第39話 抱きたかった、ずっと…~先生ver.~

“キィ……”



寝室のドアが開いたのはお昼に差し掛かったときで目を合わせずキッチンに立って安奈はコーヒーを入れ始めた。




「安奈…」




名前を呼んでも反応さえせず食器棚から来客用のコップを取り出しコーヒーを入れだした。




「誰か来るのか?」




「…」




無視されたままじゃ話し合いは進まない




ソファに座って雑誌を手にとった瞬間――




“ピンポーン”




「あ、来た来た!どうぞ~」




さっきまで無表情だった安奈がさっきとは別人みたいにテンションがあがっていた。




「「「お邪魔します!」」」




今の声――




もしかして・・・




「いらっしゃい!中に入って入って。」




「あ、ご主人、こんにちは。お邪魔します。」




「俺、出かけてくるからごゆっくり。」




安奈の友達が来るなら俺は外に出てまた今日の夜にでも話し合おう




そう思っていたら――




「早瀬…」




奈々も来ていたなんて・・・




「あ、お邪魔します。」




安奈が俺を試しているかのように俺と奈々が話している姿をじっと見つめてくる。




「今年もよろしくな。」




「はい、よろしくお願いします。」




普通どおりに…そう接するしかなかった




「フゥ…」




近くのカフェでタバコを吸いながら奈々たちが帰るのを待つことにした。




数時間はかかるだろうと思ったら一時間もしないうちに奈々と友達の一人が出てきたのが見える。




「大丈夫?奈々…」




「うん、大丈夫。大丈夫だから加奈子戻ってもいいよ。」




「ううん、また安奈の家にはいつでも行けるから。」




二人の会話は聞こえなかったけど、奈々の顔色が悪いのは見ていてわかった。



「あ、お帰りなさい。どうしたの慌てて…」




家に帰るとまだ友達が一人残っていて、安奈は普段どおりに俺を迎え入れた。




「早瀬の顔色よくなかったけど…どうしたのかなって…」




「気分悪かったみたい。寝室に案内したら帰るっていって…」




寝室のベッドをみると乱れたベッド…




このベッドを見て奈々はどういう風に思ったんだろう――




「安奈…今日は俺実家に泊まるから。」




「え…?」




「ごめん。今日は一人で考えたいんだ。」




「嫌だよ!!」




「安奈…?」




安奈が大きな声を出していることに友達が心配して声をかけてきた。




「勝手なこといってごめん。でも必ず戻ってくるから。そのときまた話し合おう。」




「健さん!」




安奈に呼ばれた声で一瞬体が止まったけど




目を閉じれば奈々の辛そうな表情がまぶたに焼き付いていて




奈々の方向へ足が勝手に動いた




携帯と財布だけ




年明け早々こんな形で家を飛び出すなんて…




奈々のところへいったって今は迷惑だ




実家に顔を出せばどうしたんだといわれる




ホテルもいっぱいで結局冷え切った塾にその日は泊まった――




「皆さん、明けましておめでとうございます。今年から塾長をさせていただきます綾部です――」




今日から塾が開始で、奈々の顔を見れたのはよかったけど顔色が悪そうだ




朝礼を終えて声をかけようとすると奈々は林先生と楽しそうに会話をしていた――




やきもちを焼ける立場ではないのに胸がざわついて仕方がない




「早瀬先生。」




「…え?あ、はい。」




二人の会話を割って入る俺は小さいな・・・




さっきまで笑顔だった奈々の顔が俺に声をかけられてこわばってくる。




「風邪ですか?」




「すいません、熱はないんですけど…生徒に移さないようにマスクします。」




俺がよそよそしく会話をするからか奈々もよそよそしく会話をする。





「昨日具合が悪かったって聞きました。大丈夫ですか?」




「大丈夫です。あの…安奈にもごめんって伝えておいてください。あと大丈夫だと。」




「…伝えておきます。」




俺が奈々から離れるとまた林先生と奈々は話し始める。




「塾長、明日からの出勤スケジュールなんですけど…」




「あ、はい…」




「あの二人って仲いいですよね~林先生は早瀬先生を好きみたいだけど、早瀬先生に彼氏がいたなんて…」




好きな相手に付き合っている人がいたら諦めるのが当たり前




相手のことを思って身をひくのが当たり前なのに――




奈々に彼氏がいるといわれても




ちっとも気持ちが変わらない








気持ちを封印する方法を教えてほしい――




「早瀬先生、顔色悪いよ。」




林先生の大きな声が聞こえて振り返って奈々の顔をみると確かに顔色が朝より悪く、額から冬だというのにうっすらと汗がにじんでいた。




大丈夫か――?




