第3話 既視感
一泊二日の短い旅行だが、
意外に多い観光名所や、地元にはない大型の商業施設も結構あって、思った以上に友人四人もみんな楽しんでいるようだった。
確かに人は多い。
だからといってどこか雑然としたような、混沌としたような、ある種の妙な熱気みたいなものを
ちゃんと隙間がある。
不思議とゆったりとした落ち着いた感覚があって、それほど人に酔うというような感じは抱かなかった。
それに。
パンフレットに書いてあったとおり、確かに
今歩いて来た通りにも距離はかなり開いているが、二社ほど見えた。
多く星社に足を運ぶわけではないが、それこそ年末年始やちょっとしたお祭りがある時くらいしか行くことはないし、星社に詳しいわけでもない。
ただそこにそれがある、というだけで何かほっとする。
檜晶は呂花は初めてだったが、思った以上に空気が良かった。
「寄ってく?」
モデル並みに背の高い
「うん。みやちゃん、せっかくだから行こう。私じゃなくて
行き先を決めるときのことを思い出して、呂花が笑った。
檜晶にはいくつか大きくて有名な星社がある。
来たからには、どれか一つくらい参拝しておきたい。
星社には入り口に必ず一対の石柱があり、その星社の社名が彫り刻まれてある。突き立つ二本の上部には、間を軽く垂らす形で渡した、太くて真っ白い縄がしっかりと結びつけられていた。
この石柱のことを
その手前で帽子を被っていたみやと
主祀霊の他に眷属精霊、関係精霊が
拝殿へ向かう参道は歩く度に新緑の香りが漂ってきて、呂花の気分を一層快くしてくれる。
「何か、空気が全然違うね」
紀実が思わずというように言った。
こちらを向いた紀実と顔を見合わせて、呂花も軽く微笑んだ。他の三人も同じことを感じたのだろう。それぞれ言葉少なに頷く。
五人はその空気を全身で感じるようにしながら、ゆっくりと拝殿へ向かった。
拝殿で一礼し、手を合わせて全員が目を閉じる。
それぞれの胸の内でそれぞれの想いを、精霊に告げているのだろう。
呂花は祈ることも、何かを想う時もあるけれど、実は大概無心である。
何かを思うよりも、この場を感じることの方が呂花は好きだった。
しかし今日はみやのお祝い旅行である。ここは彼女の今後の幸福を祈っておくのが一番だろう。
頃合いを見て五人はそれぞれ目を開き、再び一礼する。
「お守りでも見ていく?」
「あ、私おみくじ引きたい」
社務所前には何人か他にも、自分達と同じような観光客らしき人々がいた。
目の前の数人が去って行くと、呂花は棚に並べられた肌守りや、根付け、護符などを眺める。意外にも種類や数が多くて少しだけ迷ったが、一番一般的な肌守りを手に取ると、社務所の若い女性に声をかけた。
「すみません、これを一つ」
「は、……」
はい、と言うつもりだったのだろう。
彼女は呂花の方を向いたのだが、何故か急に驚いたような顔をして動きを止めた。
「あの?」
目を見開いてあまりに驚いた表情をする女性に、呂花は思わず言った。
ただ、彼女は呂花を見ていたのか、その後方を見ていたのかは呂花にもよくわからなかった。
「あ、は、はい。ごめんなさい。ええと、はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「……あ、いえ。こちらこそ、どうも」
支払いを済ませてお守りを受け取った呂花だが、女性の様子が少しだけ気になって、場を離れると思わず隣にいたみやに聞いた。
「みやちゃん、私、何かおかしい?何かついてる?」
服装は白い丸首の、襟、ボタン無しシャツ。その上に薄手で淡い、白の混ざったような群青色の襟無しの上着を羽織っている。下は明るく白みの強い薄茶色の踝丈ズボン。靴も同系色で踵の低いパンプス。鞄は肩がけの乳白色の小振りなものだ。
四人もそれぞれ明るい色の服装で、ズボンやスカートはそれぞれ自分の好み、合うものをちょうど良く身に着けている。装飾もしかり。
確かに自分が身だしなみに対して良い
何か、他に驚くようなことでもあったのだろうか。
「え?ううん。何もついていないよ。別におかしくなんてないけど?」
