第3話

 確かに邦魔の世界で天外てんがいの味方は少ない。


 実の親ですらだ。


 天外が雅ら理からり様の世話役に決まったときに母親が言いだしたのが『崇御すうみ家当主、雅ら理様との結婚を視野に入れお近づきになりましょう大作戦』である。


 まったくなんて不遜でバカバカしい計画だろうか、色許男しこおの小芝居も鼻で笑う。


 そもそも兎羽うさば家は、真玉しんぎょく流のはるか末席を許される程度の家系だ。

 家柄や血の濃さで格が決まるこの狭い世界においては特筆するような立場ではない。

 そこに当主の世話役という役回りが巡り巡って降ってきた。


 あの日、よくわからないまま本家のだだっ広い部屋に呼び出されたことを思い出す。


 眼の前に座っていたのは、本家の重鎮でもある国定くにさだ老。

 色許男が子供の時からすでにおじいちゃんで、彼いわく「応仁の乱を生き抜いた」とか「財布から和同開珎を出してるのを見た」とか「土器に縄の模様をつけたがる」というウソっぽい逸話の持ち主だ。


「若いの、なんて言ったか」

「兎羽天外です」

「ふむ。そうだったな。まぁよい。お主に当主の世話役をやってもらう」

「は?」

「任せたぞ、若いの」


 そんなあっさりとしたやり取りですべてが決まった。


 当主の世話役というポストの重要性にはピンとこなくて、むしろ本家のご老体衆から認められたということが嬉しかった。

 自分が邦魔の行く末を担うにふさわしいと考えられたのだから。


 そしてその報告をした後の兎羽家はお祭り騒ぎだった。


「は~、こんな日が来るなんて。あらやだ、全然髪がまとまらないわね」


 新調したばっかりの紋付を着付けをしながら、母さんはルンルンと鼻歌がでるほどはしゃいでいた。


 いまさら言うまでもないけど、邦魔の世界は女系で構成されている。

 当然、当主は女性であるし、男性よりも女性のほうが圧倒的に格が高い。


 昔は魔法には女性の方が適正があると信じられてきたからだ。

 ちなみに、近年発表されたイギリスの大学の研究によると女性と男性の魔法の能力の差はほとんどないという結果が出ている。

 でもそんな最新のデータは、長い歴史をかけた信仰の前には何の力も持たず、邦魔は伝統的に、そして現在も女性の格が高い。


 そして邦魔という狭く閉鎖的な世界の中でしか生きていない人々にとって、何よりも大切なのは『格』であり、絶えず体面や見栄に晒され牽制しあったりと、生々しい社会を形づくっている。


