第四話 小話:お義兄様は心配症
私、クーリッツ様の補佐官を努める『スピーカー』と申します。
いえ、本当はエリソンという名前があるのですが、こちらの名前で呼んでくれる人はクーリッツ様ぐらいしかいません。その点だけでも尊敬するに値する上司と言えます。
そりゃまぁ、商会の人間から見れば、私はクーリッツ様からの指示を伝達するのがお仕事ですから、単なる伝達係のように見えるのは仕方ありません。そこからこんなあだ名が付くのも、えぇ、仕方ないでしょう。
それぐらいで一々腹を立ててもキリがありませんし。
でもですね。でもですよ。せめて『メッセンジャー』ぐらいな呼び名にしてもらえませんでしょうか?
スピーカーは無いでしょう、スピーカーは……。
「王都に配している諜報員からの報告書です」
その日『最優先』とスタンプされた書類が届き、私は執務室からクーリッツ様の執務室へと向かいました。
私、これでも筆頭補佐官ですので届いた書類の内容を確認・精査しどれをクーリッツ様にお届けするのか判断するだけの権限があります。そのため、独立した執務室も与えられています。
そして今日届いた報告は、まさにツヴァイヘルドにとって最重要といえる事項でした。
軽く扉をノックし、返事よりも早く入室する。いささか非礼ではありますが、実務を優先するクーリッツ様より与えられた私の特権の一つです。
「教会と聖女が、ついに動き始める気配があると――?」
報告を続けようとして、あまりにクーリッツ様の反応がないことに気づく。
私とて普段はノックの後に返事を待ってから入室するぐらいの手順は踏みます。特権を行使するのは本当に重要な案件の時だけ、それはクーリッツ様もご存知で詳細な報告を求めてくるのが普通です。
なのにクーリッツ様は一言も口を開かず、いやこちらに視線を向けている気配すらありません。
「クーリッツ様?」
手にしていた報告書から視線を上げ、改めてクーリッツ様の様子を伺います。
報告書に集中したまま入室したので、一体なにをしておられるのか把握しておりませんでした。
「……っと、何をしていらっしゃるのです?」
私の目の前に広がっていたのは、山と書類を積み上げ、両手で頭を抱えた格好で唸っているクーリッツ様のお姿でした。
「な?」
執務席どころかサイドテーブルや来客用テーブルまで書類の山が積まれており、それだけでは飽き足らず床の上にまで書類が散らばっています。
「あぁ。エリソンか」
目の下にクマができた顔を私の方に向けるクーリッツ様。これはもしかして昨夜からお休みになられてないのでは?
「なに、クーデリアに婚約を申し込んできた連中の身辺調査書をチェックしていただけだ」
「え? これ全部ですか?」
いやいや。この書類の山。百や二百の数ではすみませんよ? 報告書が一人一枚ってことはないでしょうけど、それにしたってとんでもない数です。
「あの子に釣書を送りつけてくる家はいくらでもある。豪商やら中流貴族、果ては騎士までよりどりみどりだぞ」
「はぁ……おモテになるんですねぇ。クーデリア様」
正直、それ以外の言葉が思いつきません。
「当たり前だ! 私の自慢の妹だぞ! この程度は当然。いや、これぐらいではまだまだだ!」
「はぁ」
確かにクーデリア様はお美しい方で、少し儚げな印象とあわせてこの世のものとは思えない美少女様です。
元は孤児だったそうですが、惜しげもなくクーリッツ様が投入した財力と元の良さが合わさりとんでもないレベルに磨き上げられています。まさに生ける宝石。
その上ツヴァイヘルド商会に連なる身なのですから、妻にと求める者が多いのも納得です。
「クーデリアが私の妹である以上、なにもかも自由に……というワケにはゆくまい」
ふぅ……と大きなため息をもらすクーリッツ様。
そうです。クーデリア様のご結婚は、それ一つだけでも様々な政治的要素が絡む一大事なのです。
「だがクーデリアにはそんなつまらないことに囚われないで欲しい。商会がどうとか、家柄がどうとか面倒くさいことは私の婚姻で片付ければ良いからな」
相変わらずクーデリア様に甘いクーリッツ様。普段はクーデリア様に対しても冷静沈着な仮面をつけたまま接しているので、元孤児を利用している冷たい方だと思わがちなのですが……実際にはクーデリア様を溺愛してやまないシスコンなのです。
「とはいえ、誰でも良いというわけにはゆかん!」
普段は冷静沈着なクーリッツ様が、拳を握り感情を剥き出しにして断言します。
「あの子の優しさに付け入ろう・絆されようとする愚か者はいくらでもいる。芽のうちに摘み取っておくのが兄として当然の役目だ!!」
………。
他の商会員に、こんな姿は見せられません。間違いなくイメージが崩壊してしまうでしょう。
「はぁ……」
いかにも話したくてウズウズしている表情のクーリッツ様。届いた報告書は急を要するものでしたが、一分一秒を争う程ではありません。
どちらにせよ、この状態のクーリッツ様はポンコツ過ぎて役に立ちませんから、早めに落ち着いてもらう為にもお話に付き合うしかありません。
「えーっと……ちなみに、どのような方ならよろしいので?」
飽くまでもこちらが興味津々といった体で進めます。そうしないと、いつまでたっても話が進みません。
変なところで勿体ぶって中々本題に入らなくなるのは、クーリッツ様の数少ない欠点でしょう。
「まずはクーデリアの仕事に理解があるのが大前提だ。女は家庭で慎ましくなどという時代遅れな感性の持ち主では話にならん」
おっと、いきなり無理難題がでましたよ? 良い悪いはさておき、上流階級ではわりと一般的な傾向だと思うのですが。
「それにツヴァイヘルド商会の財力や影響力をアテにしているような輩は却下だ。独立心も向上心も無いような愚か者ではあの子の側に近づく価値すら無い!」
言いたいことはわかりますけど、釣書の相手は良くも悪くもツヴァイヘルド商会と縁を結びたいと考えているわけで、まず前提条件がおかしくなっていますよ?
