第15話 交錯

「それで、その。、は?」

 言いにくそうにしながら隼男がまどかに尋ねた。

 二人がいるのは境部本舎一階、その南東にある鎮方詰所である。

 少し前に外から戻った隼男を見つけたまどかが、久太と出会った時に呂花が倒れ込んだというのを報告しているところだった。

「部屋で休ませてる」

「そうか」

 頷きながら隼男は腕を組む。

 境部の誰もがこんな展開は予想しなかった。

「どうも、一筋縄じゃいきそうにないな」

「……うん。加賀かがさんにも様子に気をつけるよう言われたし」

 唸るような隼男の言葉に相づちを打ちながらまどかも言う。

 しかも本人はかなり自分達に対して不信感を抱いている。実際に本人がそれをはっきりと言っているのだから、これを解きほぐそうと思えば隼男の言うとおり、とても簡単な話ではない。

 黙り込んだ二人は、詰所の入り口からかけられた声にふり向いた。

「まどか」

 審が部屋の入り口に立っている。

「審」

「悪いけど、昼からも呂花のこと頼まれてくれる?」

「どうかしたの?」

「───いん占師方せんじかたから呼び出しがかかった」

 隼男とまどかが顔を見合わせた。

「何が起きた」

 低く隼男が審に聞く。

 審が院から呼び出されるのはめずらしいことではない。

 ただ呼ばれることがあるのは祭祀、儀式を司る式方からがほとんどであって、占師方からではない。

 専門ほんしょくの方で審に呼び出しがかかるのは、それが必要とされる何かが起きたからだ。

 隼男の質問にも審は厳しい表情を崩さない。

「東第四支部管轄で、

「九番案件……」

 まどかが驚いたように口元を押さえた。

 隼男の顔つきは更に硬くなる。

「社司には報告してきた。……かなり、面倒な案件かも知れない」

 審のその言葉にますます二人が顔を強張らせた。

「もしかしたら、に依頼で話が回ってくるかも」

「……心づもりしておけってことか」

 隼男が言って審が頷いた。

「じゃあ呂花は昼までこのまま休ませて、その間に私は支部に行ってくるよ」

「休ませてって、呂花は?」

 審が驚いたようにまどかを見た。

 まどかが事情を説明し、今は境部の部屋で休ませていることまでを伝えると審も表情を曇らせた。

「倒れ込んだ……」

「急に目が回ったって本人は言ってたけどね、ちよっとあの様子は尋常じゃなかったよ」

 そこで少しだけ間をおくと、まどかは続けた。

「ただ……倒れ込んだあとあの子、自分から名前んだよね……」

 え、と審と隼男が驚いてまどかを見た。

 陰人は通常自らの名を口頭で名乗らない。

 少なくとも陰人同士の間では、初対面の人間に対しては口頭で名乗ることはなかった。

 葉台を含むこの世界には自ら名を相手に告げた場合、その力の強弱によっては相手に名を、状況によっては相手に支配されてしまうという仕組みが存在する。

 支配されるというのは言い過ぎだが、実際相手の気の流れに絡めとられてしまうことがあるのだ。

 それは精霊が相手だろうと同じである。

 この仕組みは陰人達にとっては周知の事実であり、名を口頭で名乗らないのは彼らにとっての常識であった。

 ただし一般に限っていえばそのことわりがほとんどの場合で当てはまらない。

 そもそもが一般の人達は気を、その力を操ることがないからだと言われているが、確かなことはわかっていない。

 呂花は一般だった。

 少なくとも昨日までは。

 そして呂花は昨日、広間でも名乗った。呂花の情報を持っていた人々はともかくも。あの場にいた数名は呂花のことを名前にしろその性別さえ、事前に知らされてはいなかったのだ。まどかも知らなかった一人である。

(……)

