第14話 少年
目の前が少しだけ開けて、そこに世界は生まれたのだ。
自分の周囲にはわずかに白い空間があって、途中から薄い闇がそれに混ざり込んでいる。遠くに行けば行くほど黒い闇の色は濃くなり、広がる範囲が白色よりも大きく見えた。
その先は続いている感じが確かにあった。
音の無い白い空間の中にぽつんと置かれた自分。
その場から逃げ出したい強い衝動に駆られる。けれども自分は動けずにただ、その全部が震えていた。
自分の中には何にも無くて、何もわからなくてとても怖かった。
震える自分の前に、押し寄せてきた何かがぽっかりと口を開けた気がした。
───塗りつぶされる。
その言葉だけが心の内に浮かぶ。
自分には何をどうすることもできない。
息を呑み目を見開いて固まっている自分に、見えない何かが一斉に手を伸ばした。
突如別から加えられた強い力を感じて、力を感じるところを見れば、違う何かが自分をつかまえている。
はたと自分の体に気がついて、それと同時に周りのすべてが発光した。
自分の目に途切れ途切れな形が映り込んでくる。
色の無い流れが色を溶かして、空間を洗い流していくようだった。
つかまれていたのは左腕で、動けなかったのは自分の腰から下が、何色ともつかない色に埋まっていたからだ。
流れは色の間を走り抜けて辺りの景色をなぞっていく。ゆっくりと、しかしそれは次第に勢いを増して世界はずっとずっとその姿を取り戻すように遠くまで広がっていった。
◇ ◇ ◇
軽い羽音とともに気配を感じて
戸を開け放った板張りの室内には、縁側から涼しい初夏の風を招き入れている。ふわりと入り込んだ一欠片が机の上の紙を一枚、もてあそぶようにさらっていった。
「ああ、戻ったの」
飛ばされた紙を気にすることもなく彼が柔らかく笑う。
風の吹き込むそこに立っていたのは、真っ黒い
東国大陸に三十ある支部のうち東第二十五支部所属の万夜花は、周辺地域の守護を目的におよそ二千年前頃、
以上が公表されているこの社の主な登録内容だった。これに他社から出向中の
この
それはこの社が
そのため万夜花は広大な敷地を有するものの、境部より奥にある二つの部署は他の陰人達にも知られることがない。
本来三つあるこの社の部署は、拝殿から内側を見た場所の配置そのままに境部、
境部は
分析方、鎮方というのは陰人としての業務がほとんどで、星社として一般的にはなじみがない。そのため境部と奥部でのみ通用する呼び名で、内外ともに表向きには庶務を使うのだ。
事務方は境部
式方は
各
今現在、役名で呼び合う風習はこの万夜花においてはないようでせいぜい水有を〈社司〉と呼ぶくらいらしい。
そもそもが同業他社でも内部をこのように分けているところはおそらくない。
そこもつまるところ、ここが神社だからだといえる。
事務方は昨日の水有の説明にもあったように境部の事務全般、それは社の内外においてすべての星社に関する事務的な事柄を扱う方所である。続く式方も星社の内外に関わる祭祀、儀式等を扱う方所だ。
そして庶務の一つ、分析方は普段から社務所の窓口業務を担当していて、陰人の仕事としては処理前後の鎮めに関わる文字どおりの分析を行う方所であった。
もう一つの庶務である鎮方だが、ここは日々の基本的な仕事として
ただし一方で万夜花における陰人としての仕事のほとんどをこの鎮方が担っているともいえた。
実際鎮方の主な役割はその名のとおり、鎮めを行うことにある。
このように仕事自体はそれぞれに割り振られ、受け持つ業務は決まっているが、もちろん方所間でお互いを手伝う場面は多い。
当然陰人としての仕事─鎮め─に関することもである。なので結局、星社の社人としての仕事は全般的に覚える必要がある、と呂花にまどかが言った。
言葉としては聞こえていたが、すべては雲をつかむようなそんな話。
話をされている中でも呂花の意識は別のところにあった。
それでも話はまだ続くのだ。
自分が聞いても無駄なのだが。
彼らだって無駄な時間を費やしているだけなのに。
次は中部についてらしい。案内するからついてくるように、と言ってまどかが立ち上がった。
