第20話 つまべにや日ノ本なべて渡来人
大型スーパーの総菜売り場で働いているミイカは、間もなく50歳になります。
この地域で圧倒的な人気を誇るスーパーは、商品の鮮度を保つために店内の温度を極端に下げているので、従業員の多くが身体のどこかに不調を抱えていますが、それで食べさせてもらっている身なので、だれも表立って不平を口にしません。
ギリギリまで我慢して、どうしても堪えきれなくなると辞表を提出する。
その繰り返しなので、店内外の随所に、年中募集広告が貼られています。
日に5時間のパート勤務のミイカは細身の冷え性のうえ、バッグヤードと売り場を行ったり来たりの立ち仕事なので、午後3時に仕事が終わると、となりの銭湯のサウナに駆けこんで温まり、ようやく人心地をつく、という生活を送っています。
♨
そんなミイカの楽しみは、週に数度のペースで通っているスポーツジム。
母国の友人たちのお下がりの煌びやかなレオタードを身に着け、気が向けば髪にシュシュや飾りをつけたりして、エアロビクス、ズンバ、リトモス、ヒップホップなどのダンスレッスンを受けるひとときは、すべてを忘れられる至福の時間です。
不特定多数の集団ですから、少し浅黒い感じの肌や、エキゾチックな容貌を露骨に異端視されることもありますが、もちろん世の中そんな人ばかりではないので、日本人の友人もでき、なかにはプライベートな相談に乗ってくれる人も……。
💃
ミイカはフィリピンの小さな島の出身です。
幼いころは弟妹の世話に追われ、学校へも行かずに母親を手助けしました。
10代半ばになるとマニラのクラブへ。そこでスカウトされて日本へ渡り、ダンサーやシンガー、ホステスとして稼いだお金の大半を実家に仕送りしていました。
そうして働くうちに、客として知り合ったのが現在の夫です。
日本人の夫は、ミイカの目にはやさしい人に見えましたが、結婚してみると少し様子がちがい、友人や親戚に妻を紹介するとき、怒ったような表情になりますし、仕事がうまくいかないときなど、きげんを損なうと手や足や物が飛んで来ます。
寒い季節に家から閉め出され、朝まで入れてもらえなかったこともあります。
昨今ますますひどくなってきたDVに困り果て、日本人の友人に打ち明けると、相談者の幸せを一緒に考えてくれるという、行政の女性相談を教えてくれました。
――いざというときのお守りに。
彼女が書いてくれた電話番号を、ミイカはバッグの奥に大切にしまいこみました。
☎
ところが。
どういう力の作用が働いたのでしょう。
その翌日から夫が変わり始めたのです。
虫の居所がわるいと妻を外国人扱いし、「さっさと国へ帰っちまえ」(ミイカの仕送りで建てた家は弟の名義なので、母亡きいま、帰る家はありません)と暴言を吐くこともあったのに「ずっと大事にするよ」と言ってくれるようになりました。
――考えてみりゃ、おれたち日本人はみな、外から渡って来たんだもんな。
即物的なタイプなのに珍しくそんなことを言う夫も、還暦を前に思うところがあったのかもしれませんし、あるいはミイカの覚悟が伝わったのかもしれません。
夫の説にしたがえば(笑)太古の昔からの渡来人の末裔であるミイカは、現在の穏やかな幸せがいつまでもつづくよう願いつつ、周囲の計らいに感謝しています。
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