Interlude.3
「絶対安静」
開口一番、ギルド付き医術師ノイエンさんの口から発せられた言葉は、実に身も蓋もないものでした。
「あの……せめて郊外の魔物狩りぐらいは――」
ギルドの近くに併設されている治療院。探索から戻ったわたしは、アイカさんの手によって有無を言わさず診察室に放り込まれたのでした。
だがしかし待って欲しい。
わたし達探索者は固定報酬制で仕事をしているわけではないので。お仕事しなければそれだけ収入も減るし、なによりギルドからの信用ががががが。
「絶対安静と言いましたよ? 採取系の仕事も自粛して欲しいのに、討伐系なんて下位魔物がターゲットでも絶対に許可できません」
しかしノイエンさんはにべもない。
「お金に困っているならまだしも、養生期間ぐらい過ごせる手持ちはあるでしょう? 身体が鈍っては困るという点は理解しますが、命と引き換えにするほどのことではないでしょう!」
「はぁ……」
こう正論で諭されると返す言葉もなくて、う~ん……困っちゃう。
「確かにエリクサーはあらゆる傷を癒し、失われた器官すら再生させる素晴らしい薬です」
なんだか言葉に熱が入ってくるノイエンさん。
「ですが、人の身体はそんなに単純ではありません! 魔力によって不自然に再生された身体はじっくりと馴染ませないと、取り返しのつかない障害になる可能性があるんですよ!」
「わかりました! わかりましたから!」
ズイッと顔を近づけてくるノイエンさんを、両手で押し返す。悪い人じゃないんだけど、興奮すると周りが見えなくなるのが玉に瑕。普段は気の良いおじさんなんだけどね。
「しばらくは安静にしていますので!」
それにしても、わたしにエリクサーまで使っちゃうなんて。レンさんにはお礼と、なにかお返しを考えないと。
と言っても、エリクサーに相当するお返しって一体なにがあるだろう? それに領主館で護衛騎士やってるレンさんに気軽に会うのは難しいし……う~む。
「そうしてくださいよ。この件はトーマス氏にも伝えておきますから」
うん。凄い念の入れよう。トーマスさんに手を回されたら、仕事が欲しくてもそもそも相手してもらえない。
まぁ、逆に言えば仕事をサボっていると思われることは無いわけで、それはそれでアリかもしれない。
どちらにせよ、しばらくは大人しくしているしかないなぁ……。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
「今回の一件は、あの一帯に『ザラニド』も把握していないオーク盗賊の隠れ集落があり、そこから商隊や開拓村への襲撃が行われた――と結論されることになりました」
ツヴァイヘルド商会の一室。執務室で、クーリッツはクーデリアの報告を聞いていた。
「内容までは掴めませんでしたが、ギルドマスターの元へ明らかに高位だと思われるオークが訪れ、なにやら会談が行われたようです」
「オークが? 下っ端はともかく地位のある者が『ザラニド』から出てくるというだけで一大事だが……領主館の動きは?」
「遠巻きに注視はしているようですが、ことがことだけに現状は静観の構えのようです」
「………」
クーリッツは無言で思考を巡らせる。
ギルドは魔道具の宝庫であり、いかなクーデリアでもその中まで覗き込むことはできない。いや、無理を通せばなんとかならなくもないが、現状ギルドとの仲を悪化させてまでやることではない。
「そもそも結局あの森の中で一体なにがあったのかは不明です。私の能力が通じたのは、あの一帯を覆っていたらしい結界が解除されてからです。確かなのは、オークとアイカ様達との間でなんらかの接触があったということだけです。それが偶然なのか政治的な意向によるものなのかは判断できません」
「……まぁ、わからんことを話していてもキリがない。他にあの場所での出来事に関する情報は?」
結局のところわからないことづくしなのだ。であれば今は置いておこう。
「詳細な経緯は不明なのですが、罠のようなものでエリザさんが重症を負い、その回復にレン様がエリクサーをお使いになりました」
