第四話 エンゲルス・リンカー#4
カットにとって『あの方』は絶対だ。
一見すると色白な少年にしか見えない
あの日、遭遇してしまった魔獣に身体を食い千切られ、ただ死を待つしか無かったカットを助けてくれただけではなく、新しい身体――あの方は『器』と呼んでいる――を与えてくれた。
どうも性格は新しい『身体』に引っ張られるみたいで、元の自分に比べて随分と、うん。『軽い』方へと変わってしまっている。
だけど、嫌な気持ちじゃない。元の性格に対する思い入れなんて特にないし、このお気楽な考え方・生き方もなれてしまえばそう悪いもじゃない。
そもそもそんなのは重要なことじゃないし。
なによりあの方は、両親も失い頼るべき相手も居ないカットを側に置いて生きてゆく術とそして意味を与えてくれた。
だから、カットは許さない。あの方の目的を邪魔する者全てを。
あの方の為に命も、魂も、存在も、その全てを捧げ、全ての障害を打ち砕く。
それがカットの恩返しで、そして誓い――存在価値の全てだ!
(ははは……)
カットの決意に揺らぎはない。誰であっても必ず倒す。最悪でも相打ちにもってゆく。
その思いに何一つ偽りはない。無いけれど。
(なんなのよ、コイツ……)
額を流れる一筋の汗。
今目前にいる魔族、アイカはそんな決意だけでは、どうにも出来ない圧倒的な存在。
顔は笑っている。目も笑っている。悪意なんて何一つ感じさせない。にも関わらずこの抑えきれない身体の震えはなんだ?
今目の前にいるのは、一体何者――いや……なんなのよ、コイツ!
「時間も置かず余に会いに来るとは、お主見た目どおりの情熱派のようだな」
どこか楽しげな声なのに、のしかかる重いプレッシャー。言葉を聞いただけで総毛立つ。
間違いない。コイツは微笑みを浮かべながら何気ない表情で相手を『殺せる』奴だ。
「お前に会いたいなんて指の先程も思わないけどね!」
内心の動揺を悟られないように、ことさら虚勢をはってみる。相手がなんだかわからないけど、心構えから負けていたんじゃ話にならない。
「これもあの方の為だから! ショクムニチュージツって奴よ!」
どこかで聞きかじった単語を織り交ぜてみる。こう見えてカット、実は知性派だったりするのよ!
「ふむ。折角の逢瀬に他の者を口にするとは、情緒の無い奴だな」
「ワタシ女。アナタも女。用語は正しく使うべきだと思うのよね!」
「物事には雰囲気やらフィーリングといった正しさより風情を優先するべきタイミングというものがあるぞ?」
屁理屈にもほどがある。というか、そんな口先にごまかされてやるもんか!
「いいから、掛かってきなさい! さっきは遅れを取ったけど、今度はそうはゆかないからね!」
決意を口にしつつ、用意してきた棍を構えてその切っ先を突きつける。
「可愛いことを言うではないか」
含み笑いしながら、刀を構えるアイカ。
「そう誘惑されると、中々に滾ってくるぞ?」
世の中には二通りの人がいる。
『話が通じる相手』と『話が通じない相手』の二種類だ。
アイカは間違いなく後者だ。
「近距離での戦闘では分が悪いと悟ったのは褒めてやるが……まぁ、よかろう」
なに、その含みのある言い方。ちょっと気になるじゃない。
「先手は譲ってやろう。掛かってくるが良いぞ」
あ! 先に言ったのはこっちなのに。後から言ったほうが貫禄満点なんてズルい!
「舐めるな!」
こうなったらそのすまし顔。必ずギャフンって言わせてやる!!
