第29話

「なんだあれ?」

「すごい! 魔法ってすごい!」

「なんか、カメラおかしいんだけど。すげぇとこなのに」


 宙に浮かび上がり人々を見下ろす貴澄きすみに観衆たちは騒ぎ立てる。


「頭を冷やせ、愚か者ども」


 頭上から貴澄の声とともに冷気が降り注ぐ。


 それはひんやりなどという生易しいものではなく、まさに攻撃と呼んでいいほどの重い冷気だった。


 地面が凍りつき、運悪く走っていた車がタイヤを取られて滑り横転した。

 寒さに反発するように混乱はヒートアップする。


「降りてこい、このやろう!」

「卑怯者!」


 怒号の中、率先して一人の男が音頭を取る。


「かーらーり! かーらーり!」


 無責任にリズムにのってコールを始めた男。

 夷住いずみ色許男しこおその人である。


 それは観衆を巻き込み、大コールとなった。


「よぉし、雅ら理からりちゃん。ここは一発ママの大目玉を食らわしてやろうぜ」


 色許男は両手で観衆を煽りながら雅ら理様に言った。


 雅ら理様の様子を伺おうとした瞬間、閃光が走る。


 目を細めてみると、彼女も艶やかな十二単の姿に変わっていた。


 いつもシックな和服姿だけに、その華やかさは新鮮だ。

 かと言って違和感があるわけじゃない。

 むしろ、この姿の方が本来の雅ら理様であったと思わせるような一体感のある神々しい姿だった。


 雅ら理様は貴澄を追うように宙に浮いた。


 雅ら理様の空を飛ぶ姿を見るのは二度目だ。

 あのテレビの事故のあと、邦魔で人が空を飛べるのか調べてみた。

 天外の知る限りの魔法の体系ではそんなことは不可能だからだ。

 古い文献で、そのようにも取れる記述はあるにはあったけど、鬼や天狗がでてくるようなお伽話に近いもので正直信ぴょう性という意味では納得がいかなかった。


 天外は邦魔一筋、もはや邦魔オタクと言っていいほどだ。


 雅ら理様が空を飛んだのは当主にだけ伝わる秘伝の魔法があったからに違いないと結論を出した。

 しかし今目の前で貴澄が飛んでいる。

 一般の邦魔従事者でも、そこまで魔法を高めることはできるという事実。

 それは天外に希望を見せた。


 色許男は真っ赤な目をして見守っていた宵子よいこの背後に回りこんで言った。


「宵子ちゃん、すっかり雅ら理ちゃんに人気を取られちゃって。でも安心しな、俺は宵子ちゃんをちゃんと愛し続けるからね」

「いらないから」

「大人の魅力では宵子ちゃんの方が勝ってる。俺が覇権を握ったら後宮に据えてあげるよ」


 その発言の直後、色許男の尻には宵子のキックが炸裂し、屈んだところに喜夜子きやこのパンチが顔面を叩き潰した。


「最低なんです!」


 汚いものを見るような目で喜夜子が言い放つと、宵子は嬉しそうにハイタッチをした。


 確かに言い逃れができないほど最低だ。


 雅ら理様と貴澄は地面から10mほど浮かび上がっている。


 そのせいで人垣により状況が伝わってなかった周囲の人間たちが騒ぎ出した。


 もはや観衆は貴澄の味方というわけでもなく、悲鳴や驚きの声を上げる。

 人間の原始的な感情をあらわにした人々は、上空に逃げた主役たちに感情をぶつける。

 その口汚い罵りは、受けたものがどれほど傷つくか、想像力を欠いたものばかりだ。


 貴澄はそういう人間たちを刺激する力を持っていた、それは認める。

 人の不満を煽り、叩くべき悪を象徴化し、そして自分の味方につけた。

 それが政治の力と言われればそうかもしれない。

 天外や、雅ら理様にはない力だ。


 だからこそ、悔しくたまらない。


 この無責任な人たちを、一人ひとり殴りつけて、思い知らせたいほどだ。

 でも、そんなこともできないし意味もない。

 理解しようとしない人は、どこにでもいる。

 傷つくほうが悪いとすら言われかねない。


 邦魔はずっと、そういう人の興味の外で生きてきたのだ。


 雅ら理様は、そんな天外たちの気持ちを背負って、戦おうとしているのに。


「みなさんダメです! 頑張ってる人に悪口を言うなんて、そんなのダメなんです!」


