第25話 ひだまり
鎮方で
直近の処理に当たった三件と別支部管轄の四件。その内一件は
下の下級である
そして九番案件に
(白と黒に分かれた……)
可能性が五分五分だとして、この場合の可能性は良い悪いの可能性と考えるのが妥当なのか。
明後日に
紅八の案件と呂花の鎮めた黒洊牙の案件は除くとして、他はすべて状況が急変している。関連性の有無ははわからないが、すべて案件の発生時期は重なっているかもしくは近い。
「京一ー……」
気だるそうな声がして
「哲平、わかりましたか?」
開口一番にそう言って京一は哲平を見た。
彼は大袈裟に首を横に振りながら京一の隣に腰を下ろす。
「まったくわかんねぇよ」
思い切り眉根を寄せて短髪と同じ茶色を帯びた黄色の瞳で彼は京一を見る。
「何あれ?……こびりついてるのは植物かなって美里と
新とは
「普通の鉱物の可能性はもしかしたら低いかも知れない。うちにいる鉱物関連の
可能性としては限りなく低いだろうと彼は言った。京一も現地で流れ星が落ちたと言う伝え話は拾ったが。
「星社の跡から急に現れたんだろう?」
「ええ」
星霊が関わったとすれば話は別になるが、
「人工物の可能性は?」
「だとしたら、現代の一般的な技術ものじゃない可能性は高い。知られていない技術ってのはありだけどな」
いずれにしても、まだ可能性と臆測の話でしかない。哲平は自分の後ろ側に両手をついて、上半身を伸ばすようにする。
「素材自体、ぱっと見で見当つかないから」
天井を仰ぐようにしながら彼は更に言った。
現代の物ならある程度の予想はつく。
今度院の知り合いに詳しく調べてもらうと言い、少しだけ黙り込むと彼は室内を見回した。
「その資料、何?」
座卓の上に広げられた用紙に目を止めて哲平が聞いた。
「ああ、この間からの案件です」
「蠱魅の飛び級は勘弁だよな」
顔をしかめた哲平に京一もそのとおりだと思う。
「───二つ上ですからね」
黒蠱から大蠱を飛ばして千年蠱。
「紅八も狭間がデタラメに重なってたって?」
美里に聞いた、と彼は言った。
「──……ええ」
確かに四つの狭間が同じ場所に重なって存在する
そもそも話が万夜花に回ってきたのもそれが問題だったからだ。対象自体は
一番最初の案件担当者もそれを考えて事前調査を行ったが、その段階で狭間の状態が判明すると案件は他社を転転とし、最終的に万夜花にたどりついたのである。
「……隼男は?」
「彼女を連れて支部へ」
「───……ふぅん」
気になるのかそうで無いのか、哲平は微妙な反応を残してそのまま鎮方から出ていった。
京一は一連の最後の一件、呂花が黒洊牙を鎮めた案件を思い出す。あの時の黒洊牙は移動型。
紅八の案件と同じ要素は無くもないが、ただあの場所に現れる前にどこで生じたのか。黒洊牙自体は中の下級ではあるが、現代で日頃見かける蠱魅ではない。
一番始めに
最初に感知された場所とそこに併存する狭間を調べたが、その時は原因となるような要素は見受けられなかった。状況からするとどうも急に現れたような印象がある。狭間内でそれに関わる何かが起こっていると言うのだろうか。
一汪と札石の二霊が気づいて、更には呂花が出くわしたがために他に被害が出ていないらしいことは幸いだったと言える。
ただその当人にどうやって鎮めたのかと問えば手を上げていただけだというから、驚くというより京一は呆れた。確かに一番最初の鎮めの時もそうだった。
しかもその黒洊牙はどうやら意識体だったようであることにも驚いた。直近で関連する被害が出たような話はないと一汪側も札石側も言っていたから、もっと前に昇華した蠱魅なのかも知れない。
何とか隼男が聞き取りをして報告書もまとめはしたが。あり得ない話だった。
座ったままの呂花はそこに意識があるのか無いか。座卓の前にただ目を開けて座っているだけ。
それでも体は勝手に見えるものを取り込み、聞こえるものを拾っている。
本を読む男性の傍らで小さな男の子が、自分の広げた本を示しながら読み方を尋ねているのが見えた。男性は嫌な顔をすることなく当たり前のように答えている。
その少し離れた場所では女の子が二人あやとりに興じている。張り出した縁側の先にある庭で、地面に絵や図を描いて遊んでいる子供もいた。じゃんけんに指遊び。折り紙や積み木などの玩具を広げて遊んでいる子供もいる。精霊と歌を歌って追いかけ追いかけられながら遊んでいる。
自然とその場にあることがすべて遊び。触れて、見て、聞いて、感じて、知って、そして考えて学ぶ。
そう言えば、と呂花は思う。
自分だって遊びながら
でも、もしかすると周りにいたのかも知れない。何となく座卓の中央に置かれた折り紙に手を伸ばして折ってみた。
「つる?」
急に耳元で声がして軽く首を回すと男の子が一人、呂花の右肩越しにその手元を覗き込んでいた。
「……うん……」
小さく呂花が頷く。
「んしょっ!」
勢いの良い声に呂花がはっとすれば、男の子の反対側から今度は女の子が呂花の腕の下をくぐってその膝の上に座り込んだ。
「え?」
少し驚いたが、呂花も別に嫌なわけではない。
「私も折る!」
力強くそう言って、女の子が一枚の折り紙に手を伸ばした。
「じゃあ、一緒に折ろうか……」
女の子を抱え直すようにして呂花は言った。
「私も!」