そう一言声をかけようと思った瞬間、奈々の膝が曲がって体がグニャッと曲がった




“ドサッ――”




「奈々ちゃん!?おい!大丈夫か?」

「早瀬先生が倒れてるよ!」

「早瀬先生大丈夫?」




周りにいた先生や生徒が次々と声をかけ、心配そうに奈々に近寄る










「早瀬!そこちょっとどいて!」






塾では【早瀬先生】と呼ばないといけないのはわかっていたのに




奈々と呼ばないようにと意識していたから【先生】なんてつけるの忘れて




高校時代に戻ったかのように奈々のことを呼んでしまったが周りの人間は奈々の容態が心配でそんなこと誰も気にしていない




実際俺も忘れていて、後から奈々に聞かされた




『そんなに私のこと心配だった?』って・・・




母親のように自分の気持ちを何も伝えれないまま




誰かを失うのはもう嫌だと




その思いで行動した結果だった



「早瀬…早瀬!!」




きっと奈々は熱にうなされていたから覚えていないだろうけど




俺が早瀬の名前を呼んだら弱弱しい小声だったけどこう言ったんだ




「……健…さ…」




意識が朦朧としているなか、自分の名前をそんな風に言われて胸からこみあげるものがあった




今まで何度も自分の気持ちにブレーキをかけては気持ちが溢れる、その繰り返しだったけど











もうブレーキは壊れてしまった・・・







「うん、今のところはインフルエンザではないけど、風邪かな。ただ熱が下がらないようならもう一度インフルエンザの検査をしたほうがいいよ。」




「そうですか…ありがとうございました。」




「そうそう、あとちょっと貧血もあるみたいだから栄養あるものを食べさせてあげて。」




「はい…」




「…君もあの頃と随分と変わったね。」




「え?」




「お母さんの看病をするようになってからは顔つきがどんどん不安定になっていってたけど、今日は清清しくて柔らかい…以前の君に戻っている。」




「先生…」



先生は俺の母親を診ていてくれた先生で、今日は奈々の家に来てくれたけど、会うのは母親が亡くなった以来で、久しぶりだった。




「結婚したんだね、君…」




「はい…」




先生は俺の左手の薬指をみて驚いていた。




「…君のお母さんはいつも君の幸せを願っていたよ。」




「幸せ?」




「自分がこんな体になってしまったから介護しなくちゃいけなくなって申し訳ないっていつも言っていた。」




母親がそんな風に思っていたなんて知らなかった




むしろ俺が教師をやめるって言い出して俺を恨んでいるって思っていた




「…じゃあ私はこれで。」




「ありがとうございました。」




“ガチャン…”




「ん…」




「早瀬、気がついたか?」




本当は【奈々】って呼びたかった




だけど【奈々】って呼べば一瞬であのホテルの日に戻ってしまう気がして、怖くていえなかった




密室に二人きりにベッドがひとつ――




理性がギリギリだ




「ここ…私の部屋?」




「今お医者さんに診てもらって帰ってもらったところだ。インフルエンザじゃないけど、軽い風邪と貧血らしい。」




「あ…授業は!?」




やっぱり奈々も【先生】なんだなと思った台詞だ




生徒のことを思いやる気持ちはこれからもずっともっていてほしい




「俺は元化学の高校教師だぞ。心配ないから、横になって。」




「…色々とすいません。」




熱がある奈々は目が潤んでいて、頬も赤く、口で呼吸しているからか半開きで…




自分の心臓の鼓動が奈々に聞こえるんじゃないかっていうぐらい早くなっていた




「あ、台所勝手に借りたから。卵粥食べれそうか?」




台所へ逃げて奈々から一旦離れて自分の気持ちを整理した




今になって奈々を部屋に送るのは自分じゃないほうがよかったのだろうかと思ったけど…林先生に頼むのはそれはそれで心配だ




「はい、どうぞ。」




「あ、いただきます……おいしい!先生料理できるんですね。」




「母親が病弱だったから、よく看病していたし、家事もやっていたよ。」




「あ…」




奈々の表情をみれば何もいわなくてもわかる




奈々は俺の母親が自殺したことを知っているんだ




「俺が教師を辞めたいって言ったから…そしたら急に病んでいってしまって…あの日…」




「あの日?」




「卒業式以来再会した日…母親の葬式だったんだ。」




そう、あの日――




誰にも会いたくなくて遠くへ行ったはずなのに




奈々に出会ってしまった




自暴自棄になって見た目も中身も最悪だった俺でも受けいれてくれた奈々には本当に感謝している




「早瀬にはみっともないところばっかりだな、本当。今は経営者として気を張っているつもりだけど、こうやって早瀬と話すと素の自分がでるな。」





奈々の前ではいつも経営者として、安奈の旦那として、仮面を被っている俺は丸裸だ




「先生…どうして教師辞めたんですか?」




「…その話はまた今度な。病人だから横になって。」




教師を辞めた理由なんてひとつしかない




その理由を知ったとき…奈々はどんな顔をするのだろうか?




