第109話 リビングの小さき版画や年の暮


 

 

 

 

 こぢんまりした家のリビングに、ヒロシは絵葉書ほどの版画を飾っています。


 この夏、老舗の呉服店を閉じた友人が「これはおまえが持っていてくれるのが、作家がいちばん喜ぶと思ってな」と洒落た額付きでプレゼントしてくれたもの。


 版画家とのいわれを述べると長くなるのでまたの機会にしますが、雪をかぶった藁ぶき屋根の下の小窓に丸い顔を並べ、頬杖を突いて外を眺めている紺絣の兄弟の版画に目をやるたびに、ヒロシはなんとも落ち着かない気持ちに駆られるのです。

 

 

               Prints

 

 

 小学校の中学年ぐらいのことでした。学校から帰ったヒロシは、何気なく仏壇の下の観音開きを開けてみたのです、いつもはしたことがないのに、なぜかその日に限って。ほの暗いそこには、白い小皿に見たこともない赤い物がのっていました。

 

 ――なんだろう、これ?

 

 そのとき、母の声が飛んで来たのです「だめだよ! タケシにやるんだから」。


 ひとつしかない珍しい到来物を、兄に隠して弟に食べさせる……その冷厳な事実を受け入れるのが怖くて、ヒロシは自分にもくれとは言わず、怒りも泣きもせず、かえって曖昧な笑みさえ浮かべて、決して欲しくないというふうを装ったのです。


 その瞬間、自分の心に線を引いたヒロシが、そのへんてこな形の赤いものが柘榴の実だったと知ったのは大人になってからで……。距離のある母子関係がつづき、老衰の母を看取るときまで、あのときの是非を問い糺すことはしませんでした。

 

 

                ☆彡

 

 

 幼心に疎外される悲しみを知ったヒロシは、せめて自分の子どもたちには公平を期すように気をつけています。ただ、やがて彼岸に渡るときが来たら、なぜ母親としてあれほど偏ったことをしたのか、それを訊いてみたいとは思っているのです。

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