中部の
入口の小さな階段前で靴を脱ぐ。
そこからすぐ左手に中部の事務方があり、中へ入れば室内には間仕切りなどはなく、開けた室内は境部の事務方よりも広く感じられた。
「
畳の敷き詰められた部屋の一番奥にいる、興輔より十以上は上だろう年輩の男性にまどかが声をかけた。
中部部長の仲民
彼はこの社の中では最年長の人物だった。
正治と部屋にいた他の男女二人にまどかが呂花を紹介して、二人は中部の事務方を出た。
中部は部長を含めた十五名ほどがその仕事に携わっている。
事務方の北側に事務方と同じくらいの広さの休憩室があって、この二つの部屋と廊下を間に挟んだ東側に上から資料作成室、続く二部屋が授与品等預かり室、更にその一番南側に手洗い場があった。
それらの東側にもう一つ廊下をまたぐと、今度は北と南に廊下を挟んでいくつか部屋がある。北側は横並びに多目的室と
資料作成室はこの星社に関する資料の作成など。授与品等預かり室では一部授与品の製作や祭祀、儀式などの衣類から諸道具に関わる仕事。そして膳所では社で執り行う祭祀、儀式、あるいは祀殿にまつわる供物や様々な場面での人々の食事に関する内容、更にはここの社人達の食事の面倒などを見るのが仕事である。
元々社人達の日常生活に関するすべてはこの中部にあった。少なくとも五百年前まではその流れが続いており、食堂や一部の社人の住居がこの中部にあるのはそれらの名残である。
もっとも居室を今のように一戸ずつに分けたのはここ最近のことなのだが。
中部本舎を外に出ると今度はその建物の裏手にまどかが呂花を案内する。
間のまばらな箇所に一部木々がかたまって立つのが見えた。それを少し先に行くと開けた場所があって、そこに四つほど小屋のような建物が建っている。
「これはね、観測棟だよ」
何を観測するのかといえば、星だ。
ただ一般的な天体観測とは見るものも、やりかたも多少違うのだとまどかが言った。
星は星でも陰人達は座や星そのものだけではなく、その相を追うのだ。
この四つの観測棟では現在、特定の星と座の状況だけを追っているらしい。
昔から観測機器はここに当然のものとして存在していた。以前は中部に陰人として
もちろん、こんな観測棟など他の社にはない。
これも万夜花が神社であるがゆえだった。
未来に起こる可能性のある災厄を未然に防ぐためである。御神体が必要となるような大災厄の兆しを見逃さないためにこの観測棟は建てられた。
だが星を見てどうやったらそんな兆しが見えるのか、呂花にはまるで見当もつかない。
中部全体を一周して建物の案内と人の紹介を終えると、今度は奥部へと二人は向かった。
奥部へと向かいながら、不意に呂花は気づいた。
薄茶色をした土の上はならされて固められていようとも、舗装された道路などより呂花の足の裏にしっくりくる。それは靴を履いていてもはっきりと感じられた。
昨日のあの変な場所は何だったのだろうか。
自分の今持っている知識や記憶の中には当てはまるものがなかった。あれは自分がまどかとともに歩いているこの場所というのか、ここに
あんな変な仕掛けがこの星社内に張り巡らされているのだとしたら。
(……)
ここから脱出するのはかなり大変なことかも知れない。
小さく息を
光を弾いていたのは水面で、その表面がきらきらと光っている。
奥まった場所にあるからか、波立つことも流れる音がすることもなく池の表情はとても静かだった。
奥の方に何か影が見えた気がするけれど、それが何かを確かめることもなく、呂花は視線を前に戻してその場を通り過ぎた。
奥部の本舎は中部より更に小さかった。ここも二階はなく平屋の造りで、やはり間口の広い入り口から靴を脱いで段を上がり、今度はその右手に事務方の詰所が見えた。その北側に廊下を挟んで休憩室。その休憩室の西隣に四つばかり控え室が横に並ぶようにあった。その先に手洗い場があり、それらの南と事務方の西に短い廊下を挟んで広間か何か、少し大きめの部屋が一つある。
所属は四人らしい。
事務方の詰所は戸が開け放たれていて、まどかはそのまま中に声をかけた。
「おはようございます」
「まどか。おはようございます」
