第4話

 天外てんがいは呼吸を正し、意識を集中して袋に手を突っ込む。


 突っ込んだまでは良かったが、袋の口が小さくて手が抜けなくなった。

 力任せに引っ張るとパツンッという音とともに痺れるような痛みが手首に走った。

 歯を食いしばって手首を抱え込み痛みに耐える。


 邦魔の技の一つ『域』の稽古だ。


 洋魔では『ポケット』呼ばれるこの技は、ものを呼び寄せることに使う。

 簡単にいえば鞄の口だけを持ち歩くようなもので、遠くにある鞄の中身をそこから取り出すことができる。

 もちろん、中に入ってないものは取り出せない。


 邦魔の技術体系の中では上級のもので、これができるようになってこそ一人前と言われる。


 ただし一人前の邦魔使いにとっては基本的なものという認識で、習得してからこればかり練習するような者はほとんどいない。


 天外がマッチを出したのも、色許男しこおがタバコをだしたのも、全部この『域』だ。


 この『域』は、魔法のもつ不思議さを演出するのにも向いている。

 極端な話、爆弾をしまっておけばいつでも目の前で爆発を起こすことも可能だ。

 もちろん、そんな意味のない自爆テロのようなことをする人間はいないが、可能性としてあるという事自体が魔法に対する幻想的な印象をもたせる。


 『域』の容量や出入り口のサイズなどは魔法を使う者の力量に左右される。

 天外も調子のいい時はバスケットボールほどの大きさを作ったこともある。

 今日は調子が悪く小さすぎて失敗したけれど。


 あの顔合わせの日から数日がたった。


 雅ら理様と一緒に稽古をして、邦魔の心得を学んだり、当主直伝の秘術なんてのを教えてもらったり、天外の邦魔の力は一気にレベルアップ。


「ここはこうした方がよろしくてよ」


 天外の後ろから手をとって教えてくれる雅ら理様。


「まぁ、すごいですわ。随分と精進しましたのね」


 天外の成長を見守り、自分のことのように喜んでくれる雅ら理様。


「もう私では天外さんには敵いませんわね。寂しいですけど、嬉しいですわ」


 ついに邦魔の頂点に上り詰めた天外を見つめる雅ら理様。

 二人の視線が交錯する。

 やがて二人は……。


 そんな都合のいい展開は微塵もなかった。


 雅ら理様の居室のすぐ横にある部屋に待機するように言われ、日々の稽古はここでしているがまだ一度も声をかけてもらっていない。


 声をかけてもらうどころか、結局これまでに雅ら理様から下された任務は「下がって結構です」だけ。


 毎日、朝と夜に挨拶をしに顔を出して事務的な報告はしている。

 でも返ってくるのがチラッとこちらを伺う冷たい視線だけではさすがに切ないものがある。

 直伝どころか邦魔の話なんて一切してない。


 だからと言ってへこたれてはいられない。

 これもひょっとしたら天外という人間を見極めるための厳しい試練であり、これを乗り越えた時に「やはり私の見込んだとおりでしたね。あなたに秘伝の技を教えましょう」みたいな、スーパーレベルアップイベントが待っているのかも知れないのだから。


 そんなコネを使った稽古なんてズルいと言われたら確かにズルい。

 しかし悪いのはそんなズルをするしかない魔法というシステムの方だ。


 魔法は生まれ持った適正というのがものすごく重視される。

 努力で伸ばすということが非常に難しいのだ。

 たくさんの稽古をすればそれなりに力がつくのだけど、そうもいかない。


 魔法を使いすぎるとある種の恍惚状態になり、判断力の低下、全能感による陶酔、誇大妄想などの症状が出る。

 俗にいう『悦傾えっけい』洋魔で言うところの『ソーサリアスハッピー』だ。


 邦魔が家元制により厳格に規律が守られているのは、その危険性を考慮していることもある。


 過去には、ものすごい修業により廃人になったとか、類まれなる理性により過酷な稽古を続けた。なんて逸話もあるけど、人権や倫理が重視される現代においてそんなことは許されない。

 厳しく管理された稽古の内容と時間が、実力の足りない天外をさらに追い詰めてくる。


 ただでさえ魔法の力が劣ってるというコンプレックスを抱えているというのに、世間では魔法を使うというと興味本位で見たがる人間が多い。

 学校でも「ちょっとやってみてよ」なんていうカジュアルな感じで頼まれたりする。

 そういう雑な頼み方をするやつは理解できないだろうが、魔法というのはそんなに簡単で便利なものではない。

 その日のコンディションに左右されるし、蚊に刺されて痒いくらいのことで失敗もする。

 なのに、そういうやつに限って失敗した時にこれでもかとばかりに上から目線で批判をする。

 成功した所で別に褒め称えもしないくせに。

 そんな嫌な思いや、自分への評価、そしてなによりも稽古時間の確保のために、天外はダークサイドに堕ちたのだ。


 手品という、魔法にとっては唾棄すべきインチキ、嘘っぱち、卑劣極まるズルに。


 もちろん手品師という、それを仕事にして一流の人達もいる。

 そういう人たちをバカにするつもりなんて毛頭ない。

 ただ、魔法を使う者にとって手品に手を出すというのは、堕落なんて言う言葉では表せない最低最悪の所業だ。


 今日も規定の稽古の時間を目一杯使った。

 悦傾ではなく心地よい爽快感が身体にあふれている。

 天外にとっては魔法を使うというその行為自体に喜びがある。

 毎日やっても全く飽きない、どころかさほど成長しなくても楽しい。

 むしろそんな風に楽しみすぎてるから成長しないんじゃないかという懸念もあるが、わざとつまらなそうにやったところで意味はないだろう。

 稽古したあとの緩んでしまう笑顔を引き締め、挨拶をして雅ら理様の部屋に声をかけようとすると背中に重い衝撃が降ってきた。


「天外、聞いてよ。じいちゃんったらひどいんだから。あ、雅ら理ちゃん! 久しぶり、元気?」


 色許男と天外はもつれるように雅ら理様の部屋へと雪崩れ込んだ。

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