第22話
こんな時に
親しさの問題じゃない。
たとえ
どうしていいのかわからない。
ただ見守るだけだった天外を余所に、
「ちゅ~してあげよか?」
「いらないー!」
宵子はくしゃくしゃになった顔を上げ、色許男の顔を手のひらで押し返す。
勢い余って指が色許男の鼻の穴にホールインしていたが、わざとかも知れない。
「フガッ。宵子ちゃん、大丈夫。もっと胸を張ろうよ」
色許男は鼻の穴に指を突っ込まれたままキリッとした表情をする。
「色許男……」
「胸を張っている時の宵子ちゃんが一番格好いいよ。なぁ天外?」
色許男がにやけた顔でそう尋ねた。
ただその答えに逡巡してしまう。
肯定するとまるで宵子の胸が好きみたいな意味に取られないだろうか。
「ボクは……どういう状態であっても、穂丹楽流の当主として立派であると思います」
「何言ってるんだ? 政治家みたいなコメントだな」
天外の誠意を込めて選んだ言葉を色許男は軽くいなす。
確かに今の空気感で求められてるのはこんな言葉ではなかったと自分でも思う。
「やっちまったことを嘆いてもしょうがないだろ。見てみなよ。フルーツ食べ放題だ。まずはここを喜ぶことからはじめなきゃな。俺だって散々やらかしたよ。一昨日なんかちょっとだけウンコ漏れたし」
「ウン漏らと一緒にしないで!」
「ちょっとだけだからほぼセーフだった」
「量の問題じゃないでしょ!」
宵子は色許男の顔面を平手で叩いたが、その顔はもう涙が止まっていた。
こうやってふざけていつも台無しにするんだ。
わざとなのか、なんなのか。
天外にはやっぱりそんな真似はできない。
色許男がみんなに切り分けた高級メロンは、どう見ても天外の分だけ薄っぺらい。
そもそも自立しなかった。
皿に横たわったメロンの切れ端は湯葉のように皿の模様を透かしていた。
雅ら理様は、どっしりと分厚く切られたメロンを前に、顔を青くし震えていた。
「雅ら理様、どうかされましたか? 色許男、なにかしたのか?」
「俺? 俺は愛情たっぷり注いで切っただけだよ」
「そんな変なもの注ぐなよ。雅ら理様、無理しないでいいですよ。身体壊すかも知れない」
「私の――」
雅ら理様の震えは止まらず、メロンを載せた皿が落ちる。
「私のせいだったのですね」
皿がリノリウムの床に音を立てて落ちた。
その音が、いつまでも反響し続けるように、部屋の空気は固まっていた。
宵子が雅ら理様の手をとって言った。
「雅ら理ちゃんのせいじゃないわよ。あたしのせい。あたしが勝手にジェラったせい。自業自得っていうの」
「でも、私があそこに行かなければ、そんなことは起きなかったのでは」
「そんなのわからないわよ。でももし起きた時、雅ら理ちゃんがいなかったらもっと大変なことになってたのよ」
「私が自分のことなど考えたから。沢山の人が傷ついて……」
パシッ!
頬を平手で叩く音が部屋に響く。
雅ら理様はハッと顔を上げる。
「痛い……。なんで、俺が叩かれたの?」
赤く腫れた頬を手で抑えながら色許男が涙目で訴えた。
「ごめんね、ちょうどいいところにあったから。雅ら理ちゃん、何言ってるの? そんなの当たり前よ。当主はね、わがまま言うのが仕事なの。わがまま言い通してやるのが仕事なのよ。失敗するとしても、やり通して失敗するの。やらない理由のために心配したり悩んだりなんてしてはダメよ」
「だからって、罪もないいたいけな色許男ちゃんを無言で殴らなくても」
「あたしのエクレア勝手に全部食べたでしょ!」
女々しく愚痴を漏らす色許男に宵子は一喝した。
今までの天外の経験から、色許男が怒られている時はだいたい彼が悪いということを知っているのでまったく同情の余地がない。
「心配したり悩んだりする役割の人がさ、周りにはいっぱいいるんだもん。だからわざわざあたしらがそれやらなくてもいいでしょ」
「生まれた時から当主で、当主として育ち、私にはわからないのです。私の考えは、常に当主としてのもの、そう教えられてきました。当主としての存在がなくなってしまえば、自分がなくなってしまう。無理に自分を作ろうとしても、人を不幸にするだけなのです」
「はぁ、さすが本家。雅ら理ちゃんさ、好きな男の子とかいないの?」
「いません」
全く躊躇なく答える雅ら理様に、色許男がおどけた表情で小さくこっちを指差す。
何が言いたいのかよくわかったが、むかついたので無視をする。
「ふぅん。テンちゃんは?」
「とても素晴らしい力を持っていると思います」
その言葉に引っかかりを感じてしまう。
天外は雅ら理様が認めるような力なんてなにもないのだから。
そう、天外は未だに隠し続けている。
そしてそのことについて深刻になる気持ちも、視界の奥で色許男が宵子のベッドに転がり、窒息しそうなほど声を立てずに笑っているのを見ると、霧散してしまう。
宵子も意地悪そうに笑い、舐め回すような視線で雅ら理様を見ると、天外を手招きした。
不用意に近づくと、ギプスの先のちょっとだけでた指で胸ぐらを掴まれ一気に引き寄せられた。
驚いている間もなく、天外の頬に宵子は唇を押し当てた。
何が起きているのか理解が出来なかった。
頬という普段はあまり神経を研ぎ澄ますことのない場所に、その柔らかい感触を認識しようと意識が集中する。
やがてその感触は離れ、状況を理解しようと頭を急回転させるが、それを制して宵子の声が耳に届く。
「あたしにも意地があるからこのくらい張り合うわよ。ごめんね、テンちゃんをダシにして。続きする? それとも、追いかける?」
振り返ると雅ら理様のパイプ椅子は空で、そのまま静かに病室がゆっくと閉じかけていた。
返事すらせずにパイプ椅子に足を引っ掛けながら病室から転がりでる。
背中に、パイプ椅子が倒れる音と色許男のバカみたいな笑い声が聞こえてきた。
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