第20話 白と黒

 公政廷こうせいてい敷地内の一番奥。禳禦院じょうごいんの内側深く。学校の校庭のようにかなり開けたその場所の、中央より若干東北に寄った所。そこに楽殿がくでんの土舞台が設置されている。楽殿の土舞台には屋根も壁も他の幕も何も無い。使用しない時には舞台上に区分縄くぶなわを設置し、使う時にこれを外す。区分縄の取り外された楽殿の周辺には今、二十人ほどの人が集まっていた。その装束は全員が真っ白な社着やしろぎである。すべての人々が配置に着くと場は静まり返る。

 儀式と祭祀ではその趣旨や内容は違うものの、必要とされる基本的なことはほぼ同じである。陰人かげびとは儀式も祭祀も一括りにしきと言うことが多いが、式の責任者の式主しきぬし、副責任者で進行を務める式催官しきさいかん、気の良し悪しや流れなどから日時の調整を行う式占師しきせんじ、式舞いを行う舞手、式場の内側と外側を見守るしきがこいがだいたいの式を通して必要となる。必要に応じて技術官や式楽しきがく、それから祭祀の折りには供物が用意されることもある。

 今ここで執り行われようとしているのは占師式せんじしきと呼ばれる儀式だった。これは陰人の占師が主となって行う技術的儀式で、先日の九番案件、あきの捉えた熛星ひょうせい、そして最近頻発する内容の異常な案件などを含めた事象を占術において見極めるためのものである。式主に院司いんのつかさである糸宗いとむね佐莉さり。式催官を衛姫ひろひめ富士枝ふじえだてる。式占師及び技術官は洞司とうじ沢井さわいあき首占しゅせん磯脇いそわき小夜子さよこ、そして万夜花たかやすはな星社ほしやしろ仲宮なかのみやしんの三名他、舞台を少し離れた場所に点在して立つ六名の占師が務める。その更に離れた周辺には八名ほどの式囲いが控えていた。式囲いには結界や陣の得意な者がなることが多い。これは式場全体の様子を監視し、何事も起こらないように守護するためである。

 星社で執り行われるの儀式や祭祀というのは、実は手順を間違えられない。その一部には気を変化させたり、技術的な力を加えるものがあるからだ。今回はその一部の儀式に当たる。しかもかなり規模は大掛かりだ。

 五十代を過ぎ、六十代へ差しかかろうという頃だろうか。それでも短い黒髪には白いものがあまり混じっているようには見えない。ふくよかで柔和な面立ちのその女性こそが、当代の院司だった。彼女は舞台の端に設けられた短い段を上り、舞台の中央へと立つ。院司の開式のげんで式は開かれていく。続いて衛姫の照が均舞ひらまいと呼ばれる舞で式場の気の流れを調整してその凹凸を平らかに整えると、儀式の一番重要な技術部分に入る。この技術的儀式には式楽は無く、装飾といったようなものも無い。開けた大地の周囲は深い森と離れた場所に建物が見えるだけで、風景としてはまるで味気ない。その中でゆっくりとした舞を終えた照は、舞台から降りて六人の占師より更に離れた場所の院司の隣に並び立つ。そして入れ替わりに三人の占師が舞台へ上がったのを見届けると、静かに言った。

術式じゅつしき、始め」

 全員に緊張が走る。

 舞台上には三角形をかたどるように三人が位置についている。三角形の頂点に著、そして底辺の両端に向かい合うように小夜子、審が立ってそれぞれが互いの顔を見た。一枚の符を手元に現した著が、それを三人の立つ真ん中へ放ってゆっくりと口を開いた。

