第18話 魔人ルドラ
試験棟を一棟ずつ隈なく確かめたが、人の居る気配がない。
最後にやって来たのは、オバケ君がかつて専攻していたロボット工学科の研究室がある建物だった。
研究室に入ると勝手をよく知っているとあって、オバケ君が先に歩き始めた。
七階建ての建物は中庭を挟んで左右に分かれていた。
左手にあるのが教授たちの個人研究室で右手が学生たちの研究室となっていた。
オバケ君は久し振りに我が家に戻って来た様に、スイスイと奥へ進んでいく。
勝手を知り尽くしてか、動きに無駄がなかった。
三階から下は研究資料室があり、パソコンがギッシリと並んだ事務所も兼ね備えた大きな部屋が並んでいた。
いつの間にかオヤジは、オバケ君とのキョリを大きく離されていた。
長さにして十メートルは離れていただろうか。
小声では聞こえない距離だった。
突如、まっすぐ続く廊下を歩くオバケ君の足が資料室の前で止まった。
やつを発見したのか?
オバケ君は一端資料室の扉から離れ、壁際に身を寄せた。
オヤジも足を止めた。
部屋の中から薄らと明かりのようなものがチラチラ揺れているのが見える。
オバケ君はオヤジが手にしたライトの明かりを消すよう合図を送って来た。
窓は生憎、擦りガラスで中の様子が、十分見て取れなかった。
扉の隙間窓に目を移し、首を動かし様子を伺う手段に出た。
そこにオヤジをようやく追いついた。
オバケ君の横にピッタリと寄り添い、中の様子を確認する。
『中に、やつがいるのか?』
小声で言った。
オバケ君はオヤジの問い掛けに答えず、中の獲物の不可思議な行動から目を離さなかった。
『やつは何をしてるんだ?』
オヤジの身体がつい前に出てしまった。
オバケ君は俺に任せろと言わんばかりに、オヤジの身体を押し返した。
その時、ルドラが動いた。
オバケ君は、反射的に後ずさりしたが、目はルドラを捉えて離さない。
ルドラが部屋の中を移動したらしかった。
ルドラは沢山並んだパソコンの前をウロウロしていた。
この建物の研究資料室には、世界各国の著名人やエリート大学、教授たちの研究データが集められた宝庫であった。
特にパソコンにも最新の記録、情報が管理されていた。
ルドラはそのデータを盗むつもりなのだ。
ルドラの第三の目は全開に開かれ、大学におけるすべての知的財産を吸い取るつもりなのである。
オバケ君は、その恐ろしい光景の一部始終を見てしまった。
厳重なセキュリティガードなど彼には、何の障害にもならなかった。
『あいつ、資料室のデータを盗んでやがる』
身体の震えが止まらなくなった。
オバケ君はその場にしゃがみ込んで、自分の体の震えを、両手で必死に押さえようとしていた。
その光景は、オヤジの位置からも確認できた。
入試問題の入った倉庫で見た、恐ろしい形相は、額に浮き出た第三の眼が赤く光っていた。
゛眼を見てはいけない"
頭ではわかっていたが、体がいう事を効かない。
ルドラの呪縛から逃れる事ができない二人は、ただ見ているしかなかった。
『この悪行を止めなくては、大変な事になる』
だが、二人は成すすべがなかった。
気付けばルドラは、念願の大学に収められた膨大なデータを、自分の脳にインプットしていたのである。
まったく、無駄のない動きだった。
『瑠璃さん、やつが出てくる』
と小声で呼びかけた。
すばやく、二人は近くのトイレに隠れた。
ルドラは悪事を働いたにも関わらず、何食わぬ顔で出てきた。
カギが自動的に締める音が廊下に響いた。
『超能力?まるで手品師だ』
息を殺して、ルドラの様子を伺っていた。
ルドラは、オヤジたちが潜むトイレの前を通りすぎようとした時、一瞬足を止めた。
オヤジたちに緊張が走った。
だが、思い直したように、そのまま歩き去った。
ホッと胸をなで下ろした二人は、すぐさま、ルドラのあとを着けた。
二人は二階のロビーに降りてきた。
ロビーの真ん中に、エレベーターがあり、窓越しに隣の研究棟が見える。
研究棟へは渡り廊下で結ばれており、教授たちの個人研究室がスラリと並ぶ、一種の聖域の空気が流れていた。
個人研究室の廊下は極端に狭かった。
その狭い廊下のライトが点灯していた。
明らかに、やつがこの廊下を歩いた可能性がある。
通過すれば、廊下の取り付けられたセンサーライトに、反応するからだ。
だが、廊下には人気はない。
おそらくどこかの部屋に入ったのだろう。
生憎、個人研究室には、中を覗く窓がなかった。
どうする。
その時、オヤジが口を開いた。
『あの第三の眼を何とかする事や』
『何とかって?』
『あの眼を無くしてしまえば、やつは大人しくなるはずや』
あまり、根拠のないセリフだった。
『第三の眼。邪悪な心?』
オバケ君は、しきりに口をパクパクさせ、何か答えを導こうとしていた。
『そうか、闇に光をだ!』
オバケ君は右手の拳を左の掌に打ち付けた。
『よし!その作戦で行こか』
だが、相変わらず、ルドラに動きはない。
果たして、こちらの予想を覆し、資料室だけのデータを盗み、さっさと逃げ出してしまったのだろうか。
二人は不安で、心を揺さぶられていた。
その間にも、教授たちの個人研究データが、盗まれているかもしれない。
時間だけが過ぎて行く。