「当然財力も重要だ。最低でも我らがツヴァイヘルド商会に並ぶ程度の資産が無くては話にならん。まぁ、こちらをアテにしてないという意味では評価できる面もあるが……」
しかも前と後ろの話で、微妙に矛盾しているところがなんとも。
「容姿については……まぁ、高望みはしないが、あの子に並び立てる程度には備えているべき」
ま、まぁ……これはギリギリなんとかいける……いけるか?
「性格については温厚かつあの子に無理を強いないものであればいい。最低限、あの子を立てるということを忘れなけば問題ない」
物語の主人公並の人格者をお求めになると。
「もちろん家庭環境も重要だ。嫁姑問題を起こすような実母がいるような者は問題外。嫁いびりなどあろうものなら家名ごと抹消してくれる!」
ちょ、ちょっと落ち着いてください。いや、本当に。
「家柄が上がれば社交の問題があるのはやむを得ないが……あのドロドロした社交界にあの子を無理矢理連れ出そうとするような者は許さん」
いえ、その。上流階級では社交界こそが花形。そこに出ない奥様なんて家ごと干されても文句言えませんよ?
「最後は武力だな。どんな不埒者からもあの子を確実に守り、ちょっかいでもだそうものなら叩き潰してしまえるだけの力がなければ安心して任せることなどできん」
それもう、上級貴族でも条件満たすの難しいですよ?! え? 王家に連なる家系でもなければダメってことですか??
「まったく……この程度の条件も満たせぬ者共が、あの子に釣書を寄越すなど身の程を知れというものだな」
いや、どう考えても無理難題並べ立ててるのはクーリッツ様の方ですよね?
神様でもない限りその条件満たせる人いませんよ?
「あの心優しく可憐で美しい天使のような子に相応しい相手……もっと慎重に慎重を重ねて探さなければ……あぁ、心配だ。いや、そもそもこんな釣書では信用できるとは言えない。裏付け作業にもっと予算を割くべきか?」
えーっと、その。どちらかと言えばクーリッツ様の頭の中の方がよほど心配なのですが?
普段はあれほど冴えている方なのに、クーデリア様が関わると、どうしてここまでポンコツになるのでしょう?
あー、いや。いやいやいやいや。
そう言えば一人いらっしゃるじゃないですか。おっしゃっている条件のほぼ全てを満たせる人。
「そこまでご心配なら、いっそクーリッツ様が娶られればよろしいのでは?」
そう。ツヴァイヘルド商会辺境部の最高責任者、クーリッツ様。
商会の財力と警備部という名の私軍を動員でき、大抵のことはその財力と権力でゴリ押せる人。
形式・儀礼的な点を除けば辺境伯すら上回る影響力があるとさえ言えます。
「妹とはいえ義理の方で血縁関係はありませんし、後ろ盾になる親族がいないといのはこの場合メリットでもありますし」
クーリッツ様ぐらいになると、結婚一つとっても様々に面倒な要素が絡みます。その重要さたるはクーデリア様とは比べ物になりません。
というか、婚姻問題に関してはクーデリア様よりもクーリッツ様の方がより差し迫っているような気がするのですが?
「はぁ?」
まるで汚物でも見るような蔑みの視線。身体どころか心まで貫かれそうな冷たさ。
いや、私にその気はないんですが、新しい境地に目覚めてしまう人がいるのもなんとなく理解できそうです。
「お前……血が繋がってるとか、繋がってないとか言う前に、兄妹だぞ?」
至極常識的なことをおっしゃってますけど、ついさっきまで非常識極まりない発言してたの忘れてませんよ!?
「妹を妻になどと、とんだ変態思考だな。あぁ、気持ち悪い。鳥肌が立ったじゃないか」
私は飽くまでも可能性の一つを述べただけなんですけど?! というか、現実味がある方法他にないじゃないですか!
「人の性癖をとやかく言うつもりはないが、あまり人前で口にしないほうがいい。私もここだけの話として忘れてやるから安心しろ」
ちょっとまってください。なんで私が変態みたいな話になってるんです?
「一応言っておくが、クーデリアに同じような話をしたら……わかってるな?」
いやー、わかりたくないです。ツヴァイヘルドの暗部なんて一生関わりたくないです!
「まったく、笑い話にもならんくだらん話を……」
あー、もう! この人、シスコンを変な方向に拗らせすぎて超面倒くさい!
クーデリア様もクーデリア様で、クーリッツ様のお役に立てることだけに喜びを覚える人ですし。
間違いなくお似合いの二人ですよ、全く!
いえ、わかってます。
クーリッツ様もクーデリア様も、状況は違えど『家族』というものを知らず育った似たもの同士です。
ですから、仮初とはいえ『家族』という関係になによりも安らぎと価値を感じていることを。
クーデリア様をお迎えする以前のクーリッツ様はそれこそ――いえ、よしましょう。
どちらにせよあのおふた方に恋愛関係など、それこそ蛇足にすぎません。そんなある意味『俗な』関係はとっくに越えてしまっているのでしょうから。
「この釣書の山は暖炉にでもくべてしまえ……まったく、もっとマシな紹介者はいないのか!」
家族愛と異性愛。その二つに上下をつける気はありません。こういうものはなるべくしてなるものですから、横から他人が面白がって口を挟むべきではありませんでしょう。
「了解しました」
ただまぁ、あのお二人。身を固める日は当面こないでしょうねぇ……。
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