第四話 エンゲルス・リンカー#5


 気がつけば身体が動いていた。


 マキナ・ワイバーンを中心に突如として展開された『釘』。無理な大勢ながらも咄嗟に剣を構えて防御の姿勢を取ろうとするレンさん。そして、聖盾を構えてレンさんの方に向かおうとするクリスさん。

(……ダメ、間に合わない)

 あれがクロスボウやバリスタみたいな機械仕掛けの装置から発射されたものならチャンスはあるかも知れない。

 『釘』が撃ち出されてから加速するまでには瞬時とはいえども確実に『時間』が必要で、その『瞬間』さえあればクリスさんは間に合う。レンさんの防御だって間に合うかもしれない。

 だけど『魔法』によって生みだされたあの『釘』は出現した瞬間に最大速度で撃ち出される。

 いかにレンさんが鍛えていたとしても、それを避けることは無理。

 全身を『釘』で射抜かれ、彼女は──死ぬ。少なくともこのままでは。

(………っ)

 打つ手がない? いえ、そんなことはない。

 確かにわたしは無力だけど、それでもできることはある。

 わたしじゃない、『ワタシ』だったら。

(一か八か!)

 迷っている暇はない。今すぐ行動しないと手遅れになる。

「衝撃に備えて!」

 聞こえるかどうかはわからないけど、一応警告しておく。なにしろ人命がかかっているとはいえ、随分と手荒い方法を取ろうとしているのだから。

(走れッ!)

 わたしのとっておきの一つ、上位魔法が込められた魔道具を発動させる。

 それは一分にも満たない僅かな時間だけ使用者の身体能力を数倍以上に引き上げてくれる魔道具。

 圧倒的な効果と引き換えに短すぎる効果時間と一度きりな使い捨ての消耗品、そしてなにより効果が切れたあとの反動が酷いためあまり使われることはない。

 その特徴から人気はあまり無いけれど、前線を張る戦闘職でないわたしには必要十分な効果。といっても本命は解除の難しい鍵や罠を無力化する時、指先の機能を極限まで高めるのに使うことなんだけどね。

「な! 危な──!」

 走ってきたわたしを止めるかのように慌てるレンさん。まぁ、気持ちはわかる。

 この状態で走り寄ってくるなんて、気が触れてしまったかあるいは自殺願望者のどちらかにしか思えないだろうし。わたしだって見てる方ならそう思う。

「てぃっ!」

 我ながら間抜けな掛け声と同時にレンさんに思いっきり体当たりする。普段ならこんな素人もろ出しなタックルが通用する相手じゃないけど、体勢が悪かったことと意表を突かれたことの二点から避けることができなかったみたい。思いっきりわたしの肩を受けて地面に倒れる。

 これで、よし。少なくともレンさんの安全は確保。

 残るはわたしの安全だけど……。

 わたしの顔横に、せまる『釘』。こんなものが命中したら、頭なんてスイカのように破裂してしまう。

(後は任せたからね!)

 ギュッと目を閉じる。この後は彼女の出番――。

 静かに、それでいて急速に、わたしは意識を底へ底へと沈めてゆく。



(いや、マジなの!?)

 放り込まれたのは、とんだ修羅場のど真ん中だった。

 いや、なんとなく状況はわかっている。あのお人好しな『わたし』が自分の危険も顧みずにあの女騎士を助けようとし、そしてその後始末を全部ワタシに押し付けたってことはね!

 いつもは眠っているワタシだけど、周囲で何が起きているのか、『わたし』が何を考えて何をしようとしているのかはボンヤリと感じ取ることができる。

 だから事情だけは理解している。理解しても納得はしないけどね!

(ワタシはお助けアイテムじゃないのだけど!)