少し驚いたようなみやは、首をひねりながら、呂花を見て笑った。
「おお!大吉!」
少し離れた所で紀実の歓声が聞こえた。
「やったね、紀実」
江里が笑って紀実を見る。
「呂花はそれ、自分用?」
「ああ、うん。
社務所を離れて戻ってきた呂花の手元を見て総子が尋ねた。
二つ下の妹、花雫にお土産代わりだ。
「おとちゃんは、ほんと花雫ちゃんにやさしいよね」
「うちなんて、顔合わせるとケンカだよ」
「ええ?うちもケンカはするよ」
みやと総子がそれぞれに言うが、呂花と花雫もごくありふれた姉妹だ。子供の頃ほどはしなくなったが、ちょっとした口ゲンカや、イライラが元のケンカは結構今でもする。
ただそれでも最後はどちらともうやむやで、何でケンカしていたのか、いつの間にか元通り。
友達と同じ。呂花にとって妹の花雫も大切で大事な存在だ。
とても空気が澄んでいる。今この場でこの友達と一緒に来られたことに、呂花は何にだろうか。ふと感謝したい気分だった。
社を出ると丁度昼を過ぎたところで、人通りが少し減っている感じだ。
さぁ……。
風の音が耳に心地良く響く。ふと流れてきた方向を向いて、呂花は目をすがめた。
何か。
「そろそろお昼食べようよ」
紀実が言って他の三人が賛成した。
「おとちゃん?」
「え、え?」
「どうかしたの?」
江里とみやに言われて呂花はふり向いた。
「ううん。お昼、行こうか」
風の音と触れる感覚が、妙に気になった。
あっちには、何が、あっただろうか。
近くに見つけた店で昼食をすませると、呂花達は再び通りへと出た。
「良かったね、おとちゃん」
「結構種類あったね」
「うん」
紀実と総子に言われて呂花は大きく頷いた。
何がかと言えば、呂花は生まれつき一部を除く、動物性の食べ物を受け付けられないのだ。ただ不思議なことにアレルギー体質ではないと病院では診断されている。原因は未だにわからない。何にしても体が受け付けてくれないので、結果的に菜食のみにならざるを得なかった。親は、特に母親はことに学校へ通う間など気を遣わせただろうと思う。
今でも気をつけて食事を作ってくれて、本当に感謝する思いだ。
それにしても今出てきた店は、意外なほど呂花が食べられるような料理が数多くあって正直驚いた。驚くには驚いたが、有り難かったのも確かだった。
特に旅行先などで食べる物に困らないのは本当に助かる。まして選べるほどあるのだから、嬉しいことこの上ない。いつも旅行などで食事が必要なときは、呂花はとても簡単な非常食を用意していて、今日ももちろん用意してあった。
「じゃ、落ち着いたところで次に行こうか」
全員を促すように総子が言った。
あとの四人も次の場所へと足を向ける。
方向はさっき呂花が風を感じた向きだった。
時間が止まったのではないかと思えるほど、ゆったりとした気分で呂花は五人の中ほどを歩く。
本当に気分が良い。気持ちが良い。
いつの間にか通りの音も途絶えた気がした。
静かで。
優しく。
おおらかな。
風と、空と、大地と、太陽の光。
すべての気が澄み渡り、でも、それはとても柔らかい。
自分の中が空っぽで。
その中をすべてが通り過ぎていく。
どんなものも。どんなことも。
何か空気に吸い寄せられそうな気分になる。
とても落ち着く、凪いだ瞬間。
呂花は大きく息を吸い込んだ。
さらさらさら……。
ふと耳が音を拾って呂花は足を止めた。
同時に強い風が目の前を吹き抜ける。
風が呂花の行く手をどこか阻んだような気がした。
水の音かと思って辺りを見回すが、水が流れるような川や溝などは側に見当たらない。
前を行く友人達を追うように、もう一度呂花は歩き出す。人の通りはそれなりに多い。だが避けるほどでもない。
街路樹が植えられた歩道の脇を、呂花とすれ違うように次々と車の流れも過ぎ去っていく。
ちりん……。
もう一度、今度はあまり高くはない小さな金属音が耳元で聞こえた。
(鈴……?)
呂花は思わず耳に手をやる。
気のせいだろうか。
何故か心臓が跳ね上がって、呂花はふと歩く速度を緩めた。
ぼっ。
違う。
(何?)
