第3話 お化けルーム401号室

メンバー全員が夕食休憩を取り終えたのは、二十時を回っていた。

仮眠時間があるとは言え、やはり二十四時間勤務は長い。

ようやく、折り返し地点といったところだろうか。

オヤジは夜間巡回までの約二時間、巡回経路図とにらめっこをしていた。

当大学における夜間巡回は、教室の建物を中心に廻るコースと、実験や研究が行われている建物を中心に廻るコースとに分けられていた。

巡回開始時刻は二十二時、二人の警備員が各々のコースに別れて出発し、巡回に要する時間は、おおよそ二時間と決められていた。

Aコース=教室棟エリア

Bコース=研究棟エリア

また、Aコースの順路は、

①図書館→②A館→③B館→④生活支援センター→⑤C館→⑥D館→⑦E館→警備室

Bコースの順路は、

①1号館→②2号館→③3号館→④4号館→⑤5号館→⑥6号館→⑦7号館→⑧体育館→⑨グラウンド→⑩遺跡保管庫→警備室を廻る経路であった。

町田隊員が退社した後、男子警備員、三名による夜間警備体制に入るが、夕方六時を回ると、部活生が一斉に部室のカギを返しに、警備室に押し掛けてくるのだ。

常時三人の内、当番制により、その対応に当たる事になっていた。

カギの管理は、警備員にとって大変重要な業務であり、紛失や受け渡し間違い等があってはいけないので、管理簿によるチェックが行われた。

また、二名が巡回に出た後に、清掃員さんたちが、その日見つけた落とし物を持ってくるのだ。

日によっては、大量に持ち込まれる事もあり、当番に当たった者は気の毒としか言いようがなかった。

夜勤初日のメンバーは、荒木隊長、杉澤隊員、尾山隊員、そして研修員のオヤジだった。

オヤジが夕食を終えるのを待って、若手警備員、尾山隊員が笑顔で近づいてきた。

『瑠璃さん、そろそろ巡回の段取りを説明しますが、良いですか?』

『あっ、はい。お願いします』

オヤジは慌てて席を立ち、尾山隊員に従った。

彼は物静かで落ち着いており、言葉使いも丁寧で、とても親切な青年だった。

『カギは早めの準備を心掛けて、持ち出す時は、別の隊員と一緒にチェックします』

巡回用のカギ束はAコース、Bコースともに厳重なボックスに納められていた。

カギは警備員の命と言っても過言ではなく、

一本でもなくす事は、武士ならば切腹に値する程重要なのだ。

夜の巡回時には、二十本ものカギ束を必要とし、各建物や部屋によって、それぞれに種類が分けられているのであった。

オヤジはカギを丁寧に数え、カギ簿に持ち出しのサインをした後、それを鷲掴みすると、腰につけたキーケースに押し込んだ。

巡回装備は全て整った。

オヤジは尾山隊員と横に整列し、室内に掛けられた時計の秒針を目で刻んだ。

『巡回を開始します!』

先に声を発したのは、最年長警備員の杉澤隊員だった。

ゆっくりとした足取りで、全てを熟知し尽くした年配らしい落ち着いた動作で扉の外へ出ていった。

杉澤隊員の後ろ姿を横目に、遅れてなるものかと、二人は隊長に敬礼した。

『瑠璃さん、暮々も気を着けて』

隊長も椅子から立ち上がり敬礼を返した。

警備室の扉を開け、外へ出た。

キャンパスは、まるで昼間とは違う様子を呈していた。

夜の建物は巨大な影絵の様に、その輪郭を際立たせ、通りの要所と各建物の玄関口には、オレンジ色に灯った明かりがぼんやりと輝いていた。

まず、二人は十時閉館の図書館に向かった。

ロビー受付カウンターには、閉館準備に急ぐ職員と時間に無頓着な学生との、いつも変わらぬ殺伐とした光景が目に飛び込んできた。

早く追い出そうとする職員と粘る学生の攻防戦が展開されていた。

さすがの尾山隊員も失笑せざるを得なかった。

今日の戦いは職員に軍配が上がったようだっだ。

『それでは、始めますか?』

尾山隊員の号令で館内を歩き始めた。狭い本棚の通路をまるで迷路のように進んでいく。

オヤジも図書館の経路については、日中の巡回で理解できていた。

オヤジたちは館内の巡回を終え、再びロビーに戻って来た。

職員たちはそそくさと退社していった様子で、事務所内の空気は、すっかり冷えきっていた。

最後に、ロビーで全ての照明を消すのだが、始めの内は正直、怖い。

しかも、どうしても気になるものがあった。

ロビーに掛けられた絵だ。

更に言うと、絵の中の被写体である。

『なぜ、この場所に、この絵なんだろう?』と。

誰がみても、そういった疑問を持たざるを得ない絵が掛けられていた。

尾山隊員がブレーカーに手を掛けた。

バチン!