一歩踏み込むと同時に二つの分身を作って同時に突っ込ませる。分身は実体の無い幻だけど、目眩ましにもなるし咄嗟の判断を狂わせることもできる。
必殺の一撃……とまではゆかなくても、大抵の相手にキツイ一撃をお見舞いできる技だ。
「ふん!」
まぁ、予想通りアイカには効果はないけど。抜身の刀を一閃させただけで分身二体を消滅させる。
それを見越して分身を一歩前に出しておいたから無事だったけど、一緒に迫っていたら分身を消すついでに一撃加えられるところだった。
もっとも、だからこそ目前の二人が囮であるなんてことは簡単にバレてしまう。
事実アイカは分身を消した刃先を返し、カット本体へと一撃を加えようとしている。
「もらい!」
狙いがわかれば対処は簡単。この状態では刃を引き戻す以外の選択は取れない。だったら。
「チッ!」
刀が縦に立てた棍を激しく叩いて甲高い音を立て、アイカが軽く舌打ちする。
そう。横合いから一撃くるとわかっていれば、棍をその方向に構えておけばいい。そうすれば、向こうから勝手に棍を叩いてくれる。
「余裕の見せすぎが仇になったね!」
魔法金属で作ったこの棍は、アイカの一撃を見事に受け止める。これが普通の木や金属で作っていたら、受け止められずに両断されたかも知れない。いや、魔法金属でもちょっと怖かったけど。
ともかく受け止めた刃を棍で跳ね上げ、大きく隙を晒すことになったアイカの腹に蹴りを入れる。
その一撃で大きく後ろに吹き飛ぶアイカ。それでも地面に転んだりしない。
「まだまだぁ!」
流石に蹴りを避ける事はできなかったみたいだけど、あの吹っ飛び方は蹴りにあわせてわざと大袈裟に飛び退いている。ダメージを最小限に抑え、反撃の機会を作るための餌だ。
であれば、カットが取るべき手段は決まっている。
更に踏み込んで反撃の余地なく押さえ込めばいい。正直戦闘力ではカットはアイカに負けているけど、状況と得物のリーチ差を活かせば有利に立ち回れるハズ。
「くらぇ!」
狙いすました一撃をアイカの胸元目掛けて突き出す。
「ぬっ!」
その一撃をアイカが刀を横にして受け止める。普通ならそのままへし折れただろうけど、魔族特有の魔力がこめられた刃は呆れたことに耐えきった。
「ちょっとズルいと思うんだけど」
どちらにせよ、カットのターンは終わり。今度はアイカの反撃を躱す番。
「ズルいもなにも、これは余らが生まれつき持っている能力故、非難される謂れなどないぞ」
いや、まぁ……それはそうかも知れないけどさ。こういうのは理屈じゃ無いワケでさ。
「泣き言を漏らしている暇があるなら、頭を使え」
そんなことを言いつつ、思いっきり肩をぶつけてくる。アイカが何を考えているのかわからないから、ここは一端距離をとるべき。
「余とて完全無敵の存在では無いぞ。つけ入る隙は必ずある」
「だったら、ついでにそれを教えてくれてもいいんじゃない!」
そんなことはわかっている。相手は神様じゃないんだから、どこかに必ず隙や弱点があって当たり前。
最も神に近い『あのお方』ですら完全には至らないのだから!
「それを教えて欲しいというのであれば、それなりの代償を払って貰わねばならぬぞ?」
「どうせ身体で払えって言うんでショ! 読めてるのよ!」
いい加減このやり取りも飽きてきた。この下ネタ好きめ!
「いや、普通に己の力を示してみよ……とカッコつけたかっただけなのだが……お主、実はムッツリだな?」
「ガーーーーーーーッッッッッ!!!!」
変なところで真面目になるな! カットがバカみたいじゃないか!!
「フン……アホな掛け合いを続けている場合じゃないぞ?」
言葉が発された瞬間、アイカは目前にいた。なんて踏み込みの速さ!
