第一話 小話:賢者ほど美味しい仕事はない


 私、レティシア・レレイ・アティシアは、一つだけ大きな不満がある。

 それはもう、重要かつ重大な不満が。

「私、思うんですよ」

「突然、なにごとだ?」

「アイカさんとエリザさん。お二人で入浴しているって話じゃないですか」

 唐突に口を開いた私の言葉に、アイカさんが目を丸くする。

 そう。これは重大な問題。死活問題に直結しかねない程の。

「それも、ほぼ毎日!」

 パーティーメンバーになって以来、毎日ワクワクしながらその日を待っているというのに、アイカさん達ときたら、一向に私を入浴に誘ってくれないのだから!

「あぁ、まぁ、そうだな」

 私がなにを言たいのかわからないのか、アイカさんは困惑した表情を浮かべている。

「それがどうかしたのか?」

「そこに私がいないってのは、ずるいと思うんですよ! 仲間に対する配慮という物が足りないにも程があります!!」

「あの、別にずるいってことはないと思いますけど、そもそもなぜ全員でお風呂にするのが前提に?」

 エリザさんが抗議の声を上げる。

「そもそもアイカさんとの入浴もいつの間にか、なし崩し的に日常化しているだけの話だし……」

 そう言うワリには特に嫌そうには見えないんですけどー。

 そして、それを積極的に拒否ってないことは否定しないんですよねー。

「同じパーティーメンバー。ここは三人で一緒に入るべきだと思うワケです!」

 エリザさんのことは、まぁいいです。アイカさんさえ説得できれば、彼女も強く反対しないのは今までの観察からよくわかっているので。

「え? 嫌だぞ」

 ふふん。と自信満々に言った私に、アイカさんは一言で答えた。

「なぜに?!」

 な、予想していた返事と違う! これでは目の前で二人の生イチャつきをじっくり堪能するという計画が達成できない!

「なぜって、そりゃ……お主、目が怖すぎるからだ」

 そしてアイカさんより指摘された事実は、私の盲点を大きく突いていた。

「へ?」

「気づいておらぬのかも知れぬが、さっきから目つきが怖いぞ、お主」

 呆気に取られている私に、更に追い打ちをかけるアイカさんの言葉。

「いやらしいならまだしも、捕食動物が獲物を狙っているそれにしか見えぬからなぁ」

 うーん……流石はアイカさん。私の計画をこんな短時間で見抜くなんて!

「余としても、丸腰でいる所にそんな危険人物を招き入れるのは気が進まぬし、色々な意味で身の危険を感じるワケなのだが」

「そんな……私達、大事なパーティーメンバーじゃないですか!」

 とはいえここで諦めるわけにはゆかない、これは私にとっては何よりも重要な戦いの一つだから……っ!

「そんな悲しいことを言うなんて……」

「いや、まだパーティー組んでから数日しか経っておらぬし」

 涙ながらに語る私に、アイカさんは容赦ない。いや、この容赦なさもアイカさんの魅力だけど。

「お主の腕前を疑う気はないが、個人としての信頼関係を築くのはまだこれからの話だと思うぞ?」

「大丈夫です!」

 ジト目で言葉を続けるアイカさんに、私はぐっとこぶしを固め、顔をズイッと近づける。

「こう見えても私、アカデミーでは信頼できる生徒として有名でしたから!」

「いや、知らんがな」

 しかし、やっぱりアイカさんの言葉は容赦無かった。

「まったく、それではエリザよ。いつものように余の湯浴みを手伝うが良いぞ」

 そういいつつ浴室に付属している脱衣所へと向かう。

「ハイハイ。わかってます」

 諦めたような態度と言葉でアイカさんの後ろを追うエリザさんだけど、実のところ、そんなに嫌がっていないのは明らか。

 うーん。エリザさんって見た目からはわからないあざとさ! そんなところも可愛い!!

