第2話 気づかれぬ者達

 夜の闇は静かに見えるけれど、それはの存在に気づくことのない人々のなのだと、京一きょういちは思う。

 昼間の喧噪からこぼれ落ちたは、夜の闇に跋扈しある意味夜は昼間以上に騒々しい。

 それは世間一般でいう騒々しさの比ではないほどに。

 東国大陸の西、佐久羽良国、忍筒しのつつ。国の最西端の一部にあたる。

 人通りの多い建物と建物の間の空間。

 そこに、京一、礼成まさなりあきはいた。

 三人とも格好はほぼ同じで、いかにも社会人の青年らしい。

 白い長袖シャツに綺麗な折り目のついた黒いズボン。そして汚れ一つ見えない黒の靴。ただ一人、著だけが白シャツの代わりに、右襟と左の袖口に赤い線が入っている前開き三つボタンの、白いポロシャツだった。

 三人ともだいたい一般の成人男性の平均身長くらいで、礼成が二人よりやや高い。さすがに容姿はそれぞれ特徴が異なる。

 礼成は短い黒髪に、わずかに紫がかった黒い瞳の端正な容貌だ。

 著は茶色みがかった黒い瞳と同色の短髪で、整った顔立ちだが、温和な印象を見る人に与える。

 そして京一は。

 漆黒の瞳に漆黒の短い髪。薄い黒縁の眼鏡と相まって鋭利な感じがあり、どことなく近寄りがたい雰囲気があるのは否めない。

 彼らの周りを、ざわめく人の流れが通り過ぎて行って、そして不意に途切れた。

「始める。───起陣きじん

 礼成が言った。

 ふっ。ふっ。ふっ。

 微かに風の広がるような音がした。

 音と同時に三人の周囲には、白、黄、青の三つの違う色を放つ光が、内側から順に広がるように円を描いていく。

 その光景は見る人がいれば驚くものだっただろう。夢を見たのだと思ったかも知れない。あるいは先端技術の何かかと思ったかも。

 ただ生憎と、今この場で彼ら以外の目にその光景は映らない。

 浮かんだ光は彼らの周囲を丸天井ドーム型に高く広く覆った。高さ広さ共に、少なくとも二十メートル前後ほどはある。

 全体にそれぞれが行き渡ると、光がやや発光を押さえて落ち着いた。

 その内側は、そこに当然含むはずの建物や他の物も人の姿も景色の内にない。まるでそれが別の世界でもあるかのように、何も無い薄暗い空間だけが広がっていた。

「京一、よ」

「ええ、お願いします」

 著が言って京一が答える。

 ふと著の手元に急に薄い長方形の紙--が四枚ほど出現した。躊躇なく彼はそれを宙へと放つ。

 宙へ浮いた符は等間隔に距離をとって、京一の手前側でそのまま動きを停止した。

 続けて著が言葉を発する。

発揮はっき───点灯てんとう───引け」

 京一は重なる三つの円の中央に、北を向いて立っている。

 礼成がその左手に。著はその左斜め後方。

 それぞれがかなりの間隔をあけてが来るのを待った。

 風が、宙で静止している符の周りからふぅ、と降りてきて三人の足下を這うようにゆっくりと流れていく。

 京一の短い黒髪が小さく揺れた。

捕捉ほそく。───来る……」

 三人のいる場所とはまったく異なる、距離の離れたいくつかの地点で変化は起こった。

 それぞれの地点に浮くように展開していたのは、先ほど著が放った符に似た、長方形の薄紙ーとうーだ。

 韜がすべてのを捕捉し、展開していた先でぼんやりとした明かりを放つ。そして唐突にしぼむように光は消えた。場の近くを通り行く人々は誰もそれに気づかない。

 三つの円の内では、浮いた四つの符がそれぞれ止まった場所から、太い光の弧を描き、各々おのおのを繋いで円を作る。

 その中に。

 黒いような透明が混じったような、中には黄色っぽい光を放つものもあるそれらは、形の定まらないものもあるが、大方は小さな一つずつの塊となって大量にその円の中に浮かんでいた。

 それは普通の人の目には。けれど決して特別なものでもない。勘の良い者であれば気配くらいは感じ取れる。ただ良い感覚とは言えないだろうが。

 人やその他の動植物など、世の中に在るあらゆる存在が生み出すのもの。それは思念であったり、形のある何かだったり、存在そのものの場合もある。多くの混沌としたものが混ざり合い一つになって、様々な存在達にをなすようになったもの。

 それは一般的には〈災い〉と呼ばれる。

 しかしながらの間では、これらの災いのことを総じて〈蠱魅やみ〉と呼ぶ。

 そして、その蠱魅をしずめることを生業なりわいとする人々のことを、この葉台では〈陰人かげびと〉と言った。

「外すよ」

 著が言う。

 二人が了解、と返す。

しつ

 著が言いながら右手の人差し指と中指を揃えて横一線に振った。

 宙に浮かんだ符が光の弧と消えた。

 堰を切られたように、中の小さな塊が辺りに浮遊し始める。

 その塊達は周囲に同化してしまいそうな類いだが、明らかに質量は持っている。

「……明星あかるぼし暗星くらきぼしひかりまじわりらせはんぜよ、いざ定めませ。───姿現しげん

 それほど早くもなく呟くと同時に、京一は目の前で人差し指と中指を揃えて十文字を宙で切る。

 一度だけ三人の前で光がぱっと辺り構わず明滅した。明滅が止むと黒い小さな塊、黒蠱くろこという蠱魅の一種が、先ほどよりは減ったもののかなりの数が集まっていて、それはすべてのない、負の思念が集まっただけのようにも見えたが。

