第二話 小話:ギガント・ボア・アフター


「……どんだけあるのかしら、コレ」

 目の前に山と積まれた肉の塊を前に、わたしは地面にヘナヘナと座り込んだ。

 時間はもう夕方遅く。

 周囲を照らしていた陽の光も弱まり、そろそろ周囲も暗くなり始めている。

 アイカさんの馬鹿力があるとはいえ、これだけの巨体を解体しきるのは相当な時間が必要だったので。

「ふむ……見てくれのワリに、肉の部分はそれほど多くなかったな」

 魔獣化したことにより革に近い部分の筋肉は異様な強度を持っており、とても食用に耐える代物じゃなくなっている。

 体当たりで石レンガでさえ崩そうかというのだから外側の部分が硬いのは当たり前だし、筋の部分も多い。

 というか、そもそも魔獣って食べるモノじゃないと思うのだけど?

 そりゃ、元がイノシシなのだから食べて食べれぬ事は無いのだろうけど……。

「まぁ、多くは望むまい」

 といっても元の大きさ全体から見れば少ないって話なだけで、純粋な肉の量としては充分に多い。

 肉屋に吊るしてある枝肉数個分の大きさは軽くありそう。

「いや、充分に多いですって」

 単位はキロどころかトンに届きそうなんだけど……?

「それで、これどうするんです?」

 普通に考えれば持って帰るって選択になると思うけれど、なんと言ってもこれだけの量。

 馬車かせめて荷車が無ければ持って帰るって事も出来ると思うけど。

「取り敢えずは、腹ごしらえだな!」

 戻ってきた返事は単純且つ明快なモノだった。

「獲れたてだぞ、美味いに決まっておる!」

 いや、それはそのとおりだけど。

「でも、これ全部食べるのは無理だと思うんですけど?」

 何度も言うけど量が量。これを食べると言われても……。

「え? もしかして……イケるんですか?」

 恐る恐る尋ねてみる。アイカさんならひょっとして、完食できたりして。

「エリザよ……余の胃袋をなんだと思っておるのだ」

 流石に無理だったらしい。残念。

「残りについては考えがある。それよりも久々に力を出して空腹だ! 先に食事を済ませてしまうぞ!」

 楽しげにそう言いながら、近くの枝を拾って次々に肉を刺してゆく。

 ……魔王ってこんな庶民のするような作業を、自分でやるものなんだろうか?

 人で言えば王様や貴族のお偉いさんが、自分で食事の用意をするとは思えないんだけど、魔族ってお偉いさんでも色々と違うんだなぁ。

「取れ立ての肝が特に美味でな……生で食うも良いが、余は火を通して表面を焼いた方が好きだな」

「な、生ですか……それも内蔵を……」

 見た目は殆ど人族と変わらない魔族だけど、文化の点では大きな違いがある。

 それは食事に対するモノ。

 わたし達『人族』は肉にしろ魚にしろ生き物を生食する習慣はない。よほど追い詰められれば別だろうけれど火を通さないで肉類、まして内蔵を食べるなんてありえない。

 一方『魔族』の方は結構平気で生食をすると聞いたことがある。というか、今まさに目の前でそうしようとしているワケだけど。

「わたしはちょっと遠慮しておこうかなーって」

 探索者なんてやっていれば必然的にある程度の悪食になるけど、それにしたって内蔵は無い。

 美味しい美味しくない以前の話として、気持ち悪い。

「ふむ。そう言えば、人族はこのまま食するの好まぬという話であったな。どれ、火を起こすので好きな部分を焼くと良いぞ」

「火ですか、それなら点火具と着火材を出しますので――」

「あぁ、良い良い。そのようなモノは必要ないぞ」

 腰のポーチから火付け用の道具を取り出そうとしたわたしの動きを制し、片手を軽く上げるアイカさん。

「こうやってだな……いでよ! 焔月!」

 言葉と同時に空間が割れ、大振りの太刀がアイカさんの手に収まる。

 はぁ……いつ見ても便利な技よね、それ。

 なにもない空間に物を収納しておけるなんて、探索者にとっては垂涎モノ。これまで持てる重量の限界から諦めざるをえなかったお宝なんかも、もれなく回収できる訳で。

「それほど便利なモノではないぞ。これは焔月の固有能力であって、中に入れられるのは自分自身だけだ」

 一度聞いてみた時に帰ってきた返事。せめて小物ぐらい収納できれば便利だと思ったけれど、世の中そんなに甘くはないみたい。残念。

「フンフンフン……」

 鼻歌まじりに地面を手で払いゆっくりと焔月を寝かせる。

「……ここで良いな」

 抜身の太刀を寝かせて、う~ん? 一体どうするつもりなんだろう?

 更にその周囲を石で囲う。うーん……なんだか焚き火みたいな見た目?

 そして囲った石の縁に沿って棒に刺した肉を突き立ててゆく。

 え?