今度は何か火が付いたような音が聞こえて、ぎくりとした呂花は慌てて周囲を見やった。
何か燃えたようにも、燃えているような物もあるはずがない。こんな通りの真ん中で。
煙だって見えない。
首筋に刃物を当てられた気分で、冷や汗が背筋を伝う。
更に一歩足を踏み出して呂花ははっとする。
今、足下が。感覚が違わなかったか。
舗装された道の上の感覚ではない。おかしい。
(土……?)
そう。どこか土を。硬い土を。ならして固くした地面を踏んだような、気がした。
足下を見るが土はない。 土の上には、
(……気の、せい……?)
何かに全身が恐怖を感じている気がする。
もう一度呂花は歩き始める。
前の四人に追いつかないと。
聞こえない、感じないふりをして通り過ぎようとしたのに。
呂花の足は意に反して止まってしまった。
見るつもりもなかったのだけれど、視線は引き寄せられるようにそれを見た。
呂花の足を止めた歩道の右手にあったのは、一対の石柱。
(二御柱……)
その二本の柱の奥にあるのは、星社の境内だ。
目を背けられなくなって、呂花は驚きなのか恐怖なのか、ただとても強い衝撃を受けて立ちつくす。
通りを歩いていただけなのに。
友人と旅行で、檜晶に来ていただけ。
けれど呂花の黒い双眸は、かけた眼鏡の向こうに参道の奥、社務所に続く階段の更にその先の長い階段上部へと視線を上らせた。
急激に全身が凍り付くような感覚に呂花は動けなくなる。一番上部奥の拝殿はここからでは見ることはできない。
ざぁ───……っ。
再び風が、目の前の二御柱の横にある梅と桜の木を大きく揺らして通り過ぎていく。
その勢いのまま、小柄な呂花の体をも吹き撫でていった。一緒に背に垂れた黒髪が、上着の上で揺れる。
肩にかけた鞄の紐を左の手で思わず握りしめた。
息さえできない状況に、呂花自身ひどく困惑している。
一瞬浮かんで消えた感情が何だったのか。
はっきりしそうで、はっきりしない何かが、心の内で疼く。
わずかな間に追いつかないほどの情景と感情が、呂花の中を通り抜けた。それは自分のものだったのか、何の映像だったのか感情だったのか。まるでわからない。
それくらい早い勢いで、その何かが呂花の中を過ぎ去った。
周囲は無音だった。
そしてひときわ大きな音が、呂花の胸の内を震わせる。
胸が、痛い───。
カッ。
目の前に閃光が
それでも呂花は目を見開いたまま、前を見続けていた。
光が静まり、広がった景色に呂花は絶句する。
見えなかったはずの拝殿らしき建物が、呂花の目の前にある。その奥に
気づけば、自分の周りの景色が、違った。晴れ渡る青空の下には、整備された道路や歩道も、ひっきりなしに行き交う自動車も、建ち並ぶ建物群もない。
拝殿を背にふり返って見て、呂花は息を呑んだ。
呂花の予想した光景がなかったからだ。
そこから見下ろす中に、呂花の見覚えのある風景はない。
その広い道と建物の通りを二つ三つ越えれば、あとは田畑がずっと延々と広がって、更にそれを少し行った先に、社前よりももっと幅の広い街道らしき道が見えた。ただし、人々の往来が見えるだけで、車などは走ってはいない。
今呂花の目の前に在るものは、近代的な景色ではなかった。まるで時を遡ったかのような光景が、広がっている。
呂花は星社の敷地に入ったわけじゃない。ましてあの長い階段を上ってなどいないのに。
二御柱の前の歩道に立っていたはずだ。
何故、拝殿が目の前にあるのか。
心音が早くなる。
汗が頬から顎を伝って一つ、地面に落ちた。
目の前の景色がいきなり変化した。
確かにそれに驚いた。
けれど呂花が本当に驚いたのは、もっと別のことに対してだった。
(───っ!)
「うちの社に何か御用ですか?」
耳を打つように突然側で声がした。
飛び上がるように呂花の体が動いて、そのまま反射的に声がした方を向く。
向いたには向いたが、声をかけられたことよりも、呂花は周囲の景色が元に戻っていることに、唖然とした。
車の往来する舗装された道路、街路樹の見える人々の行き交う広い歩道。閑静な先ほどの情景とは打って変わって、ざわざわとした空間が目の前にはある。
(白、昼、夢……?)