ブレーカーの乾いた音と共に、館内が真っ暗になった。

順調なスタートを切った二人は、図書館を出ると、教室棟A館を目指した。

A館は教室棟のなかで一番古く、大きな建物であり、全学部の講義がここで行われていた。

尾山隊員が教室棟A館の玄関口で立ち止まった。

ライトで自分の腰に装着したキーケースを照らし、A館用のガキを取り出した。

『さあ、進みましょう!』

A館は教室棟の中で一番古い建物とあって、壁や廊下は傷と汚れが目立つ。

広い廊下は所々、照明が点いていて、真っ直ぐ進むと中央にエレベーターが見えてきた。

二人は無言のまま、薄暗いエレベーターに乗り込み、最上階の四階にやって来た。

エレベーターの扉が開いた瞬間、大きな窓が現れ、突然写し出された自分たちの姿に一瞬ドキッとさせられた。

昼間なら、美しい町並みが臨めたはずであった。

また、あれだけの学生で賑わう建物だけに、夜の静けさが、やけに不気味に感じられた。

四階は大教室が二つある。

尾山隊員は、まず手前に控えた402号室の大扉に手を掛け、中を除き込んだ。

中は雛壇式の空間が広がっていて、彼が手にしたライトが、カーテンで閉められた窓と整然と並ぶ机を照らし出した。

大教室には、出入りする扉が七箇所もあって、開講日等は閉めるだけでも大変だった。

尾山隊員は慣れた手付きで、リズミカルに閉め、もう一つの教室401号室に向かって歩き出した。

教室の前まで来ると、彼は変なことを言い出した。

『僕はね、この教室が苦手なんですわ!』

『何か、あったんですか?』

オヤジは不安そうに聞き返したが、彼は何も答えてくれなかった。

彼の手で大扉が押し開けられ、二人は教室の中に入った。

中は402号室と同様、照明も消され真っ暗だった。

ただ、窓が一部空いているのか、カーテンがそこだけ揺れていた。

ひんやりてした風を顔に感じた。

尾山隊員は開いた窓に近づいき、片手でカーテンを閉め直すと、オヤジに声を掛けた。

『ほら、あの辺りに何か見えませんか?』

オヤジは彼が照らしたライトの先を目で追った。

だが、ライトに照らされた机の影がぼんやりと見えるだけで、特に何もなかった。

『いえ、何にも見えませんけど?』

オヤジは恐る恐る答えた。

『でも、僕には、見えているんです』

彼は気味の悪い事を言い出したが、本人はあまり怖がっている様には感じられなかった。

『何が、見えるんです?』

たまらず、オヤジは聞き返した。

『実は、この教室にお化けが出るんです』

彼は単刀直入に答えた。

『えっ!』

一瞬、オヤジの呼吸と思考回路は停止した。

『とても怖がりなお化けなのか、いつも照明を付けて置きたがるんです』

オヤジは彼の言葉がよく理解出来なかった。

『それ、どういう事ですか?』

『その訳は後にして、先、進みますか?』

何とも、後味の悪い空気が漂う中、二人は教室の外へ出た。

時刻はまもなく、二十三時になろうとしていた。

ようやく、全教室のガキを閉め終えようとしていた時、尾山隊員が急に慌てた様子で言った。

『瑠璃さん、ヤバイです!早くこの建物から出ないと、闇が襲ってきます』と言いながら、足早に廊下を歩き始めた。

つまり、教室A館は夜の十一時になると、自動的に上階より照明が消える様にタイマー管理されていたのである。

『やれやれ、何とか間に合いましたね。それと、さっき言っていた訳もわかりますから』

尾山隊員が腰を屈め、最後に玄関のガキを掛け終えた時、建物内の照明は、ひとつ残らず全て消え、非常口の緑の案内灯だけが、ぼんやりと暗闇の中に浮かび上がった。

『でも、良いですか。これから起こる超奇妙な出来事が、お化けの仕業たる所以なんです。全て消えているはずの教室の照明が、何故か401号室だけ付いているんです』と言った。

二人は建物の裏に面した中庭を抜け、401号室が見える場所までやって来た。

確かに、消えているはずの401号室に目をやると、そこだけが光々と電気が付いていた。

『寂しがり屋のお化けが、ああして、毎晩消しても、また点けるんですわ』

尾山隊員は複雑な表情を浮かべ、教室を見上げるオヤジの横顔を見ていた。

『クスッ!』

彼は耐えきれなくなったのか、鼻から小さく笑いを漏らした。

『嘘ですわ!あれは、只の電気配線ミスらしいです。お化けなんて居ませんから』

『えっ!』

オヤジは我に返った様に、尾山隊員を見た。

自分がいささか動揺していた事に気づき、

身体が熱くなるのを感じた。

『もう!しょうもない事、言わんといて下さい!』

オヤジのムッとした顔で言った。

『今まで、新人研修の恒例行事となってたもんで、つい。』

彼は自分の首筋に手を回し、申し訳なさそうに謝った。











































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