第20話 奇跡の扉
それから、二日後、吾妻隊長が見舞いに訪れた。
『惨々、心配させよって!思っていたより元気そうやないか。おとつい、町田君から瑠璃くんの意識が戻ったって、連絡を受けていたんやが、夜勤の都合で遅くなってしまったわ。すまん!』
と詫びを入れてから、いかにも間に合わせというような花束を手渡した。
『皆、元気にしてますか?』
隊長の顔を見た途端、急に仕事仲間の事が懐かしくなった。
『ああ、皆元気や。元気がないのは瑠璃君ぐらいなもんや』
隊長は少し皮肉な言い方をした。
『最近、何か変わった事でもありましたか?』
オヤジは近況を尋ねた。
隊長は少し考えた末に、何かを思い出した様子で言った。
『そういえば最近、大学内の雰囲気が少し変わった様な気がするんや』
『何か、重大な事でも?』
オヤジが心配そうに尋ねた。
『いや、その反対や。急にキャンパス内が明るくなったというか、学生も職員も変わった様に感じる気がするなあ』
隊長もそう言ったものの、原因が自分でも、うまく説明できないまま、再びオヤジの話題に戻した。
結局、一時間程話し、帰って行った。
オヤジは隊長が帰った後、あの悪夢を思い返していた。
何の根拠もなく、バカげた考えとは思っていても、どうしてもただの夢として、かたずける事ができなかった。
あの時の記憶といい、感触といい、あまりにも生々しく残っていたからである。
だが、その葛藤も日々ベッドの上で過ごす内に夢として割り切れる気がしてきた。
それよりも、オヤジの回復力はまさに神的と言っていい程に速かった。
そして、一週間で退院の日を迎えた。
その後、一ヶ月間の自宅療養を得て、待ちに待った再出発の日がやって来た。
警備室の扉を開けると、あの、いつものメンバー全員が出迎えてくれていた。
『退院そして復帰、おめでとうございます』
女性の町田隊員が大きな花束を抱え、オヤジの再出発を祝し、第一声を発してくれた。
オヤジは笑顔で、皆に頭を下げた。
『でも、なぜ皆いるんですか?』
この質問に食いついてきたのは、佐古田隊員だった。
『そうなんすよ。オレ、今日休みでパチンコに行く予定やったんやけど、隊長に呼び出されて、しかたなく来たんすわ』と言ってオヤジの肩を拳で小突いた。
『まあまあ』と言う仕草で吾妻隊長が、大きく左手を高く振りながら、佐古田隊員をなだめた。
『あれ、隊長。肘、そんなに高く上げて、大丈夫なんですか?』
オヤジは、以前から肘の調子が悪かったはずの隊長を見て、思わず声を発したのである。
『おかげさまである日、急に治ったんや』
隊長は肘を伸び縮みさせて言った。
『そうやったんですね。でも、治ってよかったですね』
オヤジは、苦笑しながらいった。
『そんなことより、今日は瑠璃君の復帰祝いと他にもう一つ良い知らせがあるんや』
荒木隊長が首を長く伸ばし、上目使いで町田隊員の方を見た。
事務所内の一番奥に立って居た彼女は、すかさず四角い盆を携え、隊長の横へやって来た。
『なんですか?』といぶかるオヤジの前に二人は並んで立った。
『よう、やってくれた。これは、大学側からの感謝状と金一封や。受け取ってくれるか』
吾妻隊長がニコニコして言った。
オヤジは何の事なのかわからず、ポカンとした顔をしていた。
『実は、これがこの前、見舞いに行った時にうまく説明できんかった事の答えや。瑠璃君は以前から、図書館職員と学生たちの関係を気にしていたやないか?』
オヤジの記憶に助け舟を出した。
天井を見上げて、今までの出来事を振り返った。
『最初、この大学に来た時から、気になる事があった。それは、なんとなく疲れ切った元気のない学生。いつも、どことなく暗い表情の図書館職員の姿だった。でも、その原因はすぐにわかった。それは些細な事だった。学生の忘れ物の多いこと、図書館でのマナーの悪さが、学生と図書館職員の間に深い溝をつくっていたのだ。確かに学生の中には、学則を守らない者がいたし、学内職員の中にもいた。それに、新任警備員がすぐ辞めてしまうなぞと、図書館の悪霊騒動との関係だったオヤジの記憶が、走馬灯のように駆け巡り、やがて核心に辿り着いた。』
『そうや。ある日、図書館職員に学生の忘れ物について話しかけた事があったなあ』
再び、悪夢の記憶が蘇ってきた。
図書館職員に何かをお願いする姿だった。
一枚のポスターとメッセージカード。
最近、盗難が多発しております。
退出の際はもう一度、忘れ物のない様にお願いします。
そこには、自分の持ち物に対して、注意換気した文面が書かれてあった。学生の気持ちに配慮し、あくまでお願いというスタンスでだ。
ポスターは職員たちと目に着きやすい場所に張った。ビラを巡回時間を利用し、毎日、学生に手渡す自分の姿だった。
『瑠璃君、瑠璃君?』
呼ぶ声がした。
隊長は我に還るオヤジを見て、゛無理もないか"という表情を見せた。
『つい、考え込んでしまってすみません』
『ある日、図書館職員がやって来て、瑠璃君にお礼を言いに来たみたいで、最初は何の事か、全然わからんかった。でも、段々話が理解できる様になったんや。どうやら、瑠璃君の思いが図書館職員の心に、火を点けたみたいやで』
と誇らしげに言った。
職員の態度が変わり、ポスターとビラ配りのおかげで、学生の方の態度も変化したらしい。
にわか信じがたい話だが、現に図書館内には、例のポスターが貼られ、ビラ配りも全職員が交替でやっているという事だった。
夢が正夢になった?