こんなところでか。まさか眠りながら歩いていたわけではない。
新しい度の眼鏡に慣れていないのか。
痛いほどの動悸を抑えるように呼吸をしながら、ようやく目の前に立つ人物に呂花の焦点が定まった。
さまようような呂花の視線と、薄い黒縁眼鏡の奥に見える黒い瞳がぶつかる。
ひどく動揺していたからか、それにさえ呂花は悲鳴を上げそうな始末だった。
白い長袖のシャツに黒いズボン。足下も黒の靴。
そう珍しくもない社会人風の服装の青年がそこに立っていた。短い黒髪で背の高い細身の彼は、少し首を傾けて二御柱の内側から呂花を不審そうに眺めている。
立ちつくしている呂花の様子が怪しげに見えたのかも知れない。
呂花を見極めようとするかのようなその切れ長の瞳は、どこか刺すようにきつい印象を抱かせる。
呂花はようやくの思いで息を吸い込み、やっとのことで首を横に振りながら言った。
「……い、いい、え。……別、に」
動揺は傍から見ても明らかだったに違いない。
「あっ、いたっ!」
「呂花ーっ!」
名前を呼ばれて呂花ははっとする。
弾かれたように身を翻すと、ふり返りもせず走り出した。それはどこか逃げ出すようでさえ、あった。
「っはあっ、……っ、はあ……っ」
ほんの少し走っただけなのに息が上がって胸が苦しい。半分はその前からの動悸を引きずっていたせいだ。
「びっくりした、びっくりした。真ん中にいたのに、いつの間にかいなくなってるんだから」
「ほんと慌てたよ」
紀実と総子が苦笑いしながら何か言っているが、呂花の耳には入ってはいない。
「何かほっとくと人さらいにでも遭ってそうだよ、おとちゃんは」
紀実がもう一度軽く笑って言う。
呂花は心臓を落ち着かせようとするのに精一杯で、話を聞くどころではなかった。
だが。
「ほら」
「え」
思わずその言葉に、呂花は前屈みのまま顔だけ上げて紀実を見た。
紀実はゆっくりと後方を指差した。
「今、おとちゃんが話してた人とか」
呂花はぎくりとする。
両膝に置いた手に力が入る。
ふと雫が落ちてズボンに黒いシミを作った。
残る三人も呂花の背後に目を向けているらしいが、当の呂花自身は絶対にふり返ってはいけないと、何故か強くそう思った。
「ふうん。背は高いよね」
「顔はまずまずか」
江里と総子が呂花の後方へ視線をやりながら言っている。
「えー、結構良い感じだと思うけど?」
二人に合わせるような紀実の声が聞こえて、最後にみやが言った。
「おとちゃん、もしかしてナンパされてた?」
からかい半分のその言葉に呂花は体を跳ね起こす。
「あっ……」
思いもよらず飛び出た言葉の続きを、押し止められたのは、たまたまだ。
今、自分は何を言おうとした?
体の底が凍り付く。
背中に汗が一筋、流れ落ちた。
「おとちゃん?」
「呂花?」
「どうしたの、おとちゃん?」
「大丈夫?」
いきなり固まった呂花に、四人が心配そうにのぞき込む。
「……う、」
───ばさり。
頷きかけた呂花だがどうしてか、鳥の羽ばたく音に先が続けられなかった。
「戻られましたか」
遠くから微かな声が耳元に運ばれてくる。
自分の脳裏に突如浮かんだ映像に、呂花は戦慄すら覚えた。
(……黒い、烏……)
呂花はふり返ってはいない。
羽音を耳にしただけだ。
鳴き声すら聞いていないのに。
どうしてそう確信したのか。
おさまりかけた鼓動が再び勢いを増す。
「へえ、カラスって人に懐くもんなんだね」
(───ッ!!)
感心する江里の横で、青ざめた呂花に気付くことなく、紀実とみやが顔を見合わせて同じように感心し、総子が言った。
「ほんとだ!」
「すごいね」
「でもちょっと陰気な感じしない?ねえ、呂花」
きっと、カラスに言ったわけじゃない。
首の辺りにふいに冷たい空気を呂花は感じた。
場所は社から離れたし、周囲の音でかき消されてもおかしくはないほどの囁きだったのに。
何故彼の声があんなにもはっきりと聞こえたのか。
呂花はまるで覚えのない恐怖を感じていた。
きつく握った手のひらが、汗に濡れていた。
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