「あ、なんでしたらエリザさんの身体、私が洗いましょうか?」

 そんな所見せられたら、私もちょっとサービスしたくなっちゃう。

「いや、いいです! 自分一人で洗えますから!」

 後から付いてきた私に返事をしながら一枚一枚ハンガーに掛けつつ衣服を脱ぐエリザさんと、パパっと殆ど脱ぎ捨てるような豪快脱衣のアイカさん。こう見ていると本当に対照的な二人だ。

 おっと、見とれている場合じゃない。私も早く脱がないと。

「ところでだな」

 なんとも見事な全裸を惜しげもなく私の目前に晒しながら、両手を腰に当てた格好のアイカさんが言う。

「なにをお主はしれっと混ざろうとしておるのだ?」

 おっと、流石はアイカさん。このまま流れで押し切ろうとしたけど、そうは問屋がおろさないみたい。

「いやぁ、ここまで来たら、もう良いんじゃないかなーって」

 ぶりっ子してみせた私に、アイカさんはニッコリと微笑んだ。

「お主は後じゃ」

 まるで子猫のように、ポイッと私は脱衣所から外に放り投げられる。一応平均体重はある筈の私を片手って、アイカさんったら見た目によらず力持ち。

「大人しくしておれよ!」

 そして目の前で、無慈悲にも脱衣所の扉はピシャリと閉じられた。



「そんな……この扉の向こうには、楽園があるというのに……」

 目の前にある固く閉ざされた扉を前に、私は力なくつぶやく。

「アイカさんとエリザさんが仲睦まじく、お互い洗いっことか流しっことか……!

 裸……瑞々しい肌。お互いの身体をまさぐる石鹸まみれの手……水の滴る髪の毛……ウフフ、アハハ……。

「ら、楽園が……私の楽園がっ! ……ブフッ!」

 おっと、鼻血まででてきましたね。この私としたことがはしたない。

「こんな扉一枚が、私の夢をっ……」

 だけど、その楽園は一枚の扉で固く閉ざされている。

 内側から鍵を掛けられたその扉は、私の侵入を断固として拒否している。

「くっ……これぐらいで諦めては、賢者の名が廃るというもの。この素晴らしい世界をせめて一目だけでも……」

 私は『賢者』の肩書を受け継ぎし者。その才能はアカデミー内でも比類なき者と言われたほど。

 王宮魔術師ですら私に匹敵するものは数えるほどしかいない。

「これが神の与えた試練というならば、私は必ずそれを乗り越えてみせる!」

 そしてなによりも、かつて『魔王』と戦ったパーティーメンバーの血脈として、敗北など許されない!

「ソウル・シープ」

 小声で呪文を唱える。右手に握りしめた魔力結晶から急激に魔力が引き出されるのが感じられる。

 横から今の状況を見ている人がいれば、まるで残像でも見ているかのように私の姿が『ぶれて』いるのがわかるだろう。

 この魔法は術者の肉体と魂を分離し、ソウル体となった分身を操作する高度な呪文。王都の魔術師でも習得者は中々おらず、アカデミー教師クラスでようやくといったものだ。流石の私も、これを無詠唱で行使することはできない。

 なお、この状態だと肉体は全く行動できず危険なので、インビジブルの魔法を併用して本体を隠す。万が一にもソウル体に意識を移している状態で本体が失われたら、幽霊モドキとなってさまよい続けるしかない。

 ちなみにアンデッドではないので浄化の魔法も効果が無いし、誰かに乗り移ったり取り憑いたりするこもできない。

「ま、それはさておいて……」

 私の身体から離れた薄い輪郭だけが見えるソウル体で、脱衣所の扉を通り抜けゆっくりと中へ侵入し浴室の方に向かう。

 脱衣所の扉は当然の如く施錠されていたけど、実体を持たないからそもそも扉そのものが何の障害にもならない。

(………)

 ソウル体は呼吸もしないし実体がないから足音もしないのだけど、つい息を殺してゆっくりと脚を進めてしまう。

(もうすぐ……あと、少し……)

 浴室と脱衣所を隔てる曇りガラス戸に、うっすらと二人分の影が映っている。

 言うまでもなく、産まれたままの格好でいるアイカさんとエリザさんの二人だ。

(それではお邪魔してっと……)