 天外の母は楽天的ではあるけど、格が高いわけでもなく、父も秀でた家柄ではないため、ささやかな劣等感を持っている。

 その所々でにじみ出てしまう劣等感が子供にとってどれほど悲しいものだったか。


 そんな兎羽家に天から降ってきたチャンスこそ、天外の当主の世話役への就任だった。


 この当主付きの世話役という役目、格から言えばそれほどの役職ではない。

 なのになぜ母が歓喜していたかというと、十数年前、当時の邦魔の世界を騒がせた歴史的事件のせいだ。


 先代の当主が、当主付きの世話役と結婚をするというラブロマンス。


 二匹目のどじょうを期待してしまう母の気持ちも分からないではない。


 しかし天外にはそれとは別の野望があった。

 魔法の力を研ぎ澄ませ、邦魔使いとしてより高みにたどり着くこと。

 家柄だ格なんかよりも、自らの魔法の力を高めることこそが魔法一筋の天外の願いだ。

 そのためにこの世話役就任はチャンスではあると思っている。


 天外の中にある期待、それは当主のすぐ側で魔法を学ぶことによって、眠っていた能力が開花すること。

 野心といえば野心だけど、政略結婚で権力や名声を手に入れる、なんて考えよりはずっと純粋だと思っている。


 ただ終始嬉しそうに笑顔をこぼしながら、浮かれたままに新しい紋付にローンまで組んでしまった母を見てると、結婚作戦の方もやっている振りくらいはしよとは思う。


「ボクはね、邦魔のことしか考えてないんだよ!」

「気持ちはわかる。俺も今タバコをどうするかしか考えられない。ちょっと買いに行ってきてくれないか?」


 そう言いながら色許男はハンチングの中に手を突っ込んでまさぐる。


「行かないよ! そんな気持ちと一緒にするなよ!」


 小さい頃から邦魔に夢中だった。


 趣味は邦魔と言い切れる世界で唯一の15歳だろう。

 生まれ育った環境はもちろんあるけど、そうじゃなかったとしてもきっと魔法の世界に魅了されたに違いない。

 そして子供の頃に決意した志を覆すことなく、今でも最強の、最高の邦魔の使い手となることを目指している。

 バカバカしい夢だと笑う人もいるだろうけど、それは魔法を使ったことがないからだ。

 邦魔の家系という家に生まれたというのは運命といえる。


「だいたい世間の人々は邦魔に対して無関心すぎる! もっと興味持つべきだよ」

「いいこと言うなぁ。あ! これはおつまみサラミだ。一体いつのだろ? まいいか、サラミは永遠の輝きだからな」


 色許男はハンチングの中から取り出したサラミを口に放り込む。


「サラミと邦魔とどっちが大事なんだ!」

「それはお前、うんこ味のカレーとカレー味のうんこを比べるようなもんじゃない?」

「全然違うよ! 全然! サラミにすら失礼だ! 関係者各位に謝れ!」


 色許男は顎を前に突き出しておどけた変な顔をした。


 この表情がまたムカツク!

 色許男は邦魔に対して不真面目というか、邦魔以外にも全方位に向けて不真面目なのだ。

 しかし悔しいかなそんな色許男の方が、情熱を持っている天外よりも魔法の力は上だ。


 情熱はある。

 稽古も欠かさない。

 ネットで情報もかき集めてるし、心意気だけじゃ誰にも負けない。

 邦魔の未来を背負ってるはずの天外であるが、現実は無情なもので魔法の力というと、現時点では理想とはかなりかけ離れている。


「あんまり魔法ばっかりやってるとバカになるぞ。せっかく手品できるんだからそっちを頑張りなさいよ」

「バッ! なにを大きな声で。人に聞かれたらどうするんだ!?」


 そこに廊下を踏みぬくほどの足音と胴間声をが近づいてきた。


「色許男、色許男のバカはおらんか!」


 聞き覚えのある声、ご老体衆の国定老だ。

 天外の前ではあんなに厳格だった国定老も、色許男を前にするとここまで感情的になる。


「色許男ー!」


 怒鳴り声と共に、部屋の障子戸がスパーンと勢い良く開いた。


「はぁ~い」


 色許男が手を上げ、指をパタパタと動かす。

 国定老は、シワだらけの顔のどこにそこまで表情筋があったのかと驚くほど憤怒の顔で仁王立ちする。


「かの将軍から賜った由緒正しき耳かきを折ったのはお主か!」

「爺ちゃん。形あるものはいつか壊れるものだよ」

「磯臭い! ベタベタしておる! カニの身をほじるのに使ったじゃろ!」

「俺なりにカニに対する最高の礼を尽くそうと思ったのさ。カニのやつ嬉しそうに真っ赤になってたよ」

「ぎょぺーっ! その灰皿、讃王朝時代に賜った由緒正しき墨池!」

「これは……タバコの灰に対する最高の礼を尽くしたのね。タバコも真っ赤に光ってた」

「ならば、わしもお前に対する最高の礼として、この崇御家に伝わる由緒正しい御神刀を使うことにしよう。真っ赤な血に染まって果てるが良い」


 国定老は懐からギラリと光る短刀を抜き放った。

 天外と色許男の顔色は真っ青に染まった。

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