第90話 星連れて空の海路や冬三日月

 

 

 


 その夜、フィリップは妻と3人の子どもを連れてゴムボートに乗りこみました。


 全員救命具を着けていますが、大海原を越えて大陸へたどり着くにはあまりにも小さく頼りないボートですし、定員10人のところを15人も詰めこまれました。


 苦情を言いたくても、船賃を前払いした業者の姿はどこにもなく、少年のように若い男がひとり、早くゴムボートを発たせてしまおうと躍起になっているだけで。


 どうしようもない現実に絶望したフィリップが夜空を振り仰ぐと、刃のように細い三日月が冬の星ぼしを引き連れ、いましも空の海路に船出しようとしています。

 


                ☆彡

 

 

 進駐米軍との通訳業務に就いたイラク人には、たとえそれが祖国のためと信じる選択であっても、裏切者として、家族を含めた命の危険が常についてまわります。


 愛する故国に留まって居られない以上、どんなに心細い方途であってもなんとか新天地に渡るしかないのだ、神よご加護を、フィリップは冬三日月に祈りました。

         (NHK『ドキュランドへようこそ』から惹起した掌編です)

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