 切羽詰まった瞬間にしかワタシが動けないことを、思う存分活用している。

 ワタシの存在を認識してから、あの子は自分の手に余る事態が発生した時にワタシを頼るようになった。

 一見素直で邪心の無い良い子に見えるけど、なかなかどうして強かな一面もある。

 まぁ、探索者としては褒めるべき点だし、所構わず頼りまくったりはせず本当に本当、文字通り他に手が無い場合に限っているので別にそれはいい。

 基本的には努力の子なのよね、『わたし』は。良き良き。

(だとしても、モノには限度って物があるでしょ!)

 顔面の横に迫る大きな『釘』。いやいや、こんなものがワタシの可愛いお顔に当たればミンチより酷いことになってしまう。

「こなくそっ!」

 思いっきり顔をそらしてギリギリ回避。あ、あっぶなぁ……ワタシの反射神経を持ってしてもギリギリ。

 しかも、肩のあたりを狙った次の『釘』がもう迫っている。

「次から次へと……!」

 身体を強引にねじって『釘』を避ける。先端が肩口をかすめたけど、避けることはできた。

「本当に!」

 もちろんこれで終わらない。次は胸のところに『釘』が迫っている。アイカぐらいの大きさがあったら、もう命中してたかもしれない。この貧相な身体に感謝することがあるなんてね!

「もう!」

 上半身を大きく反らして胸の上で『釘』を通過させる。いやホントにギリギリのライン。

「無理なモノは無理ッ!」

 いくらワタシが卓越した運動能力の持ち主だと言っても、限度ってモノがある。物理的な限界を越えることなんてできない。ワタシは神様じゃないんだから!

(あぁ、もう!)

 お腹へんに迫る『釘』。

 もう身体を動かす余裕はない。今までも相当に無理を重ねてるし、これ以上は物理的に不可能。

「くっ!」

 可能な限り身体を捻り最後の悪あがき。もしあの『釘』が貫通したら──絶対に助からない。

 少しでいいから後ろにステップして威力を減らす……っ。

「あ……がっ!」

 腹部に走る衝撃と、熱――そしてとてつもない激痛。予想通り避けきれなかった『釘』がワタシの肉体に突き刺さった嫌な感触。

「このっ……!」

 飛びそうになる意識を懸命に堪えながら周囲を見回す。更に迫ってくる『釘』があったら、今度こそお終い。

 もう避けるなんて余裕はないし、万が一にもこんなタイミングで『わたし』が目覚めてしまったら……!

(まったく……ワタシの身体になんてことしてくれるのよ……)

 大事に――してるのはエリザの方だけど、ともかく乙女の柔肌に傷――は残らないけど、こう気分的に!

 女の子の身体は、もっと大切にしないと! これだから常識を教えられないまま力だけ持って育ったボンボンは!!

「エリザ……っ!」

 あ。クリス、だったっけ? 勇者の娘が懸命に走り寄って来てる。これなら、安心、して、任せて、いい……かな?

 ともかく即死だけは避けた。致命傷だけなら他の連中が、なんとか、するだろうし……。

 あぁ、もうダメ。意識が保たない。

 まったく、この貸しは大きいからね! 『わたし』!!



   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆



 エリクサーによってエリザの命が助かったのを見て、アイカはホッとため息をついた。

 いずれこの日が来るとは知っていたが、それが何時・何処でなのかまではわからなかった。

 だから今回の件は、まさに不意打ちのような出来事だった。いつ起きるやもしれないと心の準備だけはしていたが、それが無ければアイカは彼女には珍しいレベルで取り乱しただろう。

(まずは良い……心を落ち着けるのだ)

 ぐっと両拳を握りしめ、感情を落ち着かせる。

 目の前に広がるのは規定された予定調和。それ以上でもそれ以下でもない。

 だからエリザは必ず助かる。助からない未来など存在しない──少なくとも、ここでは。

(だからと言って、簡単に飲み込めるものではないがな)