「僕も!」
『あたしも』
ぽつりと言った言葉に一斉に声が返ってきて、さすがに呂花が目を丸くした。
『教えてあげるね』
ふうわりと宙を漂う姿は
気づけばいつの間にか外にいた子供達も室内に戻っている。呂花は急に周りの密度が高まったように感じたがそれもそのはず。
「うわあ!」
「先生!今日は精霊がいっぱいいるよ!!」
「すごーい」
子供達の驚いたような歓声が聞こえる。呂花も思わず周囲を見回した。
どれくらいいるのだろう。もしかすると子供達の数より多いかも知れない。先ほどまでは見当たらなかった姿がたくさんある。
「いっぱい、いっぱーい!」
子供達は満面の笑みで嬉しそうにはしゃいでいる。呆気に取られているのは大人達だった。指導員の三人と偶然居合わせた読書中の男性が互いに顔を見合わせて驚いているようだった。
「ねえっ、お姉ちゃん!」
今度は座卓を挟んで目の前から呼びかけられた。上に乗り上がりそうな勢いで座卓に両手をつき、男の子が一人興味津々そうに呂花の瞳を覗き込む。
「お姉ちゃんは、え……っと、えっとね。ふつうの……っ、いっぱんの人っ、なの?」
言葉を一生懸命探していた男の子は、探し当てた言葉を発すると同時に呂花を見た。呂花の膝の上に座る女の子も、側に立つ男の子も呂花を見た。他の大人達がはっとするのとは対照的に、呂花はどういう意味で男の子がそう言ったのかわからない。指導員の三人も隼男に自社の見習いだと紹介されただけで、詳しいことは知らなかった。
たまたま学舎に来ていた男性にいたっては何の情報も持ち得ない。
呂花はどう答えたら良いのか返答に詰まる。
陰人である彼らが呂花を万夜花へ連れてきたのは、呂花が〈
黙り込んだ呂花から少し離れた場所でその声は上がった。
『それは気にしなくて良いよ』
どういう回答なのか呂花にはさっぱりわからない。何の精霊なのか。男の子と呂花との間に入るようにやってきたその精霊も宙に浮いている。透明で直径が十センチくらいの球体がひとつ、くるりとひっくり返った。呂花に対して多分後ろ姿を精霊は見せているのだろう。球体が透けて見える反対側に目、鼻、口らしきものが見えた。何だか透明な顔だけが浮かんでいるみたいだ。奇妙と言うのか。思いもつかないような風変わりな姿。見ようによっては恐怖を抱きそうな外見の精霊も何体かいる。けれど何故かそんな風には感じない。
『このお姉ちゃんには私達が見えていて、お話もできるからね』
「そうなのっ?」
男の子に
『ね?』
「あ、……はい」
同意を求められた気がして、思わず呂花は頷いた。周りでは小さく空気を揺らす囁きのような、けれども柔らかな音がする。どうやら精霊達が笑っているようなのだが。
男の子は元気いっぱいに座卓についた両手をそのままに、呂花を見る目を真ん丸にした。
「お姉ちゃん、……気、じゃなくて……っううんっと、力!力がわからない、じゃなくてっ、感じないから、いっぱんの人かと思った!」
男の子の言葉にこそ、呂花は驚く。
(力を感じない?)
だったら呂花は陰人ではないことにならないか。これはどういうことなのだろう。
『そのお姉ちゃんは力は感じられないけれど、精霊も蠱魅も見える。精霊と話もできる。そういう人なんだ』
今度は別の場所から声がした。はっとして呂花はその声がした方を向く。呂花がふり向いた先の精霊は柔らかい笑顔で呂花を見た。
精霊は一般の人々にも見える本体と、陰人にしか見えない光球状の姿である
それでも何の精霊かはわからなくても、精霊であることはわかるのだ。彼らはただそこにいるだけなのに、呂花は何故か自分がそのまま吸い込まれそうな気になってしまう。
それほど彼らは清々しい。とても綺麗な何か。
「そっか!いろんな人がいるんだね」
目の前にいる男の子の大きな声に呂花は我に返る。もう一度辺りはさざめいた。その度に空気が入れ替わるようなそんな感覚を呂花は抱く。
子供達と言葉を交わし、笑顔を交わし、遊ぶ。
そんな精霊達を呂花は心底不思議な気分で見つめた。
「失礼します」
指導員達三人の後方にある戸の外から声がした。隼男の声だ。
すっ、と引戸が開かれて姿が現れた。
開いた戸の前に集まっている指導員達に彼は軽く驚いたような顔をする。
「……あの、何か?」
隼男が言いかけたが、小さな声が呂花の側で一つ上がって思わずそちらに顔を向けた。
「───お姉ちゃん、お名前、何?」
呂花のブラウスの左袖を女の子が一人引っ張って立っている。隼男が咄嗟に叫んだ。
「呂花っ!!」
呂花も驚いた。
場が静まり返る。
「……あっ、いや。す、すみません……」
間の悪そうな困ったような苦笑いを浮かべて隼男は周りに頭を下げながら謝るが、室内を見て驚いた。
「お、と、かお姉ちゃん……?」
ブラウスの袖をつかみしめたままの女の子がたどたどしく呟いた。
「うん……」
呂花の胸の内が小さな痛みを感じた。
今までは。ついこの間までは何度も耳にしていた呼び名。邪気の無いその言葉が逆に呂花にはつらかった。
「あの、
「あ。あ、はい」
呼びかけに応じながらも隼男は室内の様子に目を見張った。
この支部に、ここに。
これほどたくさんの精霊がいただろうか。
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