10-C-3 清めの泉と王族の
魂国アーシュテルムの王族は、実際の性別とは真逆の性別として育てられる。
そんなことを知ったのは、デュナミスが城の外を散策していた時のことであった。
アンディルーヴへ反撃の狼煙を上げるのはまだ少し先。それまでは自由にしていて良いと言われたデュナミスは、あちこちを散策することにした。その途中で、まだ残っていた美しい森を見つけたのだ。その森の緑は、冬なのにとても鮮やかだった。
「ここ……なぁるほど、アンディルーヴに燃やされなかったわけだ」
森の入り口でデュナミスは大いに納得する。その森の入口にはとても強い力を持った死霊たちがうろうろしていた。彼らは森を守っているらしかった。
死霊に対抗するには、死霊に関する知識を持った者が必要だ。魔法を究めることに集中し過ぎたアンディルーヴは、死霊や精霊など、不思議の存在に関する知識が甘い。
そんなアンディルーヴがアーシュテルムを滅ぼせたのは、アンディルーヴ側に強い死霊術師がいたからだと言う。しかしその死霊術師は戦いの終わりに死亡、辛うじてアーシュテルムを落とすことに成功はしたものの、アーシュテルムに反撃されたらもう次はないだろう。
王都を落としたいアンディルーヴにとって、やたら強い霊の集まる森なんて相手にしている暇はない。こうして、この森は残ったのだ。
森の入り口に近づくと、死霊のひとりが声を掛けた。
「この先は立ち入り禁止です」
「えっと……王子でも? 僕……死んでるけどカノープス、なんだよねぇ」
「それは失礼いたしました。どうぞお通り下さい」
道を開けた死霊。デュナミスは首をかしげた。
「ここ……普通の森にしてはやたらと警備が厳重だよね。この先に何があるんだい?」
「清めの泉が」
生真面目に死霊が答える。
「アーシュテルムの王族しか立ち入れない神聖な場所があるのです。魔を祓い邪悪な霊を遠ざけ、幸運と勝利をもたらす泉が」
せっかくですし、ご覧になりますかと訊ねられた。ああ、とデュナミスは頷き、森の奥へ進んでいく。
森の中はとても静かだった。冬鳥の鳴く声、虫の鳴く声、木々のざわめく声、風の声、ぱりんと氷の割れる声。たくさんの自然の声が聞こえるけれど、人間の声は聞こえない。死霊たちは森の入口にしかおらず、森の奥には自然しかない。
確かに、神聖な空気を感じた。ここだけ別世界であるかのような。息を吸い込めばきっときっと、清浄な空気の味を感じられるのだろう。もっともそのためには、わざわざ実体化しなければならないが。
清らかなる冬の森を進んでしばらく経った頃だろうか。水のはねる音が聞こえた。光り輝く泉が見えた。泉の中に、誰かいるようだった。
(ここは王族しか入れない……。ならばここにいるのは姉さんかクルックスか)
シルエットは女性のようにも見える。デュナミスは恐る恐る近づいてみた。
青緑の瞳は穏やかな輝きをたたえ、黒の長髪が水に広がる。一糸まとわぬ白い肢体、やや膨らんだ胸、背中に刻み込まれた謎の紋章。そこにいたのは、少し変わった美しい少女だった。
彼女は泉の水を浴び、何かを祈っているようだった。泉の脇に置かれたのは見慣れた赤いジャケット、手帳にペン。
何かの気配に気がついた少女は突如きっとデュナミスのいる方を睨み、鋭く声を上げた。
「――何者だッ!」
感じたのは、いつかと同じ万力のような力。デュナミスは慌てて出てきて降参したように両手を上げる。
「ええと、僕! 敵じゃないよ!」
「……妹の水浴びを眺めるとは、感心しない兄上だな」
クルックスがそう吐き捨てた。
デュナミスは驚いた眼で相手を見る。
「君って……女の子だったの?」
「何だ、知らないのか? いや……アーシュテルムから離れていたのなら、知るわけもないか」
アーシュテルムの王族は、と、彼女は泉から上がって身体を拭きながらも説明した。白い肢体が眩しくて、デュナミスはふいと顔をそむける。
「オレたちは、本来の性別とは真逆に育てられる。王族限定だけどな。だからアケルナル姉上も本当は男だぜ。オレが女であるのと同じように」