「さぁさぁ、余の攻撃。うまく捌き切ってみよ!」
息もつかせぬ連続攻撃。
「ちょ……っ!」
右から左から、変化自在に襲いかかってくる連続攻撃を躱すのが精一杯。とてもじゃないけど割り込める余地がない。
「接近戦では余に勝てぬと知り、その対策としてこだわりを持たずに長物を用意した点は褒めてやろう」
「それは……どうも!」
カットの目的は「あのお方」の為にあるんだから、その為ならこだわりなんてゴミ箱行きだ。
「それ故、一つお主に教えてやろうではないか」
言葉と同時に襲いかかる回し蹴り。普段なら反撃のチャンスとも言える挙動の大きい技だけど、ここは一端引いておく。アイカの奴が何を考えているのかはっきりしないし、迂闊に手を出して手酷い一撃を受けるのも嫌だ。
長物での戦いにおいて距離は重要なファクター。というより全て? ここを上手くやりくりするのが重要。
だから常に距離を離しておくのは悪い手段ではない……ハズ。
なのにこの脳裏をチリチリと焼く嫌な予感はなんだろう?
「長物での戦いは、一対一では必ずしも有利に働くとは限らぬ」
せっかく離した距離を、たったの一歩で詰めてくるアイカ。
「武器を使った戦いは、常に重量バランスとの戦いでもある。その意味で、刀剣はまさに理想の武器よな」
そんな事を言いながらも、刀を振るう手は一切休めない。一歩詰められた瞬間に降り掛かってくる一撃をなんとか捌くので精一杯。
「長物はそのリーチの長さで刀剣類を上回る利点を持つが、同時にそれはバランスの悪い扱いを強いることとなる」
長物を長物として活かすためには持ち手はどうしても根本の方になり、全長をほぼ前方に突き出した形になるのは仕方ない。もちろん中央らへんを持って振り回すこともできるけど、それなら素直に剣を使ったほうがマシなワケで。
だけど、だけどさ。白兵戦なら相手がこちらに近づけなければ負けることは無いわけだし、それならリーチが長い方が有利に決まってるじゃん!
「雑兵が戦列を組んで衝突する戦場なら有用な武器であろうが、一対一、それも実力者同士の戦いとなると、そうとも限らぬ」
……なんだか心内を見透かされているような気がする。ってか、読心術が使えたりするんじゃないだろうね、この人。
「ましてやこのような開けた場所であるなら尚更な。お主がどれだけ先端で突こうと、ほれ、この通り簡単に避けられる」
「うるさい!」
僅かな隙を付いて、なんとか一撃を放つ。命中して少しでもダメージを与えられたら御の字。
「バランスの悪い得物は、使い手の体力を著しく削る……どうした? 息が上がりはじめておるようだぞ?」
魔族は自分の武器に魔力を乗せることができる――その対策の為に、芯に対魔法金属を埋め込んだ棍を持ってきた。
それは正しい判断だったと言える。もし単なる木製の棍を持ってきていたら、とっくの昔に一刀両断されていた。
問題なのは、金属入りの棍はそれなりに重く、振り回すたび確実に疲労が溜まっているということ。
カットは素手格闘が本職。武器の扱いに長けているワケじゃないので尚更。
「更に問題なのは、一端懐に入り込まれると、その長さ故に行動の自由を失ってしまうことだ。持ち替える暇など与えぬ故、後ろに下がるしかあるまいよ」
「………ッ!」
反論も出来ずに後ろに飛び退き――ドンと背中に木の幹が当たる。
「ほれ、距離を測るに気を取られ、周囲観察がおろそかになっておるぞ。折角のリーチ差が仇になっておるな」
悔しさのあまり唇を強く噛み締めてしまう。
言われた通りだ。アイカとの距離を離すことに集中しすぎた結果、背後への注意がおろそかになってしまった。
戦場に選んだのが部分的に開けた場所だったのも悪かったかも知れない。周囲は開けているという先入観が判断を鈍らせたのは確か。
「クククッ……長物が真に効果を出すには開けた場所が必要だが、同時にその広さは回避スペースとしても役立つ。二律背反よの」
悔しいけどカットとアイカの実力差は多少の小細工で埋められるレベルじゃない。むしろ棍など持ち出さずに得意の格闘戦で挑んだ方がまだ目があったかもしれない。
今更後悔しても遅い。この状態で棍を捨てて素手になったところで状況は改善しないし、より面倒なことになるだけだ。
「そうそう簡単に一方的に有利を取れるほど長物が有効な武器であるなら、刀剣類などとっくに廃れておるわ」
更に一際強い一撃がアイカから繰り出され、なんとかそれを受け止める。
「そうでない理由を、もう少しは考えるのだな!」
ガキンと鈍い音と同時にカットの手から棍が弾き飛ばされくるくると宙を舞う。
渾身の一撃を受け止めた手がブルブルと震えている。見た目からは想像もつかない馬鹿力!
