第5話

「バカッ! 色許男しこお。公務中だ」


 天外てんがいはそう言って色許男を押しのけた。

 それを見た雅ら理からり様は背筋を伸ばし頭を下げる。


「ご無沙汰しております。色許男さんは相変わらずのご様子で何よりです」

「いやぁ、もう大変なんだよ。ほら、特にこの天外が泣いたり喚いたりするもんだから」

「そんなことしてないっ!」

「世話の焼ける弟分を持ったせいでお兄ちゃん気苦労で白髪増えちゃったもん。ほら、見て。まだ若いのに。ヤング丸出しなのに」

「雅ら理様にそんな丸出しを見せるな!」

「なんだよぉ、天外は雅ら理ちゃんの前だとすぅぐ良いとこ見せようと張り切っちゃうんだから」

「べ、別に張り切ってなんかないだろ。普通だよ! 普通にちゃんとしてるだけだよ」


 雅ら理様は大きく開いた白目がちな目でジッとこちらを見たまま、特に表情を変えることもなく言う。


「お二人とも仲がよろしいのですね」


 色許男は座ったままズリズリと雅ら理様の方に近づく。


「よし、雅ら理ちゃんも仲間に入れてあげよう。この天外は雅ら理ちゃんとお近づきになりたいなりたいってモジモジウジウジしちゃって、もう気持ち悪くてしょうがないんだから」


 天外は思い切り反論しようと息を吸い込んだが、なりたくないと言うのも失礼だし、なんて言っていいのか迷ったまま口をパクパクと無言の抗議をするしかなかった。


「雅ら理ちゃんだって仲良くなりたいだろ?」


 色許男がそう聞くと、雅ら理様は目の大きさに対して小さな黒目をクルクルと震わせ、困ったように黙り込んだ。


 天外は色許男に飛びついて首根っこを掴む。


「私は、お友達なってみたいです」


 雅ら理様は小さな声でそう答えた。


 天外はそのまま色許男の襟元を握ったまま立ち尽くしてしまった。


 それは気を使って話を合わせただけかもしれない。

 ただの気まぐれかもしれない。

 だけど天外にとっては一生忘れることのできない言葉で、眼の奥がじんわりと熱くなった。

 非常に雑なやり方ではあったけど、色許男には感謝しかない。


「それじゃ、そうだ。天外、お前の実力を見せてやれよ」

「は? 何言って……」

「ねー? 雅ら理ちゃんも見たいよね。天外がどのくらい魔法頑張ってるのか。見たことある?」


 冷静になった天外の胸の奥で怒りの青い炎が灯る。

 色許男はわかっててわざと天外に恥をかかそうとしてるのだ。

 一瞬といえども感謝なんて言葉を思い浮かべてしまった自分を呪う。


 雅ら理様は居住まいを正して天外に正対して頭を下げる。


「ご披露願います」

「ご笑覧しょうらん下さい」


 雅ら理様に正式に言われては拒否するわけにもいかない。

 かと言って、まだ天外の魔法は見せられるものじゃないのだ。

 背中にびっしり汗が吹き出て喉がカラカラに乾く。

 まさか、家元の前でインチキ手品を見せるわけにもいかない。


「どうしたー? いつもの天外のとっておきを見せてくれよ」


 色許男が緊張感の欠如した野次を飛ばす。


 だけど天外の手はカチカチに固まってしまって動かない。

 こんな状態では魔法なんて絶対に成功するわけがない。


 終わる。


 天外の邦魔使い手としての人生がここで終わる。


 雅ら理様に無様な姿を晒して、見捨てられ、あてもなく町を彷徨い、一人寂しく誰も知ることのない死を迎えるのだ。

 鼻の奥にツンとした匂いが漂い、視界がうるんで揺れる。


「失礼しました。私の方からお見せするのが筋ですね」


 そう言って雅ら理様は立ち上がり、障子を開き庭を見せた。


 真玉しんぎょく流家元の魔法といえば、もう国宝扱いだ。

 式典で、国のすごい偉い地位の人たちがありがたがって見るようなレベルのものだ。

 普通ならばこんな成り行きで見せてもらえるような気楽な代物じゃない。


 庭の正面にはまだ蕾の背の低い花が茂っていた。


 雅ら理様は手を包むと、その手を大事そうにこちらに差し出した。

 ゆっくりと開かれる手の平の中に、小さなピンク色の蕾があった。

 それはやがて、じわじわと花弁を広げていく。

 もどかしく、こちらが思わず応援したくなるほどの速度でその花は開いた。

 そして満開になったその花は、香りの粉となって部屋の中に紛れた。


 天外はその雅ら理様の白く小さな手にいつまでも目を釘付けにされていた。


 派手な魔法ではない。

 だけど天外にはどんな魔法の体系なのか理解もできないほどものすごいものだった。

 少なくとも魔法に従事する人間にとって、これを驚かないものはいないだろう。

 そのくらい素晴らしく、魅惑的で、幻想的な体験だった。


「凄いです。感動しました」


 天外が溢れる思いを伝えると、雅ら理様は少し驚かれたように目を見開いて小さな瞳をクルクルと動かす。


「確かにいいもん見させてもらった。なかなかこんなのは見れたもんじゃないね、今日は得したよ。雅ら理ちゃんが男に手を握られて顔を赤らめるところが見られるなんてねぇ」


 色許男の言葉で、自分の身体が無意識のうちに雅ら理様の手を握りしめていたことを把握する。


 緊張して魔法どころではない天外に気を使ってくれ、自ら魔法を見せてくれたのに興奮してこんな失礼な真似をしてしまうとは。


「ほら、天外。次はお前の番だ。なぁに、雅ら理ちゃんは失敗なんて見慣れてる」


 言われてみればそうだ。

 直に指導する機会は滅多にないけど、言うなればすべての邦魔の者は雅ら理様の教え子なわけで。

 上手くできないからといって落胆したりはしないだろう。


 そう、天外の気持ちだけの問題だ。

 格好悪いところを見せたくない、そんなちっぽけなプライドのせいで、家元に見てもらえるという機会を失うべきではない。

 たとえ失敗してもいい。

  天外の今、出来る限りのことをする。

 それが天外の邦魔の道の一歩だ。


 庭に開かれる障子を閉め、それを背に天外は立ち、両手を合わせる。

 域から出したものを宙に投げると、キラキラとした紙吹雪が舞った。

 ゆっくりと煌きながら落ちてくる紙吹雪。

 そしてその紙吹雪が畳に落ちきる前に、天外は障子戸を勢い良く開け放った。


 雅ら理様の視線の先を確認する。


 そこにあった蕾は庭一面に咲き乱れる花となっていた。


 天外は障子戸をゆっくりと閉めて頭を下げる。


「お目を汚しつかまつりました」


 頭をあげると、色許男がにやけた顔で大きく拍手をした。


「それだよ、それ。やっぱ天外は最高だわ。ゆくゆくは邦魔を背負って立つ人材になるな」


 小馬鹿にしたような歯の浮く褒め言葉をいって笑う。


 言い返そうと思った時、天外の手が柔らかく包まれた。


「私はこのような魔法を初めて見ました」


 雅ら理様は天外の目をじっと見つめ、艶やかな赤い唇でそう言った。


 手が、温かく。


 天外の頭は高熱で発火するんじゃないかと思うくらいだった。


「本当にいいもん見ちゃったな、こりゃ」


 色許男が呆然と上げた声も、なんだか遠くに聞こえた。

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