自分には、どうしても表彰を受ける程の認識が持てなかった。
荒木隊長が盆から感謝状を取り上げ、内容を代読し始めた。
その間もオヤジの視線は定まらず、キョロキョロ周りの隊員たちの方へ泳がせていた。
『瑠璃さん、もっと嬉しそうな顔をしたら。せっかく皆、集まってくれているんやから』
巨漢の大槻隊員が野次を飛ばした。
『瑠璃さん、良い事しましたね』
町田隊員の一言で、拍手が湧き上がった。
『ただ、瑠璃君。こういう事は、まず隊長の私に相談してから行動して欲しかったんやけどな』
荒木隊長は苦言を呈しながらも、終始笑顔を崩さなかった。
その時だった。
゛瑠璃さん、これからも、よろしくお願いしますよ"
神野隊員の声が耳元に聞こえて来た。
『あっ、神野さん』
オヤジは、やっと神野隊員がいない事に気が付いた。
『荒木隊長、神野隊員は?』
どうして今まで気づかなかったのだろう?
『実はつい最近辞めたよ』
隊長は言いにくそうに渋い顔をした。
『なぜ、辞めたんですか?』
横から佐古田隊員が割り込んできた。
『やっと、自分の仕事ぶりに気が付いたんすよ。』
『詳しいことはわからないが、親孝行がしたくなったと言っていたが、それ以上の事はわからないよ。』
と隊長が言った。
『神野さんに両親が?一人身じゃなかったんですか?』
隊長の後ろにいた町田隊員が尋ねた。
『年齢不詳のお母さんがいるらしい。』
『自分の親の年も知らないんだ。さすが神野さん。』
と狭い警備室内にクスクス笑う声が漏れた。
しかも誰一人として神野隊員を惜しむ者もいなかった。
キンコンカンコーン
新しい一日の始まりを告げるチャイムが鳴った。
『敬礼!おはようございます。』
いつもの朝礼が始まった。
『本日からまた瑠璃君にがんばってもらう。昨日からの勤務者はご苦労様でした。』
隊長の号令で解散となる。
『塚田隊長、佐古田君、服部君、休みのところ呼び出してすまなかった。』
隊長は3人に礼を言った。
オヤジは久しぶりに電話番に就いた。
新人に戻った気分でとても新鮮に感じた。
電話番をしながら神野さんの事を考えていた。
『年齢不詳のお母さんか?神野さんらしいな。』
もう一度神野さんに会って話がしたかった。
朝の巡回に出たオヤジはキャンパス全体が明るくなった。
図書館に入ると例のポスターが目を引いた。
図書館利用者の方へ
最近、非常に盗難が多発しています。
皆さんにとって大切なお荷物です。
どうぞ、お帰りの際はもう一度忘れ物がないか確認の上、退席してください。
よろしくお願いします。
図書館館長
確かに職員の顔から笑顔が漏れている。
受付カウンターに笑顔の花が咲いていた。
オヤジは、その光景を不思議そうに眺めていた。
ありがたい事に隊長の指示により、しばらくの間、夜間の巡回は他の隊員が引き受けてくれる事になった。
いつも通り隊員たちが夜間巡回に出た後、隊長とオヤジと警備室に残った。
オヤジはのどが渇いたので、警備室から一番近い場所にある自販機の場所まで歩いた。
自販機の商品ボタンを押すと同時に後ろから声がした。
振り返るとオバケ君が笑顔で立って居た。
自販機のコーナーの屋根の上に取り付けられた蛍光灯の光ですぐに誰かわかった。
『生還、おめでとう。』
『まったく大変な目に会ったわ。ここにいるのが不思議なくらいや』
自販機の商品取り出し口から、お茶のはいったペットボトルを掴み出して言った。
『元気になって良かったね』
『オバケ君とも、ご無沙汰やったな』
オヤジはオバケ君の正面に向き直って言った。
『ご無沙汰という程でもないさ。ついこの前まで一緒だったじゃないか』
オヤジはその言葉の意味を理解していなかった。
それよりも、入院中、生死をさまよう中で不思議な夢を見た事や今朝、偶然にも夢が正夢になり、図書館の職員と大学から表彰を受けた話をした。
オバケ君は、オヤジが悪夢だと思っている夢の中で見た非現実的な出来事を、到底理解できるはずがないと思った。
『けど、いくら考えてもリアルで不思議な夢やったんや』ばかりを繰り返すオヤジ。
『その夢の中に、いつもオバケ君と神野さんが登場してくるんや。その神野さんが・・・』
むしろ、おもしろく語ろうとするオヤジの表情から、信じてもらえるか悩んだ。
オバケ君はある事に結論付けた。
『瑠璃さん。その話、長くなりそうだから、また近いうちにゆっくり聞かせてよ』
と言った。
『そうやな。今は勤務時間やしな』
オヤジは素直に了承した。
結局、明日の夕方に再開する事を約束し、オヤジは警備室に戻って来た。
その時、オヤジの頭の中にあの悪夢が蘇って来た。
未だに消えない記憶と感触。
それに今朝の出来事。
思えば思うほど、気になってしょうがなかったので、オバケ君にあの悪夢の話がしたくなった。
『オバケ君、今度時間作ってくれないか?』
『いつでもどうぞ。オバケにはいくらでも時間はあるからさ。』
と皮肉まじりの笑顔で答えた。
オヤジは今度の休みにオバケ君と会う事を約束して警備室に戻った。
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