 エリザがレンの手によって助けられる。それがわかっていたからこそアイカは何も手出しができなかった。

 助ける手段は幾つか持っていたし、言ってしまえばこの事態そのものを防ぐ手段すらあった。


 だけど、彼女はそれを行うことができない。


 たった一つ。魔族領を出奔する際に課せられた『約束』があった為に。

 それがどれほど理不尽で、どれほど納得ゆかないことだとしても『約束』は守られなければならない。

 一つ約束を破れば、それはとてつもなく大きな報いとして返ってくる。

 それが自分の身におきることならまだいい。自分自身がその報いを受けるのであれば、それは自らへの罰として受け入れるだけのこと。

 だが報いとは、往々にして他人を巻き込むことで降りかかる。そして大抵の場合は巻き込まれた者の方がより悲惨な目にあうことが多い。

 だからアイカはここでは目を瞑るしかなかった。

「……この巫山戯た騒ぎも、そろそろ手仕舞いにせねばなるまいな」

 クリスやレティシア・レンはエリザの手当にてんてこ舞いで、ブラニットとゼムはまだ他に敵や罠があるのではないかと周囲を警戒している。

 ここで手が空いているのは、アイカだけだ。

「弱者を嬲るのは、余の趣味ではないのだがな……」

 そう呟きながら地面に伏したまま放置されているカットの方へと近づく。どこから見ても無力化されていることは明らかなせいか、他者の注意を引かずそのままにされている。

 あるいはアイカの獲物とみて、関わり合いになるのを避けただけかも知れないが。

「お主も、とんだ巻き添えよの」

 苦痛のあまり意識を失っているカットを見下ろしながらアイカが口を開く。

「お主に直接咎は無いやも知れぬが、あの者の一味であるからには無関係とも言えまいよ……精々余の八つ当たりに付き合ってもらうぞ」

 すらりと腰の刀を抜き、逆手に持った柄を両手で握りしめる。そのまま切っ先をカットの頭上で掲げ上げ、無造作に振り下ろした。

 剣先はまっすぐカットの頭上を狙っており、このまま降ろされれば身動きできないその頭を容易に貫き、カットの命を絶つだろう。

「……ふん」

 振り下ろした切っ先はカットの頭数センチのところで見えない力場によって遮られた。

「よもや見捨てるつもりではなかろうかと心配しておったぞ」

 最初からその一撃が当たるとは思っていなかったアイカが吐き捨てるように言う。

「いやぁ、流石にここで彼女を見捨てるなんて非道な真似、ちょっとできないかな」

 いつの間に現れたのか、アイカの目前で一人の少年がニコニコと笑顔を浮かべていた。

 銀色の髪に真っ白な目。その中で瞳の部分だけ若干赤みがかっている。年の頃は十代半ばと言ったところか。

 幼い顔は中性的で男子とも女子とも判断つきかねるが、若干ハスキーなその発音から男の子だろうと想像できた。

「仲間思いなのは実に結構なことよ」

 少年の返事を、揶揄するように笑うアイカ。

「子供のやることゆえ、我が身可愛さに振る舞うかと思うたが」

「酷いなぁ……実年齢で言えば、おそらく君よりも上だよ、僕。まぁ、そんなことはさておき」

 アイカの挑発にまったく乗せられることなく少年が言葉を続ける。

「カットは返してもらうよ。彼女は僕にとって大事な人だし、そもそも今回の件に責任はないからね──」

 少年の言葉が終わるよりも早く、アイカの刀が少年を横薙ぎにする。

 しかしその刃は少年の姿をわずかに揺らしただけで、当の本人はケロっとしている。つまり、幻影だ。

「おお、怖い。怖い」

「余の前に姿を現す度胸すらもない臆病者の、そんな言い草が通ると思っておるのか」

 その程度は予測ずみだったアイカは、表情一つ変えずに刀を鞘に戻す。

「あの娘の代わりに貴様が斬られるのであれば、構わぬがな」

「残念だけど、僕にもやるべきことがあるからね。申し訳ないけど、その提案は無しかな」

 少年が軽く肩をすくめる。

「ふん。では、なんの見返りもなく見逃せと戯けたことを抜かすか」

