第三話 小話:賢者ほど美味しい仕事はない こんてぃにゅ~


 私、レティシア・レレイ・アティシアには、まだ解決しない大きな不満が一つある。

 それはもう、重要かつ重大な不満が。

 前回、「次からはお主のことも考慮する」って、確かに、たしかに、タシカニ、TASHIKANI、言ったじゃないですかーーーーーーっっっっっっっ!

 だと言うのに、アイカさんと来たら『熟考の結果、今回はご縁が無かった』なんて曰って、私をあの理想郷に連れていってくれないのだ。

 これは詐欺! 絶対に詐欺! 断固抗議するべき!

 正当な権利を行使するべく、身だしなみを整えて浴室に向かうと──まるで迷い猫のごとく放り出されてしまう。

 エリザさんとアイカさん。お二人の仲が良いのは良いのです。非常に良いのです。いいぞ、もっとやれ……っと私としたことが。コホン。

 だけどそこで私だけが仲間はずれなのは、パーティー内の公平性から見て大きな問題があると言わざるを得ない。

 そう、これはあくまでも公平性の問題です。私の欲望や個人的な趣味の問題ではないのです。

 賢者たる私が、私利私欲を基準に物事を判断したりはしないのです!

 こんなにお二人に尽くしている私が、なぜ曇りガラスの向こうで揺れる二人の影と時々漏れる言葉だけを耳に、こんな場所に取り残されなければならないのか。

 世の中、本当に理不尽。

(ただ、お二人の生イチャイチャを見たいだけなのに……)

 とはいえ、小細工を弄して浴槽に侵入を試みてもあっさりと見破られるし、魔法や使い魔を使って覗きを試みても同じ。アイカさんはもとよりエリザさんも中々の腕前。尽くが阻止されている。

 この世の楽園は、なかなか手強く一筋縄ではゆかないのでした。

 困難を乗り越えてこそ楽しみには大きな価値があるとは言うけれど、この困難は、乗り越えるにはちょっと難易度が高すぎる気がする。いや、賢者が挑む試練ならば、これぐらいの難易度はあって当然。

 ふむ。そう考えれば悪いことでもない気がする。はてさて、今度は一体どうしたものか……?

「賢者ともあろう者が、まるでおあずけをされている飼い犬が如くね」

 そんな考え事をしていた私の背後から、聞き慣れた声が掛けられる。

「本当に大した忠犬ぶり」

「……私としたことが油断しましたね」

 声の主、クロエさんの方をゆっくりと振り返る。些か屈辱的な物言いをされたのは確かだけど、目の前の楽園に気を取られ、周囲警戒を怠った私としては反論する気も起きない。

「どうやってこの部屋に入って来られたので?」

 ギルド内設備であるこの入浴場は、同じパーティーメンバーでなければ使用できないように専用の鍵で施錠されている。そうでなければ安心して内緒話もできない。

 クロエ嬢とは一時的に組んだことはあっても、正式にパーティーメンバー加入はしていないので、私達が使っている部屋に入ってくることは出来ない筈なのだけど……。

「アンロックの魔法具を使えば、そんな鍵ぐらい開けるのは簡単」

 返ってきた答えは実に簡単且つ一番だめなものだった。

 なるほど? というか、この人。学習能力というものがないのだろうか?

「……その手の魔法具を、むやみに使うのは禁止されているのですが?」

 当たり前だけど、魔法で防護されているような特殊な鍵以外ならなんでも開けられるアンロックの魔法具は、その使用に色々と制限が掛かっている。一般人なら持ってるだけで犯罪だし、探索者でも特別な許可が無ければ所有はともかく所持はできない。例外として高ランク探索者であれば所持も黙認されているけど、つい先日街中で結界を使うなどという騒ぎを起こした人物がとって良い行動じゃない。

「今は非常事態」

 非難を込めた私の言葉に、クロエ嬢は悪びれる様子もなく答える。

「これはエリザを魔族の手から救うために必要なこと。正当な理由があるのだから問題はない」

 彼女に常識というものは全く通じないし、以前の騒ぎからなにも反省していないということは良くわかった。

 噂に聞く『金』級探索者クロエ嬢は物語の主人公みたいな人物だったけど、本物はその正反対──とまでは言わないにしてもかなりの問題児であったワケだ。実際に関わってみるまで予想もしていなかったけど。

