第8話
襖が開き現れた
分家といえど流派の家元であり、直の門弟の数は本家よりも多いはずなのに礼を尽くすあたりは描いていたイメージとちょっと違う。
ちゃらけた感じで無礼があったら許さない、と
頭を上げた眞狩家当主
テレビで見る派手な洋服ではなく、本家に配慮したのか青空色の和服姿だったせいもあるだろう。
それでも華やかであることは変わりなく、メイクをきちんとして今風の可愛らしさがある。
着物のためにきちんと結い上げた髪が少し色っぽすぎるとは思うが。
「ハンバーグ」
顔を上げ
一体どういうことだろうか?
ハンバーグに何か意味があるのだろうか?
ひょっとしたら邦魔の当主の間では、知られていない符丁や暗号などがあって重要な機密のやり取りは一般人が聞いても理解ができないようになっているのかも知れない。
その空間にいた、雅ら理様、宵子、そして宵子の付き人の誰もが緊張しながらその言葉を噛み締める。
なんだかその中で天外だけが言葉の意味を理解できていない気がして、ものすごく居心地が悪い。
不安と緊張で汗がにじみでてきたその時、宵子が動いた。
手を大きく上げ口の前で広げる。
「わー、ごめんなさい。お腹がすきすぎて、何食べようかって考えてたから」
「どんだけ腹ペコなんだよ!」
思わず天外は片膝で立ち上がってつっこんでしまった。
宵子はビックリしたような顔で天外を見ると、顔をクシャッとさせ茶目っ気のある笑顔を見せた。
それと同時に、射るような視線が宵子の付き人から飛んできた。
天外とは違い大人の男で堅苦しさが伝わってくるようなきっちりした佇まいの人だった。
細い銀のフレームのメガネをかけているが、あのメガネ越しでなければ視線に焼かれて死んでいたんじゃないかとすら思う。
雅ら理様は目を伏せ、こっちを見なかった。
「し、失礼しました」
慌てて足を戻し頭を下げると、宵子が親指を上げて「ドンマイ!」と声をかけてきた。
誰のせいでドンマイの状況に陥ったと思ってるんだ。
普通こんな緊張する状況で食べ物のことなんて考えない。
考えたとしても口に出したりはしない。
個性的なものが当主になるのか、当主だから個性的になってしまうのか、永遠の謎かもしれない。
「天外さん」
「はい」
このやりとりを静かに見守っていた雅ら理様が空気を入れ替えるように口を開いた。
「ハンバーグステーキを。四人分、用意するように伝えてください」
「きゃー。そんなそんな、ダメよ」
宵子が雅ら理様の指示を制するように声を上げる。
「いえ、そろそろお昼の時間ですから」
「だって、四人分なんて、そんなに食べたら眠くなっちゃうもの。三人分で十分よ」
宵子は和服の袖がバタバタと音をたてるのも気にせず手を振り、指を三本立ててずいっと前に出す。
そうじゃないだろ!
一人で四人前食べる気だったのか。
この部屋には明らかに天外と雅ら理様と宵子と付き人の四人いるのに。
呆れるほど食欲に従順な人だ。
本能になにも抗ってない素直すぎるキャラクターが羨ましく思えてどうにも悔しい。
「天外さん、人数分の適量でお任せします」
「かしこまりました。直ちに!」
天真爛漫に振る舞う宵子と対照的に、付き人の男は整髪料で固めたテカテカの頭を何度も下げていた。
一瞬目があった時に「そちらも大変ですね」的な視線を送ったのだが、無視をされた。
どうもとっつきにくく生真面目なタイプらしい。宵子のキャラクターを考えると適切なコンビなんだろう。
急な申し出ではあったけど本家の凄味をアピールしようと頑張ったのか、小一時間ほどでハンバーグの載った膳が用意された。
宵子の膳は二つで、ハンバーグが品なく積み重なっている。
決してガツガツというわけではなく、きちんと礼儀に法って食べているはずだが、そのスピードが尋常じゃなく宵子の前の膳はどんどん空間を作っていった。
あまりにも早かったので勘違いしそうになるが、これは魔法など一切使ってない。
純然たる早食いの才能だ。
「おいしー。あぁ美味しい」
宵子は食べながら息継ぎをするように感想を述べていく。
「美味しいね。今週食べたハンバーグの中で一番美味しいかも」
普通、一週間にそう何度もハンバーグを食べたりはしないと思うが。
「でもなんでこんな、みんな離れて食べてるの?」
掃除機のように食事を吸い込んでいく宵子に、付き人が引き締まるような重厚な低音で注意をする。
「本家には本家のやり方があるのです」
「でもね、
「言ったはずです。本家のしきたりに口は出さないと」
「でもせっかくもっと美味しくなるのに。ねー、そう思わない?」
宵子はフランクに雅ら理様に問いかける。
確かにいまどき膳で個人個人で食事をするというのは一般的ではないかも知れない。
しかし邦魔の世界で育った天外にしてみれば、当主と世話役が一つの食卓で家族のように食事をする方が違和感がある。
「確かに、大きなテーブルがあればよろしいかもしれませんね」
宵子と付き人がこれ以上険悪にならないように配慮したのか、雅ら理様は頷く。
貴澄と呼ばれた付き人は、雅ら理様に深々と頭を下げると、瞬時に豪華な装飾のついた大きなローテーブルを出した。
これだけ見ても、この貴澄という付き人が相当の魔法の技量だとわかる。
『域』の容量や出入り口のサイズなどは魔法を使う者の力量に左右される。
間近に見た貴澄の魔法は、敬意と一緒に嫉妬を抱いてしまうほどのレベルだった。
「ほら、こうして食べたほうが美味しいでしょ?」
「そうですね」
「それはね、みんなの美味しいが伝わってくるからなのよ」
宵子の緩い話し方は、緊張するのが馬鹿らしくなるような空気を持っていてなんとなく心許してしまう。
そんな風に好意的に思えるのは、違う流派という一定の距離をおいた存在だからだろう。
分家の当主といえど、本家の人間にとってはきちんと上下関係があるわけでもなく部外者に近い。
もし天外が
自分たちのトップである人間には、どうしても自分の上に立つだけの器量を求めてしまう。
それは、目の前で神経質そうに苦い表情をしている貴澄を見てると痛感する。
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