第2話

「その話なら聞いたことがある。アレだ。鳥の恩返しだろ?」

「鶴の恩返しだ! なんだ、鳥って。種類が大雑把すぎるだろ。そもそも恩返し要素が今の話にあった?」


 背中を向けて寝ながら天外てんがいの話を聞いていた夷住いずみ色許男しこおがのったりと寝返りを打ってこちらを見る。


「決して覗いてはいけません、と言われた部屋をお前は覗いたんだ。スケベェ心が抑えられずに」

「グッ……助平心じゃない! そう言うのではなかった」

「本当か? まったくもって微塵も覗いてみたいという気持ちがなかったと言い切れるのか? 別に俺は責めてるわけじゃない。ただ天外くんに自分の心を偽るような真似はして欲しくないんだ。邦魔を背負って立つ天外くんの未来のためにも」

「正直、見たいという気持ちは……あった」


 その言葉を聞いて、色許男はでかい身体を勢い良く起こし、見たことのない華麗な足さばきで踊りながら天外の周りを回った。


「ほぉ~ら。やっぱり! 天外のスケベェ! ドスケベェ! ピーピング・テン! 邦魔一のスケベェ大臣!」

「ククゥ……。こいつ」


 ひとしきり踊って疲れたのか、色許男はドサッと畳に座り込むと被っていたハンチングを少し傾け、そこからタバコを取り出した。

 そのままハンチングと頭の隙間に手を突っ込んでゴソゴソ何かを探したあと、諦めたのか天外に言った。


「マッチ出してちょうだい」

「まったくもう、ちゃんと整理しないから」


 そう言って天外はマッチを取り出す。


「小物は天外の得意分野だもんな」

「好きで得意になってるわけじゃない!」


 天外は色許男にマッチを投げつけた。

 コンプレックスを刺激する色許男の言葉に思わず苛立ってしまう。


「俺とちゃんが初めて会ったのは、あれはそう、とびきり暑い夏だった――」


 物憂げな表情でタバコに火をつけ、おもいっきり深く煙を吐き出す。


「――シコッちゃん、アタイを、甲子園に連れてって!」


 煙が消えたあとには、おさげ髪のかつらをかぶった色許男がナヨっとした姿勢で目をキラキラさせていた。


「誰だそれ、まさか雅ら理様じゃないだろうな!」

「クッ……しかし俺の腕はもう限界だ。あと一球でも魔球を投げたら、二度とじゃんけんでチョキの出せない身体になってしまう! だが、迷いはしないぜ! 雅ら理ちゃんを甲子園に連れてくんだ。受けてみろ、俺の隠し玉を。ランナーアウトッ! ゲームセッ、ウゥゥゥゥ~。かくして、俺と雅ら理ちゃんの最後の夏が終わった……」

「絶対ウソだろ! 野球関係ないし、なんで隠し玉なんだよ。魔球を投げて決めろよ! そもそもいつの時代だ。雅ら理様がいくつの時のエピソードだ」


 色許男の小芝居に理屈なんて存在しないのはわかっていながら、つい我慢できずに指摘してしまう。


「相変わらず重箱の隅を突っつくような揚げ足を取るなぁ、天外は」

「色許男の重箱は揚げ足しか入ってないだろ。パーティーバーレルだってまだ他の食べ物が入ってる」


 色許男は文句を言いたそうに、結局一口しか吸わなかったタバコを灰皿に押し付けた。


 この20畳ほどの広い部屋は喫煙が許されている。

 灰皿もあるし、畳の一部が魔法で新しく直されているのはコゲ跡を隠すためだ。

 タバコを吸う人自体が少なくなってきたこんな時代にも関わらず、自由に喫煙ができるという辺りも邦魔が前時代的な体質であることの証拠とも言える。


 本来は、本家の若い人たちが集まる名目の部屋だったはずだが、高齢化が深刻な真玉しんぎょく流で本家にいる若い者と言えば色許男くらいしかいない。

 その下は、ずっと年の離れた天外がいるだけだ。

 結果、色許男が本家にいる時に、寝たり食事をしたり自分の部屋のように使っている。


 夷住色許男は本家に仕える邦魔の使い手ではあるが、実際にどんな役割をしているのかはよくわからない。

 天外が物心ついた時から大人だったのでもう30歳近いはずだ。


 突然理由もなくいなくなるし、本家に定住しているわけでもない。

 着流しの和服姿に、部屋の中でもハンチングを被り、顎にはもみあげから続く無精髭が伸びている。

 いつだってフラフラして、落ち着きというものを母の胎内に忘れてきたような男だ。


 それでも昔は本家のご老体衆から期待されていて、次世代を担う邦魔の星であったらしい。

 今ではご老体衆の期待もすべて落胆に変換され、日常的に説教されている。


 確かにこの色許男という人物、本当にしょうもない性格で天外ですら一言どころか二言三言いいたくなるタイプなのだ。


「天外も世話役として順風満帆ということで、ここらで景気づけにトイレ掃除もいってみようか?」

「どんな景気づけだ。それ、色許男が命じられたやつだろ」

「トイレ掃除は徳を積むのと一緒だぞ。邦魔の中でも名誉中の名誉だと言われている。主に俺に」

「そんなこと色許男しか言ってないよ。徳を積むんなら尚更色許男がやりなよ」

「それが聞いてくれよ。俺はあのジジイどもに嵌められたんだ。いつ死ぬかわからないから最後の楽しみと花札に付き合ってあげたのにだよ? あのジジイたちは、こんなに優しいバファリンのようなこの俺をカモりやがって。老い先短い人生のウサを晴らすように俺にトイレ掃除を押し付けたんだ。酷いよな。ほら、俺って天外みたいに手先が器用じゃないからさ。俺にも教えてくれよ。花札でズルする技」

「好きで器用になったわけじゃない! 色許男は魔法があるだろ!」

「魔法使うとバカになるじゃないか。ズルするしかないんだよ。ジジイどもをギャフンと言わせるためのインチキなら正義だ」

「そんな独善的な正義があってたまるか。トイレは自分で掃除しなよ」

「そういえば今週の天外占い、ラッキートイレは掃除だって書いてあったぞ」

「ラッキートイレ! トイレの使い方にそんなに種類ないだろ。他にどんなラッキートイレがあるんだ」

「天外は子供だからな。大人になるとトイレの使い方は百花繚乱だぞ? それに雅ら理ちゃんの好きなタイプは、色許男に優しくトイレ掃除の得意な人らしい。これは本当。この耳でしかと聞いた」

「そ、そんな都合のいい好みあるわけないだろ」

「確かに俺はホラを吹くことはあるけど、これでも邦魔の人間だ。雅ら理ちゃんのことで嘘は言わない」

「……本当に言ってた?」

「おいおい、天外を騙して俺になんの得があるんだよ。このガッチガチの古臭い邦魔の世界で誰が味方なのか、わからない天外でもあるまい」


 色許男はそう言ってタバコのケースを覗き込んだが、空だったようで握りつぶした。

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