「……は……?」
彼には珍しい呆気にとられる表情を浮かべるクーリッツ。
「あの、エミリア姫狂信者の護衛騎士レンが、指示も受けずに自分の判断でエリクサーを使っただと?」
これがクーデリアからの報告でなければ、鼻で笑うか再調査を命ずるところだ。
「ハッハッハッハッ。とんだ人たらしじゃないか、あのエリザという少女は」
思わず笑いだしてしまう。あり得ないことが起きた時、人は笑う以外にできることがない。
「まさかあのレン嬢が、エミリア姫以外の為に何かをするなんて、予想外にも程がある」
『忠犬レン』。それは辺境領では有名な話だ。
王国ではなく騎士団出身であるにも関わらずエミリア姫に絶対の忠誠を誓い、その意向には絶対忠実とまで言われる護衛騎士。
その忠勤ぶりから同性愛者ではないかという噂まであり、それをネタに下世話な禁断の愛を書いた読み物まで密かに作られ裏で売られているぐらいだ。
「いやはや、まさかそんな報告を耳にすることがあるとは」
まず間違いなくそのエリクサーはエミリア姫に何かあったときのために持っていた物だろうが、それを他者に使うなど一体どのような理由があったのか。
「あの森の中でなにがあったのかを見ることができていれば理由もわかったのでしょうが……」
「まぁいい。どちらにせよ、我々に損のある話ではない」
悔しげに下唇噛むクーデリアに、クーリッツが声を掛ける。
「とはいえエリクサーを失ったままでは、流石の彼女も体裁が悪いだろうな……ここは恩の売りどころか」
「良いアイデアだと思います――当商会にもエリクサーの在庫が無いという点を無視すれば」
ふむと顎に手を添えて考え始めたクーリッツに、クーデリアがなんとも無慈悲な言葉を掛ける。
「無いのか? つい先月、二本ばかり仕入れた筈だが?」
「在庫二点をローランド殿下、ロンバルド殿下のお二人に販売しましたので……結局は無駄遣いに終わってしまったようですけど」
あぁ、なるほど。少数の手勢だけを連れてならず者オークを退治すると息巻いて出かけた二人が這々の体で帰ってきたのは記憶に新しいが、その時に使ってしまったのか。
まぁ、前回の失敗を教訓に領軍を動員しなかった点は少しは褒めてやっても良いだろう。
「チッ。豚の前に真珠を投げるとはまさにこのことだな。愚か者には高価過ぎる玩具だ……それで、入手のアテは?」
「先日、ロッソ商会がオークションにてエリクサーを幾つか入手しています」
クーリッツの問いに流れるように答えるクーデリア。
「アイカ様向けの予算が余っていますので、そこから費用を捻出すれば代理人を通して入手することもできるでしょう。ついでにアイカ様からの心付けだと匂わせれば、色々と打てる手も増えるかと」
「ふん。嬉しい悲鳴とでも言えばいいのか」
クーリッツとしてはあの魔族――アイカが仕事を終える度に、彼女からの奢りと称してギルドの酒場でそれなりの金額をバラ撒き、彼女の知名度と注目度を上げるつもりだった。
それでなくとも珍しい魔族の探索者だ。その行動一つ一つに人の目が集まる。広告塔役としてこれほど理想的な存在はない。
予想外だったのは、アイカ自身が派手なバラ撒きを自ら率先して行うということだった。
一仕事終えた彼女は、その報酬を惜しげもなくギルド内酒場で使い込む。自分たちの分はもちろんのこと、その場に居合わせた全員にジョッキ一杯の酒を奢って回る。
流石に毎回毎回絶対に……とはゆかぬようだが、それでも頻度はかなり高い。
それにより、最初は白眼視されていた魔族の女剣士はいつの間にやら探索者達の中で確固たる仲間の一人として認識されるようになっていた。
(結果良ければすべて良し、か)
魔族領との交易を最大の商売としているツヴァイヘルド商会としては、なんとしても辺境住民に魔族への好印象を広めたい。
そこで、魔族領でそれなりの地位にあると思われるアイカに恩の一つや二つ──できれば百ぐらい売って大きなツテにしておきたいところだ。