相表そうひょう─浮かべ」

 ふと舞台全体が光って三人の足元に幾何学的な図がいくつも重なるように浮かび上がってくる。

 それはひっきりなしに形を変えているようだった。著は言葉の速度を変えずに続けた。

「一段目、起陣きじん

 舞台の外側にいる六人のうち、一番舞台に近い場所に立つ占師の側から彼を含む内側が光に染まる。

「二段目、結組けっそ

 二番目に立つ占師が両手を複雑に組んで更に舞台周辺を光が染めた。

「三段目、開図かいず

 続いて三番目の占師が宙に何かを描くようにしてもう一つ舞台を光が囲む。

「四段目、投符とうふ

 四番目の占師は宙へ数枚符を放ち、それらは空中の一定の場所で停止すると淡い光を灯した。

「五段目、相表限度結界」

 一番舞台から離れた占師二人は舞台を挟むようにして立っており、彼らの側から光がせり上がるように浮かぶと、本人達を含め舞台上空までも覆いながら光は繋がった。

 すべての工程が終えられたことを確認すると、著は小夜子と審に視線を投げた。

「解錠」

 著の言葉を合図に審が左手を目の高さにまで掲げ、右手の人差し指、中指を揃えるとそれを真っ直ぐ上空に向けながらゆっくりと横一線を描く。

「全天、開け」

 声と同時に審が真上で一線したその線をなぞるように光が走る。

 続いて三人の中で一番若い小夜子が審と同じように、ただし右手は上空ではなく地上を示しながら横一線を引いていく。

「全地、開け」

 示された線を光が追う。光を伴う線はまるで何かを裂いた切れ目のようにも見える。その切れ目からは別の光と、そして勢いを感じさせる風の先端が覗いていた。それにやや押されたのか、小夜子が少しだけ左足を後ろに引いて体を支えるようにした。後ろでまとめられた黒髪が、強く吹き出た風に大きく揺れた。審と小夜子の引いたその切れ目は三角形の中央で交わると、著の正面で上下に繋がりいっそう太い切れ目へと変わる。著が顔の前で両手を合わせると重く言葉を発した。

「全相、開現」

 同時に合わせた両手を扉を押し開くような動作で腕ごと大きく両脇へと開く。解放された光と風は一斉にその場を覆った。占師達は全員が耐えるように体に力を入れる。

 式場の一番きわにいる礼成まさなりもその眩しさと激しい勢いに他の式囲い達同様、目を細めながら様子を見守る。彼らが相手にしているものは礼成には見えない。だがその強さと流れの速さなのか、交錯する気の動きは感じられた。光の中では過去、現在、未来、それらにまつわるあらゆる事象が混在している。複数の事象の先にある可能性の高低。彼らはそれを見極めようとしているのだろうが。

 術式が行われているのを見ていた人々の目の前で急激に光が引いた。

 全員が驚くが誰も声を上げることができないほどの短い時間だった。


───パァンッ!


 耳に強く響く大音が場に弾けた。

 少なくとも礼成はそう思った。礼成より舞台に近い場所にいた照も同じだ。静かな場が騒然となることはなかったが、人々は誰もが動揺した表情を浮かべていた。礼成は式場を見回すが異常はない。他からも異常の知らせはない。院司が何らかの指示を出す素振りも見られなかった。式は粛々と続けられて閉じた。



「鎮め─浄化というのは日常的に自然の中でも起きている」

 それは太陽の昇る朝。曇りや雨などの天候に左右されるものの、ここで淡い負や弱い蠱魅やみは浄化される。隼男はやおは言った。川の清流や風なんかも一部それを行っている。

「気の流れはあらゆる場所で常に出入りを繰り返している。だから滞った気を解消することで蠱魅が浄化される場合がそれだ」

 わからないと言えば、わからない。

 ただ朝の太陽の光。川の水の流れ。大気が動く風。それはいつも呂花おとかの側にある。今も。鎮方の格子窓から見える外は、曇り空から小雨がぱらついているようだった。けれどその湿った空気も匂いも呂花は嫌いじゃない。

 隼男の言葉は何故か呂花に大きな広がりを感じさせた。もし、それがあの蠱魅というを浄化するというのであれば、それはできなくもない気がした。自然とはあるがまま。何かを意図するものは含んでいない。だから流れるままに、素直に解きほぐす。絡まったものも汚れもすべて

「ただ蠱魅も級位が上がり、負の度合いが強くなるとそう簡単には浄化がなされない」

 呂花は目の前にある分厚い冊子を見た。蠱魅の一覧表らしい。蠱魅は上中下と級位分けがされていて、それが陰人の担当する案件難易度に直結するのだという。

「より複雑な状態になっている蠱魅に対してはどうしてもそれ相応のやり方、方法が必要となってくる。それが陰人の鎮めだ。もちろん精霊しょうりょう達がそれをやってくれることもある。鎮めにおいて精霊と人との一番の違いはを使うかどうかだ」

 そう言って彼は呂花に一枚の紙を差し出した。長方形の薄紙だ。呂花はその紙に何となく見覚えがあった。確か禳禦院でまどかが同じような物を受付の職員に渡していたのではなかったか。

「これは……今まで言ってきた負ける方の負じゃない。竹冠に付くと書く、符と言うものだ」

 思い出したように隼男が付け加えた。言われて呂花は文字を想像してみる。陰人の使う言葉はちょっと紛らわしいところがあるのだと彼は言い、音だけではわからないことがあるから気をつけてくれと苦笑いした。

「それでこのだが。この符を開けることを符をひらくと言う」

 ほら、と薄紙を持つよう促されて呂花はその符を受け取った。普通に物をあけることを想像してみろ、と彼は言った。言われた通りに呂花は封筒の封を開けることを頭の中に思い浮かべてみる。