「できれば穏便に回収を終えたかったんだけど……邪魔をされては、こちらも手を打たないと仕方ないね」
耳に『あのお方』の声が届いてくる。
どうやら回収も大詰め。小癪にも邪魔してくる連中がいるみたいだけど、『あのお方』の一撃で一掃されるだけのこと。
素直にマキナ・ワイバーンを明け渡しておけば怪我せずにすんだのに。意地でも張ったのか欲に目が眩んだのかは知らないけど、引き際は見誤らないのが肝心なのよ。
「エリザっ!」
案の定誰か一撃を受けてしまったみたいで、悲痛な叫び声が聞こえてくる。
「君は……あぁ、もう! 確かにそうするんだろうね」
だけど、その叫び声に続いた別の言葉に思わず動揺してしまう。
「……僕としたことがミスったよ」
「……へ?」
聞き間違いようもない。この声は『あのお方』のもの。こんなに焦った声なんて初めて聞いた。それにこの言葉──あの中に知り合いでもいるような?
「……っ!」
だけど、アイカの反応は更に劇的だった。カットの方に切っ先こそ向けているものの、視線はマキナ・ワイバーンがいた方向へと向けていて、こっちにはまったく興味が無さそう。
「馬鹿にして……ッ!」
それはつまり、カットのことをなんの脅威ともみなしていないってことで、心底バカにされているってこと。
確かに実力差はあるけど、ここまで舐められて黙ってはいられない!
「少し大人しくしておれ」
殴りかかったカットの一撃を、アイカはこちらを見もせず片手で受け止める。
なに? 頭の後ろに目でもついてるの!
「いずれ訪れる日であり、避けることはできぬと知っておったが……」
カットの拳を掴んだまま、意味のわからないことをつぶやくアイカ。
明らかにこちらに意識は向いていないのに、掴まれた拳はまるで万力で挟みこんだかのように動かない。
「不意打ちとは存外身にこたえるものよな」
「くそっ! 訳のわからないことを……カットを無視するな!」
まだ自由になる脚で思いっきりアイカ目掛けて蹴りつける。この一撃も軽く躱されたけど、流石に鬱陶しいと思ったのかカットの手を放り投げるように離した。
「ふん。鬱陶しい真似を……そこで跪いておるがよい」
地面に着地した瞬間アイカが片手をカットの方へと突き出し、低い声で言う。
それと同時にまるで重りでも載せられたかのようにカットの身体全体が強い力で押さえつけられ、たまらず地面に倒れ込んでしまった。
「ふべ!」
え、ちょっと。一体なにが?! 立ち上がろうとしても身体が持ち上がらない。
「余の御前であるぞ……跪け」
一体何様のつもり? カットに命令できるのは『あのお方』だけ! お前ごときに指示される謂れはないぞ!
「なに……偉そうに!」
上から押さえつける力が更に強まり、なんとか立ち上がろうとしたカットの両腕両脚に信じられないほどの圧力が掛かってくる。
こなくそ! これぐらいで負けてたまるか……!
