第19話 オヤジ生還

オヤジはハッと目を醒ました。

白地の天井が見える。

薄いピンクのカーテンに、仕切られているのがわかった。

夢を見ていたのか?

脇で誰かが泣いている。

ここは何処なのだろう?

腕を持ち上げると、鉛のように重い。

突然、その腕をガツンと掴む者がいた。

『パパ!』

耳栓を急に引き抜かれたように、大音量が鼓膜を刺激した。

『パパ!』

『パパァ!』

『オヤジ!』

不揃いな三重奏が、再び鼓膜を揺さぶった。

ボンヤリとした視界が、徐々にその正体を捉えた。

『真理恵?』

目の前には、涙で濡れた妻、真理恵の顔があった。

その顔が、凄くやつれて、歳を取った様に見えた。

真理恵の横に、長女の夏海、寝ているベッドの足元には長男の一輝が立っていた。

『パパが、目を開けたで!』

声を震わせ、何度も何度も叫ぶ真理恵の声に、辺りが騒がしくなり、オヤジの周りにドンドン人が集まってくるのが感じられた。

事実、オヤジは三日間、病院のベッドの上で、生死をさまよっていたのだった。

主治医の先生の話では、オヤジの回復振りと後遺症がない事から、何とも説明し難い不思議なケースで、まさに奇跡だと驚いていたらしい。

とは言っても、もうしばらくの間は、ベッドでの生活を送る事になった。

『不思議な夢やったなあ』

窓越しに流れる雲を眺めながら、夢の内容を思い返していた。

『それにしても、夢の中の神野さん、不思議やったあ』

何度、思い出しても笑いが込み上げてくる。

『神野力かあ』

その時だった。

ジンノリキ!

オヤジはハッと気が付いた。

名前を全て訓読みすれば・・・

かみのちから!!

また、笑いが込み上げてきた。

我ながら、ダジャレとも取れる言葉の響きに苦笑したのだ。

窓を流れる雲に、神野隊員の顔を重ね、夢見心地でまどろんでいた。

その時、ふとオヤジの頭に、今まで考えもしなかった事が浮かんできた。

平素、神野隊員の仕事ぶりと言えば、まあ、お世辞にも良く仕事ができるとは言い難かった。

でも、どんな事があっても怒らないし、慌てる事もない。

ましてや、他人の悪口など聞いた事もなかった。

『わざとあんな振る舞いを、していたのだろうか?何のために?』

最初は、いくら考えても答えは導き出せなかったが、やがてオヤジはある事に気が付いた。

『自分達が毎日、真面目に仕事に打ち込んでこれたのは、神野隊員のお陰だったのかもしれない。神野さんを反面教師にする事で!』

そう考えると、全て収まりがつくのだ。

彼の存在が理解できた。

静かな個室で、ゆっくりとした自分だけの時間を過ごしていると、病室のドアを軽くノックする音がして、真理恵が嬉しそうな顔で入ってきた。

『よっ!』

今日、すでに二回目となる妻の顔に、オヤジはニッコリ微笑んだ。

『やけに嬉しそうやなあ』

真理恵はオヤジの問い掛けにも答えず、ドアの方を振り返って、合図を送った。

すると、ドアの向こうには、合った事もない男性が立っていて、その他にも数人の男女若者の姿が見えた。

男性の後ろから、ヒソヒソ話をする女性の声が気になった。

男性は年の頃、四十代半ばでガッシリとした体格にメガネを掛けていた。

オヤジは男性に軽くお辞儀をすると、ドアの裾から一人の若い女性が顔を覗かせた。

『パパ!』

弾けるような声がした。

長女の夏海だった。

『よお!夏海、来てくれたんか』

嬉しそうに夏海を見た。

夏海の、よそよそしい声を聞き逃さなかった。

オヤジとして。

殻にとじ込もり、他人とは、あまり関わりを持とうとしなかった夏海だが、自分なりのペースで少しずつ、大人になろうとしている事に気付いたのである。

『さあ、皆さん、中に入ってください』

真理恵は客人たちを部屋に招き入れた。

狭い個室が一杯になり、若者の熱気で息苦しくなりそうだった。

『こちらは、夏海の大学のゼミでお世話になっている助教授の南禅先生。ずっと、心配してくださっていて、是非、お見舞いにと来てくださったんよ』

真理恵が改めて紹介した。

『夏海さんのゼミでご一緒させて頂いております、南禅と申します。元気になられたと聞き、安心致しました』と挨拶した。

オヤジもベッドの上で身体を起こし、深々と頭を下げ、お礼を述べた。

物静かで控えめな南禅助教授は、一言二言、会話した後、自ら後ろに引き下がり、夏海たちに席を譲った。

夏海はオヤジを目の前にして、何となく恥ずかしそうに、先程から夏海にピッタリくっついて離れない三人の若者を紹介した。

三人とも、同じ大学に通うゼミ仲間らしく、今回、オヤジの大事を聞き、ゼミの先生を通じて、意気投合したメンバーだという事がわかった。

『加藤真央と申します』

『笹口美月です。はじめまして』と、自己紹介をした二人の女子の後ろに、背の高いイケメン男子学生が立っていた。

オヤジは驚きの眼差しで、夏海を見た。

『彼も同じゼミの生徒なんよ。パパのこと、一番心配してくれてたんやから』

『彼?まさか!』

驚きの連続パンチにノックアウト寸前のオヤジの前に、長身の男子学生が豪華な花束を抱えて恥ずかしそうに挨拶した。

『夏海さんとは、ゼミで仲良くしてもらっています。有澤優斗と申します。お元気になられて何よりです。これどうぞ』と言って、花束を手渡した。

オヤジは複雑な顔付きで、夏海とイケメン学生を交互に見ていた。

『まだ、友人になったばかりで、彼氏にはほど遠いですから』と照れ臭そうに答えた。

『皆さん、今日は本当にありがとう』

オヤジは心から感謝を述べた。

真理恵が、さっそく頂いた花束を花瓶に移し変えた。

振り向き様、先程から立ちっぱなしの南禅助教授に椅子を勧めたが、かたくなに断り続けていた。

結局、女子学生二人が、その椅子に座り、夏海と男子学生は後ろに立ったまま、会話の仲間に加わった。

お持たせのケーキを友人たちと楽しそうに、笑って食べている姿に、オヤジの目は涙で潤んでいた。

‘’良かったな、夏海‘’

『では、この辺で』

オヤジの身体を気遣っての事だろう。

南禅助教授は、静かに切り出した。

夏海たちの友人たちは、まだ居たそうにしていた。

『夏海の事、よろしくお願いします』と、真理恵と二人で頭を下げた。

夏海の友人たちも、帰り仕度を始めたが、夏海は空いた椅子に、自分の荷物を置き直した。

『ロビーまで、送ってくるわ』と言って、夏海も部屋を出ていこうとした。

『せっかくやから、今日は皆と一緒に帰りなさい』

オヤジは、出ていこうとする夏海を呼び止めた。

『ほんまに帰ってええん?ほな、そうする。また、明日くるから』と笑顔で答えた。

『気、付けてな』

オヤジに気を使い、右手で敬礼の真似をして、嬉しそうに友人たちの後を追い掛けて行った。

しばらくして、静けさを取り戻した病室に真理恵が戻ってきた。

オヤジはホッと安心したのか、急に睡魔が襲ってきた。

『少し寝るわ』と言った。

布団に潜り込みながら、オヤジは思った。

『良かった。ほんまに良かった』

今までの胸の支えが、一気に取れた気がした。













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