第12話 オヤジ大ピンチ

ようやく暑さから解放され、秋を感じさせる季節になった。

十一月を迎えたキャンパス内は学園祭を一週間後に控え、様々なサークルに所属する学生たちが、慌ただしく準備に追われていた。

日曜日の休日巡回。

オヤジは午前中、グラウンドに面した外周道路を歩いていた。

朝から、小雨が降ったりやんだりの不安定な天候だった。

おまけに風も強かった。

だが、今日は工事関係業者が多かった。

この前の台風の影響により、研究棟のあちこちで設備機器の故障が相次ぎ、その修理に呼ばれていたのである。

時折の雨に傘を差しながら巡回していたため、オヤジは突風で再三、傘が煽られた。

やむなく、傘を盾にして歩くことが多くなり、前がおろそかになりがちになっていた。

そこへ突如、傘の隙間から学園祭に使用すると見られる畳一畳分程もある大きさの立て看板を背負い込み、頭でバランスを取りながら、道路脇を歩いて来る学生が目に入った。

学生は反対側の道路を、オヤジと並行する形でヨタヨタと歩いていた。

オヤジは危険を感じ、横目で追いながら、学生の歩調に合わせて歩いた。

すると、学生は突然立ち止まり、後ろを振り返ったかと思うと、道路を横断し始めたのだった。

その時、背中に担いだ大きな立て看板が風に煽られ、バランスを失ったのだ。

『あっ、危ない!』

オヤジは咄嗟に叫んだ。

そこへ、グラウンドの角から1台のトラックがこちらに向かってやって来た。

オヤジは、学生をかばい、トラックに大きく腕を振って合図を送った。

幸いトラックは、オヤジの合図に 早く気付いてくれたお陰で、事故にはならなかった。

『看板が大きいから、十分前に注意して下さいね!』

おやじは優しく声を掛けたつもりだったが、学生はムッとした表情で、面倒くさそうに看板を背負い歩き去った。

オヤジは学生の後ろ姿に溜息をつき、気を取り直して歩き出した。

更にキャンパスの外周を回り、緩やかな坂道を下って行くと、左手に試験棟五号館が見えてきた。

オヤジは五号館に入る階段を上り始めた。

階段を上りきったところで、建物の陰から出てきた大柄な学生と鉢合わせになったのだ。

その学生も先ほどの学生と同じく、大きな看板を抱え込んで飛び出してきたのだ。

ほとんど前が見えていない状態だった。

オヤジは上背では引けをとらなかったが、体格差で勝る学生の抱えた看板に突き飛ばされ、上って来た階段を下まで突き落とされ、コンクリートの壁に頭を強く打ちつけてしまったのだった。