 ふっと紙が淡い光を放った。そして───。

 呂花は目を見開いた。目の前にあった紙が無くなり、代わりに別の冊子がもう一つ現れたからだ。

「これは物を入れていた符だが、他にも映像や音声、文字を記録する記録符という使い方もある。ただ基本的に陰人はじゅつを入れて使うことがほとんどだな」

 術とは鎮めに使う技術の一種なのだという。

 、呂花には理解困難な言葉が飛んできた。技術と言われても多分呂花が考える技術とは違うのだろう。隼男が言っているのは魔法とか呪術のような絵本や昔話の、物語の中で語られる言葉の方が近いのだと呂花は思った。実は古語なのかも知れない、などとさえ思う。

 胡散臭そうにこちらを見てくる呂花に隼男はいっそう不安になる。することはほぼないのだが、一般の人間に今の話をした場合おそらくほとんどが呂花と同じ反応をすると思う。生活の中で関わる常識がかけ離れているのだから仕方がないのだが。それでも呂花の手元で符はした。ひとまずそれを確認した隼男は講義を続けた。

「呂花、拝殿前に来た時には何をする?」

 質問されて一瞬戸惑った呂花だが、小声で答えた。

「一礼して……手を、合わせます……」

 うん、と隼男が頷く。

「手を合わせることは、内では全体の気をそこに集める行為になる。拝殿前での合掌は気を集中させて、その気とともに精霊達に祈りを捧げる。精霊達はそれを受け取る」

 手を合わせる行為にそんな意味があったとは思わなかった。そんなことを考えて参拝したことなど呂花は一度もない。

「手を合わせる行為は鎮めの技術の一種、いんという技術の大元とも考えられているんだ」

 陰人達は印を切るあるいは結ぶ、組むなどと言う。その形は力の、気の流れを表すものらしい。

 そろそろ本当に頭がついていくことをやめてしまった気がする。呂花はそう感じた。

 疑いに似たものが呂花の顔に浮かんでいる。どうしたものかとますます隼男は思案に暮れる。

「今言った符、術、印などというのは陰人が鎮めの際に扱う技術の一部だ」

 一部ということはまだ他にあるということなのだろう。だがどちらにしても呂花の耳を素通りするものには違いない。それこそ意味のわからない呪文やおまじないのようなものだ。

「陰人の中には自分の得意分野を専門に扱うせんもんという者もいる」

 例えば、と隼男は呂花を見た。

「審は占いの専門士なんだが、陰人の中では占師と言う」

 そういえば彼女自身がそんなこと言っていたな、とぼんやり呂花は思い出す。

「他にも専門を持つ者がいるが、その都度説明するから」

 術だの何だの不可解な言葉が呂花に向かって発せられているが、頭の中には一つも定着しない。 

 ただ符という紙から出てきた冊子は今も呂花の目の前にある。まさか手品だろうかと思ったりもする。手品に呪文に占い。星社とは何かあやしい所なのだろうか。

 ふと気配がした。

 ふわり、ゆらり、と遠巻きに見えるの姿も呂花の目の錯覚なのだろうか。



 東国大陸の南西─はた。その南部の京一きょういちはいた。街はおろか人里とはほど遠い山中である。随分前に廃社になってそのまま放置されたのだろう。跡とはいっても全体に草木が生い茂っていて拝殿などの建物はその欠片すら見つからない。おそらく二御柱ふたみはしらがここに立っていたのだろうと思わせる物だけが、ぼうぼうに生えた草の根本にわずかに見えた。

 ─世界が岐路に立たされた時、星は降りる─

 星は星神であり、その御本体ごほんたいであり媒体が鏡。

 鏡が関わる情報は五百年前にも数多くあり、その一つ一つを功也こうやも他の星守達もつぶさに見て回った。残念なことにそのいずれもがただの鏡だったのだが。自分達がいない間の五百年間もきっと大勢が捜したに違いない。それでも見つからない。

 更に前を覆う壁のような植物をかき分けながら、京一はその奥へと進む。道は無い。獣道らしきものすら無い。それでも京一は進んでいく。目的とする場所はわかっている。二御柱らしき物の跡があった場所からはかなりの距離を来ていた。敷地としては広さのある社だったのだろう。完全に植物に埋もれて名残なども無いが、おそらくこの辺りが祀殿しでんだったのだろうと京一は見当をつける。そしてただ立ちつくしているかに見えたが、不意に彼の足元をゆるい風が吹き抜けた。周囲の草など柔らかい植物が軽く寝そべり、少しだけ場を開いていく。そこで急に彼を取り囲むように淡い光が一瞬周囲へ広がった。現象はわずかで、光がやむと京一は短く息をく。

(はずれ……か)

 もう少し付近を調べてみようと一歩踏み出した京一は妙な気配に顔を上げた。

(蠱魅……?)