残念ながらこの下心はすっかり見抜かれているようで、売れる恩といえば精々たまの買い物で無茶な割引を認めた時ぐらいしかないのだが。
目的から言えば別にアイカ以外の魔族でも良かったのだが、人族の領域を訪れる魔族の殆どが『コンコルディア・ロクス』よりも『シビテム・セカンディウム』に滞在することを好む。
魔族との戦争中は最前線より後方に位置し、造兵所や練兵所としての機能を持たされていたかの都市はその性格上訓練所や道場といった設備が多く、『ムシャシュギョウ』という風習に基づいて行動する魔族はそちらに向かうことが多い。
もちろんこの辺境で探索者をしている魔族はゼロではないのだが、人とつるむのを良しとせず交渉するのも困難だった。
社交的性格のアイカはこの点でもクーリッツが求めていた魔族像と一致する。まぁ、そのため足元を見られている感もひしひしとするのだが。
(魔族領は宝の山だ。上手く立ち回れば途方も無い見返りがある)
ツヴァイヘルド商会が魔族領からの『商品』として一番注目しているもの、それは『文化』。
かつて教会が定めた規律のために創作に大きな制限が掛かっている人族領と比べ、魔族領では『ユリヅキ』と呼ばれる『最後の神』──本当に神なのかどうかは確かめる術も無いが──自ら筆をとり、様々な創作と文化を産み出している。その影響で、魔族は戦士であることと同じぐらい創作者であることが良しとされている。
その結果生まれた多種多様な作品群は、人族にはとても望めないものだ。
だがその大半は教会から見ればとても許容できる物ではないらしく、権威を落とした今でも焚書に勤しんでいる有様。
そのためツヴァイヘルド商会と教会の間は実に険悪であり、王都などの中心部で商会の活動が制限されている。
(とっくに拝み屋レベルまで落ちぶれた懐古主義者共が、いつまで先祖の威光に縋り付くつもりなのか)
魔族との戦争中であればともかく、今の教会は冠婚葬祭・古くからの習慣を守るためといった程度の意味しか持たない組織だ。
大人しく祭事の司祭であることに満足していれば良いものを、もう二度と取り返せるはずもない権威を求める愚か者達。
下っ端はとっくにそうであることを受け入れているというのに、上層部の連中は未だ過去の栄光に夢を見ている。
(度し難い愚か者共め)
あぁ、畜生。奴らが身の程さえわきまえていれば、悪巧みなど必要ないのに。そうすれば楽に金儲けに勤しめるし、妹に面倒な仕事を任せることもなく可愛がることができるのに。
「失礼します!」
クーリッツがため息を漏らした瞬間ドアがやや乱暴に開かれ、補佐官のエリソンが駆け込んでくる。
「教会が動きました」
「ほぉ?」
エリソンの報告に、クーリッツが僅かに眉を上げる。
「今回の騒動に便乗するには些か遅かったようだが……はてさて相変わらず動きの鈍い連中だ」
「オーク騒動に一口も噛めなかったことで焦りが生まれたようです……この辺境にて大規模な追討を行うと」
「今更か?」
「辺境伯としても教会の動きは望ましくないようですが、騎士団との絡みもあり静観の構えです」
「つくづく人の迷惑を顧みない輩だな」
再びクーリッツの口から漏れるため息。
「さらに重要なのは、教会は『聖女』と『聖騎士』の出立の準備を整えているということです」
「情報の精度は?」
それまでの余裕そうなクーリッツの表情が、真剣なものに変わる。
「インティウス司祭からのタレコミです」
「あの欲深い司祭からの情報なら間違いないか……インティウスへの心付けを増やしてやれ。あの愚物からの情報は役に立つ」
「金で組織の情報を売る輩を、そこまで信用できますか?」
「信用できるとも」
顔を顰めるエリソンに、クーリッツが笑いながら答える。
「あの男はリーブラを信奉する敬虔な聖職者だ。金額の多寡ではなく最初に誰が払ったかを重視する『信用に足る』御仁だ。まぁ、友人付き合いをしたいとは死んでも思わないがね」
「はぁ……」
「心配は無い。こちらが奴の神に忠実であることを具体的に見せてやれば、必ず期待に応えてくれるだろうさ」
