第19話 静かなる始まり

「一つ気をつけて欲しいのは、精霊しょうりょう蠱魅やみが見えること、気を扱える力が備わっているということは、特別ではないということだ」

 真新しい朝の光が室内に緩やかに差し込んでいる。鎮方の詰所でふと、呂花おとかは向かい合って座る隼男はやおを見た。あれだけ見える見えないとか、力があるだの無いだの聞いたのに。だから余計に呂花はその言葉が気になった。

「精霊や蠱魅が見えようが見えまいが、力があろうが無かろうが、それは特別なことじゃない」

 隼男は言う。


 それは体の大きさや形、性質や状態などその人が持つ特徴の一つでしかない。そのもって生まれた体質が陰人かげびとの条件に当てはまっただけ。力を持たない、気を感じられない人と隔たるものでも、まして優劣をつけるようなものなんかでは当然ない。

 陰人もただの人間。いろんな人間がいる。鎮めはできてもそれ以外の知識が少ないとか、運動が苦手だとかいう陰人だっている。社人やしろびとだからといって人当たりが良いかといえば、そうではなかったり。無愛想な人間も、根は良いが口の悪い人間も結構いる。

 陰人という職業の求めるとして気を感じられるかとか、力があるかとか言っているだけだ。他の職業でも資格を求められるものがあるのと同じ。まあ、人間だからな。他よりちょっと違う能力を持っていて、ちょっと他の人間にできないことができる。なんて思えば小さな優越に浸ってしてしまうものなんだよ。大多数がそれを通過するが、あとで痛い目を見る。


 そう言って隼男が笑った。

 特にこの傾向は若い陰人達に多く、一種の通過儀礼的なものであるとも言えた。それを年上の陰人達は安全に関わらない限りは、。本人が気づかなければ本当の意味での改善はないからである。彼は続けた。


 一般人達を、他の生命達を守って、なんて感覚に陥りやすいんだ。自分は特別、特殊だとか思い込んでな。よく考えれば陰人だって少ないとは言っても、それなりに大勢いる。それに陰人であれそうでなかれ、他の人間がいなければ自分が生きていけないということは考えるまでも無いことだからな。身近なところで言うと、洗面所の鏡がずっと綺麗なままだ。自分がやらなければ他の誰かがやってくれている。鏡はそのままだと水垢や汚れで曇っているはずだ。清掃とは人間が生活する上で欠かせない。でも自分はやっていなかった。─ほら、助けられている。

 そういった気づきは、陰人にとってはとても重要になるんだ。その助けてくれた相手は陰人かも知れない。

 特別、特殊なんてことにこだわっていたら、本当に大切なことを見落としてしまう。

 その素質を持っていただけ。それを活かせる道があったから、そこで自分のできる最善を尽くす。

 陰人という職を持ったただの一人。どこからどう見ても特別でも特殊でもない。自分の見つけた道で最大限を尽くしている人々の中の一人でしかないんだよ。


 自分の話の何が引っかかったのか。

 一瞬思わず、といったように呂花が隼男を見たが、それきりであとは聞いているのかいないのか。ほとんど無表情で反応は無いように見えた。呂花の様子を確かめるようにしながらもう一つ。念を押すように隼男は言う。

「陰人が、俺がこう言うからこうだ。とは思わなくて良い。呂花」

 名を呼ばれて呂花はもう一度隼男を見た。その深い紺色の瞳を見つめる。

「お前にはお前の考え方があるし、その考えもさ様々な場面、局面で変わってくるだろう。色々考えると面倒だが、まずはこういうものだと思ってくれ。その先でその都度少しずつわかってくれれば良い」

 ほぼ無反応な相手を前に隼男は内心で息をつく。通常、陰人の子供は生まれた時点でその力の有無を確認される。力があると判定された者に関しては、幼いうちから星社に関わる話や技術の元となることを物語を聞くように覚え、遊びの中でその形を学んでいく。そして学校に通う頃になって講義と訓練という流れで正式な陰人への学びを進めるのだ。ただ呂花の場合それでは間に合わない。どうしても同時進行にならざるを得ない。十代半ばから実践投入される者の多い陰人で呂花のように二十代半ばから、しかも今から見習いとなればかなり大変な内容になることはわかりきっている。仕方がないのだが、隼男にとっては頭の痛いことでもあった。