 このガラスを通り抜ければ、そこは夢にまでみた楽園が――。

「………っ!」

 なにかとてつもない危険を感じ、私は一歩後ろへ飛び退く。それとほぼ同時に、目の前を刀の刃先が通り抜けて行った。

「む? 手応えがない?」

 ガラス戸の向こうからアイカさんの声が聞こえてくる。

「なんとも禍々しい邪気を感じたので、レティシアが覗きにでも来たと思ったのだが、考え過ぎであったか?」

 いや、浴室にまで刀持ち込んでるんですか、アイカさん。常在戦場の心意気は素晴らしいと思いますけど、やりすぎですよ。

「彼奴に備えて念の為に刀を持ち込んでおったが、ふむ。流石に考えすぎであったかの」

 私対策用に持ち込んでいたらしい。えっと、ソウル体は刀で斬られたからって死んだりはしないけど、もし実体だったら真っ二つにされてるところだ。

 もちろん対応方法は幾つかあるし、アイカさんにしてもそれを見通しているんだろうけれども。

「さて、それでは次の手に移りますか」

 ソウル体を引き返し、再び実体に戻る。このままソウル体で隙を伺うという手もなくはないけれど、時間が掛かりすぎだし、よくよく考えれば刃に魔力を纏わせることができるアイカさんの一撃だと、ソウル体でも安全だという保証がない。

 であれば、ここは一つ基本に戻って正攻法――即ち換気用の窓から覗き込む!


 もちろん浴槽の窓は人が覗き込めるような高さには作られていない。脚立でも使わなければ無理なのだけど、通路を極めて狭く作ることでその手の道具が使えないようにしている。

 どうにかこうにか窓の部分までたどり着けたとしても、嵌め込み部分は一種の鼠返しのような構造になっており簡単には覗き込めないようになっている。

「ふふふ」

 そう、一般人ならお手上げだ。一般人なら。

「この私を、その辺の一般人といっしょにされは困りますよ」

 右手をくるりと回し、使い魔を生み出す。あまり高度な仕事は任せられないが、視覚共有ぐらいなら簡単だ。

「そらっ……」

 私の手からふわりと飛び立った使い魔は、まっすぐに窓の方向に向い、そしてバチッという音ともに弾ける。

 窓の周りに張られた結界に触れて消滅してしまったのだ。

 ギルドの施設に結界なんて張られていないから、これはアイカさんが用意したものだろう。

「あれ?」

 浴室の方からエリザさんの声が聞こえてくる。

「今、なにか光ったような……?」

「あぁ、余の魔除けに愚か者が引っ掛かったのであろう。出入りの呪術師から簡単な手ほどきを受けただけの小技だが、思わぬ所で役に立ったな」

 魔法陣のような物は見えなかったけど、魔族の術者は細長い紙に呪文を書き記した呪符という物を使うという。

 そこまで威力のあるものではないらしいけど、こういう時には便利ねぇ。

(だけど、その程度のことはこちらも予想済みですよ)

 ニヤリと笑みを浮かべる私。

 そう、その程度は想定済み。賢者である私がこれぐらいで諦めると思ったら大間違い。

 アイカさんならば私が使い魔を使おうとするぐらい予想するだろうし、なにか手を打っているのは当然だ。

「さて、それでは失礼して、と……」

 予め用意していたレビテーションの無詠唱魔法を発動させる。わずかに身体が揺れた後、私の身体は浮上を始めた。

 フライの魔法と違い、レビテーションは単に上方向へと浮くことができるだけの魔法だけど、そのぶん魔力の消費も軽く制御も簡単。

 身体の角度を変えることで、わずかではあるけど位置調整をすることだって出来る。万能魔法ではないけれど、応用を利かすことのできる便利魔法。

 ゆっくり……ゆっくりと身体が浮かび上がり、顔が窓の部分へと近づいてゆく。

「ふふふ……油断しましたねぇ。じっくりと拝見させて――」

 いざ天国が目の前に! と思った瞬間、私の頭上から大量の水が浴びせかけられた。



   ††† ††† †††



「うきゃっ!」

 換気用の窓の外からなんとも可愛らしい悲鳴が上がる。

 あぁ、どうやらわたしが用意していたトラップに、レティシアさんが引っ掛かったらしい。

 う~む。アイカさんに言われて急ごしらえで用意したトラップだけど、まさか本当に引っかかるなんて……。

「クックックッ……懲りぬ女よの」

 アイカさんが楽しそうに笑う。

「なんとしても覗きに来るとは思っていたが、些か頭が良すぎたようだな」

 トラップと言っても、実のところは単なる仕掛けに過ぎない。

 窓枠の部分に取り付けた支え棒に水入り洗面器を置き、誰かが窓を開けたら支え棒が外れて洗面器がひっくり返り、中身を相手目掛けてぶち撒けるというだけのイタズラ。

 少なくとも賢者なんて呼ばれる人が引っかかるようなシロモノだとは思えないのだけど……。

「彼奴は、魔法的な障害を無効化したことで、油断したのだ。魔法に自信があればこそ、魔法によらぬ仕掛けに考えが及ばなかったのだな」

 そ、そんなものなのかしら?

