきた声を受け、顔を下に向ける。
その視線の先にいたのは十・十一歳ぐらいの少女だった。歳を考えても小柄で、視線を下げないと目に入らないサイズ。
肩のあたりで切りそろえられた癖のある金髪にややツリ目がちな顔で、両手を腰に当てた格好でわたし達を見上げている。ふむ。なかなか将来は有望そう。
体にあってないブカブカな紫色の魔術師用ローブから想像するに、魔術師見習いなのだろうか?
サイズがあってない上にところどころほつれている年季物ってところを見ると、親か歳上兄弟からのお下がりだったりするのかもしれない。
「えっと? わたし達に何か用かな?」
しゃがんで少女と視線の高さを合わせ、できるだけにこやかに話しかける。
「ひょっとして迷子になってご両親を探しているとか?」
もしかしたら迷子が心細さを隠すために強がっているのかもしれない。これぐらいの歳の子なら、意味もなく偉そうぶりたがるのは普通のこと。それに魔術師の家系なら家柄も悪くないだろうし。この程度の尊大さなんて微笑ましいぐらいね。
孤児院でも良く見た光景だし。うん、なんとなく懐かしくなってきた。
「えぇい、そんな生暖かい目でみるではない! そもそも、用があるのはお主らじゃろう!」
それにしてもこの独特な喋り方。ちょっとアイカさんに似てるかもしれない。
「えっと、わたし達は特に用事はないかな」
少女の方はわたし達が彼女に用事があると思っているようだけど、そもそも初対面の相手に用事なんかあるハズもないワケで。
「アナタこそなにか用事があって話しかけてきたんじゃ?」
「なにを言う……さっき程まで、お主らは妾の名を口にしておったではないか」
名前を口にしていたって言われても、そもそも彼女の名前だって知らないし。クリスさんと話してたのはレティシアさんのことであって、こんな見も知らぬ少女のことじゃないし。
というかこの雑踏と雑音の中から、よくわたし達の会話を聞き取ったなぁ。すごい地獄耳。
「………」
改めて少女を見直す。初対面なのは間違いないんだけど……う~ん。この感じ、どっかで会ったような見たような気がするんだよなぁ。
「妾はレティーシア・テテス。お主らが連呼していたのは妾の名じゃぞ!」
首をかしげるわたし達に、両手をお腹の前に揃えて伸ばしながら少女は大声で言った。
「それで用事が無いとはありえぬじゃろ!」
「………」
「………」
思わず顔を見合わせてしまうわたしとクリスさん。
「あー、うん。えっと」
それは、似てるようで微妙に違う名前だった。この場合、なんて答えたらいいのかな?
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