アーシュテルムの王族は、死霊を従える強い力を持つ。それゆえに、その力に屈したくない我儘な死霊たちは、王族が幼く力の弱いうちに殺そうとする。そうやって死霊に殺された王族がかつてはたくさんいたらしい。そこでとある王が考えたのが、
「本来の性別と逆にして育てる、ということだ。アーシュテルムの王族は男と女で持っている力の種類が違う。だから対処の方法も異なる。そこをあえて逆にして育てることで死霊たちを混乱させ、その隙に成長して強くなる、という寸法だよ。この方法で、死亡する幼い王族は劇的に減った」
いつもの服を着ながらもクルックスはそう説明する。
「そんな訳で……オレは女でありながら、男としての振る舞いばかりしか教えられてはいない。いや……必要に迫られれば女の子になることも不可能ではないが……変な感じがする、な。だからこれが素だ」
長い黒髪をいつもの三つ編みにしていく。濡れた漆黒の毛先から、水がぽたぽたと滴った。彼女の吐く息が白く凍っていく。
「兄上はアーシュテルムで過ごした時間が短いからよく分かってなかったんだろう。だがこれがこの国の常識だぜ。覚えておいても良いかもな」
服を着終わり髪を結び終え、いつもの姿になったクルックスが振り返った。そう言えば最初、彼女に対して男にしては高い声だなとデュナミスは思ったのだった。アケルナルに対しても、女にしては低い声だなと思った。クルックスが女でアケルナルが男であるというのならば、納得できる話である。
「だが……オレが女だと分かったからって態度変えるんじゃないぜ? いつも通りに接して欲しい。いきなり態度変えられたら困惑する。いいか、オレは男だ。身体は女かもしれないがオレは男だ。それを頭に入れておいてくれ」
了解、とデュナミスは頷いた。知れば知るほど不思議な一族である。
ところで、と首をかしげた。
「クルックスはどうして、こんなところに来ていたんだい?」
ああ、それは、と彼女は頷く。
「戦勝祈願だよ。もうすぐ戦が始まるからな、この泉に宿る神にお願いしにきてたんだ。邪魔は入ったがまぁ……祈りは届いただろう」
それを聞いて、デュナミスは申し訳ない顔になる。
「ええと……大事な儀式の邪魔をしちゃって、ごめん」
「気にするな。知らなかったんだから仕方がないさ」
クルックスはふと、遠い眼をした。
いつもの手帳を、大事そうに胸に抱える。
「なぁ、兄上……」
その声は、どこか寂しそうだった。
「戦が始まったら、オレは力を使う。そうした時、どの記憶が消えるかなんて分からない。それでもしも、せっかく会えた兄上のことを忘れてしまったのなら……って思うと、怖くてな」
記録から記憶を作り出すことは出来るけれど、それは資料から読み取った記憶でしかない。一緒に過ごした思い出やその人の声などは、記録からでは蘇らない。
いっぱい、忘れてきたんだと絞り出すような声で彼女は言う。
「友達のこと、恋人のこと、両親のこと、ずっと育ててきてくれたじいやのこと……。みんな大好きだったはずなのに、忘れて、初めましてになって。見知った世界が突如、知らないものに変わってしまって。それが怖かった、ああ、すごく怖かったんだ」
アンディルーヴに侵略され戦った時、たくさんのことを忘れたよと彼女は言う。
「次の戦いの時……オレは何を忘れるんだろうな。アケルナル姉上か? それとも兄上か? 戦うのは怖いけど……でもオレが何とかしなくちゃ、この国はどうにもならないんだよ」
震える妹の背を、実体化したデュナミスはそっと撫でた。
大丈夫さ、と穏やかな顔で笑う。
「ならば僕がたくさん動こう。クルックスがその力を使わなくても済むように。大丈夫、僕は死んでいる。特殊な武器や魔法でもない限り、傷つけられっこないからねぇ」
「ああ……」
うつむき震える妹を伴い、デュナミスは森から出た。
決戦の日は一週間後。重い足音が迫ってきていた。
◇
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