「……諦めの悪い」
蔑むようなアイカの声。まるで人に命令することになれているような口調。
「このぉ!」
渾身の力をこめて圧力を振り払い、起き上がろうとした瞬間――両腕両脚から鈍い音が響き、とてつもない激痛が襲いかかって来た。
「グッ……ガァッ!」
その瞬間、両腕両脚に力が入らなくなり、そのままカットの身体は地面に押し倒される。力を入れるところか動かすことさえままならない。
「うっ……くっ……」
抑え込む力に反発しようとしたけど、その力に歯が立たず負荷に耐えきれなくなって骨が折れてしまった。魔法かなにか知らないけど、なんて馬鹿力。
「………ッ!」
痛みに耐えるので精一杯。それでも屈してたまるかと必死にアイカを睨みつける。
「誰が身体を動かすことを許した? そこで這いつくばっておるが良い」
だけど、その程度の強がりが通じる相手じゃなかった。
「貴様の始末については後で考える故、大人しくしておれ」
カットの様子など全く気にも掛けぬ氷の刃もかくやというほど冷たい言葉。
「もっともその腕と脚では、もう動くことも儘ならぬであろうがな」
この押さえつける力さえなければ芋虫のように這ってでもアイカに食らいついてやるのに!
圧倒的な格の差を見せつけたまま、もうカットには興味なさげとても言いたそうな態度で、アイカは騒ぎの方へと歩き去る。
「く、くそっ……」
その背中をただ見送ることしか出来ぬまま、カットの意識は暗い闇の底へと沈んでゆく。
††† ††† †††
「エリザっ!」
ミスリル・ゴーレムの処置について考えていた時、その悲痛な叫び声が耳に届いた。
珍しいモノがあればそちらに注意が向いてしまう。それは賢者――というより私、レティシアの悪い癖だ。
(勇者が取り乱している? 一体なにが??)
一体何が起きたのかと慌てて声の方に視線を向ける。ああ見えてクリスも勇者。大抵のことで取り乱したりはしないハズだけど……。
「え?」
私の視線の先に広がっていたのは、なんとも信じがたい光景だった。
地面に倒れているエリザさん。そのそばで必死に声を掛けているクリス。
エリザさんが倒れている地面には、離れていてもわかるほどの血溜まりが出来ていた。
あれは――間違いなく重症。それも致命傷だ。
クリスとエリザさんの方に駆け寄りながらレンさんが叫んでいる。
「ともかく止血を! 傷の具合を確認するんだ!」
そう、今は呆然としている場合じゃない。状況を確認して、必要な処置をしないと。手をこまねいていたら、最悪の場合死に――。
「エリザさん!」
ともかくエリザさんに駆け寄り様子を確認する。
お腹に刺さった人の腕ほどもありそうな大きな釘のような物体。幸いにして貫通まではしていない。
苦しげではあるけど呼吸はあるし、苦痛ではあるがうめき声もある。重症だけど、彼女はまだ生きている。
「エリザがやられた! 回復魔法を早く!」
私が駆け寄ってきたことに気付いたクリスが焦るように言う。
もちろん私もそのつもり。つもりではあるのだけど……。
「ハイ・ヒーリング!」
錫杖を掲げて回復魔法を発動させる。それにあわせてエリザさんの身体が薄く輝き、傷口からの出血がわずかに弱くなった。
「ダメ……っ!」
だけど、効果はそこまでだった。出血を抑えることはできても、エリザさんの傷ついた身体の内側までは癒せない。
「普通の回復魔法では効果が……っ!」
悔しさのあまり表情が歪む。片手に持てるだけの魔力結晶を使い潰して魔力を費やしたけど、それでもエリザさんの傷を治すことはできない。
理由は簡単。回復魔法はそこまで万能ではないから。
一般的な回復魔法は相手の自己回復力を何倍にも早くし、傷を急速に癒していく仕組みになっている。
だからある程度の傷を治すことはできるけど、欠損した部位を癒したり酷すぎる傷を治すことはできない。出来なくはないんだけど、治癒するまでに時間がかかりすぎて先に力尽きる。
だからといって時間をおかず連続で回復魔法を使っても効果は上がらないし、意味もない。回復魔法は重複しないから。
ようするに致命傷レベルのダメージ回復をこの手の魔法は想定していない。飽くまでも応急手当の延長。
本格的な治療を行うまでの時間稼ぎが目的。
だから幾ら回復魔法を使っても、人は死ぬときには死ぬ。
魔法は強力な力だけど『現象を歪める』ことはできても『自然法則』を曲げることはできない。
掌にポンと火をおこすことはできても、水の中で火を起こすことはできない。
所詮は人の技。自然の道理を越えることはできないのだ。
本当の意味で『傷を癒し・回復する魔法』は修練を積み『神が残した力』の一端に触れることが出来る聖職者のみが可能な技で、『賢者』である私もそこまで強力な回復魔法を使うことはできない。
(このままでは……)
出血が弱まったことで時間を稼ぐことはできるけど、それは最後の瞬間を先延ばしにしているだけ。
近くには治療院も病院もないし、都合よく聖職者が通りかかるとも思えない。
オークヒーローなら、あるいは――と思ったけど、『勇者』の力に『癒し』は含まれない。であれば、オークの『勇者』も同じである可能性が高い。
じゃぁ、魔王なら?