 ただそのうちの誰一人として、呂花の名を取るにはいたっていない。

 もっとも、その時呂花はまだ精霊や蠱魅やみの姿も見えてはいなかったのだが。

 久太と会ったのはつい先ほど。呂花も精霊や蠱魅を見たあと。おそらく陰人としての状態であったはず。

 それにもし呂花が久太に名を取られたのであれば、自分の自由意志で動けなくなるはずなのだが。

「久太は取ったのか」

 隼男が慎重に聞く。

「……多分取って

 審と隼男が顔を見合わせた。

「そのあとも……その時久太はだっんだけど急に黒い烏、って言うから」

 本人はよくわかっていないようだったとまどかは言った。

「かなり、動揺してるみたいだった。真っ青になって」

「……記憶は戻っていないんだろう?」

 確認するように隼男が審を見た。

「戻っているように見えたかい?」

 審が言った。

 記憶が戻っているなら、今のような状況にはなっていないだろう。

「……片隅には、あるってことか……?」

 考え込むように隼男は頭をかいた。

 だが呂花本人がどう言おうとも、自分達にとって呂花が桐佑であることは疑いのないことである。

 三人が話している横でふと、光が二つ現れて形を取った。気づいた三人が光を見る。

『呂花、』

『大丈夫?』

「芽様、皣様」

 急に現れた達に隼男が声をかけた。少女姿の芽と皣が三人の側に立っている。

『久太に会った時、』

『具合が悪かったんでしょう?』

 その言葉に三人がはっとする。

 呂花が社内にいるわけだから、二精霊がその存在に気づいていて気にしていてもおかしくはない。

 だがまだ呂花と主祀霊を誰も改まった形で対面させてはいなかった。予定としては午後から審が祀殿で両者を会わせるはずだったのだ。

 しかも、主祀霊達は呂花の名を口にした。

「あの。お二方とも、呂花にお会いになったのですか?」

 思わずまどかが尋ねる。

 芽と皣は顔を見合わせると、芽が言った。

『うん。昨日の夜』

『拝殿の前で』

 続けられた皣の言葉に今度は三人が顔を見合わせる。

「夜に、拝殿前で?」

 もう一度聞き返したまどかに二精霊はうん、と頷く。

「外へ出るつもりだった?」

 思わず言ってまどかは二人を見た。

「境部の前を通れば誰か気づく」

「しかも拝殿前にいるからには、礼成の結界に引っかかるはずだよ」

 隼男と審が続けて言った。

『呂花ね、狭間はざまを出たり入ったりしてたんだよ』

 芽の言葉に三人が言葉を失った。

 狭間と狭間の間を行き来することや、今いる場所から狭間を経由して別の場所に移動することを陰人達はという。実際に呂花をここに連れてくる際、京一が使ったのがこの方法だった。

『知らず知らずのうちに狭間に入ってたみたい』

 皣が言ってまさか、と三人は思う。

 狭間は案外どこにでもあるもので、それはもちろん星社の敷地内も例外ではない。

 呂花は昨日、本人が陰人の素質を持っていることを証明した。確かに陰人であれば狭間を使用することができてもおかしくはない。

 むしろそれは陰人にとっては必要な技術である。

 それでも昨日来たばかり、昨日素質検査を通過したばかりの呂花が狭間の出入りを一人でするとは誰も思うはずがない。

 ただそれでは誰も気づかなくても不思議はなかった。

『でも万夜花ここの領域内の狭間を通らなかったら、私達も気づかなかったかも』

 芽が語尾を少しだけ濁すようにして皣を見た。

 芽の言葉を引き取った皣の次の言葉にこそ、三人が青色を通り越して白くなった顔を見合わせた。

『部分的にへ出てたみたいだから』

 そのまま行方をくらましたらそれこそ振り出しだ。

 やっとの思いで捜し当てたのに。

『それでなのかはわからないけど。ちょっと』

『迷ってるようにも見えたよね……』

 交互に話しながら、芽と皣は再び互いの顔を見るようにした。

「迷って、ですか?」

 微かに眉根を寄せた隼男にでも、と芽が言う。

『目標、目的があるようにも見えたから』

 だから芽と皣は聞いたのだ。

 どこへ行きたかったのかと。どこに行こうとしていたのかと。

 狭間はそれがる場所とその出入り口の先は隣り合う狭間同士でもなければ、重なり合う空間と同じ場所ではないことの方が多い。

 しかも連続して出入り口が続くことも希である。

 呂花は出たり入ったりしていたものの、その通った狭間の出入り口は実際のところすべてに繫がっていたのだ。けれどそれは、その先は途中で消えていた。だから余計に芽と皣には不思議だった。