 カットの姿がゆらめき、やがて徐々に薄くなってゆく。

「現状から言えば、僕がそうしたところで君にどうこうする手段はないと思うけど……」

 それは事実だった。カットは容易に崩すことのできない防御魔法で守られており、目前の少年に実体はない。

 つまりアイカがどう言おうとも、現実問題として妨害する方法は無いのだ。

「まぁ、それじゃぁ公平じゃないしね。僕の方はこの『実験場』を放棄することにするよ」

 そろそろ頃合いだったしね、とまるで飽きた玩具を捨てるかのようにあっさりと言う少年。

「これであのオークもどきは二度と出現しない。それで君たちの目的は、概ね果たせるはずだと思うけど?」

「ゼムの奴であれば、それで納得したかも知れぬがな……余の怒りを抑えるには話にならぬ」

 もちろんアイカがそれで納得するはずもない。

 そう、オークヒーローであるゼムならば価値がある取り引きだったかも知れないが、単に調査を引き受けた身としてはさして意味のあることではない。

「エリザにあれほどの傷を負わせた報い、必ず受けてもらうぞ」

「それについては、僕だって困っているんだ」

 静かに怒りを燃やすアイカに、はぁっとため息を漏らす少年。

「誓って僕は彼女を意図的に傷つけるつもりはないんだけど、だからと言って彼女のためになにもかも放り出すわけにはゆかないからね」

「エリザと貴様にどのような関係があるのか興味の尽きぬところであるが……問い詰めたところでマトモな返事はせぬだろうし、真偽を判断する材料もない故今はよかろう」

 人でも殺せそうなほどの殺意がこめられた視線を少年に向けるアイカ。

「だが、覚えておれ。たった今、この時を持って貴様は余の不倶戴天の敵となった……誇るが良い。貴様は自らの存在を、自らの行いで余に認めさせたのだ」

「それは……どうも?」

 脅されてるのか褒められてるのかわからないアイカの言葉に、少年の方もなんとも微妙な表情を浮かべる。

「ついでに言えば、貴様のせいで余の株はだだ下がりよ。必要なことであったとはいえ、この恨みは利子として積み増しさせてもらうぞ」

 なかなかの無茶を言い出すアイカ。ここまでくれば八つ当たりというより因縁のレベルだ。

「……別に構わないけど」

 流石にどう応えたものかと戸惑いを隠せない少年。

「できれば常識の範囲でお願いしたいかな?」

「ふん……これ以上貴様と話しても苛立ちが募るだけよ。さっさと去ね」

 しゃあしゃあと応える少年に、もう用は済んだとばかりにシッシッと手を振るアイカ。

「それじゃぁ、お言葉に甘えて──」

「あぁ、そうだ」

 自分で去れと言っていたのに、少年の言葉をアイカが遮る。

「最後に貴様の名前だけは聞いておこうか。墓石に彫り込んでやる必要があるからな」

「僕? 僕かい」

 アイカの問に何故か嬉しそうな表情を浮かべる少年。

「僕はミスティック・アーケン。産みの親に捨てられ歴史からも忘れかけれている、哀れな子供だよ」



   *   *   *



「『奴』は去りましたか?」

 誰もいなくなった空間を、つまらなさそうに眺めていたアイカの背後からゼムがゆっくりと声を掛けた。

「白々しいぞ」

 先程までブラニットと周囲を見回っていた筈の彼がこんな場所にいることを、アイカは咎めようとはしない。

「こそこそと隠れて話を聞いておったろうに」

 『奴』とは誰か? などと無粋な質問をアイカは口にしなかった。

「これは失礼」

 そんなアイカに、ゼムが軽く頭を下げる。

「横からお邪魔するのは、無粋かと思いましたので」

「無粋もなにも、そもそもお主は余の行動に不満があるのではないか?」

 ジト目でゼムを見るアイカ。

「不満、ですか?」

 一方ジト目を向けられた方のゼムは、心底不思議そうな表情を浮かべる。

 その様子に、アイカは軽くため息を漏らした。

「エンゲルス・リンカーは、オーク族の宿敵であろう? 余が独断で見逃したのは、お主にとっては本意ではあるまい」

