第33話 粗塩のほのかに甘き秋刀魚かな
テレビで秋刀魚漁が報じられると、メグミは決まって思い出します。
――なぜ、選りにもよってあの歌をうたわせたのだろう、高校生に。
コーラス部の顧問教師の楽曲選択に抱いた、素朴な疑問は謎のまま。
あのころは、主旋律のソプラノに引っ張られそうになるアルトの音階を覚えるのに精いっぱいで、歌詞の内容にまで踏み込んで考えたことはありませんでしたが、詞も曲も短調の歌の背景には、相当に深刻なシチュエーションがあったのですね。
🎼
あはれ秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思ひにふける と
さんま さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて さんまを食ふは その男がふる里のならひなり そのならひをあやしみてなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ
あはれ 人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば 愛うすき父を持ちし女の児は 小さき箸をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや (佐藤春夫「秋刀魚の歌」)
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作家仲間で親友の谷崎潤一郎の妻だった千代への恋情と苦悶を謳った詩と知ったときの衝撃が、哀調を帯びた混声合唱のハーモニー、蟷螂にそっくりだった男性教師、ピアノ伴奏の先輩女子の横顔と共に、メグミの脳裡に鮮烈によみがえります。
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1922(大正11)年に「秋刀魚の歌」を発表した詩人は、1964(昭和39)年春、国立西洋美術館で拝観した「ミロのヴィーナス」を句に詠みました。
影ふかくすみれ色なるおへそかな 佐藤春夫
それから間もなく、ラジオ番組に出演中に心筋梗塞で急逝したそうですが、
――この句の季語、すみれでいいの?
俳句を学び始めたメグミの疑問は、そちら方面へと移行しつつあるようです。
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