第89話 天空のボルダリングや冬の蝶
初冬の平日の公園のボルダリングに、ケンジはひとりで張り付いています。
晴れた空にひと刷けの雲が浮かんでいるばかりで、人っ子ひとりいません。
なにか気にかかることがあると、ケンジはこの場所へやって来て壁をよじ登り、無心になろうとつとめますが、心を空っぽにすることは、なかなか難しく……。
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今日のケンジの屈託は、所属している短歌結社の月刊誌の運営にまつわること。
新型コロナウィルスが流行し始めてから、結社経営や雑誌発行の苦難への愚痴が編集後記などに目立つようになりましたが、それはちがうとケンジは思うのです。
文化活動といえど相当額の会費を徴収している以上は仕事であり、仕事であれば諸々の条件云々の言い訳は通用せず、当然ながら、愚痴を活字にすべきではない。
げんに年会費が同程度の短歌関連の雑誌には、少しでも発行が遅れると平身低頭せんばかりの詫び文が掲載されていますし、それが商売としてのあるべき姿かと。
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これまでも、今月号はいやに分厚いなと思えば、古参会員の評論など自己満の頁が大幅に嵩を取り、その分一般会員に皺寄せを強いているのは明白な事実であり。
前職の経験から、印刷・製本代、頁当たりの単価などの諸費用が手に取るようにわかるケンジには、事務局の姿勢に納得できかねることが音もなく降り積り、今日の青空のように澄みきった気持ちに……というわけにはなかなかいかないのです。
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仄聞していた話から、短歌界の諸事情は承知のうえで加入した結社ですが、どうしようかな、このままつづけていいのかな、早晩行き詰まるのではないかな……。
壁に張り付くケンジの横を、白い冬の蝶がひっそりと通り過ぎて行きました。
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