「まぁ、そういう捉え方ができることは否定しませんが」

 アイカのゼムが頭を掻く。

「そもそも、今回私の目的は『謎のオーク』が存在するということの調査で、エンゲルス・リンカーをどうこうするというのは仕事外ですから」

「……それでいいのか、お主」

 あんまりと言えばあんまりなゼムの言い分に、アイカがポカンとした表情を浮かべる。

「お役所仕事であるにしても、程というモノがあろう」

「こう見えて、オークヒーローというのはなかなか政治的にややこしい存在でしてね」

 苦笑を浮かべるゼム。

「私の力は、そのすべてが陛下より命ぜられた『任務遂行』の為だけに行使を許されている物です。その原則を破ってしまえば、『ザラニド』に対する叛意すら疑われかねません」

 オークヒーローはオーク族最強の守護者であり、同時に迂闊に手を付けることのできない『爆弾』だった。

「確かにエンゲルス・リンカーは我らオーク族の宿敵ではありますが、だからと言って命無く勝手に戦うことは許されないのですよ」

 まぁ、向こうからこっちの目の前に飛び出してくれたら別ですけどね。と笑うゼム。

「……なんというか、お主も苦労しておるのだな」

 自分の過去とダブったのか、同情するようなアイカの声。

「確かに宮仕えというのは面倒なモノですが……」

 しかしゼムの方は飄々としたものだった。

「まぁ、給料待遇は良いですし、勤め先が潰れる心配が無いのは良いことですが」

「お主……存外適当な生き方をしておるのだな」

 心底なんと言ってよいのかわからないという表情を浮かべつつアイカが首を振る。

「褒め言葉として受け取っておきますよ……それより、そろそろエリザさんの所へ行ってあげては?」

 そんなアイカに、ゼムは肩越しに後ろを指差しながら続けた。

「傷ついた身体はエリクサーの作用で治せます。欠損した部位ですら再生されるでしょう」

 死後短時間であれば死者さえ蘇らせることのできるエリクサーの効果は絶大だ。エリザが助かったことに疑いはない。

「ですが、エリクサーが必要なほどのダメージ──死に瀕した精神のダメージはポーションの類では回復させられません」

 だがエリクサーは消して万能薬ではない。物理的な損傷ならなんでも治せるが、その内面――精神に負った傷を治癒するまでの効果はない。

 それにはまた、別の手段を用いる必要がある。

「最後には、この中で一番付き合いの長い貴女の助けが必要なのですよ」

「お主、つくづく配慮の行き届いた男であるな」

「紳士とはかくあるべき、と子供の頃爺やにきつく躾けられたものでして」

「ほざきおって」

 フンと鼻を鳴らしつつ、アイカはエリザ達の方へと向かった。

「やれやれ」

 そんなアイカの後ろ姿を見送りつつゼムは大きくため息を漏らした。

「策士策に溺れる、才子才に倒れる、泳ぎ上手は川で死ぬ……」

 万が一誰かに聞かれても困らぬよう、オーク語で呟く。

「我らの置かれている立場が難しいことはわかりますが……陛下は何をお考えになっているのやら」

 自分に与えられたもう一つの任務を脳裏に浮かべ、ゼムは軽く肩をすくめる。実質的にザラニドを収めている賢者会にすら極秘で与えられた勅命。

(どちらにせよ、もう少し彼女達との友好を深めておくのが得策ですね)

 短い付き合いでも良くわかる。彼女らは友人とするに値する人物らだ。

「出来ることなら下心無く、清く正しいおつきあいをしたいものです」

 たとえそれが儚い望みであったとしても。



   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆



 夢……夢の中にいる。

 見回しても周り全てが真っ白な空間。

 光源らしきものがあるわけでもないのに、なぜか周囲が明るく輝いているのがわかる不思議空間。

 地面とはっきりわかるものは無いけど、なぜかしっかりと立っていることはできる。


 ここは?