「あ、京一きょういち!」

 境部さかいべの事務方から京一の気配けはいを捉えたのだろう、まどかが声を上げて出てきた。力を感じる相手の気配というものは、相手がそれを隠さない限り陰人であれば捉えることができた。それは相手が精霊であれ蠱魅であれ同じである。

そして感じ方は人様々であるので、知った相手であれば間違えることはほぼ無い。

「お疲れ様です。まどか」

「ああ、お疲れ様。加賀かがさんから伝言だよ。戻ったら社司しゃじの所に行くようにって」

「そうですか」

 一つ頷いて答えると、京一は今戻ってきたばかりの境部本舎を再び出た。社司からの呼び出しは御神体の捜索に関することと決まっている。またどこかへ調査に行くことになるのだろう。

 五百年前も京一は─功也こうやはその御神体を捜して全大陸の多くの場所を回った。

 大災厄とは何か。それもはっきりとは未だにわかってはいない。唯一わかっているのは、御神体の姿が〈鏡〉であることだけ。そしてそれはどうやら媒体らしいのだが。他のわずかな情報を手がかりに、御神体捜しは根気よくその一つ一つを確認して回るのだ。五百年前とは葉台はだいの様子も随分と変わり、景観はさることながらその歴史が積み重なってより複雑な情報が捜索を阻んでもいる。中部あたりべを抜けて奥部おくべへ向かう途中で京一は一瞬足を止めた。道の左側、まばらに生えた木々の向こうに深い池がある。その池の奥側。池の底に沈んでいるはずのは、池の透明度のせいかこの場所からでも何かがあることがわかる。風の囁きに触れて擦れあうように水面に散らばった木の葉は、池の表面に着水すると同時に吸い込まれるように水の中にいく。木の葉が沈んだその水底の黒い影。縦に長い大きな石が、まるで石碑のように突き立っている。

 しばらく何かを考えるようにそれを見ていた京一は、向きを変えると奥部へ向かった。

「失礼いたします」

 奥部の更に先、社司の執務室前まで来て中へと声をかける。どうぞ、と軽い声が聞こえて中へ入れば社司の水有なかなり、そして奥部の男性職員一名が京一を待っていた。



 講義の冒頭は陰人の世界観と実際の仕事に入る上での心構えについて。一般的な陰人の見習いであれば、大まかに話したとしてもすんなり理解できる内容である。しかし呂花は違う。昨日今日、星社とは何の関わりもない環境からやってきた人間だ。そんな呂花に果たしてあっさり理解してもらえるのか、受け入れられるのか。隼男は強い不安を抱く。これから本格的に行っていく鎮めの中身や、まして御神体の話など捜索以前に信じないのではないかとさえ思う。そう思うものの、説明をしていくしか隼男にはないのだ。


 陰人は通常業務に加えて鎮めをすることが専らの仕事である、と隼男は呂花に言った。呂花はまどかの言葉を思い出す。確か彼女も同じことを呂花に言った。

(鎮め……)

 呂花があの少年にしたこと。それを彼らは鎮めなのだと言った。けれど言葉と呂花の中にあるその意味はまるで重ならない。両者の距離は凄く遠い気がした。それが押さえつけるという意味なら合っている気がする。呂花は彼を無理矢理しまった。そう思えてならない。

(……)

「鎮めとはから生じた蠱魅という存在を浄化する作業のことを言う」

 呂花は少しだけ意識を隼男に戻して言葉に耳を傾ける。その浄化とは何をすることなのか。呂花にはまったくわからないのだ。

「そもそも蠱魅は負が主な要因となって生じる」

 負、というものの想像は何となく呂花にもできる。今まで受けた説明では良くないものの印象が強い。怒り、悲しみ、妬みなどそんな感情的なものは呂花にも思い浮かべることができた。

 隼男の言葉の続きを呂花は待つ。

 彼は言った。


 蠱魅は気が正常な流れから大きく逸脱してしまった状態にある。大きくわけて正と負、あるいは陰と陽の調和が乱れて著しく負、または陰へと気が傾いて存在そのものが昇華したり、それに偏った思念が多く集まって形を成した存在を蠱魅と言う。負、陰とは悪意や攻撃的な意識が多く含まれていて、だからこそ周りに危険が及ぶことがある。その気の流れを修正し、調和が取れた状態まで戻す。それが陰人が言うところの浄化。浄化されないままだと蠱魅はとどまり続けて更に負を取り込むことで強大な蠱魅になることもある。それは周りだけでなく、蠱魅自身にとっても良いことではない。気の流れが滞って乱れている蠱魅の状態から、元の気が整った状態へと戻す。そして自然にある次の流れ、段階に移れるようにするための作業が鎮めなんだ。


