第20話

 雅ら理からり様と貴澄きすみの視線が集中する。


「世話役のキミは邦魔を辞めたいと思ったことはないかね? こんな家系に生まれたことを恨んだことが一度でもないかね?」

「ない!」

「そうか。私はあるよ。自分の好きな事もやらせてもらえず、同世代の人間と同じような学校生活も送れない。友だちだって作るのは難しい」


 天外てんがいは頭の中に浮かぶ、何度も言われた「ああいう子たちと付き合うのはやめなさい」という言葉を振り払う。


「この私ですら、逃げ出したくなったのだよ。もちろん今では感謝をしているが、それとこれとは別だ。考えてくれたまえ。これから生まれてくる子供たちを、次の世代を。決められた格式の中でしか生きられない、その不自由さは我々が知っている。嫌ならやめればいい、そんな当たり前の自由がない世界を子供たちにも味わわせていいのかね?」

「でも、邦魔の世界で生きている人たちはどうなっちゃうんですか」

「新しいものを受け入れるしかないだろう。その体力も意欲もないような人間は切り捨てるしかない」

「そんな無茶なことできるわけないじゃないですか」


 貴澄はゆっくりと首を動かし天外の方を見る。

 わずかに口元が歪み、勝利の確信をもった笑みのようにも見える。


「はたして無茶かな? こんなのはどの世界でもあることだ。意欲のないものを守るために志あるものが削られ続けてどうする? 何も殺すわけじゃない。生きたければ受け入れればいいだけだ。散々甘い汁を吸った者を、これ以上未来を犠牲にして肥えさせる必要はない」

「そりゃ、そうかも知れないですけど……」


 貴澄の言っていることの正しさはわかる。


 ただ本家に出入りするようになり、馴染んだ年配の人達も沢山いる。

 家族だってそうだ。

 いくら正しくても見知った人間の悲しむ姿は見たくない。


 天外が言いよどむと、貴澄は雅ら理様の方を向きなおして話し始めた。


「このままなにもしなければ傷つく人が出ないとでも思っておいでですか? そうではありません。このまま邦魔の活力が衰えればもっと多くの人が傷つく。勘違いしないでいただきたい。私は何も考えなしで総てを壊そうとしているわけではありません。現在邦魔に従事している人間に対し、それなりの生活を保証することも考えてます。具体的には幾つかの大きな企業や投資家たちから資金の援助をして貰う約束もできています。様々な場所での公演、開かれた教育設備、需要は海外も視野に入れています」

「私が……この家元制度がなくなれば、本当に人々は邦魔に興味を持ってくれるのでしょうか。初めの一年二年だけでなく、この先何十年にも渡り、邦魔は生き続けることができるのでしょうか?」

「そのために雅ら理様にお願いしに参ったのです。私は若い頃それなりに顔が売れていました。現在でも矢面に立つことはできます。そしてもう一つの華を宵子様にお願いしようと思ってました。そのためにメディアで顔を売ってもらってきたのです。しかし、その計算はすべて霧散してしまいました」

「気の毒な事故だったと思います」

「そうではありません。宵子様の怪我は痛ましいですが、それはやがて治るもの。それよりも、もっと華を持った存在が人々の前に現れてしまったことが問題なのです」


 雅ら理様はしばらく考えたあと、何かに思い至ったようでびっくりした顔を上げる。


「あなたです」


「ですが」

「今、人々の心に求められているのはあなたの存在、邦魔の雅ら理様の存在なのです」

「私が、本当に?」

兎羽うさばくん、雅ら理様なら間違い無いと思わないかね?」


 雅ら理様は驚きとともにどこか期待した視線で天外を見つめる。


 貴澄の言葉にそそのかされるのは嫌だったけど、天外は頷いた。


「この話、穂丹楽ほにらく流ではどのようにされたのでしょうか?」

「まだしていません。もはや穂丹楽流では意味が無いのです。分家の一つを壊してもこの制度は壊れない。だからこそ本家そのものに動いてもらわなければなりません」

「少し、考えさせてください」

「良い返事を期待しております」


 貴澄は立ち上がる。

 キビキビとした動きの貴澄は、衣擦れの音も鋭い。

 そのまま頭を下げ、早足で去っていった。

 まるで多忙なビジネスマンのようだった。


 雅ら理様と天外、部屋には二人だけになった。


 邦魔の行く末。

 国定老から聞いた、邦魔自体が望む終息の思い、それをすべて吹き飛ばすためには、貴澄のような発想が必要なのかもしれない。

 言っていることは正しい、説得力もある、だけどそれでも天外は同意できない。


 家元という立場ではなく雅ら理様が自由に生きる道というのを考えたばかりだ。

 この気持は何なのだろう、うまく言語化できない。


「どうなさるおつもりですか?」

「ど、どうしましょう。本当に私で良いのでしょうか?」


 天外の言葉に答える彼女は、どこかフワフワと舞い上がっているようにも見えた。


「そうではなくて。家元でなくなるのですよ。それでよいのですか?」

「あぁ、そうですね。私の一存では無理でしょう。でも、このようなこと考えても見ませんでした。私はずっと当主として生きていくのだと」


 その言葉を言う彼女の表情に決定的に違和感を感じた。


 晴れやかなのだ。


 天外の中にある雅ら理様は、当主であることに誇りを持ち、邦魔を愛している姿だった。


「雅ら理様は、当主であることがお嫌いなのですか?」


 その言葉に、彼女は指を組み、視線を迷わせた後に答えた。


「嫌いではありません」

「そうですよね。とても嫌いで務まるようなお役目ではないかと思われます」

「私は生まれた時から当主として生きることが決められ、誰もが当主として扱い、それ以外を知らずにすごしてきました。私は真玉しんぎょく流家元、崇御すうみ家当主でしかありません。それ以外の生き方を知らないのです」


 天外の目の前にいる14歳の女の子は、その自分の個性というものを与えられないまま、役割だけで生きてきたのだ。

 だからこそ、そこから逃れてみたいという気持ちは、天外が想像する以上に大きいのではないだろうか。

 どうなるかはわからないけど、飛び出してしまいたい衝動。

 そんな気持ちを育んできたのは、他ならぬ天外たち邦魔の人間だったのだから。

 しかしそんな子が、突然その役割をすべて剥奪されたらどうなってしまうのだろう。


「もしかしたら、他にも道はあるかもしれません。相談してみてはどうでしょうか? 当主として生まれ、自分がどうすればいいのか、自信を持って生きてる人に」


 雅ら理様は顔を上げ、小さく頷いた。


 天外は雅ら理様の手をとって歩き出す。

 小さく細い手は、僅かな力で握り返してきた。

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