『こうなったら、少し強引やけど、こちらから、やつを探して取り押さえるしかないで』
オヤジはもう待てないという仕草を見せた。
『それって、無茶だよ』
一時は強気を見せていたオバケ君だったが、普段の弱気な彼に戻ってしまっていた。
『大丈夫や。うまくいく』
とオバケ君の肩を叩いた。
『その前に、取りに行きたいものがあるんや』と言い残して、オヤジは建物を出て行った。
オバケ君はその素早い動きに、答える暇がなかった。
戻ってきたオヤジは得意そうな顔をした。
手には、予想もしなかった一本の護身用具、さすまたが握られていた。
『こいつで取り押さえる』
オバケ君は、さすまたなるものを、見た事がなかった。
さすまたは強姦などを取り押さえる時に、用いる重要な警備用の護身用具である。
使い方さえわからない。
だが、なぜか余裕の笑顔を見せるオヤジに、少し安心してか、固い表情だったオバケ君の顔が和らいだ。
二人は細い廊下を直視していた。
個人研究室前の廊下は、まっすぐ奥まで一直線に伸びており、途中脇に入るような廊下はなく、突き当たりにようやく右に曲がる廊下があった。
まず、オバケ君がオヤジの作戦に従い、奥に向かって歩き出した。
センサーライトが反応し、わかっていてもドキッとさせられる。
ルドラが、どこかの部屋から出てくるのを想定しながら、ソロリソロリと歩いた。
オバケ君が廊下、中央辺りまで進んだのを見て、オヤジが後ろから、少しずつ距離を縮めて行く。
廊下を歩く足跡が、廊下に敷かれたピンクのカーペットに、靴が引きずられる音が、やけに響いた。
『やつを挟み撃ちにするんや』
オバケ君が奥に突き当たり、オヤジも中央辺りまで来た時。カチャっという音がした。
同時に二人は音のした方を見た。
スッとオヤジの行く手前の扉が開いて、ルドラが出てきた。
゛やつや!目を見るなよ!"
そう、自分に言い聞かせた。
そして、ここは警備員としての責任を果たす時が来た。
オヤジは毅然とした態度に出た。
『君、こんな遅い時間に何をしているんや』
ルドラは、二度会う顔に驚いた。
反射的に部屋に引き返そうと考えた彼に、オバケ君が勢いよく走り込んできて、ルドラの足に掴みかかったのである。
不意を突かれたルドラは、バランスを崩し廊下に倒れ込んだ。
『ええぞ!オバケ君!』
だが、体格で勝るルドラは、オバケ君をいとも簡単に、突き飛ばして立ち上がった。
オヤジは、さすまたをルドラに向け、『いつでも来い!』といった姿勢で身構えた。
オバケ君も、ルドラが動揺しているのを見て、逃がすまいと両手を広げた。
完全に逃げ場を失ったルドラは、壁に背中をつけ、二人を睨み返した。
『逃がさんぞ!』
作戦開始。
オヤジの手にした、さすまたがルドラの上半身に飛びかかり、ガッチリと押さえ込んだ。
『今や!』
オヤジの叫び声に反応したオバケ君は、オヤジから手離されていたライトの光をルドラの額にクッキリと開かれた第三の眼に照射したのだ。
白い強烈な光線が彼の目を溶かすように注がれる。
オバケ君は『これでもか!』と言わんばかりに光を照らし続けた。
ルドラは苦しそうに、首を左右に激しく振り回して逃れようとした。
第三の目は、一度開かれるとなかなか自分の意志では閉じることができないらしい。
むしろ、ドンドン光を吸い込んでいくように見える。
『ああ、腕が!』
オバケ君は悲痛な叫び声をあげ、助けを求めた。
もはや、ルドラ自身でも、制御が効かなくなってしまった第三の目は、ライトごとオバケ君の腕を呑み込もうとしていたのである。
オヤジは慌ててオバケ君の腕を掴みながら、叫んだ。
『お前!自分が何をしてるか、わかってるんかあ。目を覚ませ!』
オヤジの放った大声が波動となり、ルドラの頭の中を揺さぶり全身に伝わった。
ルドラの体が小刻みに揺れ始めた。
明らかにオヤジの声が彼の体に反応を与えたのだ。
ルドラは全身の力がなくなり、ガクリとひざを突き、その場に顔を両手で覆いながら、崩れ落ちた。
『うううーっ』と苦しそうにうめき声を上げるルドラの額から、赤いものがほとばしり出てきて、四方に飛び散った。
まるで、悪い膿でも出すかのように。
その量は大量に流れ出た。
赤い不気味な光は周囲へ拡散し、闇の中へ消えて行った。
第三の眼から光を出しきったルドラはすでに気を失っていた。
『死んじゃいないよね』
『ああ、息はしてる。死んだとしたら、オバケ君の方が得意とちがうのか?』
と皮肉を込めて言った。
『オバケ君、担架を取りに行こう』
『タンカ?』
『ああ、彼を医務室まで運ぶんや』
その時、後ろで人の気配がした。
二人が具り返ると、神野隊員が立っていた。
『運ばなくても彼は大丈夫。第一、今何時だと思っているんですか?』
神野隊員はつぶらな瞳を細くして、オヤジに微笑みかけた。
『瑠璃さん、任務完了です。お疲れ様でした』
すると、オヤジの身体が軽くなり、猛スピードで移動し始めた。
見る見る霧が立ち込め、かろうじて神野隊員とオバケ君の姿が遠目に見えた。
遠ざかる記憶の中で、オバケ君がオヤジに向かって懸命に手を振り続けていた。
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