女性が一人、畳の間に正座しているのが見えた。
四十代半ば頃だろうか。
きつい感じはしない。どこかしなやかな、凛とした感じの女性だった。
顔を上げたその黒い瞳の中に薄く茶色が見えた。髪の色も瞳と同じ真っ黒ではなく、茶色がかった長い黒髪をまどかや呂花と同じようにまとめていた。
中部の人達もそうだったが、やはり真っ白いシャツかブラウスに黒いズボン。
どうもこれはどの部署の男女も同じらしい。
星社だから、神社だからといって中の人が社着を着ているわけではないようで、更に一人もスカートをはいている人がいないようだったのは呂花も意外な気がした。
「ああ、新人さんですか」
一瞬だけ驚いたような様子を見せた彼女は、そう言って笑った。
「ええ、そうです。
「よろしくお願いします」
明るい挨拶にも呂花は強張った顔のまま小さく会釈だけを返す。
その態度をどうとったのかはわからないが、彼女は社司は執務室にいると二人に言った。
社司の執務室は奥部の本舎とは離れた場所にある。
建物を出てその執務室へとまどかと呂花は更に向かう。
間で外の掃除をしている若い男女を三人ほど紹介されたが、呂花は変わらずの調子で返すだけだった。
奥部本舎の裏手を数メートルほど進んだ場所に社司の執務室がひっそりとたたずんでいる。当然ながら奥部本舎の建物よりももっと小さい。
この建物の内側に、昨日会った水有というこの星社の社司がいる。
呂花は足取りが重くなるのを感じた。
思っていることを口に出される嫌な感じは未だに消えない。
視線を落として、それでも呂花はまどかのあとについていくしかなかった。
体の中にあるすべてを総動員して呂花は警戒を固める。
入り口の土間から靴を脱いで上がり、障子戸を開けて中へ入れば、白に近い薄青い色の社着を身に着けた、あの眉目秀麗な彼が穏やかな笑顔で二人を出迎えた。
戸が開放されていて、外から爽やかな風が吹き込んでいる。呂花は清々しい緑の匂いに思わず気を取られたが、気を抜くわけにはいかない。
室内は外見から想像したよりもやや広く感じられた。外から見るつもりもなく見ただけだから、そう思ったのかも知れない。
部屋自体は四畳半が二間分。棚や押し入れのような備え付けのものが何も見当たらず、仕切りも外してあったから尚更広く感じたのだろう。おまけに周囲には縁側がある。
まして奥の間に座っている彼の側には、小さな机と書類を入れた黒塗りの箱しかなく、日用品も調度品もまるで見当たらなかったからそれも部屋が広く思えた理由の一つだろう。
昨日よりも近くで顔を合わせた相手に、呂花はすぐにでもここから出て行きたい気分になった。
昨日から思ったが、どうもこの社は容姿の整った人が多いらしい。もしかしたら立ち居振る舞いとの関係もあるのかとも思うが、その居心地の悪さとも相まって呂花はますますここを出て行きたい。
「そんな、露骨に嫌そうな顔をしなくても」
気がつかないうちに顔に出ていたのだろう。あからさまに眉間に皺を寄せている呂花を見て、水有がおかしそうに吹き出した。
まどかは水有の様子にこそ驚いたが、当の呂花はここの人々に気を許せるはずがない。
あんなに酷い招き方をされて、どうやったら嫌な顔をせずにいられるのだろう。
逆によくそんなことを言えると思う。一晩経ったくらいでどうして彼らに対する不審が消えるだろうか。
ひとまずの挨拶をすませると、まどかがこれからの予定などを彼に報告しているようだったが、呂花には同じ場所にいながらも彼らとは別の場所にいるように思えて仕方なかった。
自分は間違ってこにこいる。
それだけを呂花は思う。
「午後からお二方に会うんだね」
「はい。その予定にしてあります」
「お二方に会えば、少しはその警戒も解いてくれるかも知れないね」
お二方。
話の流れからして主祀霊の
もう少しだけ二人が話すのを待って、呂花はまどかと社司の執務室を出た。
建物を出ると呂花はまどかに見えないように息を
また何か思っていることを口に出されるかと思ったが、それがなかったことに少しだけほっとしたのだ。
「境部に戻る前に、奥部の残りを回っておこう」