『京一は知ってるよ』

 思わぬ皣の言葉に三人が驚く。

「何か聞いたか」

 隼男がまどかと審に言う。

「いや、何も聞いてないよ」

 まどかが言って、審も横に首を振った。

「私は昨日の夜京一に会ったけど、その時は何も言わなかったよ」

 そう答えながらも審は、その彼の様子を思い出していた。

 昨日の夜、審は式方の詰所前で鎮方へ向かう京一を呼び止めた。


「審。何か」

 ただ物静かなのかどうか。その声音はどことなく抑揚がないようにも聞こえる。だがそれでも審は言った。

「水有様の、社司の指示があったとはいえ、荒っぽいやり方したみたいじゃないか」

「───」

 京一は言葉なく審を見た。

 緑涙玉の耳飾りがちらりと光っている。

「確かにあの子は、呂花は桐佑だ。それは間違いない」

 ぎり、と京一は握った拳に力を込める。

「お前の気持ちもわからなくはないが、あの様子だと記憶が戻るのには時間がかかるかも知れないよ。……本人の潜在意識は、思い出したがっていないようだからね」

 見極めるように審は京一を見つめた。

「まあ、様子を見ないことには、何とも言えないけど」


    ◇   ◇   ◇


 社司への定期報告をすませ、中部に寄って資料や他の書類などを受け取るとようやく京一は境部に戻った。

「京一」

 声をかけられたのはちょうど境部の本舎に入りかけた時だ。顔を上げれば礼成がこちらへ向かってくるのが見えた。

 彼も今帰ってきたのだろうか。確か午前中は院へ行くと言っていたが。

 ただ呼びかけられたその声に強さに、いつもと違う様子を感じた。

「礼成」

 何かあったのだろうか。

「今戻られたのですか」

「ああ……」

 答えながら彼は京一の手元に目をやった。

「支部にはもう行ってきたのか」

「ええ」

 軽く訝しみながらも京一は礼成に答える。

「そうか」

 少しだけ考え込むと不意に顔を上げて彼は京一を見た。

「支部で何か聞かなかったか」

 礼成を見る京一の表情がわずかに変わった。

「───九番案件の話ですか」

 その言葉に礼成はやはり、と思う。

 同じ大陸内だからだろう。すでに支部までは話が伝わっている。

「まだ詳しい内容は、支部の方もわからないようでしたが」

 京一が言って、礼成は再び彼を見た。

「院であきに会った」

 陰人が院に行くことはそうめずらしいことではない。例えそこで著に出会ったとしても決して不思議な話ではないのだが。

院司いんのつかさに呼び出されたらしい」

「!」

 京一はもちろん著が洞司とうじであることを知っている。

 彼が禳禦院じょうごいんの最高責任者に呼び出されたと聞けば、さすがに京一も驚いた。

 いったい何が起こったのか。

「話の中身はまだ知らないんだな?」

「ええ」

 自分の問いに頷いた京一に、礼成が著と院で話した内容をそのまま伝えたが、それを聞く京一の顔つきは次第に強張っていく。

伯怗はくせんが案件を引き取って万夜花うちに依頼をかけてくる」

 はっとして京一が礼成を見た。

「それなりの準備が必要だと」

 それから、とそこで礼成が一段と声を落とした。

「著が、院司に呼び出される前に熛星ひょうせいがあったと言っていた」

「熛星、ですか」

 熛星という言葉は知っていても実際に目にすることはほとんどできない、見ることの難しい現象だ。

 昨日は何となく気の流れが揺れているように思ったのは確かだ。

 嫌な感じはしなかったが何か落ち着かない、さざめくような気の微かな揺らぎがあるにはあった。

 だがそれは昨日のがあったから、個人的にそう感じすぎているのだろうと、京一はそう思ったのだ。

「……かなり、手がかかるだろうな」

 確かに、最近頻発している黒蠱くろこの案件以上に時間と労力を割くことになるとは京一も思う。

「とりあえずは話が回ってきてからだ」

「了解しました」


    ◇   ◇   ◇


 奥部から境部に戻った呂花はやはり、例の控え室らしい部屋に連れていかれて、しばらく休むようまどかに言われた。

 二間の奥の部屋に呂花は座り込んで一つ深い溜息をつく。

 まどかが開けていった縁側の戸の向こうに、あの小さな庭が見えた。

 社の中はあれが全部なのか。呂花が見た限り、境部以外は外と直接接している風にはない。

 神社であって、更に中部と奥部の二部署は同業者にも知られていないということであれば、それは当然なのかも知れない。

 だとすれば外に出るにはどうあっても境部を抜ける以外にはないのか。

 昨日審の話にあった瞬間移動のようなことができる人間なら、誰にも気づかれずに外へ出られるのかも知れないが、呂花にはどう考えても無理だ。

 境部から抜けられるかどうかも怪しい。どこかで気づかれてしまいそうな気がする。しかもあの変なにつかまったらそれこそお手上げだ。

 あれは呂花の考えが及びつくようなものではまるでなかった。

 ふとそこで呂花は思う。

 もしかしたら、あれが審の言っていたというものなのか。

 そういえば午後からは祀殿に行くような話をしていたから、その間のどこかで機会チャンスを見つけられる可能性はあるが、この社の主祀霊である芽と皣の領域内であるからには、どう頑張っても彼女達に見つかってしまうのではないか。呼び止められてしまうだろうか。