 まぁ、世の中ってそんなモノ。理想はいつだって憧れの上にしか存在しない。

 とはいえクロエ嬢も決して無能じゃないし、魔族やエリザさんさえ関わらなければマトモで有能な人物なのだろうけど。普段からこんな調子なら、『金』級への昇級なんてできる筈もないし。

 ギルドマスターは格好とか言動とか色々と問題の多い人だが、少なくとも人を見る目だけは確か。でなければいつまでもその地位にいることなんてできない。

「まぁ、良くはないですが、一旦置いておきましょう」

 魔法具の乱用も問題だけど、それは重要じゃない。

「それよりも、その出で立ちは一体どうしたことです?」

 今の私が一番突っ込みたかったのはクロエ嬢の格好。そう、常識をどこかに置き忘れてきたとしか思えない格好だ。

「出で立ち?」

 しかしわたしの質問に、不思議そうな表情でコクと首を傾げるクロエ嬢。

 うわ、ちょっと可愛い。その仕草はちょっと卑怯じゃない? まぁ、アイカさんとエリザさんの生イチャイチャ程じゃないけれど。

 いやいや、それはさておいて。

「その、不思議そうな表情を浮かべれられても困るのですけど……」

 なぜ、そんなに堂々としていられるのか、さっぱりわからない。

「その……なぜ全裸なんですか?」

 そう。クロエ嬢は素っ裸の状態で立っていた。

 引き締まった身体を惜しげもなく晒し、裸体に二本の剣だけを持ったその格好は、贔屓目に言っても痴女としか言いようがない。

「なにか問題でも?」

 なにも恥じ入ることはない。と言わんばかりの堂々たる態度。

 え? 変なのは私の方??

「ここは脱衣所。そして向かうは浴室。お風呂に着衣したまま入るのは、常識的にあり得ない」

 うわ。この人に常識を説かれてしまった。えぇ……そりゃ、風呂に着衣したまま入る人はいないでしょうけど。

 いや、問題はそんなことじゃないと思うのですけど?

「……心配しなくても」

 私の視線で何かを察したのか、クロエ嬢が頷きながら答える。

「浴室まではちゃんと服を着ていた。脱衣所で脱いだのだから問題はない」

 なぜかえっへんとでも言いたそうに胸を張るクロエ嬢。アイカさんのそれと比べると、随分慎ましいそれが僅かに揺れる。いえ、比べる相手が悪いです。クロエ嬢のそれは、ちゃんと平均以上ですから、気にすることなく強くあって欲しい。

 ……私のことは、別にいいんです。人並みにはありますから!

「アイカは強敵だけど、浴槽の中ならさすがに丸腰のはず。私の勝ち」

 色々と拗らせ過ぎて、ついに手段まで選ばなくなりましたよ、この『金』級探索者さん。

 とはいえ、アイカさんが、そう簡単に思い通りになる御仁だとは思えませんが……まぁ、ここは黙っておくのがおもし――コホン、情けというものでしょう。

「……さぁて、次はエリザの番じゃぞ……」

 脱衣所と浴室を区切る曇りガラスの向こうから、アイカさんの楽しそうな声が漏れ聞こえる。

 ぐぐぐぐ。こんなガラス戸一枚が、天国と現実を隔てている。この向こうで、エリザさんとアイカさんが仲良く……うん、なんだか最近は妄想だけでも充分イケる気がしてきた。これはこれで悪くないような?

