第7話 中空
「感情を回復すべきです」と医師は私に言った。
「回復?」
「はい」
「死んだ後でも回復できるのですか?」
「死んだものを回復させる事例を思いつくことができますか?」
私はしばらく考える。
「腐ったものは肥やしになります」と、私が答えを出す前に医師が言った。
「なるほど」と私は言った。
「畑も、田んぼも、死んだものを腐らせて、それを肥やしにしているのです。腐る過程の中で、それは次の生命を生むための資源となります」
「すみません、もう少し具体的に教えてほしいんですけれども」と私は言った。
「つまりあなたは腐りきってしまったほうが良いのです。腐敗の過程を早めるということです。死体であれば、熱していけば腐敗します。しかしその過程は過酷なものです。腐臭はますます強くなりますし、いろんなことが起こります。」
「いろんなことというと?」私は前のめり気味になって聞く。
医師はしばらく黙った後に
「回復過程の人が、死ぬこともあります」
「それでは意味がないのではありませんか?」と私は言う。
「これはある症例なのですが」と言って、医師は私にある話をした。
ある患者さんがいた。彼は、精神的に難しい青年時代を過ごしていた。まず、彼は自閉症だった。そして左腕がなかった。彼の両親は自閉症の息子を心から愛することができなかった。唯一彼の父方の母、つまり祖母、だけは彼を愛した。彼は学校に通わず、ずっと引きこもっていた。祖母は、彼がものごころついたときからずっと、毎週彼に会いに行っていた。彼が17歳になったときに、彼の両親は離婚した。父親はパイロットで、母親は専業主婦だった。どちらも息子を引き受けたがらなかったので、祖母が息子を引き受けた。彼は、祖母にだけはこころを許していた。会話と呼べるコミュニケーションは、祖母とだけしていた。彼が18歳になったとき、彼は祖母に言った。
「おばあちゃん、僕は思うのだけど、僕が自閉症であろうとなかろうと、結局両親は離婚していたように思う。ずっとその方が良いと思っていた。離婚して、お父さんもお母さんも、幸せになったと思う。僕が健常者ならば、両親は離婚しなかったと思う。そういう意味では、僕は、両親が離婚するために、両親が幸せになるために生まれてきた気がする。僕にはいろんな欠陥があった。でもこの欠陥を中心にしていろんなものがうまく回っているように僕には見えた。僕がいたから、個人主義的に過ぎた父親は、親族に頼らざるを得なかったけど、それによって父親は性格が少しずつ穏やかになっていったように見えた。母親は、専業主婦という生き方にある種の目的性が発生した。もちろん、悪い部分もあるし、いい部分もあると思う。そして、僕は20歳になる前に死ぬと思う。それはもう自分のなかで決まっていることなんだ。僕が死んだ後は、僕が生きたときよりもいろんなことがスムーズになる。でも最初から僕がいなければよかったというわけじゃない。僕はあくまで存在する必要があった。存在して、消えることに意味があったのだと思うんだ」
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