「…先生、ありがとうございました。もう帰ってもらっても大丈夫です。」




「一人暮らしだけど大丈夫なのか?」










「…大丈夫じゃないっていったら傍にいてくれるの?」









「早瀬…」




「……冗談です。だから早く安奈のところへ帰ってください。」




奈々の口から俺を試すような言葉が出るなんて驚いたけど…そんな言葉でさえ愛おしい




「…早瀬?」




初めて奈々の涙を見た




大きな瞳からポロポロとあふれ出す涙は、俺が手ですくってもすくってもあふれでてくる。




頬は熱で熱くて奈々の体温が手のひらからどんどん伝わってきて、手の中に奈々がいることが実感できた




奈々とこうやって目と目を合わせるのはきっとあのホテルのとき以来だ




再会したあの日から何となく目を合わせることをしなかった




目を合わせたら――




あのときの記憶がよみがえって止まらなくなるから・・・




「先生…」




奈々に抱きつかれて、手のひらでしか感じれなかった体温が、体全体で奈々の体温、柔らかさ、そばにいるって実感がどんどん伝わってくる




「今なら先生のあの時の気持ちわかるな…」




「え?」











「先生、お願いです。私の腕を振り払って帰ってください。


そしたら私先生のこと諦めれる。


もう私、苦しいんです。


先生は友達の夫で…


だけど先生を見かけるたびに、


声をきくたびに、


先生に触れられるだけで…


先生のことカラダが欲してる。


アタマではどうすればいいのかわかっているのに…


だから、このまま安奈のところへ帰ってほしい…」









俺たちは【愛している】とか愛の言葉は囁きあうことは許されない




口にすることが許されないならせめてカラダで




愛を伝えられたらって――




“カチ…カチ…”




静かな部屋に鳴り響く時計の音は、俺の理性を取り戻すどころか、俺の理性をかき乱す




この日をどれだけ待っていたんだろうかって・・・




「早瀬、ごめん。」




奈々の背中に腕を回してそっとベッドに一緒に倒れる










「俺だって早瀬のこと忘れたわけじゃない。

         ずっとまた抱きたいって思っていた。」







教え子で




妻の友達で




同じ職場の部下で




熱を出して体調が悪いという女性は抱くのは




普通ならありえない




最低な男だ――




高校の先生で




友達の夫で




職場の上司で




熱があっても先生がほしくて…ほしくてほしくてたまらない私は




最低な女だ――














常識で考えると『最低』なのに

        もうカラダは止まらない














「せんせッ…んッ」




もう少しも離れたくなくて




今までの隙間を埋めたくて




熱のせいなのか、絡み合う舌が溶けそうだ




「奈々…」




今まで心の中で何度も呼び続けていた名前をやっと口にできた




顔にかかった髪の毛を指でかきあげて奈々の顔をみると一度は涙が止まったはずなのに、また目には涙が溜まって零れ落ちそうになっている。




ゆっくりと奈々がまぶたを閉じると涙が端からすっと流れて俺の指に涙が流れてくる




今までもたくさん泣かせてきたのだろう




でもこれから先のほうがきっとたくさん泣かせてしまう――











俺たちは未来を約束することはできないから・・・









「先生、お願い、電灯消して。恥ずかしいから…」




俺が脱がした洋服で一生懸命自分の体を隠しながらお願いをしてくる奈々が可愛くて仕方ない




「恥かしくて無理だよ…」




一度は見たというのに…恥らって目もあわせずに照れている姿も愛おしくてたまらない




きっとどんな姿をみても愛おしいと思ってしまうんだろう













「奈々の感じている顔をみたいんだ…ダメ?」










わざと意地悪な言葉を言ってもっと奈々の照れている顔がみたくなった




俺の予想通りどんどん頬は赤くなって、困りながらも恥じらいながら首を縦にふる姿は、俺を受け入れてくれるようで嬉しい




“チュッ…”




奈々が俺のほうをみるように頬にキスすると目を合わせてきてくれた




せっかくこうやって抱くことができたんだ




全部…奈々のすべてをこの目に焼きつけたい




『次』なんてないかもしれないから――




首筋に唇で軽く吸って




そのまま唇を離さず左胸の中心へと移動していく





昔と変わらない感じる場所は――




「ヤダ…イヤッ」




イヤだって言われたっていまさら止めることはできない




どんどん下へと下へと移動すればするほど奈々の体はピクンと跳ねて反応してくれることが嬉しい




だけど奈々は恥ずかしさからなのか腕で顔を隠してしまった





「奈々…」




「手で顔を隠されたら、電灯の意味ないよ。」




「そうだけど…」




「奈々の色んな表情ちゃんとこの目でみて、覚えておきたいんだ。」




きっと奈々だって俺と同じように思っているはずだ




今が幸せでも明日はわからないってこと――




奈々が腕の力をゆるめると、そこには色っぽい表情の奈々がいる




あの日ホテルで見た感じている表情――




力をゆるめて奈々の顔の横に置かれた手に指を絡めて




奈々の左手の薬指にキスをした




『愛している』って思いをこめて・・・




奈々の中で人差し指を曲げると今まで聞いたことないような悦びの声をあげる。




ダメだ。もう我慢できない。




“グッ…”




奈々の中に入ろうとした瞬間奈々に待ったの声がかかる




「あ…待って、先生、待って。」




「…何で?」




「なんか信じられなくて…それにこのままいったら…」




「もうこんなに濡れているのに今さらッ…」




「だって、先生は…ッ」




奈々が言いたかった言葉はなんとなくわかる




だけど今は




今だけは聞きたくない




禁断の恋へ俺は奈々と一緒に足を踏み入れたいから。。。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る