10-Bー4 終 わたしの、帰るべき場所

「おやおや、わしらを呼んだのはそなたかのぅ?」

「頼まれ屋の……ソーティアだっけ。アリアたちはいないようだけど」


 現れたのは、いつかの。

 双つ頭の魔法使い。

 まるで真夏の夢のように、何もないところから、にじむように。

 何故だか分からないが涙がこぼれた。

 泣きながらソーティアは事情を説明する。

 話を聞き終わり、左の頭リーヴェは成程と頷いた。

「事情はよう分かった。わしらはイデュールの民を止めれば良いのじゃな? 彼らが人間の里を焼く前に」

 そうです、とソーティアは頷いた。

 しかし、と右の頭ルーヴェは難しい顔。

「止めると言っても簡単には」

「石にするしかあるまいて」

「確かにそれなら止められる」

 リーヴェの言葉にルーヴェが頷き、ねぇ、とソーティアに声を掛けた。

「ソーティアは……もしもこの襲撃を止められたとして。その後で、町のみんなに今まで通り優しく接してもらえると思う? そして頼まれ屋アリアに返してもらえると思う?」

「……いいえ」

 ソーティアは首を振った。

 どうせまた閉じ込められる。工夫しないと帰れまい。いや、自分は皆の敵になるのだ。閉じ込められるだけでは済まないかもしれない。昨日見た姉の瞳にはそれぐらい、鬼気迫るものがあったのだ。

 ならば、とリーヴェが言う。

「イデュールの者を石にしよう。そうしたらもう、そなたは自由じゃ」

「頼まれ屋に帰りたいんでしょ? ならイデュールと店と。どっちを捨てるか選ぶしかない」

 ええ、とソーティアは頷いた。

 彼らを呼んだ時からもう分かっていた。イデュールを止めると決めた時点で、もう元の日々には戻れない!

 固く唇を噛み締める。噛み締めたそこから血がこぼれだす。

 絞り出すような声でソーティアは言った。

「皆さんを……石にして、下さいッ!」

「「承った」」

 ふたりが笑う。

 リーヴェが左手を前に突き出した瞬間、甲高い音を立ててはめ殺しの窓が割れた。飛び散ったガラス片は、ルーヴェの防御魔法が守る。ふわりと風が部屋に舞い込み、ソーティアの身体と部屋に置かれていた荷物を持ち上げた。空中で荷物はソーティアの前に移動し、ソーティアは慌てて抱き止める。

 風が鳴る。見下ろした大地には松明の列。人間の里を襲おうとするイデュールの列。

 ソーティアは今、空を飛んでいた。

「ソーティア・レイ、覚悟は良いな?」

 確認を取るようにリーヴェが問う。彼らはソーティアの隣に、悠々と浮かんでいた。

 はい、とソーティアは頷いた。

 自分の信念のためならば、どんな十字架だって背負おう。

「では参る。ルゥ!」

「任せてよ、リィ!」

 双つの頭は顔を見合わせ、それぞれの手を合わせた。

 空高く、双つの声が響いていく。


「「――石になれッ!」」


 轟ッ、と風が鳴る。凍える風が吹き抜ける。それは冷たい予感を宿して、問答無用でイデュールに迫る。その中にはシーフィアもいた。

 そして。

 行進が止まる、嘘のように止まる。全てが灰色に変わっていく。生きていた証が消えていく。

 戻れない、もう戻れない。ソーティアの故郷のイデュールは皆、石になったのだ。先程まで動いていた、その姿のままに。

 風がやむ。ふわり、ソーティアの身体が地面に下ろされる。ソーティアは見た、石になった姉の姿を。冷たく灰色になったその肌に触れて、ソーティアは起こったことを実感した。