「まぁ、クーリッツ様がそうおっしゃるのでしたら、それで良いですが……」
今ひとつ納得できないようなエリソンの表情。だがクーリッツは敢えてそれを無視する。
(にしても、『聖騎士』ね……)
教会の聖職者共が長年企んで来たくだらない計画。
『勇者』が思い通りにならないならば、自分たちで『勇者』を作れば良い――単純だが、中々理論的な行動だ。
その所業に目を瞑れば、だが。
「まぁ、いいさ。まずは彼らのお手並み拝見というこうじゃないか」
人が悪そうな笑顔を浮かべつつ、クーリッツはそう言葉をしめた。
* * *
王都――『教会』大聖堂
唯一神を信奉する宗教であるから特に名前は無く単に『教会』と呼ばれ、人族領における信仰の中心であり、その頂点でもある。
その威容は王城にも匹敵するものであり、『教会』が未だに無視できない存在であることを示している。
いや、示さなければならぬほど追い詰められているのかも知れないが。
「今、辺境に大きな脅威が迫っています」
信仰の頂点たる大聖堂。その豪勢な建物の奥深く関係者以外――いや、関係者ですら一部の上位者を除いて立ち入ることの出来ない『神託の間』。その場所で彼女は厳かに告げた。
「魔王の奸計に嵌り、我ら教会の権威が失墜させられ早百年。教会と信者の間には、未だ無視できぬ亀裂があり容易に埋められそうにはありません」
腰のあたりまで延ばされ、薄い輝きを放つ白い髪。その先端部分は僅かに青みがかっており、彼女の神秘性をいやがおうにも高めている。
整ってはいるもののどこか彫刻じみた容姿は、美しいというよりも神々しい。濁りない青い瞳と薄いピンク色の唇が、辛うじて彼女に人らしさを与えている。身にまとっている白い聖衣と手にした聖印のついた錫杖があわさり、まるで宗教画のような趣さえあった。
「魔族は、まさにその間隙を突いて良からぬ企みを実行しようとしています」
彼女、『聖女』エリン・ホーリー・アーデルライトが言葉を続ける。
「神はお告げになりました。魔王に近しい者が辺境に現れ、やがて彼の地を混乱へと陥れると。放っておけば、それは人族にとって重大な危機へと繋がるであろうと」
周囲でその言葉を聞いた司祭の一人が顔色を悪くする。
「今、辺境では突如として姿を現すようになったオークによる被害が頻発するようになったと聞いておりますが、まさか……」
「決して無関係、ということはありませんでしょうね」
その司祭の言葉に、エリンは大仰に頷く。
「今、この瞬間にも魔族による卑劣なたくらみが進行しているのでしょう……事態は一刻を争います」
エリンが錫杖で軽く地面を突く。聖印と一緒に取り付けられたリングがぶつかり合い澄んだ音を立てる。
「私自身が問題の場所へと赴き、魔族の計画を阻止しようと思います」
エリンの言葉に、周囲の司祭達の間に動揺が走る。
「辺境にも教会はあります。御身を動かさずとも、現地の者達に指示を与えて対応させればよろしいでしょう」
「左様でございます。たかが辺境。神の威光を理解しようともせぬ愚昧共の前に御身を披露なさるなど、恐れ多いにも程というものがあります」
口々に勝手なことを言い放つ司祭達。
「辺境と言えども我らが神が産み出し、慈しむ存在です。多少意見の相違等があろうとも、その手は平等に延ばされるべきです。それに……」
そんな司祭達を戒めるようにエリンが重々しく言葉を続けた。
「場合によっては魔族四天王、最悪は魔王が直接姿を見せる可能性もあります。いたずらに犠牲を出すのは、私の本意とするところではありません」
その穏やかな表情を変えることもなく言葉を続ける。
「私が『聖女』であるのは、まさにこの難事に当たるためでしょう。私は私の勤めを果たします」
「おぉ……流石は聖女様」
エリンの言葉に感極まる司祭たち。
「まさに神の恩寵を受けし『聖女』様。その素晴らしき御心に触れれば、辺境の者共も心を入れ替え正しき信仰を取り戻すでしょう」
「皆様が私を心配するお気持ちは大変嬉しく感謝致します。ですがご安心ください」