そう言ってまどかが歩き出した。
呂花はもう一度社司のいる建物をふり返る。
もし、あるのだとして。
仮だという御神体は、きっとこの建物のどこかにあるのだ。
それを社司である
そして本物を探しているというのだが。
本当のことなのか、それとも。
(……)
建物から視線を外すと、呂花はまどかのあとを追った。
奥部の本舎まで戻ると、次にその本舎の東側を呂花はまどかと歩く。
書庫、倉庫、そしてもう一つ建物があって中には観測室と観相室がある、と彼女は呂花に説明した。
「観測室は中部にある観測棟と同じといえば同じなんだけど、ちょっと違う。特定の星や座とかだけを追ってるわけじゃないから。境部とは同じかな」
中部とどう違って境部とどう同じかなんて呂花に想像できるものではなかった。
天文に関する勉強なんてほとんど記憶にない。せいぜい太陽と月がわかる程度だ。ただ漠然と空の星々は綺麗だ、と思うくらいのものでしかない。
昔の人々、あるいは今も一定の人々は星の位置や動きを何らかの指標にしているのかも知れない。けれど呂花自身は日常生活の中で太陽と月以外の星を活用したことはなかった。
星の名前も知らない。星座も見つけられたことなんてない。
そんな呂花には今ひとつまどかの話はピンとこない。
もしかすると星社とは星を扱う陰人がいるから星社というのだろうか。
観相室は境部、奥部とも同じで星の相─星相─を追うという。
星相という言葉は何か人相見の話みたいで、呂花は昨日審が言った占い師の話を思い出した。
自分には理解できそうにないな、とそう思う。
陰人、彼らの扱う力、そして流れる気。
それは何なのだろう。
同じ世界であるはずなのに、自分の知っている世界とはまったく違う。
呂花は妙な気分になる。
見える見えない、わかるわからない。
そして陰人である、ない。
その線引きは一層呂花と彼らを隔てている気がした。
でもそれはただ捉え方が違うだけなのだと思う。立場と環境が違う。それだけの話なのだろうけれど。
呂花は昨日のことが現実なのだと信じたくなかった。
ただあまりにも生々しいあの感情の流れは、呂花の全身に感覚として残っている。
昨日の彼を見て関わってしまったあとでは、その出来事自体を無いものとすることは、呂花にもやはりできなかった。
陰人という言葉やそこに関わるものが必要無いとは呂花にも言えないし、それを否定するつもりはない。
(私は……)
とりとめのないことを考えていた呂花は何となく顔を上げて、動きを止めた。
背後で音が聞こえた。それが聞いたことのある音だと思ったから呂花は足を止めた。
「呂花?」
中部に入りかけたまどかが、急に立ち止まった呂花を不審に思って声をかける。
もう一度背後でばさり、と音がした。
恐る恐る呂花がふり返る。そこで目にしたものに呂花は息を止めた。
風に翻った木の葉に見えたそれは、実は黒い羽根。
確かめるために一つ瞬いた呂花は目を開いたそこに、黒色の社着を着た少年を見た。そしてその顔を見て動けなくなる。
不安そうな心配そうなわずかに
呂花は立ちすくんだままその姿を凝視する。
『おはよう』
彼は呂花達に近づいてくるとそう言って微かに笑った。
何か言おうとして口を開いて、けれど呂花は言葉を発することができなかった。いきなり目の前が大きく歪んだ。いや、頭の中をすごい勢いで映像が回り出す。何の映像なのかわかるものではない。立っていられなくなって、とうとう呂花は前のめりに倒れ込んだ。かろうじて右手をつき、地面に突っ込むのだけは免れたがとても目を開けたままではいられなかった。その左手は強く頭をつかむ。
『えっ、だ、大丈夫……っ?』
「呂花!ちょっ、どうしたの!?」
社司の執務室に向かう途中、奥部の入り口に差しかかったところで、京一は慌てたようなまどかの声を聞いた。
思わず声の聞こえた方向に目を向ければ奥部本舎の東側、観相室の手前で真っ青な顔をした呂花が地面に手をついて座り込んでいて、その側にまどかと小柄な黒い社着姿の少年がいるのが見えた。
一瞬駆け寄ろうとした足が何故か動かない。
(───……っ)