 言葉にしたつもりだったのに、口からはなんの音も発せられていない。

 そういえば、周囲からもまったく音が聞こえてこない。

 ここは一体どこ? そもそもなぜわたしは……?


「二つの魂に迷いし子よ」

「二重の魂を宿し者よ」


 困惑しているところを背後から急に声を掛けられ、わたしは慌てて振り返る。


 一人は黒と茶色を基調とした――確か甲冑とか呼ぶ筈――魔族の鎧を身につけ、もうひとりは白と赤を基調とした――巫女装束と千早とか言ったかな――魔族の聖職者の衣装を身に纏っている。

 体型と言葉から二人とも女性であることはわかるけど、甲冑の方は厳ついデザインの面を、巫女服の方は狐のお面をつけていてその素顔を見ることはできない。

 服装となによりその漆黒の長い髪から二人とも魔族だということは間違いない。


 貴女達は誰?


 問いかけようとして言葉を飲み込む。だって、わたしの言葉は声として外に発することはできないから。

 相手の正体も意図もわからず戸惑うわたしに、二人がゆっくりと近づいてくる。

 逃げる? いえ、その必要はない。

 その二人が誰なのかわたしにはわからない。

 この場所がどこなのかもわからない。

 だけど、なぜかあの二人が『わたしの敵ではない』ということだけはなんとなくわかる。

(………)

 その場で待つわたしの前で立ち止まった二人は、同時にゆっくりと言葉を発した。


「余は其方の夢を見た」

「私は貴女の夢を見ました」


「謂れもなくその身に背負った理不尽を」

「罪もないのに背負わされてしまった理不尽を」


「余は感動に打ち震えた……それでも前へと進む其方の気高き美しさに」

「私は憧れました……そうであっても、立ち止まることを良しとしなかった貴女の強さに」


「故に余は其方に会いたいと思った」

「浅ましくも私は貴女に会いたいと願いました」


「「だから」」


「予の手を取るが良い」

「私の手を取ってください」


「「エリザ」」


 真っ直ぐに差し伸べられる二つの手。

 それが何を意味しているのかもわからぬまま、わたしは差し伸べられた二つの手を躊躇わずに――。



   *   *   *



「……はっ!」

 唐突に意識が現実へと引き戻される。

「アイタタタ……ッ」

 体中が死ぬほど痛い。っていうか、この痛み……さては、実はさっきまで死んでたとかじゃないかしら?

 痛みをこらえるために目をきつく閉じてるから周囲のことははっきりとしない。

 だけど身体が地面に横たえられているのはわかる。ただ、頭の部分だけ妙に柔らかいし温かいのは何故?

「大怪我をしておったのだから、無理をするでない」

 頭上から聞き慣れた声が響く。

 そうだ。『釘』に狙われたレンさんを助けようとして彼女に体当りして、それから――。

「お主が倒れている間にあらかた片付いた故、安心するが良い」

 そうだ、マキナ・ワイバーンは? レンさんは無事?? そして――。

「み、皆さん無事ですか!」

 慌てて目を開く。どれぐらいかはわからないけど、意識を失った間に状況はどうなっているのだろう?

