第32話

 その時に舞い上がった粒子は、赤、黄色、オレンジ、ピンク。


 暖色系の花々は雅ら理からり様と天外てんがい、そして貴澄きすみを包み込んだ。


 視覚からくるものか、嗅覚、触覚、あらゆるものが作用しているのか、精神が柔らかい膜で包まれるような気がした。

 魔法で悦傾するのとは別の感覚、どこまでも無限の安心感が約束されるような心地よさだった。


 貴澄は今まで見せたことのない、柔和な表情で言った。


「私は雅ら理様も助けたかったのです」


 不思議とその発言は貴澄の本心だということが伝わってきた。


 そして天外は今まで貴澄に対して思っていた反発がすべて消え去っていることに気づいた。


 貴澄はそのまま続ける。


「私の母は真玉流の先々代当主のもとで、禁断の秘術を知ったのです。雅ら理様もご存知の術、自らの存在を記憶とともに継いでいくという秘術です」


 雅ら理様は静かに答える。


「そうだったのですね」


 天外にとって初耳ではあったが、この空間のせいなのだろうか。

 自然に理解することができた。

 そしてその悲しみもゆっくりと心に染み込んできた。


 邦魔真玉流当主は、人そのものを飲み込んですべてを受け継いでいくという事実。

 技術も経験も感情すらも魔法と化し、次の当主と同化する。


 今、天外がいるこの空間もそれに準ずるものなのだろう。

 自分の思考と他人の記憶の境界が曖昧になる。

 

「私の母もそうして私の中にいます。常に母に守られ助けられています。それでもやはり私は母の行いを肯定することはできない。彼女がそうすることを選んだ記憶は知っている。しかし彼女は彼女として幸せになるべきだった。私は母を抱きしめることもできない。雅ら理様、あなたはそうなってはならない」

「当主は邦魔の器です。私はそう思っていました」


「いいえ。今の貴女は違う考えも持っているはずです。私は母を失うほどの業の深い技を受けながらも、邦魔を誇りに生きてきました。自分のためはなく、母のためでもない、そこまでして在り続ける邦魔の気高さを誇りに思いました。だからこそ、犠牲になった人々に報いるためにも、邦魔は残していかなければいけない。決して滅んではいけない。世間からどんな扱いを受けようとも、それだけを胸に、それこそが私の生きる理由でした。それでもなお、思うのです。貴女は貴女の幸せを生きるべきだと」


「私は迷っています」

「貴女がそう思ってくれたのなら、私も報われます。兎羽うさばくん、家元を頼みます」


 貴澄の言葉は命乞いや言い逃れなどからでたものではない。


 邦魔に対して革命を起こそうという行動は過ちであったが、その根本の思想自体は純粋なものだったのだろう。

 どこかで道を間違えた。

 自分でも修正できないほどに。


 雅ら理様はそれをわかっていたのだろうか。

 この不思議な空間の中、彼女の思考にも辿り着けそうであり、しかし手を伸ばしても届かず、曖昧な膜に包まれた夢の中の甘美な果実のように思えた。


 天外たちを包む香りが薄くなり、あの安心感もゆっくりと霧散していく。


「あなたたちを、私は愛おしいと思います」


 雅ら理様のその言葉が届いたのか届かなかったのか、貴澄の身体から力が抜けた。


 呆気ない終わりだった。


 天外たちはゆっくりと地に降り立つ。

 足の裏に自分の体重を感じることすら妙な感覚だった。


 ぐったりとうなだれ敗者の相が出ている貴澄に遠慮してか、観衆もマスコミも、声を立てることなく静観していた。


 貴澄の身体を抱き起こすと、人間の肉体としての重みを感じる。

 悪魔でも神でも妖怪でもない、ただの傷ついた一人の人間だった。


 周囲を取り巻く観衆は、自分たちのあずかり知らぬところで事が終わってしまったことに、どう反応していいのか考えているようだった。

 しかし、一度火がついてしまったのは事実なのだ。

 ここに来ている人間はごく一部で、マスコミによってもっと多くの人々が、貴澄の言葉に反応しただろう。

 そしてそれは、全てが嘘というわけでもない。


 邦魔が問題を抱えていることは、言いがかりだと処理するわけにもいかない。

 ここで貴澄を倒したから解決、なんていう生易しい問題ですらない。


 車のホーンが鳴り、騒がしい声が聞こえてきた。

 音の方へと目を向けると、駐車場の入口に当たるゲートのところで何人もの警備員が人の波を抑えていた。

 大挙して押し寄せる人波は、後ろから次々に人数を増やし、さながら暴徒のようだった。

 人波はやがて警備員の隙を突いて抜きでた。

 一人抜けるとあとはあっという間で、崩れ去った防衛ラインを気にすることなく、老若男女さまざまな人間が天外たちのいる場所を目指して押し寄せてきたのだ。


 途中まで写していたテレビの中継を見てやってきたことは容易に想像ができた。

 そしてこの瞬間、長く悲しい邦魔の歴史の幕が閉じる時になるという最悪の予感も。

 言葉が聞き取れないような喧騒の中から、なんとか意味としてわかる声が飛び込んでくる。


「頑張って、雅ら理ちゃん!」

「応援するぜー」

「雅ら理様さまー、喜夜子ちゃーん」

「邦魔格好いいぞー」


 耳を疑い、恐る恐る目を開ける。


 そこに広がった光景は、老若男女さまざまな人達が笑顔で瞳を輝かせ声を上げる姿だった。


「カメラ止めた時はもう遅かったみたいね」

「きゃーちゃんが鮮烈にデビューを飾った後だったもんな。でも半分くらいは俺のファンという可能性もあるな。まだ王様ゲームの可能性は十分に残されてる」


 にやけた顔での色許男を、宵子が後ろから蹴り飛ばす。


 あまりのたくさんの人の勢いに気後れしたのか、喜夜子は宵子の影に隠れるように様子を伺っている。


 一体どれだけのことが伝わったかわからない。

 すべてが誤解されて伝わっているのかも知れない。

 だけどいいんだ、そんなことは。


 この人たちを笑顔にしたものは、いままでの長い邦魔の歴史であり、そしてその歴史の先に続いている今は、天外の横で少しはにかんだ笑顔を見せる少女、雅ら理様なのだから。

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