10-C-2 亡霊の帰る場所
「……ってことがあったんだけどねぇ」
「成程な。兄上……って呼んでいいのか? そっちも大変だったんだな」
案内されたのは宿の一室。話を聞きながら、クルックスは手帳に何かを書いているようだった。何を書いているんだい、とデュナミスが覗きこむ。手帳には、先程デュナミスのした話が書かれていた。
ああ、とクルックスは頷く。
「それには、オレの話もせねばなるまい。聞いてくれないか?」
そしてクルックスは話し出す。
魂国アーシュテルムがアンディルーヴ魔導王国に侵略されたこと。その先でクルックスはアンディルーヴ魔法研究局、通称「魔局」に囚われ、特殊な紋章を刻まれ改造人間にされたこと。そして特別な力を得たが、代わりに力を使うたびに記憶を失うようになったこと。その後自力で魔局から脱出し、国に戻って再起を誓ったこと……。
「この手帳は、記憶を失った時にすぐに思い出せるよう自分で考えた安全装置なんだ」
そう、クルックスは言った。
「大切なことを忘れても、これを見て思い出せるように……記録から記憶を作れるように、な」
「クルックスも……色々あったんだねぇ」
デュナミスが呟くと、お互いになと笑った。
アンディルーヴに侵略され主権を奪われたアーシュテルムは、今は力を蓄え、いつか反撃する機会を狙っているという。そして、
「戦いになったら力を使う。そうしたらきっと沢山の記憶を失う。そうなる前に……沢山、記録しておかなくちゃな」
ところで、と彼がデュナミスを見た。
「兄上には新しい居場所が出来たんだな。楽しそうじゃないか。だが……だからこそ、だ。何故戻ってきた? 新しい地でそのまま過ごしていたって別に良かったんじゃないのか」
「ああ……僕はね、過去を清算したかったのさ」
アーシュテルムのこと、全て思い出したからとデュナミスは言う。
「君さえ良ければ……主権回復の戦いにもほんの少しなら手を貸すよ。どうだい? アーシュテルムでは色々あった。それをそのまま放っておくのもどうかと思って、ね」
「……それは助かる。分かった、アケルナル姉上に会ってくれないか。アンディルーヴへの反逆を主導しているのは姉上だ。オレはその御旗になっているだけで」
こうして、デュナミスはアーシュテルムの王宮へ向かうことになった。
◇
魂国アーシュテルムは死霊たちの国だ。至るところに、冥界へ行けなかった、或いは行く気のなかった死霊がうろうろしている。そんな死霊たちにとって、特別な亡霊であるデュナミスは格好の餌食だ。彼らはデュナミスの腕を引っ張り足をつかみ、ちょっかいを掛けようとしてくる。普通の人間はデュナミスに触れることなんてできないが、死霊たちは霊体だからこそ霊体に触ることが出来る。これには穏やかなデュナミスも辟易した。
それを見かねてか、
「兄上に……触れるな」
クルックスが低くすごむと、死霊たちは大慌てで退散していった。
君ってすごいねぇとデュナミスが笑うと、王族をあいつらは恐れてるんだよとクルックスが返す。僕も一応王族だけどねぇとデュナミスが苦笑いすると、兄上は普通の人間として生きてきた時間の方が長いから、死霊たちに舐められているんだよと返された。なるほど真理だ。今のデュナミスに王族としての威厳があるかと問われても、ある、とは返せないだろう。デュナミスはカノープスとして――アーシュテルムの王族として生を受けたが、彼が真に王族であったのはほんの数年の間だけなのだ。死霊たちに舐められもする。
そんなやり取りを幾度となく繰り返し、デュナミスもクルックスも少しばかり疲れてきた頃。目前、崩れかけた城が姿を現した。
城には、アンディルーヴからの侵略で受けたであろう傷跡がくっきりと刻まれている。壊れた門をくぐり先へ進むクルックスの背を、デュナミスは追い掛けた。
途中、人には会わなかった。けれど城内にはたくさんの死霊がいて、彼らが城を守っているようだった。デュナミスのことを怪訝な目で見る死霊たちに、
「この人は死んだと思われていたカノープス兄上だ、丁重に扱え」
クルックスが声を掛ければ。
死霊たちはデュナミスに向かってびしっと敬礼した。これまでそんな風に丁重に扱われたことのなかったデュナミスは困った顔になってしまった。
クルックスについていって進む廊下の奥。やがて、見事な装飾の施された扉の前に着く。装飾はところどころ剥がれ落ちていたけれど、かつての繁栄をうかがわせた。
「ここだ。ここに、アケルナル姉上がおられる」
デュナミスを振り返り、クルックスが言った。
「何年ぶりの再会になるのか……。準備は良いか、兄上?」
「……ああ」
頷くと、扉が開かれた。
◇
扉の奥にいたのは、黒の長髪に赤い瞳を持った美しい女性。赤いドレスを身に纏っている彼女は、執務机の前で何やら作業をしていた。
物音に気がついた彼女は扉の方を向き、優しい顔で言った。
「おや、クルックス。いきなり訪ねてくるなんて珍しいわね。そこの亡霊さんは……カノープスかしら?」
「……よく分かったな」
言い当てられ、クルックスは驚いた顔をした。
お城の亡霊たちが教えてくれたのよと彼女は笑う。その声は女性にしては低めだった。
久しぶりねクルックス、と彼女はデュナミスの方を見た。
「わたしはアケルナル。アケルナル・アーシュタルテ。今はアーシュテルムの臨時的な女王をやっているわ。わたしのこと、覚えているかしら?」
「……はい」
デュナミスは頷いた。
長兄アルナイルからいじめられていた時、いつも庇ってくれていたのはこの姉だった。彼女に守られてデュナミスは育った。
はっと思いだし、彼女に問う。
「そう言えば……アルナイルは?」
「毒殺したわ。邪魔だったもの」
満面の笑顔でさらっと、彼女はとんでもないことを言う。
「だからもう、ここにはあなたを脅かすひとなんていないのよ。――お帰りなさい、カノープス」
「……ただいま、姉さん」
霊体のデュナミスは、改めて周りを見る。アケルナルにクルックス。かつての姉弟が今、目の前にいる。血のつながった本当の家族がいる。それは不思議な感覚で。
アルカイオンの家にいた時に感じていた疎外感、孤独感、自分の場違い感。そんなものはもう感じない。ああ、帰って来たのだと実感した。
自分はもう死んでいるけれど。ここは彼の帰る場所。
「あ……れ? 僕死んでるのに……おかしい、なぁ」
死んでいるのにこぼれ落ちた涙。それは地面に落ちても染みを作らず消えてしまう。今のこの姿は、デュナミスの生前の姿を元にして作られただけの幻影だ。血も涙も皆まぼろしだ。でも。
帰るべき場所。ようやく見つけた本当の居場所、自分の家族。アリアたちとの毎日はとっても幸せだったけれど、それでも心のどこかで探していたふるさと。ようやく見つけられて、ようやく出会えて。デュナミスの心は溢れる想いに揺れる。
「辛いことがあったのね……カノープス」
聖母のような顔でアケルナルが笑う。すっと立ち上がった彼女の手が、デュナミスの頭に添えられた。瞬間、デュナミスは意識して霊体を実体化させた。
優しかった姉の手が自分を撫でる。デュナミスはしばらく、彼女の腕の中でうつむいていた。
◇
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