44.続きの夜
それはまるで、虎と熊の対峙だった。虎は一定の距離を取りながら冷静な眼差しで熊の勢いの範疇ギリギリを保っているように見え、熊の方は瞳に炎を灯らせたような眼光で虎に一手すら出させる気はないようだった。しかし機敏な虎は倉庫内の環境を上手く利用し、上下左右に動き回っている。
伊野田の姿をしたウェティブはタラップを駆け登ったところから日向を見下ろし、面白がるように口を開いた。日向は追いかけるのを一度やめ、地面からそれを見上げる。
「そんなに怒ることないだろ、おれと日向の仲じゃない。忘れた? グランドイルの事」
「ふっ……」日向は鼻から息を漏らしてみるみる険悪な表情をしてみせた。
一瞬だけ、脳裏にグランドイルでの出来事を蘇らせる。夜の街、偶然を装った出会い、上質なブランデーと、汚れたドレス……。それらの記憶をすぐにグチャグシャにして頭の外に放り投げた。
「あの人がやらかした夜のことはよぉく覚えてるわよ? 女性の部屋に来たくせに、少し触れただけであの惨事……! おろしたてのドレスだったのよ! そうね、あの夜の続きを代わりにしてくれるっていうのなら、早く降りてらっしゃいよ」
外が騒がしくなってきた。人が集まりつつある。
日向が舌打ちし、横目で倉庫の窓を一瞥した間に拳が顔面に迫ってきたので右手でそれを弾く。追撃を左肘で受け、後方へ滑らせた左足を軸にし右足を振り上げる。何かを掠めたが直撃はしなかった。苛立ちを抑えながら掴んでいた斧を真横に薙いだ。
「その後、事件があっておれの腕が無くなったんだ。どうしてくれる?」
ウェティブは大げさに、困ったような力ない笑みを作って本人らしい物言いを再現させてみた。ついでに右腕をポキリと折るようなジェスチャーまでしている。
会話をする気が無いのか、足止めするつもりもそこまで無いのか、挑発するような言葉ばかりを選んでいるように思えた。日向はそれを一旦無視して、この場から立ち去ることを最優先事項に決めた。
顔面一発殴りたいのはやまやまだが致し方ない。隙をみて立ち去ることができれば尚更良い。だが自分の特性上、身軽な黒澤のようにそういったことが出来るとは思えず苦笑いを浮かべた。あわよくばウェティブの機能を停止させられれば上出来。焦ったりして冷静さを欠いたら終わりだ。相手は恐らく、伊野田の姿を模写したことで本人に成りきろうと振舞っているだけに過ぎない。
「私がここで捕まったらパァになる事わかってるなら、潔く退きなさい!」
日向は意を決して力業で押し通ることに決め、相打ち覚悟で思いっきり伊野田の、ウェティブの懐に踏み込んだ。自分の横面に衝撃を浴びるが、彼女は目を見開いたままで前進し、驚いた顔の機体を押し倒した後、勢いそのまま斧に叩きつけた。
1度で済まず立て続けに斧を打ち込まれたウェティブは動き出すことができず、疑似血液を噴出させながらも、何度目かに打ち下ろされた斧を片手で受け止めた。受け止めたというよりは、腕にめりこませたといった方が正しい。日向は肩眉を上げ、斧の持ち手を下から上へ小突き、テコの原理で刃をそれから引き抜いた。
引き抜いた勢いもあって、ウェティブの体が転がるがその表情は平静だった。胴、腹部、胸部、腕にも深い裂傷を負った機体はそれでも体を起き上がらせ、その疑似血液の中に膝をついた。全身をどす黒い色で覆われ、肩を震わせて笑みを浮かべる姿が不気味に写り、日向は目を細めた。機体は本来なら上がらないであろう腕を簡単に掲げて小言をぼやく。
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