 何の蠱魅か。それほど強い気配ではないが。

 ただ周囲が一気に暗くなった。




 午前中の占師式についての話し合いが終わり、今は主だって技術官を務めた三人と院司の佐莉が彼女の執務室にいた。占師式のその結果は五分と五分。一番嫌な結果である。それも中身が見えての結果ではない。ましてそこまでたどり着けたのは著一人だけだった。個別に関するものも何も、誰も拾えなかったのだからそれこそが異例だと言える。

「白と黒、ですか」

 何も言われなければ隣近所の面倒見の良い年配女性といった風情の佐莉が言った。

 著をはじめとする審、小夜子も沈黙する。今までにこの規模の占師式は数えるほどしか行ったことがないが、それでも複数の事象と可能性の高低を見極められるほどの内容は見えた。だが今回はそれらとは違う。佐莉の言った白と黒。それが著の目の前で真っ二つに割れた。これをどう取るか。厳しい顔つきで、考え込む著の横で首占の小夜子が控えめに言った。

「……体を支えるのが精一杯でした。今まで経験したことがないほど、流れの勢いが凄くて。圧迫されるような強い力があの場にはありました」

 小夜子は細身とはいえ小柄ではない。審よりも上背はある。審もどうかすると引き込まれるか、吹き飛ばされるかしてしまうと思ったのは確かだった。それほど凄まじい何かがあの場に渦巻いていた。

「事象の数が多すぎるのか、それともその先の事象が大きすぎるのか」

 言葉を吐き出してからふと、審はもしかするとと内心で呟く。

(まさか、星神……?)

 それとも大災厄と言われる何かなのか。

 ただそのどちらであっても、そうであるならば自分達が詳しい内容を捉えられなかったということには納得がいく。

「記録符は?」

「破損はしていないようなので確認します」

 佐莉の言葉に著が答えた。あの衝撃の中で記録符が残ったのは救いだった。占師達がその場で拾えずとも映像を見返して別の何かを拾うことはあることだ。

「日常ではあり得ない何か……」

 ぽつりとこぼされた佐莉のその言葉に著がはっとする。その通りだった。日常で執り行わない占師式を扱ったのも、ここ最近発生している異常案件の増加が理由だ。それこそ日常的には起こり得ない変化がすべての案件で見られた。黒蠱くろこの急速な変異に加えて先日の九番案件の発生と熛星の出現。九番案件の元々の担当だった菊七咲ひなさき星社の境内を映した当時の記録符は見たが、その時には原因も先の事象も読み取れなかった。ただ薄く、見えそうで見えない何か。それが別件との繋がりを持つのか。今は一つずつ見ていくしかない。白と黒。それが割れた。どの時点の結果なのかはわからない。謎が深まったのも確かだが、全体を見た結果である。そうだとすればこれもまた手がかりの一つだと言えた。


 院司の執務室を出てそれぞれの場所へ戻る道すがら、沈黙を破ったのは小夜子だった。

「本当に潰れるかと思いました」

 よほどつらかったのだろう。

「あれは、確かにきつかったね」

 審も頷く。

「流れは異常だった……」

 著が厳しい表情を崩さないまま言った。

 普段見る相の中にあれほど強い力の生じるものはない。だからこそ、その中に見えないものがあることはおかしくはない。問題はそこだ。先ほど審がちらりと言ったが、事象の数の問題ではなく、やはり事象の大きさが通常ではないのだろうと思う。

 今までのやり方では必要なものを拾えない。それが著を妙に差し迫った気分にさせる。

「光と闇が墨流し状で回りを流れていきましたけど……」

 何かが見えるどころか音も、感覚も何も拾えなかった。そう言おうとして小夜子は顔を上げた。 

 黒い目を数回瞬くと思い出したように言った。

「そう言えば一度、真っ暗になった瞬間がありました」

 真っ暗、と審が呟く。

「思えばその時だけ気がします」

(熱……温度?)

 著は更に考え込む。

「私は弾ける音がするまでは浮かんでるような感じで、周りはずっと真っ白だった」

 はっと著が目を見開く。著は白と黒が別れるまで周囲は小夜子と同じ墨流し状で、割れたあとは審の言うように周囲は真っ白だった。

「あの……」

 突如別からかけられた声に思わず三人がふり向く。立っていたのは一人の女性職員だった。

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