「アイカさん! エリザさんが……」
後ろを振り向きながら声を上げかけて、途中で止める。
そこにいたのは、顔色を白くし無表情で立っているアイカさんだった。
離れた位置に彼女が相手していた猫耳娘が地面に蹲っている。
っていうか、あれは倒れているというより見えない誰かに抑え込まれているようだ。
しかも両手両足全てが明後日の方向を向いている――つまり折れている。
その顔は苦痛に歪んでいるものの、口を開くこともできないのかうめき声すら上げていない。
「エリザ……」
そんな猫耳娘のことなど完全に無視したまま、アイカさんが小さく言う。
なんの意味があるのかわからないけど、右手で首のペンダントを持っては離しまた持っては離すを繰り返していた。
「……定めに無力な余を許すが良い……」
風にのってアイカさんの僅かな呟きが耳に届く。
「………?」
何を言っているのかよくわからない。というか、何かがおかしい。
いつもの溺愛っぷりから見るに、もっと取り乱すか激しい反応をするかと思ったけど、案外冷静。
いや、握りしめた左掌に爪先が食い込んで血が流れている。どうやら荒れ狂う内心を、理性で抑え込んでいるみたい。
魔王の力は主に破壊に向いており回復に役立つモノが無いってことなら理解できるけど、あの表情はそれ以上の意味があるようにしか見えない。
彼女は何を考えている? 何かを待っている?? エリザさんの側に近づこうとしないのはなぜ???
あまりにも不自然すぎる――。
「……あぁ、もう! 仕方ない!!」
考えに浸っていた私の反対側でレンさんが何か意を決したように口を開いた。
「エミリア様、許可も得ず勝手に守護騎士として振る舞う私をお許しください」
何か意を決した表情のレンさんが、腰のポーチからやたらと装飾の施された金属瓶を取り出す。あの模様は――魔力封じ?
