第17話 文月の風の竪琴つまびける
白い蕎麦の花と、金色の稲穂の波を自在に吹き鳴らしながら、風は思いました。
――おいらの生まれ故郷の蕎麦の花は、あざやかな紅色をしていたっけ。
風は、モンゴルの草原で生まれました。
両親や兄弟たちに別れを告げてひとり旅に出た風は、敦煌は莫高窟の仏さまたちにあいさつしたり、はるかに天山山脈を眺めたり、羊飼いの少年のしなやかな鞭に戯れたりしてシルクロードを南下し、楊貴妃が湯浴みしたという大理石の湯舟や、おびただしい数の兵や馬が立錐の余地もなく並ぶ兵馬俑を覗いたりして、中国大陸の南端の香港へ飛び、そこから海峡を渡って、この小さな島国に着いたのです。
――あのころはおいらも若かった。
夏の名残の月見草、アザミ、露草をやさしくそよがせながら、風は思いました。
若さに任せ、どこへだって自在に吹いて行けるぞという気がしていたのですが、歳を重ねたいまは、海峡を越え、大陸を渡ってモンゴルへ帰る気力がありません。
それに。
風はこの美しい島国が気に入っているのです。
――おいらの一生、ここで終えてもいいな。
そう思うと風は気持ちが軽くなって、胸の弦を掻き鳴らしてみたくなりました。
――♪ ポロン。
自分でも意外なほどきれいな音が出ました。
――♪ ポロ、ポロロン。
風の掻き鳴らす竪琴の音色に合わせ、花の化身かと見紛うように真っ白な蝶が、ひらひらと楽しそうにワルツを踊りながら、広い蕎麦畑の秋を満喫しています。
風と蝶と、蕎麦の花と稲穂の上には、どこまでも青い空がひろがっています。
――あの空のかなたにモンゴルがある。
そう思うと、風はすっかり安らいだ心持ちになるのでした。
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