 はあ、と何度目かの溜息をつくと呂花は庭に目を向けた。

 この庭すべての景色は同じ現実の中にるのに、呂花のいる場所とはまるで無関係にすら思える。

 同じ時にって、同じ場所にいるのに。

 人に例えれば、関わることのない赤の他人か。それこそ別の現実、別の時間軸を生きる別世界の存在。

 今まで生きてきた中で、呂花はこれほど自分という存在を主観、客観を行き来しながら見たことはなかった。

 そんな思考の中にほんの少し静けさが入り込んできて、不思議な気分のまま呂花はしばらく庭を眺めた。

 焦ったところで、今ある情報だけでは現状をどうすることもできない。それだけは、わかった。

 けれど状況を変える手は何かあるはずだ。

 今はできるだけ情報を集めて考えるしかない。

「呂花、開けるよ」

 外から聞こえたまどかの声に、呂花の思考はいったん遮られる。

 やってきたまどかは呂花に少し予定が変わると言い、このまま昼まで休むように言った。

 そのあと中部で昼食をとってから境部でもう一度軽い説明ののち、それから祀殿へ行くということらしい。

 昼食の話が出てきて呂花自身に食欲はまったくないのだが、一つだけ気になることがあった。

 実は朝食をとってから数時間が経つのに吐くどころか、呂花の体には何の異常も現れ

 体に合わないものを摂取したら、口に含んだ時点でいつも何らかの拒絶反応が出るのに。だが朝食の時にはその症状のいっさいが現れなかった。

 食事に行くと言われてそれができるような状態ではなかった呂花だが、その時は何も言わずに審に従った。

 倒れてもいい、そんな自棄的な気分で審についていって呂花は食事をした。

 もしそこで病院にでも行くことになれば、外に出られる可能性はある。

 けれども呂花の体には何の反応もなかった。

 考えられることはただ一つ。動物性の食材が入ってということだ。

 彼らが呂花の体質を知っていて配慮したとは思えないし、偶然だった可能性もある。昼食に行けば次こそ反応が出るかも知れない。もしそれでも変化が起こらなければ、祀殿に行くことになる。

(祀殿……)

 芽と皣。

 そこで呂花は少しだけ不思議に思った。

 この社は神社だというからには他に主祀霊がある、とは思わなかった呂花だが、考えてみればそれでは社が成り立たないことになる。神社ということは隠されていて、しかも御神体の存在について公にされていない。それでも星社を名乗るのであれば別に主祀霊が必ず必要になる。

 すぐに思いつく可能性は二つ。

 星神の存在を知られないために芽と皣をここに招いている可能性。もしくはあとから星神が芽と皣のいるこの社に来た。

 星神が先か、芽と皣が先か。

普通に考えれば星神が先のような気がするのだが。

 実際のところがどうかはわからないが、精霊は人なんかよりはるかに寿命が長いのではないかと呂花は思う。

 そうであるならどちらが先にしても芽と皣が何も知らないとは当然思えないわけで。ただ彼女達が何か知っているのだとすれば、御神体が行方不明なんていう事態が果たして起こり得るだろうか。

 彼らに聞く気はおこらないが、考えれば考えるほど呂花の不審は膨らむばかりだった。

 そこで呂花は急にひやりとする。そういえば芽と皣に会った時、呂花は誰に何を言われるでもなく彼女達の御本体が二御柱の横にある梅と桜の木だと思った。

 社の主祀霊が梅と桜の精霊だとは先ほどまどかに初めて教えられたのに。

 庭に目を向けながら考えにふけっていた呂花は、不意に見つけたものに更にぎくりとする。

(さっきの)

 黒い社着を着た小さな少年。

「久太……」

 ふと口から音がこぼれた。

 彼が黒い烏であるなんて、自分の勝手な思い込みだと思ったのに。

 呂花は彼を一汪星社で見かけた。

(どうして)

 何故、彼はあの場所にいたのだろう。

 自分は何であの日あの時、一汪星社に行ったのか。

 そう思いながら、呂花の視線は庭の端で光を反射する小さな池に注がれていた。


    ◇   ◇   ◇


 上空を飛んできた黒い烏は弧を描くように一つ旋回すると、星社の一角へ降り立った。

 ただし。降り立つなりその姿は黒い社着を着た小さな少年の姿へと

 ふわりと周囲に風が広がり、周りの草木が葉や枝を小さく揺らした。

 立ちつくしたままの少年の背後からは静かな呼び声がかかる。

「久太」

 短い黒髪に黒い瞳、薄い黒縁眼鏡をかけた背の高い細身の青年が、久太に向かって歩いてくるのが見えた。

『……京一』

「行きましょう」

 静かな声は久太を促した。




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