「蠱魅は……生命……」

 はっと隼男が呂花を見た。考えるようなその様子に違う姿が重なる。

(───……)

 驚いた自分を落ち着かせるように隼男は頷いた。

「うん。陰人は浄化をする相手の蠱魅のことをと言うんだが、鎮めの際、対象とと言うんだ」

「向き合う……」

 ぽつりと呂花が呟いた。

「陰人は軍人や警察官のような立場じゃなく、一種の救急隊員だと思ってもらっても良い」

 陰人は蠱魅と戦うわけでも、まして善悪で裁くわけではないからだ。

「蠱魅は消したり倒したりして排除する存在ではなく、鎮めるものなんだよ」

 ただ、と彼は言う。

「蠱魅からの攻撃は受ける。だが決して蠱魅に対して陰人からそれをしては

 陰人にできるのは鎮めること。ただそれだけなのだ。

 呂花は膝に置いて握った両手に力を込めた。

(私は……)

 思いかけて、呂花は目の前を横切った姿に顔を上げた。めいようとは違う姿の。つられるようにその姿を追って詰所の入り口に目を向ければ、隠れるようにして中を覗き込んでいる大小の姿が他にもいくつか見える。すべてが人と同じ形をしているわけではないようで、丸だの四角だの何かの動物のような姿も見えた。あるものは宙に浮かび、あるものは転がり、地を歩き、消えては現れて光を放ったり。それは不思議な光景。

けれどその光景はほんのわずか、呂花に息をつかせてくれた。


 隼男は呂花の視線の先に精霊達の姿を見た。

 見えているのは間違いない。隼男は正直なところ、目の前のに困惑している。一般から陰人になる者もいないではない。ただ数もごくわずかで、しかも年少の者ばかりだ。呂花ほどの年齢で一般から陰人になった人間を隼男自身は知らないし、そういった人間がいると聞いたこともない。それは正規、非正規を問わずだ。

 陰人の基礎も無ければ社の基礎さえない。それに繋がりそうな知識もほとんどない。

 数多くの陰人を育ててきた隼男だが、呂花に対してはどう指導するべきか考えあぐねていた。陰人の生活は精霊や蠱魅と関わる時点で実際の環境は一般とどうしても異なる。まして本人の意思に反して連れてこられてはやる気のあろうはずもない。

 陰人である社人の仕事に付随する知識や技術の数は膨大である。ある程度年齢が若いうちから指導するのもそのためだ。もちろんどんな年齢であろうと、本人のやる気さえあればいくらでも指導できるし、知識を身に付けることはできる。少なくともにその素質自体はあるのだ。

 しまいには早く記憶を取り戻してくれ、思い出してくれとすら思ってしまうがそうはいかない。一番の問題は呂花が自分達をこれ以上無く警戒し、信用していないことだろう。審に聞いた話によれば、詳しい説明を呂花がどうやら聞いていないらしいということだった。隼男にとってはその京一の行動こそが信じられなかった。彼は物静かではあるものの、仕事に対しても丁寧で他人に対してそんな雑というか、誠意のない対応をする人間ではない。それは過去も同じ。だからこそ、その京一が詳しい事情説明をしないなどとは思えないのだが。だが一方であの広間での怒気を露にしたような彼の様子は前世、今世合わせても初めてではなかったかと隼男は思う。

 やはり、動揺したのだろうか。

 再び隼男は胸の内で深々とため息をついた。



「じゃあ、隼男に言って日程を調整して。式方しきかたが入れない分は奥部に手伝ってもらって良いから」

「承知いたしました」

 一つ丁寧に頭を下げて京一は社司の執務室をあとにした。

地弥泰じやはた……)

 東国大陸の南西に当たる一国である。佐久羽良さくわらより少し大きいが、国の規模としてはあまり変わらない。その南部に御神体の手がかりがあるかも知れないと、調査の指示を受けた。確認にどれくらい時間がかかるかは行ってみなければわからない。そこから更に先へ進める情報があるのか。ここ最近の微妙な空気は多少なりとも京一に嫌な感じを与えている。

 この先で本当に御神体が、星神の存在が必要となることがあるのなら見つけることは必須なのだろう。無いも同然の情報を頼りにいったいどれほど各地を回れば良いのか。本当に途方もない話だと思いながら、京一は境部へと戻った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る