第4話 小指と小指

高校生の卒業式




受験生にもなると、少しは先生のことを考えなくてすむようになった。




私は無事第一希望に合格した。




クラスの先生も親も喜んでくれた。




だけど何だろう…うれしいはずなのに、綾部先生との接点がもうなくなってしまうのが、高校を去ることが寂しくてつらかった。




卒業式の日




化学部のみんなで顧問の綾部先生に花束を渡すことになっていた。




みんなで写真も撮ろうって…みんな綾部先生との写真がほしかったんだと思う。




実際私も先生との写真が欲しかった。




クラスの挨拶も終わり、ゆっくりとした足取りで実験室へ向かった。




(昔はドキドキしながら実験室へ向かったなぁ…こうやって実験室へ行くのも最後なんだ。)




そう思ったら、一歩一歩かみしめてゆっくりと歩いた。




“ガラガラガラ…”




実験室には誰もいなかった。




おそらく皆、クラスのみんなと写真を撮ったり、色紙書きをしているのであろう。




自分がよく座っていた机へ向かう。




そう、先生がいる準備室から一番近い机だ。




“カシャン…”




準備室から何かが割れたような物音が聞こえた。




“コンコン…”




奈々はドアをノックし恐る恐る話しかけてみる。




「せ、先生?」




“キィ…”




ドアを開けてみると先生が割れたビーカーの破片を拾っていた。




「早瀬…」





「あ、音がして、それで…あ、えっと化学部で集まって…」




久しぶりすぎてうまく言いたいことが伝えられなかった。




「フッ…早瀬に避けられていると思ったけど変わってないのな。」




「え…避けてなんて…あ、ビーカーの片付け手伝います。」




“カチャ…カチャ…”




シンとした準備室にビーカーの破片の音だけが響き渡る。




「先生、ビーカー割ったんですか?珍しいですね。」




「最後に早瀬に格好悪いところ見せちゃったな。」




「え?」




「あれだけ生徒にはビーカー割るな、試験管割るなって注意してきたのにな。」




テレながら笑う先生が、7つも年上なのに可愛かった。




もっと先生の傍で色んな表情を見たかった。




真剣な顔、怒っている顔、笑っている顔、照れている顔…でもこれでもう最後なんだ。




「イタッ…」




「大丈夫か?破片で切ったか?」




先生が奈々の右手を握り、切った人差し指をチェックする。




「とりあえず水で流そう…早瀬?」




先生は奈々と立たせようと手を引っ張るが奈々はまったく動かない。




「先生…」




(こんなに近くで先生の顔を見るなんて初めてだ。今日でもう先生と生徒の関係は終わりだし、思い出が欲しい。)




“パリッ…”




奈々は割れたビーカーの上を少し踏み、先生に顔を近づける。




先生の唇にそっと唇を重ねた。





触れるか触れないかぐらいだった。




周りの人からみれば、これはキスとはいえないかもしれない。




でも奈々にとって、誰かと唇を重ねたのは初めてだった。




下にある割れたビーカーの破片でこれ以上先生に近づけなかった。




これ以上近づいたら怪我をする。




そう、これはこれからの私たちの関係だった。





「せんせーーーい!」




化学部の子たちの声が聞こえ、ハッと我にかえった。




奈々は先生の手を振り切り、蛇口をひねって傷口に水をあてる。




「あれ?早瀬さんもう来てたの?って、何これ!?先生割ったの~?」




「あぁ、ちょっとね。早瀬、大丈夫か?」




「はい、大丈夫です。」




「早瀬さん怪我したの?大丈夫?」




「うん、大丈夫…」



傷口を水にあてているのに、痛いはずなのに、その痛みが嬉しかった。




先生とキスをした――




これは現実で夢ではない。




そう傷口の痛みが教えてくれるみたいだった。




「綾部先生、今までありがとうございました。」




部長が花束を渡した。




「ありがとう。卒業おめでとう。」




「先生、私たちがいなくなって寂しいでしょ~」




「…そうだな。」




「本当!?じゃあ大学行っても遊びに来てもいいですか?」




「大学の成績がよかったらな。」




「ええ~」




先生と化学部の人たちの会話をおとなしく奈々は聞いていた。




(大学行っても遊びにきていいのかな?)




「あ、先生写真撮ろう!」




部長がカメラをセットしている。




「早瀬さんと先生、もうちょっと寄って~」




「え…」




右をみたら、先生が立っていた。




心臓の音が先生にも聞こえるぐらい激しい鼓動になった。




「はい、じゃあみんな笑顔でね~」




部長がタイマーをセットしてこちらへやってくる。




「!?」




先生の左手の小指が奈々の右手の小指に触れた。




隣に立っているのがやっとだった。




自分の手を引っ込めようと思った瞬間




先生の左手の小指が、奈々の小指に絡んできた。




“カシャッ…”




奈々は隣にいる先生を見つめている写真になってしまった。




先生はポーカーフェイスというか、いつもどおり普通の表情だった。




ねぇ、先生。




この写真、先生はまだ持っているかな?





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