すごい衝撃。

自分が発したうめき声・・・

だが、その先の事はまったく覚えていない。

オヤジは、夢を見ていた。

それは、悪夢とでもいうべき、深い深い暗い場所で、長い長い夢だった。

しかも、夢はリアルすぎた。

『瑠璃さん・・・、瑠璃さん・・・』

どこかで繰り返し自分の名を呼ぶ声がする。

声のする方へ眼を凝らしてみるが、真っ暗で何も見えない。

手探りのまま、暗闇の中を歩いて行くと、眼の前に見慣れた扉が現れた。

その扉は、桜並大学警備室の扉だった。

オヤジは、ノブに手を掛け、ためらいもせず扉を開けた。

見慣れた警備室が現れ、中央の隊長席には誰か座っていた。

ドアの開く音と共に、ゆっくりと椅子が回転して正面を向いた。

『オバケ君!』

思わぬ人物に驚きの声を上げた。

『どうして君がここに居るんや?』

現実がよくつかめていないオヤジは尋ねた。

『ほかの隊員たちはどうしたんや?』

『誰も居ないよ。ぼくたちだけだ』

『ぼくたち?』

すると、隣の席から『よっ』と言う声がした。

『神野さんやないか!』

『それより、瑠璃さんには大事な仕事があるんだよ』と言いながら、隊長席から立ち上がった。

どこか、いつもと様子が違う。

『大事な仕事って何や?』

まったく状況が呑み込めないオヤジは、イラつき始めていた。

オバケ君はオヤジに近づいてきた。

『この前、僕に時間をくれないかって言ったよね?』

オバケ君は笑みを浮かべながら、意味深な言葉を吐いた。

その時、警備室内の警報盤が鳴り響いた。

ビービービー。

警備室内は大音響のお陰で、一気に緊張感に包まれた。

オヤジは警報盤を睨みつけた。

『図書館ロビーで火災発生や!』

モニターを見ながら叫んだ。

『オレ、至急現場へ向かいますので、神野隊員はここで連絡を待って下さい!』

オヤジはヘルメットに手を伸ばしかけた。

『瑠璃さん、そんなに慌てなくていいよ』

オバケ君の落ち着いた声が飛んできた。

『えっ、どう言うことや?』

『例の悪霊たちの仕業だから』

『出動!』

神野隊員が突然大きな声を張りあげた。

いままで聞いたことのない声にオヤジは驚いて神野隊員を見た。

『よし、行こう!』

気合いを入れるオバケ君。

神野隊員との阿吽の呼吸が伺える。

なにかがいつもと違って見えた。

神野さんの号令でオバケ君に促され、オヤジは外に出た。

外は見慣れた景色が広がり、空にはきれいな満月が浮かんでいた。

二人は図書館のロビーにやって来た。

オヤジがカギを開けた。

閉館した館内には人影もなく、火の気も見当たらない。

゛悪霊の仕業?"とオバケ君の言葉を思い出した。

『瑠璃さん、例の絵の前に行こう』

二人は絵の前で立ち止まり、オヤジはライトを照らした。

オヤジは背筋に悪寒が走った。

゛悪霊たちは大人しく絵の中に居るやないか?"と思った。

『どうやら、絵の後ろに秘密があるらしい』

オバケ君から新情報がもたらされた。

オヤジは絵によじ登るための踏み台を探しに、その場を離れようとした。

だが、オバケ君はオヤジを呼び止めた。

『ここはオバケの僕に任せて!』

そう言うとオバケ君はフワフワと無重力空間にでも出たかのように、絵に近付き手を掛けた。

だが、絵の額が思うように外れない。

しばし格闘した末に、ようやくガシャという鈍い音と共に額が外れた。

『ふうっ』と溜息をついた瞬間、取りはずした壁に大きな穴が出現し、突然、竜巻のような風が湧き起こり、二人は穴の中に吸い込まれてしまった。

一瞬の出来事だった。

気付くと二人は、暗闇の中にいた。

白い階段らしきものが辛うじて見える。

辺りは暗闇の世界が広がり、星の輝きすらない。

ただ、ひたすら下に向かって、白い階段だけが伸びていた。

『オバケ君ここはどこなんや?』

オヤジは不安に耐えかねて思わず質問した。

『これでいいんだ。神野さんが教えてくれたんだ』と不思議なことを言った。

しばらく、二人は無言で暗闇に続く階段を降りて行った。

どこまでも続く階段を下って、かれこれ1時間になる。

手にしたライトが、唯一足元を照らしていた。

『どこまで行くんや?』

オヤジは再び口を開いた。

『もう少しだよ』

オバケ君はそう答えただけだった。

オヤジは、この恐ろしい程深く長い階段に不安と恐怖に押し潰されそうになった。

しばらく行くと、オバケ君が突然立ち止まった。

暗闇の先で何かがキラキラ光っていた。

『なんだ。あれは?』

なぞの光は全部で八つ。二人を何処かへ導いているかのように見えた。

『よし、着いて行こう』

オバケ君はそう言うと、また階段を降り始めた。

以前より少し速足になった気がする。

なぞの光源も見え隠れしながら、キョリを保っているように思えた。

オヤジは、ライトで光を見失わないように前を照らし続けた。

やがて、なぞの光をハッキリと捉えられるキョリまで近づいた。

急に辺りが寒くなり、足元が見る見る霧に包まれ、雲の上にいるような錯覚に落ちた。

霧の合間から見えてくる光の正体は、オヤジの持っているライトの光に反応した。

何か、けものの目らしい。

ぼんやりとその姿が浮かび上がる。

突然、足元が平らになった。

ようやく、地の底に辿り着いたのか。

濛々と立ち込める霧の中を二人は両手でかき分け、ソロリソロリと歩いた。

『そろそろこの辺だけどなあ』

やがて大きな鉄扉が見えてきた。

二人はその鉄扉を押し開けた。

急に光が差し込んできて、一瞬何も見えなくなった。

しばらくして、視界がはっきりしてきた。

目の前には雲海が広がっていた。

遥か向こう朱色の空に、小高い丘が裾野をよ広げていた。

丘の上には城のようなものが建っていた。

二人は城を目指して雲海の中を歩き始めた。

気付けば謎の光の玉も見失ったようだ。

やがて、足首程までしかなかった雲は、気が付けば胸元まで立ち込めていた。

しかも、海底にじわじわ沈んで行くように、やがて二人は雲海に呑み込まれていった。

『あかん、息ができん!』

オヤジが苦しそうな悲鳴を上げた。

二人は、一歩も前に進めなくなってしまった。

辺りは真っ白な雲に覆われ、視界が遮られてしまった。

もはや、丘の方角すらわからない。

その時、あの見失った光の玉が姿を現し、二人を丘へと導いていったのである。

今度は、はっきりとその数まで見えた。

光の玉は全部で八つある。

不思議な事に光の玉の力なのだろうか、急に体が軽くなり、歩く速度が早くなった気がする。

いや、その程度の速さではない。

雲の上を飛んでいるではないか。

証拠に一歩も足を繰り出していない。

スイスイと水面を流れる笹舟のようである。

あれだけの道のりを瞬間移動したような速さだった。

突如、雲の切れ目から漆黒に光る巨大な城が出現した。

だが、よく見ると城はなく巨大な寺院であった。

寺院は、空を覆い隠すほどの大きさで、おおよそ、普通の人間が住んでいるとは思えなかった。

鋭く婉曲した瓦屋根の上には、左右鬼の角を模した飾りが、獲物でも待ち受けるかのように、天に向かい伸びていた。

雲の上に浮かぶ神秘的な巨大寺院を目の前にして、オヤジたちは首が折れんばかりに、その重厚で大きな鉄の扉を見上げた。

゛もしかして、これ地獄やないか?"

オヤジの予感は当たっていた。

階段は地獄に通じる道だった。

地獄には果てがなかった。

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