第77話 如己堂は二畳一間や冬薔薇
そのころ外資系の商社で働いていたイチカが長崎を訪れたのは、もうかなり以前のことになりますが、その際、戦後歌謡『長崎の鐘』で有名な永井隆博士がふたりの愛児と病身を養った小庵を、可憐に咲く冬の薔薇ごしに坂道の途中から望見したときの、あまりに簡素なたたずまいへの衝撃を、いまだに鮮烈に記憶しています。
妻の緑さんを失い、自身も重傷を負った身で、不眠不休で患者の治療に当たっていた博士が「己の如く隣人を愛せよ」という思いを込めて名付けたという如己堂。
それに対して、軍都・小倉の空が曇っていたため、急きょ長崎へ向かったのが、いま自分が籍を置く企業の母国の軍機であったという、ふたつの厳然たる事実。
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若さゆえの傲慢もあり、老いて働く力が劣っても企業に安住していられる日本の伝統的な終身雇用制度に歯がゆさを覚え、バリバリ働いてやるぞと業績第一主義の外資系に就職した当時は、あとから思えば自身の健康や能力を過信していました。
でも、与えられたノルマを達成できず即刻解雇を申し渡された同僚が、段ボール箱に私物を入れて去って行く現実を頻繁に見ているうちに、社会貢献の場でもあるはずの企業の在り方に覚えた違和感は、イチカの内部で膨らむ一方だったのです。
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そういうとき如己堂を目の当たりにし、イチカの気持ちは決定的になりました。
究極の科学が生物にもたらす悲惨を、欧米人にはNOだが東洋人にならOKとした国とその国民の本質は残念ながら変わっていないのかもしれない。とすると……。
東京への空路、イチカの気持ちはこれまでになく明るく澄んでいたのです。(^-^)
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