第21話

 白亜の巨塔と表現したくなるほど立派な病院だった。


 受付で見舞いのことを申し出ると、こちらの素性を詮索してきて結局穂丹楽ほにらく流の偉い人が出てくる騒ぎになった。

 ニュースになるほどの大事故だっただけに取材なども多く、セキュリティには過敏になっているらしい。

 穂丹楽流の偉い人は雅ら理からり様を見ると平身低頭して非礼を詫びたので、思わずこちらが恐縮してしまった。


 広い個室の中で宵子よいこは、ベッドの上であぐらをかいてカップラーメンを食べていた。

 病衣と言うのだろうか、簡易なエプロンに似たすぐに脱げそうな服からとびでる太ももが妙に艶かしい。

 同時に、肩や左腕の辺りにがっちりと固められたギプスの痛々しさも目に入った。


 天外たちの姿を見ると、宵子は「おー」と、ギプスで太くなったロボットのような手を振ってアピールをする。


 ものすごく危なっかしく、お付きの人に怒られないかと思いよく見ると、ベッド脇のパイプ椅子に座って梨をむいていたのは色許男しこおだった。


「なにしてんの!」

「入院よ」


 宵子が不思議そうな顔で答える。


「じゃなくて、色許男」


 色許男はその言葉に面倒くさそうに顔を上げる。


「梨むいてるの」

「そうじゃないよ。なんで梨むいてるのかって」

「普通皮ごと食べないだろ?」

「違うよ。梨はいいんだよ。そもそもどうしてここにいるの?」

「他に梨むく人がいないからだよ」

「あんたは梨の精か!」

「天外は面白い事言うなぁ。梨の精だって、聞いた?」

「じゃ、私は唐揚げの精がいいな。待って、とんかつの精もいいな」


 色許男の軽口に宵子が嬉しそうに答える。

 なんだか天外一人でイライラしてバカみたいだ。


「もういい、勝手に梨でもむいてれば!」

「あんまり病院で大声をださないほうがいいぞ。あと、雅ら理ちゃんに椅子でも出してあげたらどうかな。こっちは手がふさがってるんだから」


 色許男の真っ当な指摘に思わず汗が出る。

 そんなことも気づかず、独りで空回ってたことが恥ずかしい。

 慌ててパイプ椅子を広げる。


「次、どれいく?」

「雅ら理ちゃんとテンちゃん来たし、メロンいってみようか」

「いっちゃいますか」


 色許男と宵子がフルーツの入った籠の並ぶ棚を物色しながら言った。


「おかまいなさらないでください」


 雅ら理様がそう答えると宵子は眉を八の字に下げて寂しそうな表情になる。


「メロン好きじゃなかった?」

「大好物です」

「じゃ、いっちゃいましょう。桐の箱に入ってる高級なのだから、これで四万円。一個で。一個で四万円よ。種のグチョグチョの部分だけで1980円くらいするんじゃない?」


 宵子が自慢気にそう言うと、色許男は立派な桐の箱から恭しくメロンを取り出した。


 一気に部屋の中に甘い香りが広がる。


 しばらくその香りにうっとりとしていると雅ら理様が宵子に声をかけた。


「お加減いかがですか?」

「全然平気。もう半分くらい治ってるのよね、若いから。動かしちゃダメって言われてるけど」

「少しよろしいですか?」


 雅ら理様は宵子のギプスの腕を柔らかく手で包み込む。


 不思議な感じがした。

 甘い果物の香りの中で、手を取り祈るような二人の姿はどこか幻想的だ。

 魔法で治療なんていうゲームみたいなことはありえないけれど、なんだかそういうことが行われたとしても納得してしまいそうになる。


 雅ら理様が顔を上げるとつられて宵子も顔を上げる。


「以前にどなたか?」

貴澄きすみがちょっとね」

「そうですか」

「貴澄はすごいよ。あたしなんかじゃなく、あいつが穂丹楽流を継げばよかったんだけど、そうもいかないもんね」


 貴澄のあの思想を聞いてしまった今となっては、その言葉はものすごく複雑だ。


「雅ら理ちゃん、表情が明るくなったね。なにか良いことあった?」

「はい」

「おぉー。可愛いねぇ。やっぱりかなわないな、あたしには。えへへ。ムキになって張り合ってみたけどさ――」


 宵子は言葉と共に乾いた笑いをする。


 誰も同調することなく病室の白い壁に笑い声が吸い込まれた時、今度は一転して湿った鼻をすする音になった。


「――失敗しちゃった。挙句に雅ら理ちゃんに助けられて。バカみたいだよね」


 鼻をすする音も今度は嗚咽に変わる。

 まるで生まれてきたことを嘆く赤ん坊の泣き声のように、大きな声を上げて宵子は泣いた。

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