地面に手をついた呂花は頭を押さえるようにして荒い息を繰り返している。側では呂花の肩に手をかけたまどかと、顔をのぞき込む少年が膝をついて心配そうにしている。
「っ……っはあっ、……は……っ、はっ……」
回る映像の速度が緩み、息が収まるのに合わせて呂花はゆっくりと目を開けた。
『どこか具合が、』
動揺したような少年の声に呂花が小さく答える。
「い、いえ。すみ、ません……。急に、目が、回って……」
「ちょっと誰か、手を借りようか」
言って顔を上げたまどかに呂花が言う。
「大、丈夫、です」
まだいくらか肩を上下させているものの何とか上半身を起こすと、呂花は少年の前に正座をするように座り直して大きく深呼吸をした。
少し落ち着いてくると、人前で倒れ込む格好の自分が恥ずかしかった。考えてみれば昨日も散々狼狽した様子をさらけ出していた気がする。顔を曇らせてかがみ込んだ目の前の少年を見て、少しだけばつが悪い思いで呂花は言った。
「……おはよう、ございます。……ごめんなさい。驚かせて。私は呂花。見守呂花です。あなたは?」
少年とまどか、そして離れた場所にいた京一の三人は同時に驚愕した。
『ぼ、くは、
一言一言かみしめるように少年が言った。
残像のような何がかよぎって、だがそれが何かを考えつく前に呂花は音を発した。
「───黒い、
こぼすような呟きは、それでも聞こえた彼らにとって驚き以外の何ものでもない。
まどかと京一が息を吸い込んだ。
少年は身じろぎすることなく呂花を見つめている。
『……覚え、てる?』
控えめに、それでもうかがうように尋ねてくる少年に、呂花は何のことだろうと首をひねる。
横からまどかが言った。
「久太のこと、審に聞いた?」
「え?いいえ」
「───どうして、久太が黒い烏だってわかったの?」
「それは、」
言いかけて呂花は凍りつく。逆に心臓を強く打たれたようだった。
何故自分はその言葉を音にして口に出してしまったのか。
それが事実なのだと今ここでわかって、驚いた。
(何で……)
京一に声をかけられた時も呂花はふり返らなかった。
ただ友達の会話を聞いただけ。
そして一昨日。
一汪星社では少年を見ただけだ。その少年が烏に姿を変えるところを見たのではない。
黒い羽根を見ただけなのだ。
それで何を思って呂花は烏と少年を結びつけたのか。
そこに自分の思い込みがあったのかも知れない、とわずかに呂花は思う。
多分少年の着ている黒い社着があの時呂花にその連想をさせた。
そんなことはあるわけがない。そう打ち消したはずの想像は今呂花の目の前にある。
否定したはずの想像が事実なのだと言われて、呂花は酷く動揺していた。
黒い社着の少年を見て呂花は驚いた。そして別のことも同時に思った。
幼い姿にどこか似つかわしくないような大人びた雰囲気を彼に感じた。
それは昨日の試験の時に見えた彼らを思い起こさせた。そして、夜に拝殿前で出会った芽と皣とその感じは一緒だと。
彼はおそらく精霊なのだと呂花は思った。
頭の中では彼が精霊だと思って、でも口にしたのは別の言葉だった。
そのことが呂花の動揺に拍車をかける。
そんな呂花を京一はきつく見つめる。
座り込んで青ざめた呂花はまるで
けれど。
たったわずかの、その言動の端々はそれでも
(……)
京一は右手を強く握りしめた。
真実記憶は戻っていないのだと思う。ただその力の有り様は昨日証明されたのだ。呂花自身が身をもってそれを証明してしまったから。
その状況と事実は理解できる。だがそれでもいら立ちは収まらない。
呂花から視線を逸らして京一は社司の執務室へと向かった。
「呂花、大丈夫?」
我を失っているような呂花にまどかが強く声をかける。
『呂花』
小さな手を伸ばして心配そうにしている少年、久太の声に呂花はようやく自分を取り戻す。
「……、」
顔色が悪いまま久太を見て、何とか呂花は頷いた。
久太は気配を感じた奥部の入り口をちら、とふり返る。
だがすでに京一の姿はなく、そこには誰もいない奥部と中部の境があるだけだった。
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