そんな司祭たちに敬々しく頭を下げつつエリンは言葉を続けた。
「辺境には彼女を伴います。私の身の安全はこれで充分守られます」
いつの間にかエリンの横に一人の女性が立っていた。
聖印の彫り込まれた銀色に輝く胸鎧を身に着け、同じく聖印が刺繍されたマントを纏っている。ただ腰に吊るしているアーミングソードは上等品ではあるが一般品であり、それだけが微妙に浮いている。
エリンに似た白色の長髪にこれまた聖印の刺繍された青色のバンダナを巻いている。まったく感情というものを感じさせない整った容姿。目つきは鋭いものの、その視線はどこを見ているのかはっきりとしない。
エリンもどこか浮世離れした印象を与える女性であったが、この女性も勝るとも劣らない。その表情からは何一つ読み取ることは出来なかった。
「我ら教会が百年近くを費やし、ついに実現化させた叡智の結晶──『聖騎士』のお披露目にも丁度よい機会でしょう」
「おぉ、なるほど。それならば確かに問題はありませんな」
「『聖騎士』殿ならば、『勇者』にも引けを取ることはありますまい。はは! 辺境のオーク共には気の毒なことになりそうですな」
あっはっはっはと司祭たちの笑いがこだまする。それをエリンはにこやかな表情で、『聖騎士』は無言で見つめていた。
「……あんな連中のご機嫌伺いが必要だなんて、本当に馬鹿馬鹿しい」
話が終了し司祭たちが引き上げた後、『聖騎士』クローディア・ラーネ=クトゥス・アーシアンはポツリと呟いた。
「偉そうぶる以外になんの芸ももたない連中に、エリン様が気を使う必要があるとは思えない」
「そう言うものではありませんよ。クローディア」
よしよしとクローディアの頭を撫でながらエリンが続ける。
「ほんの少し良い顔をしてあげるだけで、面倒の大半を彼らが引き受けてくれるのです。これぐらいのサービスなど安いモノです」
本音を言えばエリンも格下の司祭連中に愛想を振りまくのは腸が煮えくり返る程の屈辱を感じているのだが、それを表情に出したりはしない。
『教会』において絶対的存在である『聖女』ではあるが、潜在的な政敵はいくらでもいる。
もちろんそんな木っ端かけらなど何時でも捻り潰すことはできるが、一々そんなことをしていてはキリがない。
リソースは効率的に使われるべきで、いらぬ敵を作る必要はないのだ。
「クローディア」
「はい」
「貴女は私の護衛ですが、私を守るよりも大事にするべきことがあります」
「エリン様をお守りすることよりも大事なこと……?」
「えぇ」
不思議そうに小首を傾げるクローディアに、エリンは諭すように続けた。
「騎士団からイゾロ家の影響力が排除された今、『聖騎士』を作ることはもう二度と出来ません。貴女は最初で最後の『聖騎士』なのです」
「でも……」
「私の身はなんとでもなります、なによりも自分の身を優先しなさい」
『聖騎士』作り出すには何人もの候補者が必要で、それは身体・精神共に優秀な者でなければならない。
その辺の通りすがりを使うことはできず、騎士団からの人材提供が必須だ。
だが、反教会派のカティナティーオ家が権力を握った以上、もうそれは期待できない。
「可愛い、クローディア。貴女の献身はなによりも喜ばしいものですけど、貴女が壮健でいてくれることこそが至上の喜びなのですよ」
『聖騎士』の代わりはいない。だから大事に大事にしておく必要がある──少なくとも今は。
「わかりました」
クローディアの額に軽く口づけしながらエリンが言う。
「良い子ね。さぁ、明日はまた早いのですから、お休みなさい」
エリンの言葉にクローディアは軽く頷き、部屋を後にした。
「ようやく……ようやくこの時が来ました」
クローディアが去った後、エリンはゆっくりと天井を見上げた。ステンドガラスで装飾されたその先に、神々の世界があると伝承は伝えている。
「ふふふ……神は世界を去ったと言いますが、我ら人族を見捨てたわけではありません。我らの独立心を養い、次の次元にまで高める為に試練を与えているのです」
そう。神が自ら生み出した人族を見捨てる筈はない。