 不意に京一が前方へ一枚符を投げた。

 同時に衝撃が三人にも大気を通じて伝わる。

 ドンッ、とわずかに遅れて大音が響いてきた。

 音は外へは漏れていない。

 三人の周囲に広がる光を伴った三つの円ーじんーによって、すべては他の人の目に映ることも耳に届くことも、そして近寄られることもないのだ。

 音が消えた後には、あれだけいた黒蠱の姿はどこにもない。

 代わりにその場にいたのは。

千年蠱せんねんこ

 ぽつりと著が呟いた。

 黒蠱が時を経て更に蠱魅を取り込んで獣姿となり、ある程度知能を持ったもののことである。

 今の音はその千年蠱が何かにぶつかった音だった。

 何に阻まれたのか、千年蠱は体勢を崩したものの、すぐに起き上がって低く唸りながら宙へ浮くようにする。

 太い四つ足で立つ千年蠱は短い黒毛を逆立て、黒い牙をむき出しにして京一の出方をうかがっているようだった。

 虎よりも一回りは大きく、つり上がった目だけが黄色い光を帯びている。

「礼成」

 三人は特に驚くでもなく、京一が静かに礼成を促す。

 様子をうかがっていた千年蠱が軽く宙へ舞い上がって中央の京一に狙いをつける。

 京一は動かない。

 礼成も場所を移動することなく、呟くくらいの大きさで言葉を発する。

天経星てんけいぼし天緯星てんいぼしせんを結んで地へはしれ。覆綰ふくわん糸千縛陣しせんばくじん

 突然千年蠱の上に細かな光を弾きながら無数の糸のような物が現れる。同時にその足下の地表には円が浮かび上がった。

 千年蠱が京一に迫る寸前で、その円いっぱいに広がった無数の糸状の先が大地と瞬時に繋がり、挟み込むように千年蠱の動きを封じた。

 糸に絡めとられた千年蠱が静かにその身を地に横たえる。

 それを確認すると京一は一つ右の人差し指で円を描いて言葉をつむぎ始めた。合わせるように左手の小指を右手で包み込むように簡単に握った。ただ右手の親指と人差し指は軽く輪を作っている。吐き出される言葉はゆっくりだ。

清星きよぼし一滴いってき沿うてめぐれ。ひかりこしてを撫でよ。清光廻撫せいこうかいぶ

 上から光が一閃、走ってくる。

 千年蠱の真上に。

 トン。

 勢いとは裏腹に軽い音がした。

 後は透明な黄色の光が、一斉に三つの円内に広がる。

浄化じょうか

 京一の言葉に合わせて光が一気に緑光に転じる。緑光に触れた先から千年蠱の体は薄くなるように、闇に溶けるように、音もなく静かに三人の前から消えていった。

 京一が一つ、目を閉じて開く。

 頃合いを見計らうようにして礼成が言った。

解陣かいじん

 内側から息を吐くような風とともに、三つの陣が一つずつ消えていく。

 それらがすべて消え去ると、場は元の建物と建物の間の景色に戻っていた。

「この案件で三件目、か」

 言ったのは礼成だ。

「うちの領域管内では、だけどね」

 著が付け足すように言う。

万夜花たかやすはな恒五井わたりかずいの領域でも数件ほど、発生しています」

 静かに言った京一を二人が見て、思い出すようにもう一度著が言った。

「この間、どこだっけ。北の方の……」

八平はつひらか?」

 礼成の言葉にああそう、と著は頷く。

「八平星社。別の一件で出た黒蠱から今の千年蠱、で最後に黒洊牙こくせんがになったのがいたって言ってたね」

 黒洊牙は千年蠱の更に進んだ蠱魅のことで、形は千年蠱と同型だが大きさは二回り以上のものが多く、合わせるように知能も高い。そして凶暴だ。

「記録は?」

「とってあります」

 京一は符を一枚手元に現す。

「うん、預かるよ」

 差し出された符を著が受け取った。

「これだけ広範囲だと、何が原因かは全体とあわせてよくわからない」

 黒蠱も千年蠱もそう対処の難しい蠱魅ではない。

 だが黒蠱はそう簡単に千年蠱にならないし、大きな戦乱のほとんど治まって久しい昨今では、千年蠱自体それほど見かける蠱魅ではない。時を長く過ごす前に黒蠱のまま、彼らの達に処理されるものが多いからだ。今のように集まったからといって、いきなり黒蠱が千年蠱になる事例は今までに三人も遭遇したことがないし、そういう話も聞いたことはなかった。

 もちろん唐突に蠱魅が形を変えることがないとは言えない。ただ滅多にあることではなかった。

 しかもこの三件目に関して言えば、前の二件と比べ、最初に現れる黒蠱の数も出現場所の数も増加している。

「この分だと、他もわからないな」

「そうだね。支部しぶだけじゃなくて、いんでもそういった話が出ているみたいだし」

「……京一?」

 ふと礼成が顔を上げて京一を見た。

「はい」

 少しだけ顔を上げると、薄い眼鏡ごしに漆黒の双眸で京一は礼成を見つめ返す。

「どうかしたか」

「何か?」

 逆に聞かれて礼成が軽く驚いた。

「いや、考え込んでるように見えたから」

「特別、今すぐ思い当たるようなことはありません」

 著もちらと京一を見る。

 元々京一は物静かな性格だが、今日は少しだけ様子が違うようにも見えた。

 仕事自体はいつも通りなのだが、今の発言は彼らしくない気がする。

 どことなく落ち着かないのか、彼にしてはめずらしく、いら立っているような感じに見えなくもない。

「何か、あった?」

「いえ」

 うかがうように尋ねた著に、京一は短くそれだけを答えた。

 言葉が闇に吸い込まれる。

 思わず顔を見合わせた著と礼成だが、それ以上はあえて何も言わなかった。


───夜はまだ、始まったばかり。

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