第7話 不吉な予感
夏も終わりに近づいた8月末。
珍しく昨夜は雨が降ったが、焼石に水といった感じだった。
朝からせみの鳴き声と、過剰に照り付ける太陽の日差しに押しつぶされそうになりながら、朝の巡回を終え、警備室に戻ってきたオヤジは、長い勤務から解放された。
オヤジにとって、奇妙な学生への疑念は深まるばかりだったが、彼との関係に変化が起き始めたのは、あの出来事の後からだった。
オバケ君こと大葉圭太と名乗った学生は、オヤジが夜間巡回の時、必ず教室棟E館の前に姿を現すようになった。
一種、奇妙な彼の行動に、オヤジは声を掛けずにはいられなかった。
『こんな遅い時間まで、いつも、ここで何してるんや?、夏休み中の自主勉にしても、何で図書館でせんのや?』と尋ねた。
だが、学生は答える素振りを見せないので、違う質問をしてみた。
『君、どこから来てるんや?』
学生はちらっとオヤジを見て、再び目を伏せた。
軽い反応を示した後、彼は重そうな口を開いた。
『僕は北海道出身なんです』とだけ答えた。
『そうか。遠くから一人で出て来て、この辺りで下宿してるんやな』とオヤジは思った。
学生はオヤジが教室棟E館の巡回を終えるまで外で待っていた。
夏休みという穏やかな時の流れに麻痺してしまったのか、時間に余裕がある時には少しの間、彼と話をするようになった。
ある時、オヤジは自分の娘の話をした事があった。
名前は夏海。
八月生まれということで青い海をイメージして、夏海と付けた。小さい頃は元気で、活発な女の子のイメージが強く、人前でも平気で歌やダンスを披露した。
変化が現れたのは、中学二年生の頃からだった。
人と接する事に、抵抗を感じ始めたのである。
その後、高校受験にも失敗。
自分の希望する高校には行けなかった。
結局、別の高校に進学したが、馴染めず、二年生を迎えた春、辞めてしまったのである。
それからしばらくの間、家に閉じこもる日々が続いた。
それでも、何とか高校卒業認定を取得し、回り道はしたが、大学に進学してくれた。
オヤジは、とても喜んだ。
だが、人と関わる事から遠ざかっていた夏海に、友達ができない事を、一番誰よりもオヤジが心配していた。
『なんで、夏海の話なんかしたんやろ?』
きっと学生を見た時、どこか夏海を見ている様に思えたからにちがいない。
彼は話が長くなった時などは気を使い、オヤジの巡回に迷惑が掛からないように帰っていった。
『あの子も良い子なんやろうけど、きっと寂しいんやろうな』
彼の瞳の奥に、孤独と深い悲しみのようなものが滲み出ていた。
彼は飛行機の話が好きだった。
航空力学の話から、宇宙の難しい話までよく知っていた。
だが、自分の話になると話題を変えた。
常々、不思議に感じていたオヤジは思い切って聞いてみた。
『何で、いつも過去形で話すんや?』
次の瞬間、学生の顔つきが一変した。
いつもの青白い顔が一層青くなって、オヤジを睨み返した。
オヤジは初めて見る、その形相に恐怖を感じた。
彼は少しの沈黙の後、重い口を開いた。
『実は僕、もうこの世の人間じゃないんです。すべて終わった事なんです』
吐き捨てるように言った。
二人の間に重々しい空気と沈黙が漂った。
『あはははっ』
突然、学生は大声を上げて笑い出した。
目の前には、氷のように冷たく固まったオヤジの姿があった。
『瑠璃さん、うそだよ。お化けがこんなに、よくしゃべらないよ!』
先ほどとは正反対に明るい表情になり、勢いよく立ち上がった。
『じゃあ、今夜もぼくの話、付き合ってくれて、どうもありがとう!』
軽く敬礼のまねをして、暗闇の中に消えて行った。オヤジは彼の後ろ姿を見詰めながら、しばらく考え込んだ。
『ひょっとして、彼があの時の学生?』
そう思った途端、全身がガクガクと震えはじめた。
次の朝、長い勤務から解放され、家に帰ってきたが、オヤジはほとんど口を利かなかった。
『何かあったな』と一目でわかるほどやつれた顔をしていた。
ソファーに寝転がると、うつろな目で天井を見つめていた。
俺はオヤジを気遣い、近づかないようにしていた。
夕食の時間、オヤジが俺に話し掛けてきた。
『おい和輝。お父さんな、お化けと友達になったかもしれんわ』
『はあっ?』
最初、オレは意味がわからなかった。
くだらない事を言うオヤジだと思った。
だが、今回は様子が違うようだった。
生まれてこの方、お化けなど信じた事も、見た事もないオヤジが真顔で話して来たからである。
そして、例の奇妙な学生の話を切り出した。
オレもオヤジ譲りの性格から、自分に霊感があるとは思ってもいなかったので、そんな場面をリアルに想像した事など、ほとんどなかった。
だから、オレは思わずこう言った。
『そんな事、あるわけないやん!』
そのセリフにオヤジが反発した。
『 いいや、あれは絶対お化けに間違いない』
まるで、自分の直観が正しい事を必死で信じようとしていた。
『ほな、その学生と握手でもしてみたら?』
とオレは提案した。
だが、オヤジは『絶対間違いない!』の一点張りを繰り返すだけだった。
こういう場合、あまり当人を刺激しない方が得策と考え、オレは話すのをやめた。
長い沈黙が訪れた。
オヤジはオレのセリフを何度も頭の中でリプレイしている様だった。
不安と恐怖に対する長い心の葛藤が続いていたようだが、オレに話を聞いてもらった事で、ようやく心の整理がついた様だった。
『和輝の言うとおりや。ちょっと、考えすぎやったかも知れん』
オヤジは憔悴した表情で自分の思いを否定した。
だが、オヤジの奇妙な体験は、もう、すでに始まっていたのだった。
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