第2話 覚悟と挑戦

五日間の日中勤務の後、二日間の休日をもらったオヤジは、日勤に加え、いよいよ夜勤を体験する日を迎えた。

 オヤジは警備員として勤まるかどうか、『これからが本当の勝負』と腹を決めていた。

 朝、警備室のロッカーで着替えをするオヤジは、制服に袖を通した瞬間、身が引き締まる思いがした。

 午前九時、塚田副隊長が朝礼を始めた。

 副隊長は元銀行員で、メガネ越しに光る鋭い目は、人を威圧する力を秘めていた。

 責任感があり、その分、人にも厳しかった。

 だから、彼が勤務の時は否応なしに気が引き締まるのであった。

『敬礼!』

 本日、勤務にあたる佐古田隊員が号令を掛けた。

 基本勤務形態として、隊長と副隊長の出勤が重なる事はなく、交互に休みを取る事になっていた。

 よって、今日の警備責任者は、塚田副隊長という訳だ。

『お疲れ様でした』

 朝礼が終わり、長い勤務から解放された隊員たちは、やれやれと言った表情で警備室を出て行った。

 オヤジは持ち場に着き、机に置かれた連絡ノートに目を通し始めた。

『瑠璃さん、いよいよ今日から夜勤ですね』

 オヤジの横に腰かけた大槻隊員が、話しかけてきた。

 オヤジは朝の巡回の時間が来るまで、電話番をしながら、一週間を振り返った。

その中で一番驚いたのは、警備室に設置された警報盤が、日に何度となく鳴り響く事だった。

 その都度、現場へ駆けつけ状況確認にあたるため、警報が鳴る度に緊張が走った。

『そう思うと、今日は朝から静かや』

 と感じていた。

時刻はちょうど十二時過ぎ、昼休みの時間だった。

その時、警報盤が鳴り響いた。

早速、オヤジが試される出番がやって来た。

塚田副隊長が、メガネ越しに警報盤を睨み付けた。

オヤジは反射的に立ち上がりはしたが、全く体が動かなかった。

『大槻君!場所はどこや』

副隊長が叫んだ。

巨体を揺すりながら、警報盤に駆け寄った。

『教室棟C館で、火災発生!今、防火扉が作動しました!』

と大きな声を張り上げた。

『瑠璃さん、出動!』

 塚田副隊長の予期せぬ号令に、オヤジは動揺を隠せなかった。

『心配ないっす。僕のあとに着いてきて下さい』

オヤジの肩をポンと叩いて、声を掛けてきたのは、佐古田隊員だった。

慣れた手付きで無線機を装着し、自転車へ飛び乗り、颯爽と警備室を出て行った。

オヤジも、遅れまいと着いていく。

教室棟C館の前に自転車を止め、一気に三階まで階段をかけ上がっていく。

相手は三十代、体力では到底敵わないが、自分の衰えを、まだまだ認めたくないオヤジは、必死に後を追いかけた。

三階にたどり着いた佐古田隊員は、防火扉を迅速に点検して廻った。

廊下は、ちょうど昼休みとあって、大勢の学生が、学食に向かう者や次の授業に備え、教室を移動する者などで溢れかえっていた。

 だが、誰も慌てた様子もなく、防火扉が閉まった場所、ましてや、煙や異臭、火の気が出ている様子は見当たらなかった。

『あれや!』

 突然、佐古田隊員が叫んだ。

 彼が指さした方向に目をやると、一人の学生が、防火扉に寄りかかり、携帯電話をいじっていた。

 二人は、その学生の元に駆け寄った。

『あのー。後ろの扉、確認させて下さい』

 佐古田隊員が声を掛けた。

『はあっ?』

 学生は、面倒臭そうに、二人を見た。

 佐古田隊員は防火扉に近ずいた。

『やっぱり』

 小さな声で呟いた。

 見ると、防火扉はすでに開いた後だった。

 学生が寄り掛かった時に、反動で開いたらしい。

 防火扉は煙を探知した時に、自動で煙を遮断するため、閉まる仕組みになっていたが、大概の学生はそこまで気が及ばないのであろう。

『火災と間違えるので、寄り掛からないでください』

佐古田隊員も学生の横柄な態度が、気に入らなかったのか、強い口調で言った。

注意された学生は、明らかに不機嫌そうに、何も言わずに立ち去って行った。

『くそガキが。すみませんぐらい言うたらどうやねん!』

佐古田隊員は学生の後ろ姿を睨み付けていた。

『仕方ないですわ。我々警備員は立場上、強く言えませんから』

オヤジは彼の悔しそうな横顔に向かって言った。

佐古田隊員はオヤジの意外と冷静な態度に、思わず振り返り、唇を尖らせながら、『へー、なかなか心得てますね』という表情を見せた。

そして、塚田副隊長に無線機で現場報告を入れた。

『こちら、佐古田っす。学生が扉に寄り掛って開いたようです。火災ではありません。以上、佐古田』

無線がプッと切れる音がした。

警備室に戻った二人は、再度、塚田副隊長に詳しい状況を捕捉した。

報告を受けた塚田副隊長は、『まったく!』と小声で答えただけで、オヤジたちへの気遣いが感じられる言葉は何もなかった。

夕方六時、町田隊員が『お疲れ様でした』と持ち前の笑顔を振り撒いて、退社していった。

いよいよ、夜勤のスタートである。

これより翌朝までの間、男子警備員、総勢三名で、夜勤体制に入るのだ。

町田隊員が帰ると同時に、塚田副隊長がオヤジの所に近づいて来た。

『これを、しっかり覚えるように』

副隊長が手渡したのは、夜間巡回経路図だった。

実り多い毎日を送るオヤジは、一人前の警備員になるのも、結構大変だと素直思った。

なぜなら、日々、想像以上に多くの人と接し、こんなに気を使う仕事とは、考えもしなかったからである。

今の時期、日の暮れる時間も比較的遅いが、冬ともなると、夜の時間が長くなる。

また、キャンパスも夜間は、極端に人の出入りが少なくなった。

日中、人の出入りが多いため、トラブルも起きやすく、何かと、こぜわしく動く場面に遭遇するが、逆に夜間は人が居なくなる分、目が行き届かなくなり、精神的に負担が大きくのし掛かってくる。

だが、警備員として勤まるかどうかは、この夜勤が勤まるかどうかに、かかっていた。

最大の要因は、夜の仮眠時間である。

仮眠時間は、三、四時間程度であり、十分な睡眠は取れないからである。

その他には、夜間の巡回が覚えられない者や、暗い場所が苦手な者もいるらしい。

あくまで個人差はあるだろうが、精神的、肉体的に無理な者も出て来るのである。

オヤジの新たな挑戦が幕を開けた。

夜間巡回時刻は、夜十時と決められている。

隊員たちは、言われるまでもなく、交替で早めの夕食を取り、夜間巡回に備えるのであった。













 

 

 

 

 

 

 

 

 

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