百歩譲って神が人族を見限ったとしても、特別である『自分』だけは別だ。単なる人族とは存在からして違う。
である以上、これは試練であり神の期待に応えることができれば、再び栄光の時を迎えることができる。
「私は長い長い時を待ちました。百年前にその計画は達成される筈でした。それが……」
あの愚か者の『勇者』め。勝手に魔族と和解し、唯一なる教会の意向に従わなかったどころか事態を正常化するための正義の決起さえ邪魔をした。
挙げ句に人族と魔族が並び立つというおぞましい世界すら誕生している。
「神の意に従わぬ玩具など、もう不必要です」
さぁ。時は来た。大いなる神の威光に跪かぬ愚か者に、神罰がいかなるものであるか教えよう。
* * *
「あー、田舎は空気が美味いのぉ!」
領都外縁。小さな商店や屋台が立ち並ぶ通りを、その少女は飛び跳ねるようにして歩いていた。
「都会の便利さも良いけど、気を張る必要の無い田舎の雰囲気も良いものじゃ」
年の頃は十歳前後か。癖のある金髪を肩のあたりで切りそろえ、いかにもブカブカな魔術師用ローブに着られている。浮かべている表情は悪戯っ子のそれであり、ぴょんぴょん飛び跳ねているその行動とあわせ相当なお転婆娘であるのは想像に難くない。
付近に保護者らしき人物の姿は見えず、領都に入るときも衛兵と押し問答をする羽目になっている。
なんとか押し通ったものの、街の中でも警邏の衛士が迷子かどうか悩んでいるような視線を送ってきていた。
「職務に忠実なのは、けっこう! けっこう!」
少女の方は慣れたもので、うんうんと頷いている。
街中を幼い少女が一人で歩いているのに、治安関係者がまったく興味を示さないのはそれはそれで問題だ。
彼らが真面目に働いている証左といえる。
「いししし。無駄に職務に忠実な異端審問官共もこんなど田舎まで足をのばしゃしないだろうし」
『教会』に残された最後の武力『異端審問官』。『教会』に対して犯罪行為を行った者を取り締まるのが仕事ということになっている――公式には。
だが、実体は愚連隊一歩手前の連中だ。このご時世でもまだ信仰厚い信者、それも小金持ちの元に出向いては『心付け』を巻き上げる。少しでも難色を見せようものなら破門を盾に脅迫だ。
本来こんな連中と関わり合いになることはないのだが──ちょっとした茶目っ気でからかってみた所、大人げなくも怒りだし、本気で追いかけ回される羽目になってしまった。
とはいえ、あの贅沢病重症患者共が、不便な辺境まで追いかけてくることはないだろう。
ほとぼりが冷めるまで田舎でのんびり身を潜めておいて、そのうち王都に戻ればよいだけだ。
「お? こういうのは、アレじゃ。『ふらぐ』とか言うんじゃったかの?」
以前に誰からか聞いたことがある意味がよくわからない言葉。まぁ、要するにジンクスとかそういった類のものなのだろう。
そして、この少女はその手のジンクスなど全く信じていなかった。
「まぁ、よかろう。それよりも気張ってここまでやってきたモンじゃから、甘味成分が足らぬの。どこかで少しおやつでも……」
そう呟きつつゴソゴソと財布を取り出し中身を確認する。
「ぬ。気がつけばアカデミーからせびった路銀も乏しくなっておるではないか。少々無駄使いが過ぎたかのぉ……とはいえ、働くのは面倒くさい」
ガリガリ頭を掻く少女。
「あー、どこかに財貨の詰まった財布でも落ちておらぬか」
完全にダメ人間まっしぐらなセリフを口にしつつ、少女はぽんと手を叩いた。
「そうじゃ! あの子が辺境でなにやらやっておるという話じゃったな!」
まるで名案を思いついたとでも言いたそうな表情でくるりと回る。
「そうと決まれば善は急げ! 早く居場所を探し出し、お小遣いをせびるしかあるまいて!」
少女が一回転した瞬間その姿はかき消すように消え、その場所にまるで誰もいなかったかのように一陣の風が舞うだけだった。
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