高価な魔道具に施されてることが多く、魔力感知から隠す効果があるシロモノ。残念ながらあまり大きな物や生物に施すことはできないから使える局面は限られててあまり便利さは感じない。
そもそも人族に再現できる技術じゃなくて、アーティファクト頼みの希少品だし。
「取り敢えずエリザから釘を抜いてくれ。話はそれからだ」
「だけど! この釘を抜いたら出血が酷くなる。危険だ!」
クリスの言うことももっとも。お腹に突き刺さっている釘は凶器であると同時に栓の役も果たす。
治療の手立てもなく簡単に抜いたのでは、単に大きな傷口を作るだけ。出血が酷くなって失血死してしまう。
「私を信じろ。助ける手段はある」
先程の言葉からレンさんが護衛騎士であると同時に守護騎士――戦場での負傷者治療を任務とする騎士――らしいことはわかる。でも、いかに専門訓練を受けていたとして、聖職者でないからには私以上の事ができるとも思えないのだけど……。
「レンの言う通りにせよ」
重々しくアイカさんが言う。
「んんん……! どうなっても知らないからね!」
二人の様子に意を決したのか、クリスがエリザさんの釘に力をこめて思いっきり引き抜く。
「……カッ……!」
同時にエリザさんの身体がビクンと跳ね、お腹の傷口から血が溢れ出す。
幸いにして先程使ったハイ・ヒーリングの魔法が多少なりとも効果を発揮しており、想像していたよりは出血量は少ない。とは言っても、もって数分だろうけど……。
「コレ一本、取っておきだ」
釘を抜いた傷痕の上でレンさんが先程の金属瓶を傾ける。中に入っていた液体が、キラキラと輝きながらエリザさんの身体に降り掛かった。
「……まさか、コレは……!」
液体が降り掛かった部分からエリザさんの傷口が急速に回復してゆく。激しく傷ついた内蔵が再生し、身体表面の傷口も塞がってゆく。それにあわせて真っ白だったエリザさんの顔に赤みが戻ってきた。
私の使う回復魔法なんて比べるのも烏滸がましいぐらいの回復力だ。
レンさんが使ったのが『回復薬』の一種だというのは見ればわかるけど、一般的な『回復薬』にここまで劇的な効果はない。こんなことが可能なのは――。
「まさか……エリクサー?」
そう。神話の時代、伝説に謳われる神々の遺品。数あるアーティファクトの中でも最上位の一つに数えられる貴重な薬――エリクサー。
用いればどんな外傷でも病気でも治すことができ、死後短時間であれば蘇生さえ可能とする規格外の効能を持つ薬。
もちろん遺跡でしか手に入らない貴重品だ。数年に一本発見されるかどうかというシロモノで、高価過ぎて言い値――少なくとも城一つ分以上の――でしか値段が付かないとまで言われている。
その貴重品を、辺境伯の姫を護衛する為に緊急事態に備えて預けられていたのだろう。
「エ、エリクサーって……え? そんな貴重品を……どうしよう?」
半ばパニックを起こしているクリスさん。無理もない。初めて見る『本物』のエリクサーに、私だって心内ではパニックだ。平静を装ってるに過ぎない。
「えっと、えっと……ランチ何食分ぐらいの値段になるのかな?!」
いくらなんでもパニクり過ぎ。食堂のランチなんて何千万食積んでもエリクサーの値段には届かないと思う。
せめてディナーセット+ボトルキープ込みの価格で数えるべき!
「……ほっ」
僅かな言葉が耳に届く。
気づかれぬようにそっと視線を向けるとアイカさんは明らかに安堵と、そしてやるせない表情を浮かべていた。
私の中での違和感は強くなる一方だったけど、多分ここで問いただしたところで答えなんて帰ってこない。
ここは空気を読んで流しておき、然るべきタイミングと場所で改めて話し合えばいいこと。幸い、あの二人は状況に気を取られてアイカさんの違和感に気づいていないし、ここで波風を立てる必要なんかない。
(それに……)
私だけが気づいているアイカさんの秘密──あるいは抱えた闇。
あぁ、知の探求者たる賢者の私に気付かれてしまった運の無さを悔やんで欲しい。
そうすればエリザさんがアイカさんの『特別』であるのと同じぐらい、私もまたアイカさんの『特別』になれるから。
「気にするな」
そんなことを考えている私をよそに、どこか晴れ晴れとした表情と言葉のレンさん。
「臨時パーティーとは言え、エリザは仲間だ。彼女は私の命を助けてくれたんだし、であれば私も切れる札は全て切るべきだ。それだけの話だ」
実に体育会系――騎士さんらしい考え方。彼女ちょっと思い込みは強いけど、基本的には善人なのだ。
「やれやれ……これからの給料どころか、退職金までつぎ込んでも払いきれないな。エミリア様にはなんと言い訳したものか」
私達を落ち着かせるためか、レンさんが肩をすくめ茶化すように言う。
「………」
思わず顔を見合わせる私とクリス。
ごめんなさい。それ、割と冗談になっていませんよ……。
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