 いやいや、待って待って。確か『焔月』って属性は……。

「いでよ!」

 嫌な予感に冷や汗を垂らすわたしを尻目に、アイカさんは決定的な言葉を口にする。

「適度に適切で適当な火加減!!」

 なんともいい加減な叫びに焔月が反応し、ちょうど焚き火ぐらいの炎が吹き上がる。

 うわー……なんというか、うわー……。

「どうじゃ! 焔月は凄いだろ!!」

 なんとも微妙な顔をしているわたしの表情を勘違いしたのか、エヘンとその大きな胸を反らしながら自慢そうに言う。

「この領域にたどり着くまでは相当の修練が必要であったが、なに苦労の甲斐もあったものよ!」

 いや、本当に凄いと思うよ? なにしろ肉の焼き加減に合わせて炎の出力も自動的に調整されてるし。

 凄くアレな光景だけど、まぁ、アイカさんのやってることで、いい加減慣れてきたというか。

「ハイハイ凄イデスネー」

 数分後、食欲を直撃する美味しそうな香りが周囲を漂い始める。

 肉の表面に滲み出た油が食欲をそそる音を立て始め、焼き目も完璧についている……こんな芸当が出来るなんて、インテリジェント・アーティファクトの一種なのかしら?

 焔月の火加減は絶妙で、もう武器というよりは調理器具にしか見えなくなってきた。

 便利な使い方ではあるんだけれど、武器の扱いとしてこれはどうなんだろう?

 これも使いこなしていると言えば、使いこなしている……いやいや。

 粗末にしている――とはちょっと違うかも知れないけれど、激しく何かを間違えているとしか思えないのは、多分気の所為じゃないと思う。

「さて、仕上げだぞ!」

 すっかり良い具合に焼き上がった肉の大群を前に、上機嫌なアイカさんが懐からなにか粉末の入った瓶を取り出す。

「このスパイスを使うと良い。焼いたまま食うのも味わい深くあるが、より美味しさが引き立つぞ」

「はぁ……」

 食文化に関しては大きな差があるので、スパイスと言われてもちょっと躊躇を感じてしまう。

「なに、基本的には塩と胡椒を中心に魚やキノコから抽出した旨味成分と混ぜたモノだ」

 そんなわたしの表情を見て、アイカさんが苦笑交じりに教えてくれた。

「人族の身体に合わぬという事もなかろう」

「そ、そういう事でしたら……」

 恐る恐るそのスパイスを掛けてみる。

 そして一口……。

「お、美味しい……?!」

 それは衝撃的な味わい。今まで野外料理の調味料といえば主に塩だったけど、これはもう次元が違う。

 奮発して胡椒を使ったこともあるけど、それすら比較にならない。

「くふふふ。美味いであろう!」

 再度胸を反らすアイカさん。たわわな二つの塊がぷるんと大きな存在感をアピール。

 ――悔しくなんてないですよ? 本当デスヨ?

「遠慮せずに食うが良い。これは余ら二人の獲物であるからな。美味しく頂くのは、権利であると同時に義務である故に」

 よくわからないけど、それが魔族の流儀というものなのだろう。

 狩猟任務だけど牙以外は求められてないんだし、遠慮せずに頂いちゃいますか。



「はー、喰った喰った」

 暫く後、結構な量を焼いた肉をあらかた食い尽くしアイカさんがうーんと背伸びする。

「さて……飯も終わらせたし、今から移動すれば夜になる前には村に着こう」

 取り敢えず、それは賛成。

 慣れているとは言え野宿なんて好き好んでしたくないし。

「ところで、このお肉はどうします?」

 問題なのは、この余りの肉。アイカさんがかなり食べてしまったにも関わらず、まだまだ結構な量が残っている。

 捨てて行っても良いのだけど、野犬や魔獣が集まりそうなので後で問題になりそう。

 あぁ、焔月で焼き尽くしちゃうのが一番問題ないかも。

「半分はギルドに持ってゆくとして、残りは依頼を出した村の者に渡せばよかろう。村人も畑を荒らされて食料に困っておろうからな」

 アイカさんの口から出た言葉は、予想外にまともなアイデアだった。

 いや、その。もう少しなんというか、こう……破天荒な提案をされるんじゃないかと心内で身構えていたものだから、肩透かしだったというかなんというか。

「サプライズ・プレゼントと洒落込もうではないか?」

「それは良いですけど、どうやって村まで?」

 わたしの疑問に、アイカさんは軽く答える。

「この程度、背負って持ってゆけば良いであろう」

 え? 担ぐの……これを?

 呆然とするわたしの前で簡易テント用の大きな布に残りの肉を包み、アイカさんはいとも簡単にそれを持ち上げたのだった。

「安心せよ。お主には荷が重いのは承知しておる。運ぶのは余が行う故、エリザは周囲警戒を頼むぞ」

 あ。はい。

 まったくもっておっしゃるとおりなんですけど、はっきり言われるとそれはそれで情けない気持ちになるというか……。

「さて、遅くなる前に出発するぞ!」

 一向に気にする様子のないアイカさん。

 ま。これも適材適所ということで、気を持ち直しますか。


 数時間後、到着した村でわたしたちは盛大な歓迎を受け、そのまま村中を上げて一晩中どんちゃん騒ぎを行うことになるとは、この時点でのわたしは全く予想もしていなのであった。まる。

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