「姉さ、ま……」

 涙がこぼれる。

 どうしようもなかったこととは言え、本当は、もっと。

「もっと楽しく平和に、再会したかった……!」

 涙をこぼすソーティアの肩に、手が置かれた。左の頭リーヴェが、凛とした瞳でソーティアを見ている。

「これがそなたの選択じゃ、ソーティア・レイ。そなたが決め、わしらはそれを実行しただけ。良いな?」

 これがそなたの選択じゃ、と彼は繰り返した。

 はい、とソーティアは頷いた。

「わたしは今後一生……この選択をしたという十字架を背負って生きる。でも! わたしはこの選択に、後悔なんてしません!」

「ならばイデュールたちも浮かばれるだろうよ。安心せよ。彼らの魂はわしらが冥界に連れていくでな。悪霊なんかにはさせん」

 それではさらば、と彼らは消える。何もないところからにじむように。真夏の夜の夢みたいに。

 その様を呆然と見詰めながらも、ソーティアは自分に言い聞かせるように言った。

「ええ、これで良かったんです、これで……」

 自分の居場所はここにはなかった。

 自分の信念こころを守るため、決して消えぬ大きな十字架を背負う。

 これで良い。これで……

「それなのに……涙がこぼれるのは、どうしてなのでしょう……?」


  ◇


 頼まれ屋アリアに帰り着く。久々に見たその店は、何だか懐かしい感じがした。様々な思いを抱きながらも荷物を解き、居間に降りた頃、

 底抜けに明るい声がした。

「たっだいまー! ……ってソーティアちゃんじゃん! 先に帰ってたのね。久しぶりの帰郷はどうだった?」

「…………ええ」

 泣きそうな顔をしながらも、それでも笑顔を浮かべてソーティアは言った。

「フィドラさんの話は嘘でした! 復興してた? 冗談じゃないですよ。あそこは瓦礫の山でした!」

 そうだったのだ。最初から、あの町は。

 そしてもう二度と、復興することもないだろう。

 そうなの、と何も知らないアリアは頷く。彼女は優しげな顔になって言った。

「期待していただけ、辛かったよね。でも大丈夫よソーティアちゃん。ここにはあたしたちがいるから!」

「ええ!」

 笑って、ソーティアはアリアに抱きついた。けれど結局、彼女は泣いてしまった。そんな彼女からもらい泣きしたアリアは、二人で一緒に泣いた。頼まれ屋アリアの女子たちの泣き声が、店の中にこだまする。その様を、呆れた眼でヴェルゼが見ていた。

 アリアと一緒に泣きながらもソーティアは感じる。ここが自分の居場所なのだと、人間は邪悪なだけではないのだと。

「だってわたし……こんなに、笑えてる」

「ん? 何か言った? ソーティアちゃん」

「いいえ? 何でもないですよぅ」

 気が付いたら涙は止まっていた。自然に笑顔になっていた。

 アリアたちに出会えたから、わたしは今笑えるんだ。人間は邪悪なだけの存在じゃない。二度、人間に救われた彼女はそれをよく分かっていた。

 シーフィアはそれを、分からなかっただけ。けれど彼女を責めることは出来まい。二度も人間に救われたソーティアは、イデュールの中でも異端の存在なのだから。

 ソーティアはぺこりとお辞儀をした。

「あの……改めてよろしくお願いしますね、アリアさん、ヴェルゼさん! わたしにはもう、帰るところなんてありませんけれど……」

 もっちろんよ、とアリアが笑った。

「帰るところ? 頼まれ屋アリアがあるじゃない! ソーティアちゃんはもうお店のメンバーなんだからっ!」

「……嫌なことがあったら、ここに帰れば良いだろ」

 そっけなくヴェルゼも返した。

 ソーティアは胸の前で手を合わせ、心の中で呟いた。

(ねぇ姉様、ルーシア。わたしは今、幸せですっ!)

 みんなには分からなかったかもしれないけれど。

 人間には、こんなに優しくて温かいひともいるんだ。


 後日。双頭の魔導士の魔法のカードの所在について聞かれたソーティアは、賊に襲われた際に使ってしまったと答えた。そうしたらとても心配され、アリアの過保護っぷりが存分に発揮されたのは別の話である。


信念こころりの十字架 完】

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