 喜夜子が瞳に涙を溜めながら唾を飛ばした。


 口々に野次を飛ばしていたギャラリーは、一瞬唖然とすると、ヒソヒソと小声で不平を漏らし始めた。


「なに、この子」

「むきになっちゃって」

「煽り耐性ねーな」

「超ウケるんですけど」


 色許男が喜夜子を肩車で持ち上げる。


「きゃーちゃん、思いの丈をぶちまけてやれ!」


 降り注ぐ揶揄を一蹴するように喜夜子の感情が爆発する。


「わかるんですか! 雅ら理ちゃんの気持ち考えたことあるんですか! 好きな事もできないんです。好きな人も作れないんです。好きな人に好きって言えないんです。そんな気持ち、みなさんにわかるんですか? 好き勝手に文句だけ言ってるうちは絶対にわからないんです! 嫌いって言っても、許しちゃうんです。ダメな人でも愛してくれるんです。そんな雅ら理ちゃんの優しさなんて絶対わからないんです。こんな時でも、嫌な顔せずに涙も見せない雅ら理ちゃんの強さなんて絶対にわからないんです! わからない人が、わかろうとしない人が悪口言うなんて絶対にダメです!」


 嗚咽にまみれ、涙と共に吐き出す言葉に周囲は静まり返る。

 端から見ればまだ少女である喜夜子が、涙ながらに訴えるその姿は、それまで罵っていた観衆に加害者意識を植えつけた。


「私は別に……」


 などと責任逃れ、押し付けの醜い言葉がつぶやかれる。


「きゃーちゃん、よく頑張ったね。さ、これで鼻水をお拭き」


 そう言って色許男は懐から取り出したものを喜夜子に差し出す。


「イカ臭いです! なんですか、スルメじゃないですか!」


 そんなもので涙が拭けるか。


 喜夜子は色許男を退け宵子の胸に顔を埋めて叫ぶ。


「そんな人達でも雅ら理ちゃんは許しちゃうんですぅ~」


 宵子は喜夜子の頭をなでながら「よしよし」とあやしていた。


 状況を見守っていると、空中から突風と爆発音が降ってきた。


 空中15メートルほど、何の足場もない場所に、距離をとって貴澄と雅ら理様が対峙している。


 生身の人間を下から見上げるという経験をしたことある人間がいるだろうか。

 その慣れない感覚に戸惑う。

 意識を集中しても微妙に距離があるために詳しくは何が起こっているのかわからない。


 そもそも、人間同士が魔法で対決するなどということ自体がおかしいのだ。


 魔法は人には効かない。

 そんなことは常識なわけで、戦っているという構図が理解出来ない。

 しかし眼の前で繰り広げられているのは、どう見ても魔法合戦だ。


 閃光が走り、破裂音がする。

 爆風が起き、熱が、冷気が、辺りに飛び散る。


「おぉ、こりゃ映画みたいだ。これ見たら魔法が見直されるかもしれないな」

「そんな呑気な!」

「だってなかなか見れないぞ。貴澄もなんだかんだ言って用意万全じゃないか。あれはなんかの薬品の化学反応だろ」

「ほんとだ」


 よく見ると貴澄が放っているのは袋や風船に包まれたものだった。

 それが空中で反応して爆発を起こしたり煙を出したりしている。


 域の中に雑につっこめばそこで反応して取り返しがつかなくなる。

 いざとなったら全部域に飲み込めばいいという魔法使いの対処法を考慮した戦い方だ。


「せっかくだから自分用にカメラ一台くらい見逃しておけばよかった」


 あくまでマイペースに話す色許男の言葉を聞き周囲を見渡すと、テレビや他のマスコミのカメラマンらしき人たちはしきりに機材をチェックし声を上げていた。

 携帯やスマホを見つめて悲鳴を上げてる人も多い。


 宵子が喜夜子を抱きながらVサインを作る。

 色許男と宵子がいつの間にか工作をしていたようだ。

 そのくらいはこの二人なら余裕だろう。

 空飛ぶのは不可能でも、それなら理屈はわかる。


 ただ天外には出来ない、出来ない上に、そんなことを考える余裕もなかった。


 結局、天外だけが何もしてない。


 色許男も、宵子も、喜夜子も、雅ら理様も、もっと言ってしまえば貴澄すら、自らのするべきことを選んで考え、それを行動しているというのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る