「そこまで!」

 次の瞬間、クロエ嬢がためらいもせずガラス戸を開け放ち、大声を上げながら浴室へと飛び込む。

「変態魔族め! 覚悟!」

 そのまま両手の剣を、今まさにエリザさんの身体を撫でくりまわそうとしていたアイカさんへと振り下ろす。

「ちょ、ちょっと!」

 え? 流石にこれは洒落にならない。ギルドハウス内で刃傷沙汰の挙げ句に怪我人がでたら、大問題ではすまない。

「えぇい! 余の楽しみの邪魔をするでない!」

 しかしアイカさんの反応は、誰の想像をも越えていた。

「な……っ!」

 クロエ嬢が呻くのも無理はない。

 目にもとまらぬ速さで振り上げられ、胸の前で交差したアイカさんの両手の人差し指と中指でクロエ嬢の剣先を挟み込んでいる。どうやったらそんな力が出るのかわからないけど、クロエ嬢が懸命に剣を動かそうとしているけど、まるで万力にでも嵌ったかのように微動だにしない。

「浴室に剣を持ち込むなど、少しは常識というものを知るがよい!」

 いえ、アイカさん。あなた前回浴室内に刀持ち込んでましたよね――などとは賢い私は絶対に口にしない。

「このバカ力!」

 剣から手を離し、クロエ嬢がアイカさん目掛けて蹴りを放つ。流石に戦い慣れているだけあって判断は早い。

 もっとも、それが適切かどうかは別の問題なのですけど。

「ふん!」

 両手に残された剣を投げ捨て、迫りくる蹴り脚を左手で受け止めつつ、そのまま足首を掴む。そしてクロエ嬢の放った蹴りの勢いをそのまま受け流しつつ利用して、クロエ嬢を浴槽の方に放り投げた。

「水……お湯でも被って反省するが良いぞ!」

 その動きに合わせた豊満な胸が大きく揺れていたけど、あの立派な物が一種の錘として作用し、威力を上げるのに少なからず貢献しているのかもしれない。興味深い命題だ。

「………っ!」

 放り投げられたクロエ嬢は、そのまま浴槽に飛び込み派手な水しぶきを上げる。それ以前にエリザさんは慌てて逃げ出していたので、衝突事故は避けられた。

「なかなか良い蹴りであったが……そなた、組み討ちはそれほど得意でないようだな」

 浴槽に投げ込まれ、四つん這いの格好で起き上がろうとしているクロエ嬢に、両手を腰に当てた仁王立ちの格好でアイカさんが言う。

「一番手薄であろうタイミングを狙うのは良い判断だが、人のお楽しみ時間を邪魔するのは、あまり良い趣味とは言えぬぞ」

 アイカさんが強いのは知っていたつもりだけど、まだまだ認識が甘かったみたい。この人、ホント本気を出したらどれほどの力を見せるのかしら?

「エリザを貴様の毒手から救うのは、私の使命だ!」

 そして、こんな状態下でも、全く臆する様子もなくクロエ嬢が答えた。色々言いたいことはあるにしても、この一本気な根性だけは本物だと認めて良いと思う。

「余はエリザの同意無しで、無理矢理襲ったりはしていないぞ?」

 うーん。際どい。わざと言ってるんだろうけど。ちなみにエリザさんの方は展開に驚いているのか、ポカンとした表情で成り行きを眺めている。まぁ、彼女は常識人だから、こんな超展開にはなかなかついてこれないのだろう。

「五月蝿い!」

 もちろん、クロエ嬢が納得したりはしないが。

「はぁーっ」

 アイカさんが大きくため息を漏らした。

「よい。その格好では風邪を引く。今日の所は一緒に風呂に浸かるが良い」

「なに?」

「エリザも断りはせぬだろうし、余としても湯浴みの最中ぐらい気を抜いておきたいからな」

「あ、それでは遠慮なく」

 この日のために鍛え抜いた早業で服を脱ぎ、そそくさと浴槽へと入る。いや、クロエ嬢が現れた時はどうなるかと思ったけど、結果オーライということで。

「お主なぁ……」

 何か言おうと口を開きかけて、結局アイカさんはなにも言わずに背を向けた。やったぜ。



 私の目論見が、あまりに甘かったことに気づいたのは僅か数分後だった。

 なにしろクロエ嬢が噛みつかんばかりの勢いでアイカさんを睨みつけているのだ。

 そんな状況で二人がイチャイチャなんてできる筈もなく、ただただ張り詰めた空気の中で時間だけが過ぎ去ってゆくのでした……。

 トホホホ。


 なお、後にアカデミーへと提出した論文『身体を回転させつつ投擲を行う局面にて、胸の動きにより発生する遠心力の効果について』は、なぜか無かったことにされたらしい……解せぬ。

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