「安心するが良い。無茶をしたお主が一番の怪我人で、他は皆ピンピンしておる」

 目線を上に上げるとこちらを覗き込んでいるアイカさんの顔が見える。ということは……。

「ひ、膝枕!?」

 そう、わたしは意識を失っている間、アイカさんに膝枕をしてもらっていたのだ。

「それだけ強く握れるのだから、もう安心して良さそうだな」

 しかもよく見れば右手でアイカさんの手を強く握りしめていた。

 え? どういうこと? まったく覚えてないんですけど。

「あ、えーっと」

 どうやら大きな怪我を負ってわたしは意識を失い、その結果アイカさんに膝枕をしてもらっていると。

 視線を下におろして見れば服のお腹の部分に丸く穴が開いている。

 あぁ、あの『釘』見るからに大きかったもんなぁ。あんなモノが刺されば無事で済むはずもない。

 わたしよりは数倍以上運動神経に優れ、魔道具で上乗せされた『ワタシ』でも、これを無傷でどうにかすることはできなかったか。

 あちゃー。無理を押し付けるなって、だいぶ怒ってそう。

「気にするでない。以前も似たようなことがあったからな」

 あー、えっと。はい。その節といい、今回といいお世話になりました。

 柔らかい風が吹き抜ける。ここにきて初めての穏やかな時間。これで身体の痛みさえなければなぁ。

「あの――」

「くっくっくっ……このまま気のすむまでゆっくりとしておりたい気持ちはあるがな」

 開きかけたわたしの唇をアイカさんが指でそっと遮る。

「あの三人も随分とエリザのことを気にしておったしな……余らの仲睦まじさを見せつけるのも良いが、お裾分けも必要であろう」

 頭を横に向けるとクリスさんとレンさん、そしてレティシアさんがやっていた作業を放り出してこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

「エリザ!」

 一番最初に走り寄ってきたクリスが、少々乱暴にアイカさんからわたしを引き離しながら口を開く。

 あの、わたし一応怪我人ですし、まだまだ痛みもあるので、こう、もっと丁寧にですね?

「キミがお人好しだってのは良くわかったけど、こんな危ないことはこれっきりにしてよね」

 心底心配してくれるのがわかる。最初の頃はアイカさんとつるんでいるということで距離を置かれていた気がしていたけど、大分打ち解けてくれたみたい。

「ボクは守りの『勇者』なんだ。今回の件はボクの未熟さも原因だけど、立つ瀬がないよ」

「うむ。助けられた身で苦言を呈するのは気が引けるが……エリザ嬢は前衛職ではないのだから、あまり身体を張る必要はないぞ」

 頷きながらレンさんも言う。

「今回はたまたまエリザ嬢を助ける手段があったから良かったが、奇跡は二度も三度も起きないからな」

 こちらも大分態度が柔らかくなってるような……。よくわからないけど、友好的になってくれるのなら、それにこしたことはない。

「取り敢えず、エリザさんを治療師に見せる必要があります。ここいらの異常状態は解除されたとのことですから、急いで引き上げましょう」

 とレティシアさん。自分ではそこまで自覚はないけど、確かに治療師に見てもらった方が良いのは確か。素人判断は危険だ。

 なによりレティシアさんがそうするべきだと言ってるのだから、それに従えば間違いない。

「痛み止めの魔法を使っておきます。あまり褒められたことではありませんが、今は仕方ないでしょう」

 言葉と同時にわたしの身体が痛みがすっと引く。とはいえこれは、神経を麻痺させて痛みを感じなくさせているだけで痛みの原因が取り除かれているわけじゃない。レティシアさんが言う通り、緊急時にやむを得ず使う手段。

 逆に言えば、それだけわたしは重症だったってことだけど……どうやって手当してくれたのかしら? あとでちゃんと聞いておかないと。

「ほら、立てる?」

 クリスさんが肩を貸し、ゆっくりとボクの身体を持ち上げる。

「そこまでして貰わなくても――」

 と言い掛けてくらりと目眩を感じた。う……やっぱりダメージは大きかったみたい。

 ここは大人しく肩を貸してもらおう。

「………」

 アイカさんが恨めしそうな顔でこっちを見ているけど、彼女は肩を貸りるには背が高すぎて、わたしの身体ぐらいだと空中に持ち上がってしまいそう。さすがにそれは恥ずかしい。

「……ん?」

 くらっときた拍子に地面に視線が落ちる。先程までわたしが横になっていた地面、その左手があった場所のあたりになにか指先で引っ掻いたような小さな落書きが目に入った。


『キノコたっぷりミートパイ。三人前、大盛りで』


 見慣れたわたしの癖字でそう書かれているのを見て、思わず苦笑してしまった。

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