 確かにこれはテコの原理を利用しただけで、魔法の類は一切使っていない。殺傷力どころか危険性も皆無だからトラップ感知の魔法にも反応しないだろうし。

 魔力による探知を重視していれば、気付かないといえば、気付かないのか……な?

 レティシアさんならこんな単純な仕掛けに引っかかるとは思えないのだけど……とはいえ、実際に引っ掛かってるワケだし……。

「まぁ、それにアレだ。色ボケしすぎて思考が鈍ったのかも知れぬな」

 アイカさんが笑う。

「余らの裸体をそれほどまでに見たいと思われるのは、誇らしくも思えるがな」

 なんというか、どんなことでもポジティブな方向に考えるアイカさんは、その胸と一緒で実に大物だ。

 その誇らしい肉体の維持にわたしも一口噛んでいると思えば……うん。悪い気はしない。

「さぁ、それよりもエリザ。今日こそお主の身体、隅の隅まできっちり味わせてもらうぞ」

 豊満な胸をぷるんぷるんと揺らしながら、アイカさんがにじり寄って来る。

 あー、現実から目を背けてられるのもここまでかー。この隙に出ちゃおうかと思ったけど、やっぱ無理だったよねー。

「覚悟するが良い!」

 じりじりと後ずさっても、ここはギルドの浴室。そんなに広くはない。

 あっという間に隅へと追い込まれてしまう。

「さぁ、覚悟は良いであろうな?」

 ニッコリと微笑むアイカさん。

「や……優しくしてくださいね」

 もはや、それ以外の返事が許される状況ではなく、わたしは観念して目を閉じた。



「むふー。余は満足じゃ」

 あの後、思う存分わたしの身体を弄んだアイカさんが、心底満足そうに口を開く。

「エリザの身体は、本当に良いものであるな!」

 いや、単に体中をボディタオルで磨き倒された挙げ句、マッサージまでされただけの話なのに、なんだが凄いことをされたみたいに聞こえる!

「それより、お主も早めに入浴せぬと、風邪を引いてしまうぞ」

 首からタオルを掛け、片手に冷水の入ったグラスを持った格好でアイカさんが言う。

 うん。言ってることは正しいのだけどアイカさんも早く着替えた方が良いと思う。裸にタオルだけって、どう考えても湯冷めまったなしだ。

「ふーんだ」

 一方、言われた方のレティシアさんは両膝を両腕で抱えた格好で床の上に座り込みじーっと不貞腐れたような視線を向けている。

「私のことなんかお気になさらず、二人でイチャイチャしてればいいじゃないですかー」

 完全にへそを曲げている。目の前にほぼ全裸のアイカさんがいるというのに、ピクリとも反応しない。

 そ、そんなに一緒にお風呂に入りたかったのかしら?

「生イチャイチャ……せっかくの生イチャイチャ……近くでたっぷり見たかったのに……」

 なんか意味不明なつぶやきまで始まってるんですけど。

「お主なぁ……」

 すっかりイジケモードのレティシアさんに、流石のアイカさんも苦笑を隠せない。

「わかった、わかった」

 このまま放置しても話が進まないと思ったのか、アイカさんが腰にてを当てながら苦笑する。

「次からはお主のことも考慮する故に、機嫌を直せ」

「本当ですか?!」

 その言葉を耳にした瞬間、それまでイジケ顔だったレティシアさんがニヤリと笑みを浮かべる。

「言質は取りましたからね!」

 ……あのイジケ顔は引っ掛けだった。アイカさんの隙をついて自分に都合の良い返事を引き出す為の。

 さ、流石は賢者……と言ってよいのかしら? いや、そういう言葉は、もっとこう高尚なシーンで使いたかったなぁ……。

「余に二言はない」

 嵌められたことに気づいたアイカさんがフンと鼻を鳴らしながら言葉を続ける。

「だが、まずはその目つきを改めぬ限り、容赦なくつまみ出すからな!」

 転んでもただでは起きない――これが、賢者の戦い。いや、そんな話でもないか。

「ついに私のメモリアルが本気を出す時が来たようですね!」

 アイカさんとレティシアさんのやり取りを聞きつつ、思わずため息が漏れる。

 はぁ……明日からが思いやられちゃうなぁ……。

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