第18話

 天外てんがいの謹慎は特に何事もなく明けた。


 稽古をするにしても、やはり本家の方が捗るような気がする。


 あの事故以来、雅ら理からり様の様子が変わってきた。

 部屋には大きな姿見が置かれていた。

 そして洋服を着る彼女を目にするようになった。

 それもピンクと黄色で、ところどころにアクセントとして赤が入っている。

 レースやらフリルやら、天外にとってはなんの理由があって存在するのかわからない装飾がふんだんにあしらわれていた。


「天外さん、いかがでしょうか?」

「よく、お似合いだと思います」


 首を傾げて微笑む雅ら理様に、天外は自制を思いっきり効かせて答える。


 いい兆候ではあるのだ、以前の雅ら理様を知っていれば間違いなくそう思う。

 ただその変化が急激すぎるために、こっちの心が追いつかなくなっていた。


 天外が謹慎している間になにかおかしなことでもあったのだろうかと不安になる。


「なにか嬉しい事でもあったのですか?」


 天外がそう雅ら理様に尋ねると、彼女はゆっくりと振り返りはにかむように言った。


喜夜子きやこさんから、嫌いだと言われました」

「ええっ!? きゃーちゃんから?」


 とんでもないことだ。


 いくら喜夜子といえど、当主に向かってそんなことを言っていいはずはない。


 二人は幼い頃からいろいろな状況で顔を合わせ、見た目では仲がいいようにしか見えなかったのに。

 なんで喜夜子がそんなことを言ったのか。

 本心からそんなことを言っているのか。

 改めて問いただしたほうがいいかもしれない。


 そう思って考え込んでいると、雅ら理様は言った。


「私はそれが、とても嬉しかったのです」

「え? 嫌いって言われたんですよね?」

「はい。そのようなことを言われたのは初めてでした」


 どこか照れながら、それでも内側に喜びを秘めたような表情をする。


 それこそが天外にとって衝撃だった。


 他者から嫌いと言われることもないまま育った。

 誰かから直接感情をぶつけられることも、遠慮のないコミュニケーションをとることすらなかった。

 雅ら理様が喜ぶならそれはいいことかもしれない。

 しかし、そんなことに喜びを感じるという、彼女の抱えていた境遇を思うと天外の胸は押しつぶされそうだった。


 邦魔真玉しんぎょく流家元としてではなく、一人の少女として生きる道。

 そんな道は果たしてあるのだろうか?


 天外にとって天上人であった当主という立場の人物。

 しかし今はそういう見方では見れなくなっていた。


 この思いを適切に表す言葉を天外は知らない。


 ただかつて聞かれた「当主のために死ねるか」という質問。

 それに対する答えは変わらずとも、そこにたどり着く経緯は変わっている。

 彼女が当主だから天外は命をかけてもいいという理屈ではなくなった。


 彼女が崇御すうみ雅ら理だからという、曖昧な、しかしそれでいて強い思いになっていた。

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